芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

鶏肉屋の子供の上手な肉の捌き方

2014年06月30日 | Weblog

日曜日に久しぶりでサダルバーザールに行った。ナポレオンと呼んでいる仕立て屋にちょっとした土産物を上げ、すっかり弱ってしまって、また切れてしまったズボンを直しに出したら、その場で直し、金はいらないと言うが、お茶までご馳走になったので、お茶代と言って10ルピーを受け取らした。そこからインディアン・コーヒー・ハウスに行き、夕食に鶏麺とマサーラ・ドーサを食した。食後、近くの鶏肉屋で骨付き鶏肉を2キロ買った。今回は、キロ160ルピーで前より値下がりしていたが、それでもまだ高い。鳥を2羽、肉屋の子供がつぶし、切ってよこした。働き者の子供で、椅子に座っていたおじさんに、お客さんにその椅子を譲って、とか、扇風機をつけてとか指示している。肉の捌くのも小学生にしては、かなり上手である。写真を撮ってやろうと思ったら、児童労働が禁止されていることを知っているらしく、写真を撮らないように言われた。しかし、この子は自ら働きたくて、早くから親の仕事を見習っているのだ。

奥で働いているのが、鶏肉屋の子供で、手前はその友達。


大学の警備員

2014年06月29日 | Weblog

このところ、早朝、雨が降らないので、毎朝散歩に出かけている。今朝は夜勤の警備員が、門に鍵をかけて、応接室のソファーで寝入っていたため、やむを得ず、大きな音を出して起こし、門を開けさせた。守衛は、眠い眼をこすりながら、ポケットから鍵を出して開けた。

守衛の交代は、朝は7時だから、毎朝、交代が来て起こされる7時まで寝ている。夜警なのだから、本来は寝てはいけないのであろうが、警備員によっては、応接室に上がり込んで、寝ている。以前、台所の菓子類を盗んで食べていた夜警は、ずうずうしくて、夜は当然の如く、応接室で高いびきであった。外の椅子で寝ている夜警もいるが、中に入って来て寝る夜警もいる。この宿舎の支配人からは、戸締まりして寝るようにいわれているが、中で寝てもいいように、開けておく。

この警備員には寝るときは、鍵をポケットに仕舞わないように言っておいた。


今また官僚機構について

2014年06月28日 | Weblog

年金が来年からまた減らされるらしい。

小泉・竹中政権の時に減らされ、それ以来、次第に減らされ続けている。公的年金には、頼れないということが明らかになってから、もう十年以上たつ。その間、財務省(大蔵省でいいのに、わざわざ米国と同じ名前にしてその下部組織であることを明解にした)や総務省の無駄遣いを減らす努力をしないで、年金受給の老齢者から年金を減らし続けている。

当時、私は、年金を減らして財源に充てて、財政を立て直すのは、たこが足を食うようなもので、消費が減って経済が左前になっている時に一番の消費者である老人の年金を取り上げたら、消費が益々減るとここで述べた。年金を減らした上に若者を臨時雇用社で働かせ、自動車会社で働いていたその若者が不満から秋葉原やマツダで無差別殺人に走った。

小沢一郎は、そのような、官僚機構を変えようとして、米国支配下の財務省に税金問題で、しつこい訴訟に曝され続け、仲間であるべき民主党のレンチュウに裏切られ、今や、小政党で日本再生をしようと頑張っている。

国民は、先ず、官僚機構を正すことが重要であることを忘れてしまったようだ。


小沢一郎にエール

2014年06月27日 | Weblog

一昨日の東京新聞に、小沢一郎が両院議員総会で演説し、与党の勝手気侭な議会運営と、政策決定を止めさせたいが、野党の結束が出来ないために、与党の破滅的な政策を止められない。何とか政治を変えて行きたいというようなことを言っていた。

彼と同じ年である私は、もう、国民が三分の二以上の与党を選んでしまっているのだから、米国の命令に盲従する政府の勝手気ままは、どうしようもないと諦めている。ところが、小沢一郎は諦めずに、あの歳でまだ、日本を再起させようとしているその意気に感心した。

