芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

久元祐子

2007年08月15日 | Weblog
久元祐子というピアニストがいる。私の親類だそうだ。先日その演奏会に行って聞いたら、大した技術だ。
そのいとこの奥さんの絵の展覧会に行った時に紹介されて知った。私も、そのいとことはいとこ同士だから、久元さんとは親類ということになる。
ショパン、モーツアルト、グリークの作品が演奏され、数百人の聴衆がいたから、相当数のファンがいるのだ。「ブラボー」を連呼する男性の声もした。
演奏は、女性の演奏というやわらかい感じがした。
私の父の方の親類だから、最近まで、あまり父方とは付き合いがなかったから、音楽家に親戚がいるなど知りも知らなかった。

爺が岳山肴会登山で体重戻る

2007年08月08日 | Weblog
東外大端艇部のOBで構成する山肴会の仲間と8月5~7日に北アルプスに行って来た。吉野兄のBMWに乗せてもらい、初日は、諏訪湖でクワドルプルを漕ぎ、信濃大町の三浦兄の会社の寮に一泊したが、用心のため宴会には出ず、そうそうに寝た。同期の立花君の指示に従って、扇沢に車をおいて、2日目は種池山荘まで大汗をかきながら登り、その山小屋の周りのお花畑でチングルマ、キンポウゲ、白山フウロなどを見て、山小屋の前に戻り、長谷川兄のお手前でお茶を飲み、翌朝2:50に起きて、爺が岳山頂からご来光を仰いだ。槍、穂、立山、剣、鹿島槍がよく見えた。山頂直下で宿のおにぎりを食べ、持参のコンロで館兄にコーヒーをいれてもらい、10:30頃扇沢に下山した。
1ヵ月で、300kmを歩いて訓練していた斎藤兄は、台湾で働いている間に相当太り、体重が80kg近くあるので、足許がおぼつかなくなり、扇沢近くで、荷物を立花兄に持ってもらうことになった。平地を歩くのと山の上り下りは違うのだと分かった。
わたしは、心配したほどに皆に遅れをとることもなく、温泉に入り、宴会をしてから帰宅して体重を量ったら、4月に芳賀家公開で痩せた分の3kgを取り戻し、体重が67kgに増えていた。普通、山に行ってくると、大汗をかいて痩せるのに増えたということは、丁度いい運動になったのだ。これからはもっと運動をしなければならないと反省した。

インドへの日本文化発信

2007年08月02日 | Weblog
東外大に端艇部というボートを漕ぐ運動部がある。わたしもそのOBだが、その端艇部のOBの仲間に登山の好きなものたちが集まって山肴会と称して、時々登山をしている。先月、その仲間が集まり、呑みながら、8月5~7日に北アルプスに行こうということになった。信濃大町にまだ、現役で働いている三浦兄の会社の寮が宿があるというので、そこに一泊することになった。同期の立花君がリーダーで、彼の都合に合わせたので、その宿は山小屋の前泊になった。
白馬に上るには、危険な雪渓を歩くので、わたしは3年前のスキーの骨折がまだ完治していないため、落石をよけられるほど体が素早く動かないから、爺が岳に登ることにしてもらった。それでも2700メートル以上ある。しかも足不自由のため、最近はあまり歩いていないから、自信があまりないが行くことにした。
ところが、その途中で、諏訪湖を通るので、館兄の力で、舟を借りて、諏訪湖でボートを漕ぐ段取りをしたと連絡があった。
3年前、インドから帰ったときに肝臓を悪くしていて寝ていたのだが、スキーに誘われていて、その約束の義務を果たすため、病み上がりで体力をつける意味でもスキーに行ったが、スキーと登山のために日頃訓練している人達と同じ動きをしようと無理をして足を骨折してしまったので、現在体力に自信のないわたしは、メールで登山のために練習を積んでいる様子を見るたびに、ますます自信を失うことになる。
いわく、『地下鉄大江戸線の階段を一気に上っても楽々』曰く、『ボートのレースと富士登山を連続して行なっても何ともなかった』
現役のボート部員だったときに全日本ジュニアーレガッタの舵手付きフォアーで、一緒に漕いで優勝した斎藤兄に至っては、『登山に備え、300kmをあるいた。これで大丈夫だろうか』という。
殆ど、現役時代のノリである。ちょっとわたしにはついて行けないかもしれないので、わたしも急遽、昨日、平坦な道ではあるが、10km以上を炎天下歩いたところ、殆ど、脱水症状になり、上着のシャツもズボンも汗でぐしょぐしょになり、シャワーを浴びただけで、寝入ってしまい、夜中の2時半頃一旦目をさましたが、また寝て、本日2日に朝寝坊とあいなった。先日、手紙をくれた、高柳正幸氏から起きがけに電話をもらい、今日ヨーガのあと呑もうということになった。
彼から、国際交流基金小倉和夫理事長がインドに日本から文化を発信して行かねばならないと発言している記事を貰い、『竹取物語』ヒンディー語訳の意義が良く分かったというのに対して、最近わたしが、国際交流基金の募集に応じて、『竹取物語』ウルドゥー語訳の援助を申請したら、予算がないと断られたことをメールしたので、それに対する電話だ。