芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

ヒンディー語でブルブルという小鳥

2011年08月30日 | Weblog
散歩に出るたびに必ず見かける鳥に、ヒンディー語でブルブル(bulbul)という黒い鶏冠が三角に尖っている、鳩より小さい小鳥がいる。英語訳がnightingale で、その日本語訳は、「夜鳴きウグイス」である。この英語訳と日本語訳が一致するかどうか、わからない。小柄のウグイスとは似てもつかないもっと大きな黒茶色を帯びた鳥だし、私はどちらかというと、カッコウやキツツキの類いかと思っていたくらいだ。 これまでなんどか写真を載せている。今日も比較的近くで撮れたが、それ以上近づくと逃げてしまう。望遠レンズをつけられる本格的なカメラは重いので持って来ていない。
大体ツガイでいて、オウムのように群れてはいない。鳴き声も比較的良い。

ポーラ祭り賑々しく

2011年08月29日 | Weblog
昨日のポーラ祭りは、マハーラーシュトラ州の祭りで、水牛は含まれていず、役牛の雄牛に一年に一度休憩を与え、着飾らせる農民の祭りであると、別の学部の教授に説明を受けた。
大学まで町から相当距離があるのに、太鼓の音が聞こえてきて、夕方になって出かけてみた。通り一杯に、行進する牛と見物人が広がり、行進が終わった雄牛は、各戸の門前で振る舞いを受けていた。
行進を先導する踊りと太鼓に加えて、時々音だけの花火を鳴らしていた。
花火に驚いて牛が駆け出すのではないかと心配したが、日本の東北人のように、原発事故で蒙った損害を補償させる行動などしないで、おとなしくついて歩いていた。これがインドなら、アンナ・ハジャーレに指導されたデモ行進よろしく声高に政府に要求をするところだ。

雄牛を着飾るポーラ祭り

2011年08月28日 | Weblog
昨日また、インターネットが出来なくなり、今朝珍しく、日曜日に関わらす、朝から出来るようになった。
休日出勤した係が直してくれたようだ。
その間、昨日の午後に大型バスが中国人学生達を乗せてバーザールに買い物に行くというので、便乗して買い物してきた。
ムンバイの旅行代理店CleartripにICICI bank ワルダ支店から日本への往復運賃を振り込んで、日航にキャンセルされたと言って、全額返金すると担当者に言われた11万5000ルピーが、四回もメールして、返金を求めているのに、一度電話がかかって来て、予約を二つに分けてしてあり、その全額は、11万3000ルピーだと言われ、それに対して、送った金額は、11万5000ルピーだと訂正したのに対して、担当者から電話させると言われたきり、その後なんの音沙汰もなく、メールも繋がらなくなり、この金がないため、買い物もままならなくなった。
銀行口座を作ったBank of Indiaワルダ支店では、両替が出来ず、大学の車も思うように頼めなくなったので、月末の給料日まで待つしかあるまい。
今日、二十八日(日)は、ポーラという雄牛を着飾るお祭りで、昨日バーザールでその装飾品を売っていた。

どこにでも咲く夕顔のような、ベーシャルム

2011年08月26日 | Weblog
昨日の夕方4時半頃から猛烈な雨が降り始め、おまけに雷まで鳴り、校舎が高台であるから、直ぐそばに落ちたらしく、ものすごい雷鳴が轟いた。校舎にいたという学生が2人だけ来たが、明日の新入生歓迎会の準備があるからと、他に学生が来て授業が出来るなら呼んでくれと言って、出て行った。
替わりに、雷鳴に驚いた白い野良犬が、私の机の下に潜り込んできたので、追い出した。雨は、三時間続き、結局、授業時間には、犬以外には誰も来ず、授業時間の終わったあとでもう一人来ただけなので、自然休講となった。
雨がやんだあと真っ暗闇を帰宅した。停電してもいつもは街灯がついているのに、街灯が全部消えていた。昨日載せた花は、KAZUさんからプルメリアでないかと言われたが、昔聞いたtemple flower は、もっと小粒の白い花だったようにも思う。
今日は、コチラでやはり、昔どこにでも咲く花だから、恥知らず、ベーシャルムと言うと教えられたことがある花を載せる。ちょっとフヨウに似ているが、道ばたに良く咲いていて、源氏物語の「夕顔」もどこにでも咲いている花だと光源氏に説明されていたように記憶している。

