芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

近頃、田舎に泥棒がはやっている

2011年04月30日 | Weblog
志津川、石巻には今、泥棒が集団で来ているそうだ。半壊の家からは、テレビでも何でも持っていくという。
集団で死体を探し、死体から財布や指輪まで盗んでいるという。
末法という言葉があてはまる時代になってしまった。
先日、仙台一高の同級生、和久井氏と話したとき、今は、戦国時代に入る前の応仁の乱のころと同じではないかと私の考えを述べたが、彼は、徳富が応仁の乱の頃に、下克上がおこったのだと書いていると話していた。
もし、私の時代設定が当たっていれば、これから、下克上の世の中なり、戦国時代に入るかもしれない。
ブッシュのイラーク戦争の時に、私は、時代が戦国時代に逆戻りしたとここで書いたが、既に始まっているといえる。
このような時には、何をしても、どんどん世の中は悪くなる一方なのではあるまいか。

恊働ということ

2011年04月29日 | Weblog
この町でも市になってから、恊働ということを仕切りに言って、共同の社会を作るためにコミュニティーというのを昔のをいくつかずつまとめて、それに地域活動をするようにしむけていた。
ただ、その意義を私は理解できないでいたが、今回のような、大天災、大人災が起こると、共同で生き延びることをしようとするのかもしれない。しかし、恊働になっているのかどうかは分からない。
地域がまとまって避難してきている志津川の人たちは、安心感はあるかもしれない。ただ、職業が同じであれば、恊働ということがあるかもしれないが、必ずしもそうはならないのではないか。
その共同体が、いろいろな仕事をしていてもそれぞれが補完関係にあり、まとまっていれば、綻びはないかもしれないが、元の場所に戻って、そこでできる仕事を始められるようになって初めて、恊働ということになるのではないか。
大津波や原発の放射能汚染が恊働を逆に壊しているようにも見える。

とよまの観光産業に大打撃

2011年04月28日 | Weblog
元ちゃんによると、4月初旬の余震のほうが登米では倒れた家や門が多かったという。一つには、3月11日の地震でかなり弱っていたところに、大きな余震だったので倒れたのではないか。
元ちゃんの家には、親戚の一家が避難してきていて、そのおじいさんが亡くなったので、元ちゃんの家から葬式を出し、その時期炊き出しに出ていたので、重なって大変だったという。
私がインドに行くことに快く思わず、裏切り者呼ばわりしている。
今回の地震で、みんながどのような行動をするかに興味があったが、私のように共同体の田舎から避難した人間は仲間でないという評価になるのだ。
共同体では、常に同一行動を取らないと、仲間はずれになるのだ。
小室直樹「経済原論」に日本人は、父系社会でも母系社会でもなく、従って血縁社会ではない。また、地縁社会でもないとしるしてあった。共同体(ゲマインデ)なのだそうだ。その共同体は、戦前は日本軍に強く現れ、それが戦後は、企業に引き継がれたという。それでは田舎の共同体は何かというと、恊働なのだそうだ。
確かに、元ちゃんは、志津川から避難してきた人たちに、おにぎりやみそ汁の炊き出しを町の主婦たちとして、自分の家も被災親戚に開放して、葬式まで出している。今回の地震・津波では、老人が次々と亡くなっている。
我が家と同じ、漆喰壁の家が、ほとんどやられて、守ンツアンの家もそれほど古くはないのに、外壁は落ちたという。しかし、テレビで、まだ大きな地震が来る可能性があるというから、その後で工事をするという。
建物も古い漆喰壁が落ちているから、古い町並みを観光にしているこの町は観光では食べられなくなり、実際に、旧登米高等尋常小学校を運営している会社は、アルバイトをみんな解雇して、今残っているのは正社員だけだそうだ。

登米の現在

2011年04月27日 | Weblog
登米の人によると、先日の余震の方が、3月11日の地震よりひどかったという。お墓を直した人が結局、また倒れて直すことになったそうだ。
確かに、この前の土壁の落ちたのより、今回のほうが痛みがひどい。前回、崩落した土壁はだいたい片付けておいたが、今回の余震で落ちた土壁は前回を上回ったところがあり、佐藤元大工さんがトタン板を打ち付けておいてくれなければ、壁が完全に落ちて素通しになっていたであろう。
それでも、余震は大分少なくなったという。
原発の問題がなければ、自宅に帰っているころなのだが、そうもいかない。
インドからは、契約書のひな形をクラレ・インディアの佐藤社長からメールで送ってきたから、それを完成させて、サインして学長が送ってきたら、すぐに大使館ヴィザ部に持っていって確認しなければならない。
許可が出ればすぐインド行きだ。

