朝、守んツアンから電話で、夕べ酔っていたので、置いて行った車と、空になった酒の肴の入っていた器を取りにくるからその足で登米神社にお札を買いにいぎすぺと言われたので、車で神社に行った。守んツアンは、大国主の尊やよだれなど私より2、3余計に買っていたが、私は、守んツアンの勧めに従って、天照皇大神宮、大年神、悪魔払いを買った。天照皇大神宮は神棚の中央に飾り、大年神は神棚から垂らすのだそうだ。それに従って、夕方に各部屋に悪魔払いの御幣を振りながら「悪魔払い」を連発して歩き、その御幣を大通りの十字路角に挿して来た。これらのお札の入っていた袋に、「祝祭日には国旗を揚げましょう」と表書きしてあった。天照皇大神宮が伊勢神宮から招かれたいるから、天皇家の神であり、国家神道として国旗掲揚を呼びかけているのだ。大年神は、須佐之男命の子供と言うから、朝鮮系の伊勢神宮の神に征服された日本土着の国つ神である。明治維新流に行けば、徳川家を滅ぼした天皇家の神を国の神にして、殺人を嫌う仏教の廃仏毀釈により、人殺しを奨励して、人殺しの過程で逆に殺された人達を靖国に祀るという仕組みを作ったのであるから、現在は、負けたキリスト教やユダヤ教の神を中央に置かなければならないのであろうが、神棚の上では、そうはなっていない。しかし文化的には今や、米国支配下にある。
おすばで祭りから帰って来てから、しばらくしたら、佐藤元大工さんから電話がかかって来て、「今、山さ松をとりさ来てんだげと、待つ要る?」松は30日に照るちゃんが採りに行く時に一緒に連れて行ってくれるように頼んでいたが、とって貰うことにした。間もなく2本とってきてくれたので、門の両脇に飾った。神棚には、しめ縄を飾った。夜になって一緒に飲みに照るちゃんと守んツアン、秀夫ちゃんが来た。その時、神棚を見て、神様の飾りを三十一日に買うのが登米神社の風習だそうで明日買いに行くことになった。
このような習慣や風習は同級生と話していないと分からない。松は、門の観音扉の両脇につけたが動く扉につけて良いものかどうかも聴かねばならない。これまでは、母がすべてしていたが、施設に預けるといちいち相談に行けないから、同級生が頼りだ。
このような習慣や風習は同級生と話していないと分からない。松は、門の観音扉の両脇につけたが動く扉につけて良いものかどうかも聴かねばならない。これまでは、母がすべてしていたが、施設に預けるといちいち相談に行けないから、同級生が頼りだ。
今日は、志津川のおすばで祭りに、佐藤元大工さんの車に乗せて行ってもらって来た。ナメタガレイ、アワビなどを買った。帰りに柳津の木木館でコーヒーを飲んだ。水が美味しい。ここはわさびを売っているので、良く買うが、今日も一本買った。佐藤元大工さんは、スーパーで事前に値段を調べておいたのと比べて、安いということだった。アワビは、3個2000円、ナメタガレイは大きなのが一尾5000円だった。
郵便局から本人限定郵便物等(特伝型)の到着のお知らせというのが来ていて、電話をして届けてもらおうとしたら、パスポートの番号を言えとか生年月日を言えとか、なんでそんなことを電話で見ず知らずのものに言わなければならないのか。これでは、貰う前に知らないものを通して、個人情報が拡散してしまう。登米の郵便局に行って、こちらで受け取りたいと言うと、それは、届けることしか出来ないのだそうだ。全く、ブッシュ政権ができてそれに小泉が尻尾を振って言いなりなったため、あっちでもこっちでも自分の個人情報を開示しなければならなくなった。これを聞き出したものがそれを売りにださないという保証が全くないのだ。世界中を裸で歩かされている気分だ。
郵便局から本人限定郵便物等(特伝型)の到着のお知らせというのが来ていて、電話をして届けてもらおうとしたら、パスポートの番号を言えとか生年月日を言えとか、なんでそんなことを電話で見ず知らずのものに言わなければならないのか。これでは、貰う前に知らないものを通して、個人情報が拡散してしまう。登米の郵便局に行って、こちらで受け取りたいと言うと、それは、届けることしか出来ないのだそうだ。全く、ブッシュ政権ができてそれに小泉が尻尾を振って言いなりなったため、あっちでもこっちでも自分の個人情報を開示しなければならなくなった。これを聞き出したものがそれを売りにださないという保証が全くないのだ。世界中を裸で歩かされている気分だ。
登米の図書館借りた湯浅誠著『反貧困』を読み始めて気付いたのは、この本は、登米市で買ってくれた本ではないことだった。本の底に蔵王町図書館の判子が押してあったのだ。蔵王町は、仙台の北にある登米と、仙台を挟んで南側に約100キロメートル離れている。そこから借りたのだ。その本を送るのにどういう仕組みか分からないが、100キロ先から届けられるのに2週間かかったのだいうことである。宮城県は市町村間で本を融通し合う貸し出し網の仕組みが出来ているのだ。前回、万葉集を借りたときも、県図書館の本を約2週間かかって借りられた。これなら、どんな本でも禁帯出以外なら欲しい本は借りられるかもしれない。
