肛門から触ってひどく大きいと言ったのが前立腺なのか膀胱なのか分からないが、それが、神経を圧迫しているかも知れないカテーテルで尿を出してくれるよう何度も看護士に言ったが、医者に言ってくれと言う。2日目は、医者が来なかったから、私がそう言っていると医者に伝えるように言ったが、実現せずに3日目に入り、日本に帰って手術するから、途中で小便に困るから、カテーテルを着くけるように言ってやっと泌尿器科の医師が来て付けてくれた。シン医師に言わせると前立腺から脊椎迄は遠いから影響はありえないと言う。しかし、カテーテルで排尿できてから、家に戻った昨日、冷たくなっていた足が温かくなり、出かける前のように動くようになった。体も楽になり、近所のひと土地が見舞いとお別れに来てくれたのに、長時間対応できた。帰る日は、2日と決め、早くに全日空で申し込んでいた5月一日の便を直近に替えられないので、新たに、ジャバルプル空港からデリー経由でインド航空を予約した。3日午前中に成田から、病院に直行することにした。
二十六日の共和国記念日の翌日、27日(水)に入院して昨日、29日に退院した。初日はそれなりに血液検査や尿検査をし、MRIは病院にないから、近くのそれ専門のところに行って、脊髄のCTスキャンを撮った。しかし、これが顔を押さえられ、身動きせずに30分我慢するように言われたが、同じ姿勢でいるので背中の背骨の痛みがひどくなり、地獄の苦しみだった。一旦、休ましてもらい、あと10分だけというので、何とかやりおおせたが、2度とやりたくない。その写真が夕方来て、医者が背骨を診て、格別悪いところがないと言う。そこ迄は神経科の医者だったが、泌尿器科の医者が来て肛門から指で触って、すごく大きいと言って、何の説明もなく出て行った。私が、医者に前立腺肥大が原因だと言っていたので、それが原因かも知れないと、翌日ソノグラフィーというエコーで前立腺を撮った。それを見た大学のシン医師は、前立腺は大して大きくないが、残尿が150cc以上あると驚いていて、私が、昨年、前立腺炎を患ったときPCAが555あったが緊急性がないと日本の医者に言われたと言うと、それはインドではものすごく高い数値だと言う。早くどうするのか決めて欲しいのだが、MRIの報告が来てから全ては決定できるとそれ待ちなった。しかし、その日は結局届かず、ただ待ちくたびれただけだった。翌29日も看護婦に届いたと何度も聞かれたが、そもそもがそういう書類が送られたか、病院側が調べるべきなのに分からずに昼になり、ガネーシュ運転手にそのBSRというMRIに行ってもらい、一時間も待たされた挙げ句、病院の受付に届けてあると言われたと言う。シン医師がその報告を見て、前立腺癌が脊髄に転移したのかも知れないし、他の病気かも知れない、検体を調べてから、手術の可能性もあるというので、ドィヴェーディ理事長に相談してくれるように話した。直ぐに戻って来て、インドでの手術は色々面倒だと、言う。ドィヴェーディ理事長にこれ以上迷惑をかけたくないので、出来るだけ早く日本に帰って、癌かどうか検査して、必要があれば手術するから、今日、退院するといった。ここでは食事も出ないで、自宅から運んでもらって食べ、ただ待つだけなので、早く出たい。退院を6時と決められたが、この手続きがまたなかなか終わらず、大学の救急車に5時半に来てもらって、実際に退院できたのは、6時半を回っていた。入院する時は立てたのが、病院にいる間に、足の麻痺は益々ひどくなり、立つことも出来なくなって、抱えられて自宅のベッドに横たわった。
昨日、ドイヴェーディ理事長に状況を話したら、早速、シン医師に電話してくれ、今朝、往診に来て、今日、直ちに検査入院するようにシン医師に勧められた。大学の救急車で昼に送られ、シン医師の勤めるジャバルプル病院に入院することになった。1969年のインド初訪問以来、インドの病院を初めて経験することになる。一日か2日の入院だという。
このところ、右の背中のカッパイから胸にかけて、かなり痛かったが、昨夜は、それが、波のようになって両足に及び、両足が麻痺してしまい、便所に行くのも、伝い歩きしないと倒れるほどになった。これでは、これ以上、ここに留まるのは無理と判断して、近々に両足が歩ける迄回復したら、帰国しようと思う。前立腺肥大なのか、前立腺癌なのか、日本で診てもらい、対応するしかあるまい。
23日(土)は、チャンドラ・ボースの誕生日だった。国民の休日ではないから、学校によっては休みにしたようだ。ヒンディー語新聞は、22日の新聞で、その記事を書いていたが、Times of India は二十四日に別冊で、1ページを充てて、その賞賛記事を書かせていた。去年、英国のスパイだと記した態度はもう見られない。今年は、西ベンガル州の選挙だから、それに利用するため、暴露をさせないように圧力をかけているのであろう。飽くまで、英雄として祭り上げて行くようだ。西ベンガル州の首府コルカーターはかつて英国時代のインドの首都だったことがあり、そこに雇われていたベンガル人は、競って英国流を学んでいた訳だから、ベンガル州には、知識人が多い。そのベンガル人達にとって英国と戦った英雄は必要であり、チャンドラ・ボースは英国と戦った英雄として祭り上げる存在にしたいのであろう。今さら、英国のスパイにしてしまっては、ほかのインド人に対してインド人的な口の先走りが出来ないかも知れない。