日印中の関係

2011年08月25日 | Weblog
昨日、午後に中国人学生達のバスに乗せてもらおうと思っていたが、初めに三時半の予定が、5時半に変更になったので、やむを得ず、歩いて山の上の教室兼研究室に行って、講義をした。
私は、毎日歩いて山の上の教室に講義に行くのだが、午前の早い時間に行けば、それほどでもないが、昼に戻り、午後に行くと、あせだらけになり、一日二回も着替えることになる。この中国人学生達は、大型バスを用意し貰い、授業ギリギリに教室に入って、三時間後にバスで帰って来る。かなりの厚遇である。大型バスを毎日借り切っているのは、おそらく、大学の費用ではなく、文化交流の主体の国が払っているのであろう。
インドと中国の間には、国境紛争や、ダライラーマ問題があるが、急激に関係改善されている。
日本の官僚組織も結構しっかりしているのであろうが、日印中の関係をもっとしっかりしたものにしたほうがいいのではあるまいか。そうでないと、置き去りにされかねない。
今朝の散歩では、学長にも理事長にも会わなかった。学長はおそらく、また出張中であろう。理事長は、先日追いついたあと、誘われて一緒に歩いたが、かなり疲れると言っていたので、お休みかもしれない。
山の上まで登って降りてくるのだから、朝の低温の時でも汗をかく。そのあとお茶をご馳走になったが、美味しいお茶だった。授業もあるのに、そんなに歩いたり、バーベルをしたりして大丈夫かと年齢も聞かれたので、彼の年齢を聞くと六十二歳で、再来年に定年だと言い、朝の散歩が大変そうだった。
写真の花は、散歩途中にあちこち植えてあり、ヒンディー語では、チャンパと言うが、大分前にtemple flowerと聞いたことのある花ではないかと思うが、記憶に自信がない。

外国人学生の歓迎式典

2011年08月24日 | Weblog
昨日は暑かったので、例によって、午前中に一回歩いて仕事部屋に行ったが、午後は、中国人学生たちのバスに同乗させてもらった。4時からその歓迎式典が語学部の会議室で開かれ、タイ人の2人も合わせ、15人の学生と、どういうわけか、私も一緒にマイクつきの椅子に座らされて、要人扱いで花束まで贈呈された。
中国人女子学生たちは、ミニのチャイナドレスを身につけて似合っていた。
学生たちは一人ひとり自己紹介させられ、最後に私まで、話をさせられたので、この15人が故国に帰れば150人になり、次第に増えて行ってこの国際ヒンディー語大学が真の意味で国際といわれるようになるであろうと挨拶した。
私の挨拶は短いが、他の要人たちのがやたら長く、5時からの授業に10分遅刻して、学生たちに「おはようございます」といわれたが、こういうときは「おそようございます」というのだと教えた。しかし、式典に日本語学生の一人が出席していたので、彼に、授業を少し遅らせるから学生に待っているようにと教室に知らせに行ってもらった。
昨夜もインターネットがつながらなかったので、今日は、早起きして、朝食を早く済ませ、語学部きっての一番目の到着で研究室に入ってこの文章を書いている。
このインターネットのつながらないことを、責任者に改善するように言うと、休まっていいのではないかと取り合われなかった。

中国とインドの国交

2011年08月23日 | Weblog
この13人の留学生達は、中国とインドの文化交流で招かれた学生で、学生達は全然お金がかからないが、個人的な費用は自分持ちのようだ。ヒンディー語の学生は、30人くらいいるがその約半分が留学してきたことになる。
東京外国語大学もそうだが、語学の学生は、女子が多いようで、13人中10人が女子だった。
わたしが学生の頃は、女子が三割だったが、今は逆転して、女子が7割だと言う。
なかなか気さくな女子学生が多く、何かと話しかけて来る。西安ほどの奥地ともなると、あまり、日本の戦時中の侵略行為が教え込まれていないのかもしれない。
国交による文化交流の一環で、西安からだけで13人ということは、もっと大勢の留学生の交換がされているのであろう。
それに引き換え、日本からの留学生は、インドでは、人数も少なく、苦労も多いのではあるまいか。

