芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

インディアン・コーヒー・ハウスは、シャレている

2013年06月30日 | Weblog
インディアン・コーヒー・ハウスは古い建物を利用していて、天井が非常に高い。それもあって、レストランが一層広く見える。この店は、ジャバルプルでは、気に入っている店であるが、なかなか来る時間がなく、これで三度目である。料金も高くなく、給仕の係が皆、ターバンを頭に載せているのもいい。メニューのコーヒーの料金だけが紙を貼って10ルピーから12ルピーに値上げされている。なぜコーヒーだけ値上がりなのか分からないが、それでも20円ほどでインド産の美味しいコーヒーが飲めるの嬉しい。

少し時間に余裕ができIndian Coffee Houseに

2013年06月29日 | Weblog
今日は、土曜日で大学事務は休みだから、朝食後、少しして、久しぶりにインディアン・コーヒー・ハウスに行った。宿舎からサダル・バーザールまで徒歩で30分ほどだ。インディアン・コーヒー・ハウスは、サダル・バーザールの横町にある。少し早い昼食にマサーラ・ドーサと南インドコーヒーを食した。

外国人登録の書類を受け付けられる

2013年06月28日 | Weblog
昨日、外国人登録所で追加して出すように言われた居住証明を大学に作ってもらい、大学に採用された証明書を複写して、併せて提出したら、係から来週の月曜4時にまた全員で来るようにと言われた。
兎も角も受け付けられたから、これで、おもな事務手続きは終わった。やれやれである。インドに到着して2週間以内に外国人登録をしなければならないから、書類が揃わず、遅れたりしたら本国に帰されてしまうのだ。
前の大学では、外国人登録所の係がマラーティー語で話すため、ミルゲー広報課長に同行してもらったが、自前で車を呼んで行くようにといった態度だった。ここでは、外国人登録所の係がヒンディー語で話すので、必要なかろうと同行者は付けてくれなかったが、そこに行くのに車を出してくれるは助かる。このジャバルプルでも外国人登録はワルダと同様、警察署長のいる警察署でするのだ。

今週で事務手続きは終わりそう

2013年06月27日 | Weblog
雨の時間帯が、夕方から朝に変わった。ワルダのように雷を伴って豪雨が一気に降ってやむのとは違い、強雨が数時間続く。しかし、昼間やんでくれるのは助かる。
このIIITDM-Jの取引銀行は、アラハーバード銀行で、前の大学の銀行は、インド銀行であったから、給与を振込でもらうためにアラハバード銀行に口座を作った。口座開設に大学の事務方の署名がいくつも必要で、銀行支店長がこれで良いと言ったのに、まだ足りないと翌日になってまた書類を廻し直しである。写真もインド銀行では、2枚だったが、この銀行では始め三枚、後になってから4枚必要になった。ワルダでは書類の持ち回りは、係がするので、返って時間が掛かるが、ここでは自分で持ち回ることも出来る点はいい。それと、ワルダでは銀行は、管理棟から約100段の階段を上り下りしなければならなかったが、ここでは、同じ敷地内の隣りにあるから、用件が早く済む。もう一つ、携帯電話は、本体は自分で買わなければならないが、大学がシムという料金加算の器械をくれて、一定額約500ルピーまで払ってくれる。これはワルダの大学では貰えなかったありがたい仕組みだ。事務手続きで大学の車が使えるうちに、大雨の中をバーザールに買い物にも行ける。

サダル・バーザールのチキン・センター

2013年06月26日 | Weblog
コンノートプレースのど真ん中にあるパーリカー・バーザールにこの前、落として壊したカメラの修理を頼んでおいたのを取りに行ったが、係が休みで分からなかった。恐らく、この時期夏休みを取る人が多いのであろう。夕方、車を返してから、ウニタ教授に、紹介してくれた別口の日本語教師を断った失礼を詫びに行き、瓜をご馳走になってから、ネルー大学のなかのバーザールに行って、ティベット風にモモと呼ばれる餃子を食した。
翌22日の早朝に起きてタクシーを待ったが、約束の5時になっても、なかなか来ない。宿舎の係を起こしてまた電話してもらうと、7時だと思っていたという言い訳で、それでも5時半に来た。5時と7時では、ヒンディー語でも、まるで違う発音なのだから、寝坊したに違いない。しかし、料金はもぐりのタクシーなのに、400ルピーもがっちり取られた。
スパイスジェットという航空会社のプロペラ機で、30分ほど遅れて8時過ぎに出発したのに、ジャバルプルには、予定より早い9時半に着いた。大学の車が迎えに来てくれていた。宿舎で朝食のあと休息して、昼食を摂ってから、その同じ車が使えるので、バーザールに鶏肉などを買いに行った。写真はサダル・バーザールのチキン・センター。

