芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

進んでいない、政治改革

2011年11月27日 | Weblog
機内で出た24日付新聞に立川談志の死亡が報じられていた。斎藤攻兄の送ってくれた本の一冊が、『人生、成り行き、談志一代記』で、丁度それを読み終わるところであった。
落語には、たまに行っているが、無理に笑わせられるところが嫌な面もあった。歌舞伎も、大仰な動きが嫌であまり好きではない。本を読むのが手軽で一番いい。
立川談志が落語家で、参議院議員でもあり一期で辞めたのに疑問があったが、この本で疑問が氷解した。
テレビを見ると、放射能のばらまきをいまだに放置して、政治改革もさっぱり進んでいない。放射能を測って、後手に回らないようにこれから高いところを清掃するなどと言っている。半年も国民に放射能を吸わせておいて、後手もないものだ。
明日からいよいよブログが書けなくなる。

デリー空港に早めに出かける

2011年11月26日 | Weblog
デリー大学とネルー大学の教授を務める、夫妻の家で、昼飯までご馳走になり、ご主人が、腹の調子が悪いというので、近所のニームの枝を折ってきてその葉っぱを煮て、ニーム水を作って飲ませた。ニーム水は薬になるが、飲むと苦い。悪くなったとはいわなかったから、飲んで効果があったかどうかは別として、その良さは分かっているらしく、奥さんも飲んでくれた。煮出した葉っぱをビニールに入れ、田舎の母にも、もう一度、煮出してニーム水を飲ましてあげよううと思い、捨てずに持ち帰ることにした。これで食欲が出てくれると良いのだが。
そのお宅を四時前に辞して、オートリキシャを拾って空港に行ったが、オートは国際空港の相当前で止められ、そこで無料シャトルバスに乗り換えさせられた。急ぐ時は、オートは向かないことが分かった。
直接、入管長のところに行き、コピーの外国人登録でも良いことを確認してから、出発の21時まで、四時間以上あったが、エアインディアの係に頼み込んで、搭乗券を発行してもらった。普通は、2時間前に発行し始るのだが、出国出来ると言ってくれた入管長が勤務している間にしないと、また、別の入管長に替わって何を言われるか分からないから、急がせたのだ。
ただ、ただ、飛行機の出発を待つというのも疲れる。それでも、ほぼ時間通り出発、26日の8時過ぎに成田に到着、田舎の家に電話して、母は、安定しているから急がなくていいと言われ、ホッとした。
田舎に帰ると、プロヴァイダーを解約してあるので、ブログもメールも出来なくなる。

今日は順調

2011年11月24日 | Weblog
昨日、わたしの前に2人泊まっているというのは、父子で、その父親に、日本語を専攻するきっかけを作ってもらった同郷の恩人だという。父子が早朝に起きて、朝食を済ませて、国内空港に行った。長男がバンガロールのアイティー企業に勤めているのを送っていくので、今、ネルー大学で学んでいる弟も来て一緒に出かけていった。
私は、やっと朝電話が通じて、メールで外国人登録証を送ってもらうことができた。ご自宅のインキ切れで、ネルー大学の全学部の部長をしている教授の事務所に行って、印字してもらった。これで、入管長のいいと言ってくれたコピーができた。そのまま、オートで近くの地下鉄駅まで行き、そこから、ジャンパト通りのエアインディアに行ったがすでにどこかに越してなくなっていたので、近所に今もあるインド政府観光局で聞いたら、わたしが乗った地下鉄駅のすぐ近くだったことがわかった。疲れた。
そこにまた地下鉄で戻り、切符がまだ有効であることを確認して、次の便が今日はなくて、明日は、空席待ちであるから、4時にまた来るよう言われた。できるだけ取ってくれるように頼んで、結局、また教授宅に戻って昼ごはんもご馳走になり、休息してから、今度はバスで、ジョール・バーグのエアインディアに行った。明日の便の席が取れていた。
担当してくれたラシュミ・クラーナ嬢に感謝。昨日の入管係りは相性が悪く、勝手に決め付けられたが、今日は一転して、いい日であった。