私は、以前から小沢一郎しか、日本の政治を立て直せる人物はいないという考えを述べているが、東京新聞を除くマスコミを始めとして、民主党の出来の悪い連中と現在の政権党とは、日本を他国に売る政治を国民によしと思い込ませて来ている。この政治を変えられるのは、民主党を政権党にした小沢一郎にしかできず、その民主党の連中に裏切られて、少数政党に追いやられても、彼はまだ意気軒昂である。

大手のマスコミを始め、与野党の大勢をになう連中も他国のスパイから直接間接、金をもらって、日本の更なる植民地化にいそしんでいる。

日本国の再生を小沢一郎にしかできないと、多くの日本人が気付くことがなければ、小沢一郎には首相を託せず、亡国を待つしかないと思われる。


親切だが高すぎるヴィザ代

2014年06月26日 | Weblog

昨日、外国人登録所の係の携帯に電話して、午後三時過ぎに行く約束をしてから行った。女性二人がおしゃべりをしていて、その二人が出るのを待ってから、中に入ってヴィザを作ってもらった。全員の出国入国の日付の入った部分の複写をして提出し、いくら払ったらいいか聞くと、この前見せられた、米国以外の国の127.7ドルに1ドルあたりの60ルピーを掛けて、7662ルピーを払わされ、2ルピーはいらないと言われた。先週申請したときの率は61ルピーだと言われたが、1ルピー安くなって、8、000ルピーには届かなかったので、良かった。嬉しそうに引き出しに仕舞うのを見て、領収書を要求すると、15日掛かるから出来たら連絡すると言い、何か日本のお土産はないのかというので、領収書をもらいに来る時に手ぬぐいを上げるといった。ワルダの外国人登録所に比べると仕事は速いが、ヴィザ代は、ワルダも高いが、その三倍近い。30分ほどで終わった。大学の車は、ヴィザの仕事がいつ終わるとも分からないので、別の仕事に行ってしまい、やむを得ず、歩いて途中まで戻り、道ばたの焼きトウモロコシを一本10ルピーで食べているところに、車が戻って来て乗れた。

ワルダのときもヴィザを貰うのに、8時間も暑い中待たされて、しかも法外に高い請求をされたので、ここももっと高いが、思ったより早く終わったので、よしとした。しかも、私のヴィザ代を計算した計算機を忘れたのを、わざわざ表まで持って来てくれた。


外国人登録所でまたまた明日来るようにと言われる

2014年06月24日 | Weblog

昨日、午後3時以後に外国人登録所にくるように言われていたので、午後三時半過ぎに一応、言われた書類を用意して行った。建物に入ると直ぐ、この前、日本に行く時に、「係がいないから、出国許可を出せない」と言って私達に帰るように言った男が、今度は、係は病院に行っているから明日来るようにと言う。どうも、この警察本署の外国人登録の仕事をしている人達は、外国人を困らせるのを仕事にしている。ワルダよりいいのは、ずるずると待たせないことだが、明日また来るようにというのが、常套句だ。ワルダでは、何時間も待たされたが、ここでは、家に帰って翌日まで待つようにというのだが、どちらがいいか。

 


雨季に入り、野菜、肉が値上がり

2014年06月23日 | Weblog

早朝、6時前に散歩に出かけた。昨日の道を逆に行ったが、途中で目がかすんできたので、別の道を通って戻った。かすみ目は以前から時々あり、すぐ治った。

依然勤めていた、ワルダのマハートマー・ガーンディー国際ヒンディー語大学の親しかった教師たちにインタヴュー放送を紹介したところ、遊びに来るように返事が来た。10月の話になるが、あるいは、その時期の祭りの休みに、ワルダに行くかもしれない。

今日は、午後3時以後に外国人登録所にくるように言われている。一応、言われた書類は用意してあるが、問題なければ、約8,000ルピーという大金を払ってヴィザの延長をすることになる。来年、もし、大学との契約の更新となれば、その4倍を払うことになる。給料の1か月分の大半である。

ネットで申し込めば安いらしいが、この宿舎のネットはワイファイが壊れていて、つながりが悪い。今使っているこの宿舎の隣のパソコンでもワイファイが時々つながりが悪くなる。近日に、大学内に宿舎が出来上がるので、そちらに移るように言われるかもしれない。大学から街まで15キロほどあるので、買い物など不便になる。ここからなら、歩いて30分あれば、買い物にいける。先週末も散髪をして、肉を買った。骨付き鶏肉が1キロ130から180ルピーと大幅値上がりしていた。卵は、18個で60ルピーで前と変わらないが、雨のせいで野菜も値上がりしている。先行きが思いやられる。