辻潤の気仙沼時代

2011年04月26日 | Weblog
竹下野生「空とぶ絵師]には、南米、コロンビアのことも記されているが、主として日本で昨年個展をして全国を回ったときのことが書かれている。その中で、一関で個展をした時に、そこから案内されて、気仙沼に行き、辻潤のゆかりのところを巡ったことが記されていたので、私も、そこを10数年前に、瀬戸内寂聴さんと「三陸新報]の招きで、訪れて、辻潤が厄介になっていた家などを見て回ったことを思い出した。比較的高台だったので、そこはこのたびの津波では無事だったようだ。
辻潤が、前の大戦で、最後まで戦争支持の文を書かなかったため、東京で食べて行けなくなり、その友人の菅野青顏が気仙沼に呼んで、面倒見たと言う。
この本で、辻潤が尺八の名手で、福田蘭童の尺八の先生だったことを初めて知った。福田蘭童は、私が子供の頃にラジオで、毎日放送された「新諸国物語・笛吹き童子」のオープニングテーマ曲が「ひゃらーり、ひゃらりーこ」と始ったので、懐かしくて、ちょっと調べたら、福田蘭童が実は、「海の幸]の青木繁と福田たねの間に生まれた子供であることは、この本には記されている訳ではないが、初めて知ったことだ。

竹久野生著「空とぶ絵師」を読む

2011年04月25日 | Weblog
私の読んだ小室直樹の「経済原論]は であったので、を読もうと思ったが、借り出されていて、いまだに読まれ続けている人気の持続してい著者であることが判った。
取り敢えずは、石原恵子さんが代表を務めるオフィスKが最近出版した竹久野生著「空とぶ絵師]がおもしろいから、それをまた読めばいい。竹久野生の絵は、仙台のギャラリー蒼で開かれた個展を見たが、ちょっと押し花のような手法を用いている繊細な絵で、竹久夢二の長男の養子で、辻潤、伊藤野枝の孫であることがこのたび判った。40年以上南米コロンビアに住んでいるから、文章が日本人的でないところがあり、それにも関わらず、良い文章で、読みよかった。30歳まで自分が辻潤、伊藤野枝の孫ということを知らされなかったという、数奇な運命の人である。この本は、オフィスKから送っていただき、「美は乱調にあり]を書いた瀬戸内寂聴さんに会いたいという竹久野生さんを京都と電話で話して紹介しておいた。今回、雑司ヶ谷、鬼子母神近くのギャラリーゆめじで連休中まで展覧会をしていると言う。

憎まれっ子世にはばかる

2011年04月24日 | Weblog
先日、高校同級の和久井康明氏に私が小沢一郎首相待望者であることから、小室直樹が「小室直樹の国家云々]という本で、私と同じように小沢一郎首相待望論を展開しているのと、この本がおもしろかったというので、探したが見つからず、小室直樹著「経済原論]という本を見つけたので読んだ。
小室直樹の文章は新聞で読んで、好意を持っていたので、読みたいと思っていた人であったのが、思いがけず、和久井君に勧められることになり、この人の本を読むことが実現した。題は難しそうだが、経済理論にまるで疎い私にでも、非常に判り易い。なぜここまで経済を判り易く書くことが出来るのか、よほどこの人は、能力のある人である。小室直樹は、光文社のカッパから出している本が多いようだ。そういえば、東京外国語大学亀山郁夫学長訳・ドストエフスキー著「罪と罰]も光文社から出ているベストセラーである。
和久井君は、マスコミなどの悪評流しに影響されていて、小沢一郎を評価しない人ではあるが、田中角栄、小沢一郎を高く評価している小室直樹のような天才が書いた文章を認めているということは、そのうちに、小沢一郎を私同様に評価するようになるのではあるまいか。小室直樹はフルブライト奨学金で米国に留学して、経済から社会学、心理学まで学んできて、日米関係を客観的な見方をしている。米国で学んできて、すっぽりと米国に飲み込まれている竹中とは全然違うのが、この「経済原論]だけでも判った。
もっとも、フルブライト奨学金で米国で学んできて、ヴィエトナム戦争からの逃亡兵をかくまった小田実のような人もいる。二人とも亡くなったが、これからも、読むに値する人達である。それに引き換え、米国一辺倒の生き残りが日経新聞で幅を利かせているのには困ったもんだ。「にくまれっこ世にはばかる」とはよく言ったものである。

放射能値の発表が急に無くなった

2011年04月23日 | Weblog
雨の日の、水道水の放射能値を発表しなくなったのは、社会不安を引き起こすからと言う、配慮であろうか。
福島第一原発からの周辺に、警戒区域とか、一ヶ月以内に家を出て避難するようにと、格上げをしているが、放射能値が上がったからなのかどうかも判らない。
放射能値が発表されなければ、そのうち、関心が無くなるだろうという配慮か。
これから、宮城県に行くのに、宮城県の放射能値は、仙台しか新聞に出ていないのも、なんか判らない。照ちゃんはもう大丈夫だと言うが、何を根拠に言っているか、会って聞くしかない。
海に垂れ流している放射能はどうなっているのか。基準値のなん京倍では、太平洋沿岸の魚はもう10年は食べられないのではないか。