入管に拒否される

2011年11月24日 | Weblog
予定通り、空港に行って、搭乗券をもらい出国しようとしたところ、外国人登録証がないから今日は乗れないといわれた。何か頻りと書いては、上司のところに持って行ったり、来たりを繰り返しているので、乗せてくれることになったのかと思っていたら、散々待たされた挙句、インド航空の係りに引き渡され、係りは、搭乗券を破いた。これはいかんと思い、出入管理長に掛け合ったところ、ファックスでもいいというので、自宅に連絡したが電話に出ない。やむを得ず、あきらめ、乗せてきてもらった、デリー大学教授に電話して、ネルー大学の宿舎をとってくれるように頼んだ。ところが、宿舎はいっぱいで、今日は先着のお客さんが2人泊まるが、もうひとり泊めてもいいという。クラレの運転手を呼び出して、ウニタさんの所に連れて行ってもらうことにした。
彼は、クラレの人たちが、アハメダーバードから帰ってくる飛行機を待っていたので、すぐに、国内空港から来てくれたが、肝心の私が、空港の外になかなか出してもらえず、やっと出たときには、車で空港の周りを4回も回ったという。もう10時過ぎていて、国内空港に行って10時半着のクラレの人たちを待ったら、11時09分着にまた遅れた。結局デリー大学教授宅には、12時について、寝せてもらった。疲れ果ててすぐ眠れた。

東外大とマハートマー・ガーンディー国際ヒンディー語大学との協定

2011年11月23日 | Weblog
朝8時20分の学バスで研究室に行き、デリー成田間のイー切符往復を印字した。11時に学長室にまた行き、昨日、東京外国語大学の国際関係担当からメールで、招待状を送るが、航空運賃と宿代は持てないという外語の側の立場を学長に伝えたところ、宿代を持たなければ行かないとメールするように言われた。私は係でなく、ヴォランティアのつもりでいたが、間に入って面倒を引き受けることになってしまった。
東外大とマハートマー・ガーンディー国際ヒンディー語大学との協定を結ぶののお手伝いをするのは良いが、それぞれの主張を仲立ちするのでは、疲れる。

パソコンの日本版ソフトとインド版ソフト

2011年11月22日 | Weblog
一昨日、パソコンに入っているアドビー、photoshop, illustrator にクリティ・デオ・10という、ヒンディー語の書体文字を入れた。ドラーマ科のRayaz教授が只でインターネットからダウンロードできると教えてくれたので、やってみたらできた。
アドビーのソフトは日本で入れたので、ヒンディー語文字がばらけたり化けたりだ。
この大学のパソコンはほとんど、ウィンドーズで、マックを使っているのは、ラヤーズ教授だけで、彼は、東大に留学して、歌舞伎の研究をしたといい、日本語をまだ少し覚えている。
この書体がソフトにばらけずに、はいることは分かったが、打ち込む時の文字配列が、さっぱり分からないので、配列を分かりやすいのに変えるよう、コンピュータの係に頼んだが、ウィンドーズようしかないから、マックようはインターネットからダウンロードすると言ったきり、約束の5時になっても戻ってこない。昨日は、待ちぼうけに終わった。

