芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

のど渇くポンプ壊れてもらい水

2015年02月28日 | Weblog

木曜日に、突然電話がかかって来て、今、大学にいて、大学で学長に会えなかったが、日本語教授がいると教えられたので、会いたいと、そこそこ上手な日本語で話すので、宿舎に来ても良いといった。プネーでサンデーシュという企業名で日本語を教えたり、通訳をしているチャンドラシェカール・ラトールという人で、奥さんの兄でジャバルプル市内に住むニーレーシュという人の案内で来た。その甥っ子と一緒で3人だ。着くと直ぐ飲み水を所望されたが、コチラは、水が出なくて困っていたのにもかかわらず、折角だから、なけなしの水をさし上げた。ニーレーシュという人は、オジャ前学長の教え子で、ラトールを紹介しようとしたようだが、忙しいとかで会えなかったと言う。大学で仕事がないか聞きに来たと言う事だ。プネーには沢山の日本企業があり、日本人が300人近くいると言うから、そこの企業の求人をこの大学に紹介すると仕事になると話した。紅茶もご馳走したので、水が益々なくなり、そのあと、直しに来てもらっても揚水ポンプの配電盤がなかなか直らないため、近所で貰い水したり、そのうえ浄水器が不調なのが分かったりで、夜には疲れ切ってしまった。

駄句。 のど渇くポンプ壊れてもらい水

 


水の問題で一日終わる

2015年02月27日 | Weblog

昨日から水が出なくなって、今日、11時に来て、直すと言っていた係が、なかなか来ない。昨日からお湯はかぶれないし、ペットボトルに入れてある飲み水もどんどん減ってしまうので、このまま、放置されると、飲み水もなく、お湯もかぶれなくなるので、大学の庶務課長に電話したり、オームプラカーシに電話したり、それでも、来ないので、来る時間をいわせた。2時半に新しい配電盤を持って来た係は、繋げずに、3時か4時に来ると言って帰ったと言う。古い配電盤のフューズを付けかえたのでそれで良いと思ったらしい。しかし、電気が直ぐ切れる。モーターが水を屋上に上げないため、屋上のタンクが水で満たされず、浄水器も洗濯機も動かないし、食器も洗えない。昼は、仕方なく、リッジ通りのジャイナ教徒の店で買った日清のカップヌードルを食した。カップは捨てればいいからだ。5時過ぎになってやっと来た係が、新配電盤に何本ものコードを繋げて水がやっとポンプで屋上に上がるようになったが、今度は、浄水器が不調である。近所で飲み水を貰って何とかしのいだ。


隣りの宿舎が大学構内の新宿舎に引っ越し

2015年02月26日 | Weblog

今住んでいる宿舎は、高級10軒長屋だが、その3号と4号を大学が借りていて、その1軒に私たちは住んでいる。去年、大学構内に新宿舎が出来、この2軒のうち1軒を明けて今週、引っ越して行く。私はそのままこちらに住めるが、隣りの荷物の1部をこちらに持って来たりして、今日、完全に隣りは荷物がなくなった。隣りの浄水器を今日、こちらに着けてくれたが、屋上に水を上げるポンプが故障し、水が出なくなった。以前にも何回か故障したが、今回は、部品がないからと明日の工事になったため、隣りは、湯沸かし器も外してあり、電気もつかない風呂場で食器を洗うことになった。今日、一日風呂に入れない。風呂といっても、お湯をかぶるだけだが、そのお湯は台所には来ていないので、食器洗いにはお湯は使えない。隣りで使っていたパソコン、印字機、ネット用ワイファイは私の宿舎の2階の空室に置いて行った。