それにしても740円の本を100キロも運んでもらうのでは、運賃のほうが高いのではないか。あるいは、金のかからない図書館同士の輸送方法があるのかもしれない。登米市の図書館に買う予算もないのかもせれない。
それにしても740円の本を100キロも運んでもらうのでは、運賃のほうが高いのではないか。あるいは、金のかからない図書館同士の輸送方法があるのかもしれない。登米市の図書館に買う予算もないのかもせれない。
昨夜、同級会が登米に一つしかない寿司屋で開かれた。当日朝にドタキャンの五十嵐秀夫君が欠席したので、9人で3万円だった。以前2、3人で飲み食いしたときは、一人4、5000円で大したネタでもなかったが、今回は、前から予約してあったせいか、ネタもそれなりに良く、かつ呑み代込みで10人全員参加すれば、一人当たり3000円だったから、安くて美味いと言える。一人当たり3000円にして、沢山呑んだ人が、1000円余計に払って、つじつまを合わせた。新年会もやろうということになったが、私は一月中にまだ日にちは決まっていないが、上京するので、それを避けてくれるように頼んでおいた。
来年3月の登米在住者による同級会の準備の話も出た。また、伊達宗弘氏が登米市の市長に立候補するらしいということが市内の他の町で噂になっているが、登米ではさっぱりだというのが話題になった。先日、マルマンでもその話をしたが、登米の三業組合の忘年会でも一つも話題にならなかったと言うから、地元でこれでは登米ももう救いようないと言ったばかりだった。今のような国と県、利益団体の言いなりの市政では、近い将来に市政が破綻するのは、目に見えているのだが、これでは、どうにもならないかもしれない。
来年3月の登米在住者による同級会の準備の話も出た。また、伊達宗弘氏が登米市の市長に立候補するらしいということが市内の他の町で噂になっているが、登米ではさっぱりだというのが話題になった。先日、マルマンでもその話をしたが、登米の三業組合の忘年会でも一つも話題にならなかったと言うから、地元でこれでは登米ももう救いようないと言ったばかりだった。今のような国と県、利益団体の言いなりの市政では、近い将来に市政が破綻するのは、目に見えているのだが、これでは、どうにもならないかもしれない。
朝9時過ぎに若い女性から電話がかかって来た。田舎で若者からかかる電話は殆どが勧誘である。
「芳賀さんですか」「んでがす」と無愛想に答えると、「明夫さんですか」「?」なんで私の名前を知っているのだ?「そでがす」と憮然として答える。すると、「登米の図書館の阿部ですが、お申し込みの本が届いています。図書館は今日までですから今日中か来年の仕事始めのあとに取りに来てください」というので、こちらは急に愛想よく、「ありがとうございます」と答えた。
先日、湯浅誠著『反貧困ー「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)740円を取り寄せてくれるように頼んでおいたのだ。
都会なら、電車でちょっとでかければ、直ぐに買える本だが、我が家には車がないから、隣町の書店まではバスで一日がかりでないと行けない。ブックセンター湘南・佐沼店というのが中田町加賀野というところにあり、そこで『登米物語』を売ってもらっているが、追加の注文が来た時には、照るちゃんがあんツアンを佐沼にパチンコに連れて行くついでに乗せて行ってもらって、納品している。そのうちに照るちゃんが、車を廃車にしてしまったら、重い本を持って行くのを諦め宅急便にするしかない。しかし、500円の本を1000円の宅急便で送るのでは、なん10冊も売っても元を取れない。740円の『反貧困』も同じことだ。流通の悪い田舎に送られてくるのに2週間ほどかかった。宅配料を払えば、もっと速いのであろうが、それでは、岩波新書が赤字になる。出版社は都会でしか本を売れない流通の問題を抱えている。これからの出版社は経営が大変だ。大量に送るものでないと元が取れないという点では、ほかの町中の小売店でも同じだから単価の安い単品で仕入れて売るような店は成り立たない為に、町にかつてあった店は今はなくなっている。
隣りの佐沼町には、大型店が次々と出来ているが、そこには車で行くしかない。私は車社会というものそのものに疑問を感じているので、車は持たないことにしている。仮に車を持ったとしても、間もなく、もみじマークであり、免許証の返還を迫られるのだ。田舎暮らしの老人は、老いて病気がちになり、最も必要になる近い将来に病院にも行けなくなるの日が来るのは明らかだ。