帰国便の切符が取れた

2011年11月21日 | Weblog
最近学バスが走るようになり、10時20分に宿舎前から出ているのだが、今日は、10時から口頭試験を研究室兼教室でするので、歩いて行った。昨夜考えてメモした質問に従って時間前に来た学生に質問を始めたので、10時15分に終わり、気をきかした学生が事務室から届けさせてくれたお茶を飲んだ。スペイン語の先生が来て覗いたので、立ち会ってもらい、インチキをしていないことを見てもらって、一緒にお茶を飲んでお開きにした。
一人、実家に帰っている学生には、同じイスラーム教徒の学生課部長に電話してもらい、その立ち会いの下で電話で試験をして学生の署名は帰ってからすれば良いように、話しをつけた。
二十八日の筆記試験の答えを夕べ、答案用紙に書き込んだのを試験科に渡してきたので、これで、試験に関しては、心配することはなくなり、受験した学生は、全員、口頭試験だけの点数でパスすることが分かった。筆記と口頭を合わせて、35点でパスだというのだから、簡単である。
学長から学長秘書に帰国便の切符を取ってもらうように言われたので、尋ねたところ、デリーの旅行社に頼み、そのお金を現金で払わなければならないとうので、それでは、ドルをルピーに両替に銀行に行ったりしなければならず、面倒なので、結局自分でインターネットで買い求め、イギリスの旅行社を通して23日の便を買えた。
キティポーンさんが街の旅行社でコルカタに旅行する切符を買いに行くというので、国内線の切符を一緒に買ってくれるように頼んだ。帰ってきて、町の旅行社が時間がかかりすぎるので、デリーの旅行社に電話で頼んだという。結果は、メールで知らせてくれるといい、夕方になってその旅行社からメールで私の国内線の切符も取れたと連絡があったと、パソコンを持って来てみせてくれた。イー切符往復で7960ルピーだった。約15,000円くらいであろうか。いつ帰れるか分からないが、一応、12月初旬にインドに戻る切符にした。
今朝、ホームに電話したら、母は、豊里病院に入院し酸素吸入で小康を保っていると言う。この病院でこの前、入院してかえって悪くなったので、直ぐ退院させた。今回もそれが心配だから、石巻日赤に入院させるように頼んでおいたが、提携病院だからそうなると言う。
石巻日赤の院長は、飯沼一元君という高校同級生のお兄さん、一宇さんであり、三月の津波の時の被災者の救済で活躍した人だ。この兄弟は、白虎隊唯一生き残りの飯沼貞吉の孫だ。

学内の用件を詰める相談

2011年11月20日 | Weblog
今朝9時に、学長宅に呼ばれ、今後のことを話し合った。明日、月曜日、午前中に口頭試験が終わってから、また学長室に行くことにし、帰国してからいつ戻れるか分からないから、取りあえず、私は、その間のことを後顧の憂いなきようにして行かなければならない。午後から国内線国際線の切符を、街の旅行社で買うことにしてあるので、そのとき必要なルピーを銀行でドルに替えなければならない。
夕方までにそれを終えれば、明後日か明々後日には、ここを発てる。問題は、ここから行きは、ムンバイ経由でも良いが、帰りがデリーかムンバイで一泊してから、ナーグプルまで翌朝の便で来なければならないことだ。デリー往復か、ムンバイ往復のどちらにするか、明日、旅行社で決めることになる。デリーのほうが宿泊施設を知っているから、楽なのだが、何しろ、1000キロも離れている。さらに、車で100キロだ。どちらにしても、疲れる。

一時帰国に関連してドタバタ

2011年11月19日 | Weblog
エアインディアの予約をネットでしているが、中々出来ない。この前、会員になったばかりなのだが、ログインできない。
そこで、訪問者で入って、クレディットカードの番号も入れたのだが、これも、席が買えたのかどうかもわからない。どうなっているのか。
少し、様子を見るしかないか。
しかし、来週月曜日に口頭試験が終ったら、すぐに出かけるつもりだから、いつまでもネットにこだわってもいられない。街の旅行社に行って聞くしかないか。
ネットにつないでいる間にもたびたび、停電するから、その度に、ネットが繋がらなくなる。ネットというのは、便利なようで、何の役にも立たなくなることもある。だからといって、イライラするのもばかばかしい。
夕べ、学生の一人から、月曜日は、午後にもう一つ試験があるから、他の日にして欲しいと電話して来た。一日に二つの試験はつらいというのだ。しかし、口頭試験は、簡単なのだから、緊張する必要ないと、突っぱねた。

一時帰国することに

2011年11月18日 | Weblog
田舎の母が、食事を吐き出して食べないと、ホームで知らせて来た。
今日は、口頭試験を月曜日にして、直ぐ帰国する準備で一日終った。学長に勤務時間の18時ギリギリに報告に行ったら、その後、ホールで映画があるからと、学長の専用車に乗せられて、映画を見に行った。
ドラーマ科の学生達が作った35分の短編映画で、上手くまとめられていた。主役が、よく食事を一緒にするディクシットという人である。皆素人なのに、演技がうまい。
インドは、昔からドラーマが盛んであるから、慣れているのかもしれない。