無農薬のマンゴー

2013年06月25日 | Weblog
クラレ・インディアの小田社長にお願いしてあった車が宿舎に迎えに来たので、それでコンノートプレースにあるゴンダールスプレスに行き、出来たばかりのヒンディー語訳『登米物語』を11部受け取った。日本を出る前に、問い合わせたら、12日までに200部全部出来上がっているという話しだったのに、雨期の湿気で製本の乾きが悪いせいで、残りは、二十五日になると言う。本来は、5月20日に出来るということだったのに、ズルズルと遅れてこうである。
ウルドゥー語訳『竹取物語』も遅れに遅れ、結局、出来た本は、クラレインディアに預かってもらった。そこからクラレインディアに行き、このヒンディー語訳『登米物語』も預かって貰うことにした。
私が来るの合わせて、親しくしているヴァルマー博士も来社した。お土産にベンガール菓子と30個以上のマンゴーを貰った。ヴァルマー博士のネパール国境に近い故郷で穫れた無農薬のマンゴーだと言う。今はマンゴーの季節であるが、販売されているマンゴーはどれも農薬たっぷりだそうだ。インドでは、殆どの野菜果物が農薬を使って育てられているそうだ。

ネルー大学の構内に棲息するクジャク

2013年06月23日 | Weblog
ネルー大学のアラーワリー宿舎で新聞を見ると、ウッタルカンド州のケーダールナートに近いところで、豪雨による山の崩落で、町が覆われ、数千から数万に及ぶ人達が亡くなったり、行方不明になったらしい。宿舎から近いウニタさんのお宅でその話しが出て、一昨年の東日本大震災の津波より多い死者の数だと言う。
デリーでもその豪雨の影響で、水に浸かっている地域があり、避難している人達の写真が出ている。。
ネルー大学は自然が残っていて、宿舎の屋根にはクジャクが止まっている。

デリーに無事到着

2013年06月22日 | Weblog
上海に1時間以上遅れて到着したが、上海からは4時間の乗り継ぎで時刻通り21時過ぎに出たのでデリーには、少し早めの21日午前1時過ぎに着いた。荷物が多いので、前払いのタクシーはネルー大学のアラーワリー宿舎迄400ルピー近くとられた。夜中ですいているので、いつもは30分くらいなのに、15分ほどで着き、係を起こして、ウニタ教授が予約してくれているのを確認して泊まることが出来た。たまにウニタ教授が忘れている事があるので,泊まれなかった事もあり、こんな遅い時間に部屋がないとなったら面倒だと思っていたが,インドの携帯電話が壊れてしまっていて、使えないので、直接宿に行って、泊まれることが分かり、ほっとした。ただ、夜中に蚊が多いのでかゆくて目がさめた。

ついに、出発日

2013年06月20日 | Weblog
ついに、出発日となった。中国東方航空は、13:50成田発であるが、上海で乗り換えると、デリーには、明21日の早朝01:50に着くというのも難点だ。夜中だから、仮に前払いのタクシーであっても、深夜に車で移動するのは安全とは言えまい。何しろレープ大国のデリーである。前払いのタクシーは、警察の利権団体であるにはあるが、警察も当てにはならない。明け方まで空港で待つのが良いかもしれないし、飛行機が遅れてくれるともっと良い。これまでのレープに対する警察の対応を新聞で見ていると、頼りにならないことが分かる。ただ、到着ロビーには休める所がない。

スーツケース2個がともに30キロになりそう

2013年06月19日 | Weblog
明日の出発に備え、荷物作りに大わらわである。先日、直ちゃんと飲んだあとで、西友で一番大きいスーツケースを買った。それに入れると、30キロくらいありそうだ。デリーから上海までは、一つ30キロでも好かったが、上海から成田では、一つの荷物を23キロまで減らすようにいわれ、7キロも手にぶら下げて来た。中国東方航空は、デリー・上海と上海・成田では基準が違うと言われ、搭乗手続きの場で、超過重量を、スーツケースから出させられた。中国南方航空ではそんなことはなかった。スーツケースが2個あるが、どちらも30キロ程度ある。また、荷物をスーツケースから出させられるかもしれないが、その時は、手荷物にするしかない。全部で80キロまで良いというのに1個1個が23キロ以下というのも理屈が分からず、おかしい。次回からは、中国東方航空は願い下げだ。