「芳賀さんですか」「んでがす」と無愛想に答えると、「明夫さんですか」「?」なんで私の名前を知っているのだ?「そでがす」と憮然として答える。すると、「登米の図書館の阿部ですが、お申し込みの本が届いています。図書館は今日までですから今日中か来年の仕事始めのあとに取りに来てください」というので、こちらは急に愛想よく、「ありがとうございます」と答えた。
先日、湯浅誠著『反貧困ー「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)740円を取り寄せてくれるように頼んでおいたのだ。
都会なら、電車でちょっとでかければ、直ぐに買える本だが、我が家には車がないから、隣町の書店まではバスで一日がかりでないと行けない。ブックセンター湘南・佐沼店というのが中田町加賀野というところにあり、そこで『登米物語』を売ってもらっているが、追加の注文が来た時には、照るちゃんがあんツアンを佐沼にパチンコに連れて行くついでに乗せて行ってもらって、納品している。そのうちに照るちゃんが、車を廃車にしてしまったら、重い本を持って行くのを諦め宅急便にするしかない。しかし、500円の本を1000円の宅急便で送るのでは、なん10冊も売っても元を取れない。740円の『反貧困』も同じことだ。流通の悪い田舎に送られてくるのに2週間ほどかかった。宅配料を払えば、もっと速いのであろうが、それでは、岩波新書が赤字になる。出版社は都会でしか本を売れない流通の問題を抱えている。これからの出版社は経営が大変だ。大量に送るものでないと元が取れないという点では、ほかの町中の小売店でも同じだから単価の安い単品で仕入れて売るような店は成り立たない為に、町にかつてあった店は今はなくなっている。
隣りの佐沼町には、大型店が次々と出来ているが、そこには車で行くしかない。私は車社会というものそのものに疑問を感じているので、車は持たないことにしている。仮に車を持ったとしても、間もなく、もみじマークであり、免許証の返還を迫られるのだ。田舎暮らしの老人は、老いて病気がちになり、最も必要になる近い将来に病院にも行けなくなるの日が来るのは明らかだ。
先日、元ちゃんにあんこ餅を貰い、昨日、守んツアンにお雑煮とずんだ餅を貰って食したので、今日は、そのお礼に町内を歩き回った。正月前なのにもうおいしい餅を食べてしまった。明夕、同級会をするので、守んツアンに人数の確認もする必要があったからだ。帰りに雨になり、結局傘を借りたりして、またお礼に行かなければならない羽目になった。
明日は、10名の人で小中学校の同級会をする。寿司屋が一軒しかないので、そこですることになっている。先日、照るちゃんと守んツアンに来てもらい呑みながら決めたのだ。
明日は、10名の人で小中学校の同級会をする。寿司屋が一軒しかないので、そこですることになっている。先日、照るちゃんと守んツアンに来てもらい呑みながら決めたのだ。
一昨日、後藤デザインの後藤氏が我が家を探し当てて来てくれた。彼は、石越に工場を持っていてガラス器のデザインをしている。売れ筋のデザインを追求するのではなく、自分の好みに拘るデザインをしていると初めて遇った時に言っていた。ガラス器と言うと店を覗く人は少ないに違いないが、最近登米に店を構えたので、ちょっと寄った序でに、『登米物語』を販売用に置いてもらった。ガラス器のデザインした商品を登米の人が買うとは思えないが、店を開いて良かったそうだ。仙台から来た観光客などが店に少しではあるが寄っていくからだと言う。この年末年始の30日から2日まで東京赤坂のプリンスホテルで、展示販売するので上京し、売れ筋の物を持っていくのではなく、自分が気に入っている物を持って行って東京人にみてもらうのだそうだ。
私もどちらかと言うと、誰でも持っているものや、食べているものを買うほうではないから、インド紅茶に人形町のタンネのお菓子を勧めた。ドイルのマイスターが造ったお菓子だと言うと、ドイツのマイスター制度のようなものが日本にも定着すると良いと言いながら、一つ食べ、珍しい味だと言った。お菓子より、酒の方がいい人なのかもしれないが、石越から車で来ているのであろうから、茶菓だけにした。彼がわざわざ来たのは、数ヶ月前に置かしてもらった『登米物語』が8冊しか売れなかったが、年末でもあるので、その代金を払いたいとのことだった。しかも10冊分全部払ってくれた。置かしてもらうだけで、売れることを期待していなかったので、代金まで持参してもらい、大変嬉しかった。このような人が登米にいるであろうか。登米の旅館でも置いてもらいたいが、遠慮で、ご主人とちょっとはなしが出来る角山旅館にしか置いてもらっていない。海老紋旅館に関しては、以前に記した通りでとても無理だ。いずれにしろ、とても売れないであろうし、入る客が少ないであろう後藤デザインで8冊も売れたのであるから、今度、上京する時に赤坂プリンスホテルで『登米物語』の残り在庫2冊を持って行って町の説明がてら売ってくれるように頼んだら、快く引き受けてくれた。