中国人留学生のバスで買い物

2011年08月22日 | Weblog
中国人学生は、西安の国際大学から来たのだと言っていた。200人ぐらいの日本人がいつも学んでいるそうで、日本人留学生のボーイフレンドを持つと言う中国人留学女子大生が、日本語で話しかけてくる努力をしてくれた。
彼らの乗っている車で買い物にお相伴させたもらった。チョーパル・サーガルとかいうスーパーマーケットに連れて行かれ、ちょうど、銀座で2000円で買った中国製スニーカーの底をどこかに落としてなくなっていたので、50%引きという靴を500円程度で買った。この中国製スニーカーは、こちらに来て何回か剥がれるたびに、底を貼りなおしてもらい、数百円かかっていたが、ついにどこかに落としてしまった。
今朝は、その新しい靴で散歩した。底が厚いので、コンクリート舗装を歩くのに膝が保護されていい。
留学生たちは、洗濯用のたらいなどを買っていた。彼らを引き連れる大学の関係者は、彼らのミネラルウォーターを買ってあげるのに、できるだけ安いところを探し、ついに見つけて、20箱も買ってバスに積み込んでもらっていた。しかし、これを下ろして運ぶ宿舎の人は大変だった。中国から来た外国人に親切にするあまり、自分のところの雇い人にはたいへんな目に合わせている。

来ると言って来なかったり、呼ぶといって呼ばなかったり

2011年08月21日 | Weblog
昨夕、学長が副学長と職員を数人ともなって、宿舎を見に来ていた。相当時間をかけて見てから、打ち合わせをしていたので、誰か重要人物がくるのかと思われた。
今朝、5時起きして、散歩に出ようとしたら、宿舎前に大型バスが停まっている。運転手に誰が何人くらい乗るのかと聞いても、わからないと、言うが、ナーグプルに行くのだという。
まだ薄暗い中、歩き始めたら、後ろから来たバイクが止まり、見ると中国科の学生で、「昨日、友人のところに行ったか」と聞くので、いや、電話がなかったから行かなかったと答えると、友人は忙しかったのかかも知れないという。
前日、授業の終わりに、私のことを新聞で見たという男性が中国科の学生に連れられてきて、自分は、以前ワルダからナーグプルまで通って、日本語を習い、その後、日本語教師をしていたと日本語で話しかけてきた。今は、ムンバイでMBMの勉強をしているが、帰省して、ぜひお目にかかりたかったので、中国科の友人に連れてもらってきたのだと、お菓子まで土産に持参してくれた。そして、明日、ぜひ自分のところで食事してくれというので、そちらから電話してくだされば、行ってもいいと言っておいたのだ。
しかし、電話はなかったので、おそらく、急にそんなことを言い出して、おふくろさんに怒られたのではあるまいか。
その中国科の学生は、これからナーグプルに中国人学生をバスで迎えに行くという。ヒンディー語を習いに中国から13人も来るのだとわかった。
昨日、学長を始め、宿舎の点検に来ていたのはその受け入れ準備ができているか確認していたのだとわかった。
そういえば、つい先日ヒンディー語を習いに来た中国人学生が急に帰国したのは、その受け入れに行ったのであろう。全部で、14人の中国人学生がヒンディー語を習いに一度に来るのだ。中国の勢いを感じさせる。
今日も、まだインターネットが宿舎ではできないので、散歩の途中に研究室の寄ってこれを書いている。

新聞で紹介される

2011年08月20日 | Weblog
最新の新聞で、日本人がマハートマー・ガーンディー国際ヒンディー語大学に日本語教授に採用されたと、写真入で紹介された。
最初に記事を載せたのは、サマーチャールという新聞の自分たちのワルダという欄だった。
研究室にスキャンのできる印刷機を入れてもらったので、それが載せられるが、最初に宿舎でするつもりで、メールに添付して送ったが、インターネットが昨夜からできなくなり、やむを得ず、研究室に土曜日出勤してやることになった。