金曜日は、水曜に続き、男子学生の一人が休みだった。代わりばんこに休んでいる感じだが、先日は、何かの授業と重なったからと言っていた。日本から東京大学の教授が来て月曜日迄の約一週間、機械工学を教えているが、自転車製造を一緒ににしているアンサーリー助教授がその担当者で、その日本の教授に5時に終わった授業のあと、引き合わせてくれた。去年教えに来た教授が、現在、中国に行っているので、その代わりに来たと言う。ホテルに泊まって、日清食品の麺を持って来て食べていると言う。ここでも日清食品の麺を売っているが、かなり辛いから口に合わないかも知れない。
背中のイタ苦しいのが、なかなか改善しないので、ネットで調べると、膵臓癌の畏れもあるようなので、更に痛みの箇所を調べると、膵臓癌ではなく、肋間神経痛らしいのが分かった。膵臓癌だと、胃の近くの背中が痛むようだが、今の痛みは、カッパイから胸の乳の辺りにかけて痛む、かなり以前にも痛んだ経験のある肋間神経痛だったので、同じ症状であることから、肋間神経痛と結論づけられる。これが、膵臓癌なら、余命幾ばくもないから、来年迄は持つまい。ただ、前立腺の小水の出の悪いのと、背中から胸の痛みで、なんとも煩わしい。早く、温かになってくれると良いのだが、日本もそうだが、北インドも寒波の襲来で、急に寒くなっている。少し前には、暖冬かといわれるほどの気温であった。この気温の差の大きさは、体にこたえる。歳のせいもあるかも知らないが、寒さが身にしみる。インドの家は、夏用に出来ていて、暖をとる仕組みになっていない、特に私の部屋は、北向きになっていて、夏は比較的過ごしやすい。しかし、大理石の床がしんしんと寒さを伝える。やむを得ず、毛布にくるまって寝っ転がっていると、運動不足である。
ベッドに寄りかかっていると、背中が苦しくなるので、応接間のソファーに座り、体を真っ直ぐ立てて、単語を調べていたが、疲れたので、散歩がてら、買い物に出かけた。夕方の5時過ぎだが、このところ、雨が続き、外は寒かった。この寒さが前立腺に悪いので、せっせと歩いた。先ず、搾り立ての牛乳を2リットル、100ルピー(200円)買ったが、水牛の乳を搾り終わるのを5分と言われながら、15分ほど待たなければならなかった。そこから、いつもの床屋に髪を切りに行き、米一キロ37ルピー(74円)のを400ルピー(800円)分リライアンスで買った。いつも乗るオートで、帰途、鶏肉骨無し一キロ200ルピー(400円)、骨付き一キロ160ルピー(320円)、卵12個60ルピー(120円)で買った。オートを待たしたままでひらめに似たさかな500グラム360ルピー(720円)も買った。ここは海から遠いので、海の魚は高い。しかし、川魚は、骨が多くて食べにくいし、海の魚のほうがうまい。オートは30分ぐらい待たせたが、いつもの60ルピー(120円)で済んだ。久しぶりに五千数百歩歩いた。
今日の授業も出席学生は3名であった。
出席学生は、前回のサーティフィケート課程では良く出来ていたが、ひらがながまだちゃんと読めないので、『登米物語』を数行読み、そこに出て来る受動詞をテキストの受動詞の課で説明する方法をとった。学生たちは、図書館から、『登米物語』のヒンディー語訳を借りて来ているので、それで文章の内容は分かるはずだが、それでも難しいようだ。受動詞は、可能と尊敬も含むためその説明もしなければならないので、本来は、ディプロマ課程では、教えなくていい内容であるが、受動詞は文中に良く出て来るから、教えないわけにはいかない。
出席学生は、前回のサーティフィケート課程では良く出来ていたが、ひらがながまだちゃんと読めないので、『登米物語』を数行読み、そこに出て来る受動詞をテキストの受動詞の課で説明する方法をとった。学生たちは、図書館から、『登米物語』のヒンディー語訳を借りて来ているので、それで文章の内容は分かるはずだが、それでも難しいようだ。受動詞は、可能と尊敬も含むためその説明もしなければならないので、本来は、ディプロマ課程では、教えなくていい内容であるが、受動詞は文中に良く出て来るから、教えないわけにはいかない。
夕べから雨が降り、朝も雨が降っていたので、一雨ごとに暖かくなる季節になったことが分かった。夕べは、暑くて、汗をかいていた。寒いのが、前立腺に良くないみたいで、暖かいのは助かる。背中のカッパイが痛むのは、一つには、今、毎日飲んでいるタムスロシン・ハイドロクロライド0、2ミリグラムが原因の一つのようなので、13日から飲むのをやめたら、直ぐに痛みが和らいだ。ただ、完全には直らず、映画を同じ姿勢で見ていたら、背中がイタ苦しくなった。そもそもが、前立腺の尿の出を良くするために飲んでいるのだから、薬をやめれば、矢張り、尿が出にくくなる訳で、どの程度迄我慢できるかである。出にくいのも、背中の痛みに関係があるようである。矛盾をある程度のところで妥協するしかない。背中の痛苦しいのよりは、今の程度の尿の出にくさなら、我慢できそうだ。去年の夏、熱を出した時は、出なくなったので、病院に行ったのだが、薬で治ったので、それに頼ってしまうが、飲むことで、副作用が出ているのだから、やめるしかない。たった0、2ミリグラムでも毎日飲むと、こんな副作用があるということで、他の器官にも影響しているかも知れないし、完全に尿が出なくなる迄は飲むのをやめることにした。