私もどちらかと言うと、誰でも持っているものや、食べているものを買うほうではないから、インド紅茶に人形町のタンネのお菓子を勧めた。ドイルのマイスターが造ったお菓子だと言うと、ドイツのマイスター制度のようなものが日本にも定着すると良いと言いながら、一つ食べ、珍しい味だと言った。お菓子より、酒の方がいい人なのかもしれないが、石越から車で来ているのであろうから、茶菓だけにした。彼がわざわざ来たのは、数ヶ月前に置かしてもらった『登米物語』が8冊しか売れなかったが、年末でもあるので、その代金を払いたいとのことだった。しかも10冊分全部払ってくれた。置かしてもらうだけで、売れることを期待していなかったので、代金まで持参してもらい、大変嬉しかった。このような人が登米にいるであろうか。登米の旅館でも置いてもらいたいが、遠慮で、ご主人とちょっとはなしが出来る角山旅館にしか置いてもらっていない。海老紋旅館に関しては、以前に記した通りでとても無理だ。いずれにしろ、とても売れないであろうし、入る客が少ないであろう後藤デザインで8冊も売れたのであるから、今度、上京する時に赤坂プリンスホテルで『登米物語』の残り在庫2冊を持って行って町の説明がてら売ってくれるように頼んだら、快く引き受けてくれた。
12月29日(月)午前9時から午後1時に南三陸町志津川魚市場で年越し、お正月用品を浜値で買える「おすばで祭り」というのが開かれるというチラシが入っていた。「おすばで」というのは、三陸沿岸部で酒の肴、つまみを意味するのだそうだ。志津川湾で獲れたアワビ、真ダコ、ナマコ、なめたカレイ、ホタテ、生牡蛎、いくらなど、生きのいいのを売るようだから、買いにいこうと思ったが、29日は年末の休日運行だと、朝の8時台のバスがないのではないか。そこで、マルマンに寄って、その日に「おすばで祭り」に行かないか聴いたら、その予定はないようだ。隣町の柳津までバスで行ければ、あとは、JRがあるのだが、バス自体がそれに丁度いい時間で連絡してもいない。しかも早朝の便は、休日運休だ。
この前、気仙沼でお祭りがあったときもこれは休日の為、早朝のバスが休日運休で行けなかった。田舎はやはり不便だ。折角おいしい魚介類が食べられるところに住んでいても、柴田道文君の言うようにアメリカの車社会のような登米市では、車のない人にはどうしようもない。しかも紅葉マークの人は、免許証を警察に返還する運動を市当局が繰り広げている。免許証を返還すると、バス代が一年間だかただなのだそうだが、バス自身がないのでは返還する人も不便をかこつだけであろう。
この前、気仙沼でお祭りがあったときもこれは休日の為、早朝のバスが休日運休で行けなかった。田舎はやはり不便だ。折角おいしい魚介類が食べられるところに住んでいても、柴田道文君の言うようにアメリカの車社会のような登米市では、車のない人にはどうしようもない。しかも紅葉マークの人は、免許証を警察に返還する運動を市当局が繰り広げている。免許証を返還すると、バス代が一年間だかただなのだそうだが、バス自身がないのでは返還する人も不便をかこつだけであろう。
屋敷の中の柿の木から、ムクドリが突ついて落とす熟柿が通路をべたつかせているので、鳥に食わせる為にとっておいた柿の一部をまた竹竿で採った。前回採ったときの熟し柿より、今回の熟柿は、寒くなって霜を浴びたせいか美味い。熟し過ぎていて、もいでいる最中に落ちて来るのが多い。こちらもあまり採りすぎると、干し柿を狙われるから、程々にしておいた。干し柿は、家の中にいれて廊下に干しておいたが、殆ど黴びてしまったので、また外に干したのだ。柿をめぐる烏やムクドリ、ヒヨドリとのいたちごっこになっている。今の国会での政局そのものだ。
真っ赤な熟柿が目の前に落ちていると、それに目を奪われてしまうのだ。もう、この冬を越す準備をしなければならないのであるが、そちらにはなかなか手が回らない。政権党にいて、出来るだけ長く美味しい利権をむさぼろうとしている鳥たちに柿をどんどん食われてしまっている。
真っ赤な熟柿が目の前に落ちていると、それに目を奪われてしまうのだ。もう、この冬を越す準備をしなければならないのであるが、そちらにはなかなか手が回らない。政権党にいて、出来るだけ長く美味しい利権をむさぼろうとしている鳥たちに柿をどんどん食われてしまっている。