「トモダチ作戦]と言うなら、「思いやり予算]は被災民に

2011年04月22日 | Weblog
米国は、日米同盟、特にその地位協定によって、敗戦国日本を縛ってきたが、この東日本大震災を利用して、その必要性を日本国民に再認識させることに、米軍のパフォーマンスの大宣伝によって成功した。単純というよりも、米国のお墨付きをもらっているマスコミ大手は、その「トモダチ作戦]と言う大宣伝のお先棒をかついで、日本国民の洗脳にまたまた汲々としている。これまでの日本政府ばかりではなく、大手マスコミ幹部も外国勢力のお墨付きがなければ存在できないのであるから、やむを得ないかもしれないが、情けないとしか言いようがない。
日米同盟は、決して日本が恩恵を被っているだけのものではない。
なるほど、朝鮮戦争、ヴィエトナム戦争で、軍需景気の恩恵を被り、日本は経済大国になるきっかけをもらったであろう。
しかし、それは、常に日本に最前線を置いて、世界を軍事支配する米国の国家戦略に利用されていたというだけのことである。そして、米国の足りない物資を補給する役割を担わされていたのだ。
これも以前に述べたが、ヴィエトナム戦争で傾いた米国の財政を今は日本が支えるようしむけられている。であるから、本来、「トモダチ作戦]というのであるなら、地震、津波、原発の被災者達のために使って下さいと提供を申し出るべき筋の「思いやり予算]1880億円をこのどさくさまぎれの3月末に政府は米国の思惑のまま、国会を通過させたのである。これで、菅政権の延命に成功した政府は、やりたい放題というよりは、何も出来ないまま、原発、地震の、人災、天災被災者達の苦しみを延ばすだけであろう。40日も経ってから被災地を訪れて、原発近くからの避難民に対して「出来るだけ早く家に帰れるように、努力するから、あと最低6ヶ月、まだまだ頑張ってください」などという無神経さは、政権の延命に成功して、まだ首相になっていられることにホッとしているだけのつまらない男の映像を映しているのである。これを支えている閣僚達の無能振りも絵に書いたような何も出来ずに右往左往するだけの映像である。原発の人災にさらに人災を重ねている構図だ。
少なくても、津波被災者には、直ぐに移ってもらう仮設住宅を造らなければ、仮設住宅では寒い冬が直ぐにくるであろう。そうなれば、仮設住宅のありがたさを感じることもなく、そこからも直ぐに引っ越したくなるであろう。
私が漆喰壁のなくなった家を直ぐに放棄したのは、大工や材料を入手するのが難しくなるであろうから、相当先になって、落ち着いてから直そうと思ったからだ。寒風が吹き抜ける家に住んでなどいられない東北の寒さである。
暑いのを我慢してインドで暮らすほうがまだましということになるかもしれない。何れにしろ、家中に散乱した土壁を撤去し、倒れた棚やタンスの放り出された食器類を片付けにだけは行かねばならない。ヴィザ申請までまだ当分あるから今のうちに出来ることはしておかねばならない。



原発に火事場泥棒のたぐい

2011年04月21日 | Weblog
クリントン国務長官が来たのと時をおなじゅうして、ロボットの映写機がもたらされ、福島第一原発の原子炉建て屋の中が撮影された映像がテレビ報道された。どれくらいの価格のロボットで、政府が買い上げたのか、東電が買い上げたのか判らないが、ロボット技術の高い日本にもその程度のロボットくらいあるであろうが、今頃になって、建て屋内部の放映をするのもどうかと思う。それよりも何よりも、避難させた原発の近くから避難させられた人に1ヶ月以上もたった今だに見舞金も払っていないで、ロボット代を先に米国に支払うのであろうか。それによって、見舞金や賠償金の額が減らされないことを期待する。
フランス大統領も福島原発の大事故をの直ぐあとにフランスの原発会社アレバなどの社長を伴ってきたが、これ又、放射能汚染を取り除く原子力の仕事を取りにきたことが判っている。
菅政権はみずから何も出来ずに、米国やフランスの原子力事業者の餌食になっているのでは、被災者達も踏んだり蹴ったりである。避難民の空き家には入らないように火事場泥棒から県警や自衛隊が折角守っているに政府と東電が原発そのものに火事場泥棒を入らせているようなものではないか。それに大手マスコミが加担しているのだから話にならない。
特に米国は、米軍の空母などを前面に出して、日米同盟のありがたさを日本国民に思い知らせ、それを喜んで受け入れている菅内閣の延命に繋がっている。