大学との雇用契約が1ヵ月延長される

2015年02月25日 | Weblog

月曜日に提出した雇用契約延長申請書に対して、火曜日の朝に、ドゥイヴェーディー理事長がわざわざ、私の宿舎まで、1ヵ月の延長が認められたと言いに来てくれた。1ヵ月延長ではあるが、その早さには驚いた。これ迄、何度か、話して来たのに、何にも音沙汰なかったのが、パンデイ副理事長に話したら、文書で出すと良いと金曜日に言われ、日曜日に作って月曜に出したのだ。文書中に、3月いっぱいの期限なので、延長出来ないと、2学期末の4月を待たずに、3月末に帰国しなければならないと記していたので、取りあえず、臨時学長権限の範囲内で、1ヵ月延長をしてくれたようだが、本格的な契約更新は総長が会議で来る3月9日ということになる。そこで、延長もなく、更新無しとなれば、対応を考えなければならない。一応、帰国のために国内線で4月27日のナーグプルからベンガルール迄の飛行機の早割の予約はしてある。取りあえず、4月末迄は、宿舎にいられることになり、2学期の授業も試験も完全に出来そうだ。
学長の任期も3ヵ月延長になり、そのあと、臨時学長が3ヵ月の期限で指名されている。これがインドの役所の実体だ。 


グーグル地図の写真撮影者と出会う

2015年02月24日 | Weblog

今週は中間試験で、日本語授業は、選択科目だから休講だが、太宰治『家庭の幸福』と正式学長が決まらないために延ばし延ばしになっている私の雇用契約延長を申請する書類を印字するために研究室に行った。副理事長の勧めで、理事長宛に書類を出し、それを臨時の学長に渡してもらう事にした。今のところ、臨時学長がグワリオルのIIITMからいつ来るのか、さっぱり分からない。中間試験が終わってからになるであろうから、来月の初旬という事か。それ迄は、宙ぶらりんが続く、
帰りの車に、ハイデラバードのグーグルから来たというグーグル地図の写真を撮っている愛想のいい人が同乗した。やけに愛想が良く、私の仕事について細かく聞くので、地図でスパイの仕事をしているばかりでなく、勤務している人物の調査もしているように見える。グーグル地図は細かいところ迄写しているので、民間人の写真投稿で成り立っているのかと思っていたが、大学などの主な地図の撮影は、グーグルが派遣していることが分かった。 


太宰治『家庭の幸福』ヒンディー語訳が終わる

2015年02月23日 | Weblog

ガネーシュ運転手が、金曜日の授業の帰りに、500ルピーを貸してくれというので、貸した。貧血で、ナーグプルの病院に何度か行っているので、金が入用なのだ。給料を聞いたら、14000ルピーだという。デリーの運転手が15000ルピーだと言っていたから、この田舎にしてはいいほうだろう。
この前、貧血でジャバルプル病院から退院した時にお見舞いに500ルピーを上げたので、借りやすかったとみられる。
リライアンスに買い物に行ったとき、そんなわけでちょっと不安だったが、何とか持ち金で間に合った。

帰ってから、太宰治『家庭の幸福』の残りを訳し終わった。風邪で体調を崩して延ばし延ばしになっていたが、やっと終わった。作家のギャーンランジャン氏から、彼の発行する『ぺヘル』という雑誌に太宰の訳を載せたいといわれていて、これがいいのではないかと思っていたが、これから校正して2月末の締め切りに間に合うかどうか。間に合わなかったら、『満願』か『きりぎりす』『桜桃』のどれかになる。 


貧乏人に恵んで神からの恵みを頂く

2015年02月22日 | Weblog

シヴァ・ラートリーの最終日には、多くのひとをシヴァ神祠に呼んで、道端でご馳走するが、他の宗派や、イスラーム教でもそうしている。このジャバルプル市にも、乞食は結構いるし、乞食と迄は言わない迄も、貧乏人や、少しでも収入の足しにしようという人がいるようだ。サダルバーザールの仕立て屋ナポレオンのところに座っていると、木曜日には、毎週、お金を恵んでもらいに来る人達の列が出来る。近くのおばさんが、ナポレオンに替わって、一人一人に1ルピーずつ恵んでいる。中には、1ルピーの硬貨を沢山持っていて、おばさんが硬貨がなくなると、両替してもらっている。この物乞いは何十軒も廻っているのであろう。それだけ、木曜日には、恵む人が多いという事だ。全部の店が恵んでいるわけではないが、このサダルバーザールだけでも何十軒もあるという事である。こうして恵んでもらっているから、泥棒や、強盗をしなくて済んでいる。インドの社会が安定しているのはこの宗教的行為による。
日本はどんどん貧乏人が増えているが、この宗教心がないと、将来、危ない社会になるであろう。