 


朝の散歩をした

2014年06月22日 | Weblog

昨日、今日の朝、散歩をした。ヴィザ申請の書類と大学からもらったので、大学にいく用もなくなり、運動不足になっているからだ。早朝に起きられなかったので、7時過ぎから歩き始め、近所で行ったことのない唯一の方向に行ったら、軍の施設に突き当たり、先にいけなかった。リッジ通りも軍の施設の中にある道路だが、一般に開放されていて、所々に兵が立っている。この町は、大半が、軍の施設であるから、立入禁止区域が多い。

しかし、若い兵隊たちが、いつも道路わきの花壇などを掃除していて、軍用施設の部分は、インドにしては実に清潔で気持ちがいい。今日の散歩は、昨夜、蕁麻疹の薬を飲んだせいか、体がだるく、歩くのがつらかった。それでも、帰りは、マンゴー2キロと、スモモなどを半キロ買って来た。そのため、途中にあったベンチで2回休憩を取った。これでは、授業ができないのではないかと心配になった。横になっていたら、、昼過ぎてからは隣の宿舎までメールしに来る元気が出てきた。私の宿舎のワイファイがつながらないので、直すように行ってからもう1週間になんなんとしているのにさっぱりである。斎藤兄もNHK WORLD を聞いて私のインタヴューの写真を送ってくださった。視聴はできるがそれを引っ張ることはできないと思っていたが、写真は引っ張れたのだ。

今、隣の宿舎のデスクトップのパソコンに日本語を取り込んで、打っているので、ウィンドウズのパソコンで写真を引っ張る方法がわからないから、ネットがつながってから、自分のマックのノートパソコンでメールに入れて送ってくださった写真を引っ張ることにする。

隣りの宿舎のワイファイで自分のパソコンにつなげたので,写真を載せられたが、NHK の方針らしく,画像が小さい。。


NHK World インタヴューの内容の一部

2014年06月21日 | Weblog

インタヴューの放送は、18日と19日の2回にわたり、放送の後半に聞けることがわかった。

ボート部先輩の吉島さんが、前半のヒンディー語を我慢して聞いてくださり、私が、遠藤周作や瀬戸内寂聴について語っているのを確認してくださったそうだ。

アナウンサー、ニーラム嬢の質問は、私とインドとのかかわりで、私が大勢の作家をインドに案内していて、インドについての情報は、彼ら、作家やNHKなど放送局のスタッフによって日本に知られるようになったという答えである。それで、現在の私の考えでは、インドの情報を日本に知らせるより、日本をもっと知ってもらうために、日本の「竹取物語」、私の田舎の町おこしのため書いた「登米物語」などをヒンディー語訳しているという話である。「竹取物語」は、日本の政治と歴史を知るのにいい話であり、「登米物語」ヒンディー語訳の昔話に、狐や狸が人を化かすというのが出ているが、これなど、インドでは考えられないことで、こういうことがインド人に面白がられる点だ。

インド人の日本に対する理解は、技術大国という認識だ。

一応、ここにもNHK World hindi ウェブを貼り付ける。

www.nhk.or.jp/nhkworld/hindi/


18日、19日の私へのインタヴュー放送が聞けた

2014年06月20日 | Weblog

隣りの貸家が工事中で、その工夫がワイファイのコードを切ったとかで、ネットが出来ない。その修復がなかなかされないので、いちいち隣りの宿舎までネットをしに行かなければならない。

そこで分かったのは、隣りのデスクトップのウィンドウズのパソコンでNHK WORLD が見られるということだった。たまたま、そのパソコンでNHK WORLDを開いたら、私のインタヴュー写真が出て来て、その18日の番組の中程からインタヴュー放送が聞けた。

NHK に問い合わせて、冒頭の番組表から18日と19日の2日間に亘って放送されたのを聞くことが出来た。番組後半にインタヴューの放送がされていた。

ノートパソコンでは、ウィンドウズ、アップルのどちらでも、どうしてか分からないが、番組表が出て来ないので聞けなかった。

 一応、ここにウェブを貼り付けます。

www.nhk.or.jp/nhkworld/hindi/