日本商工会議所経由で日経デリー支局長から電話

2015年02月21日 | Weblog

前回、デリーに行った時、日本商工会議所の西本さんと昼食を日本料理屋でした。そこで、日経新聞の記者を紹介され、話しているうちに、是非、取材にジャバルプル市迄行きたいと言われていたが、1月に来ると言っていて、来なかったので、もうその事も忘れていたが、今日、大学に行っている留守宅に電話があったというので、コチラから夜に電話した。デリーに来るなら、取材したいと言う。そもそも、電話をして来た番号が、ワルダで使っていたもので、州が変わったため、掛かって来た電話でも金がかかる仕組みで、話し中に課金している金がなくなり、急に切れる事がしばしばある。今使っている電話を教えたのにその名刺はなくしたらしい。西本さんに教えられて、古い電話にしてきたのだ。3月下旬から留守になり、4月1日には、東京本社に戻ると言う。あまり、当てにならない取材話であるが、一応、デリー行きが決まったら、知らせる事にした。明日から、家族で、バナーラスに行くから、特に見るべきところを教えて欲しいと言う、これを聞きたくて、電話して来たのかもしれない。そんな話しで、30分近く話してしまった。遠い州に書けているから、国際電話並の料金になった事だろう。日経の政治経済記事はあてにならないが、文化欄は面白かったので、かつては、東京新聞の文化欄と共に良く読んだ。両新聞の記者との付き合いもあったが、日経の記者の名前には、刀がついていた。もう数十年前の話しだ。


少し慌ただしくなる

2015年02月20日 | Weblog

ヴァルマー氏から電話で3月にお孫さんの絵の発表会があるから、出て来ないかと言われた。3月中という事だけでまだ分からないらしいが、ここの大学の契約延長が3月になっても決まらないようなら、デリーで次ぎにどうするか、相談することは出来る。出来るだけ都合をつけて、デリーに行き、ドゥーン大学の学長にも一応あって置いたほうがいいかもしれない。3月10日前後にまた、総長が来ると言うから、その時にどこ迄話しが進められるか次第だが。
汽車の切符を取るのが大変なので、ヴァルマー氏には、決まり次第連絡してくれるように頼んだ。恐らく、またネルー大学に泊まることになるので、ウニタ教授の旦那さんにも連絡しておいた。万一、どこも決まらないまま、帰国ということになる事も考えておかなければならないが、そうなったら、荷物の整理など大変であろう。 この4年で結構な荷物ができている。


新学長が臨時の3ヵ月で決まる

2015年02月19日 | Weblog

昨日、オジャ学長からメールで、新学長が3ヵ月の臨時で決まったと知らされた。オジャ学長は昨日、17日迄で、今日、18日からは新学長がIIITM-Gwalior から来ることになった。ひょっとして会えるかと思い、大学に行ったが、グワリオルと兼務になるので、たまにしか来ないらしい。そうなると、私の勤務も3月で終わるのに、そのあと延長するのか終わりかという決定も簡単でないかもしれない。そこで、オジャ前学長とドィヴェーディ理事長に相談した。それぞれ、次の学長には話しをするというが、短時日来るのに、決定して署名迄行けるのかどうか分からないので、宙ぶらりんな気分である。これ迄の、人事を見ていても、ぎりぎり迄決まらないので、そのあと、短時日のうちにする荷物の整理など大変である。ここで更新されない場合に、ドゥーン大学の話しが以前あったので、そちらにも聞いて置いたほうがいいと、前学長に言われたので、延長がないかもしれないとも思われる。