芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

この大学の学生の出席率の悪さ

2012年10月31日 | Weblog
初級日本語の授業に出席した学生は、一昨日、1名、昨日4名であった。昨日の4名のうち、三名は、ナーグプル大学の学生で、この大学の学生はたった一人である。しかも、2ヵ月ぶりで出席したとか言って、テキストのコピーがないから、私のをコピーするように渡した。事務所でコピーしてもらおうとしたら、複写用紙が切れていて、出来ないと言われたと言って学生が戻って来た。すべからくこの調子である。
大学が機能していないのだ。
日本語は第2、第3外国語だから、別に取らなくても良いのであろうが、一応、募集したのだから、事務方が、ちゃんとしていないと仕方ない。フランス語講師がいないのに、募集していることが先日わかったばかりだ。
しかも、複写用紙切れは常時である。
であるから、ヒンディー語教科書になったドイツ人学生の自習本TEACH YOURSELF HINDI を複写用紙がなくて、複写できないため、他の学生のためムンバイから本を取り寄せたのだ。その取り寄せた本をドイツ人学生から、教師4名が貰ったという経緯である。

インドの非効率と、日本の効率の良さどちらが良いか

2012年10月30日 | Weblog
部屋に入って来て、食べこぼした甘いものに群がっている蟻は、よく見ると、その食べこぼしを運ぶ蟻のうしろから、ゾロゾロと列を作って行くのがいるので、運んでいない蟻が運んでいる蟻から、食べこぼしを奪おうとしているのかと思ったら、そうではなく、運んでいる蟻が疲れて列から離れたときの交代要員であることが分かった。蟻の身体の10倍もある虫を運ぶのは、いくら蟻が力持ちと言っても、疲れるのであろう、戦線から離脱する蟻がいても直ぐ後の蟻が戦列に加わる。
インド人は、よく、働かないかのように言われるが、実際はよく働いている。ただ、その仕事の仕組みが悪いから、最終結果が出るまで時間が掛かる。この蟻のように、仕組みが良ければ、かなり効率のいい仕事ができるであろう。日本にありがちな役所のように、仕事の忙しい人に周りが協力しないで、傍観しているインド人も多い。しかし、最後は、集中してその仕事をして、仕上げるが、完璧でない。出来ているが、抜けも多い。
日本では、現状は、狭い国土に原発は危険であることは分かりきっていても、一度作った仕組みにすがりつく人達が、それに固執して自分たちの利権を守ろうとするから、仕組みを変えるのが難しい。だから、インドの非効率と、日本の効率の良さどちらが良いか一概には言えない。

瀬戸内寂聴『風景』の中の『デスマスク』を訳し終わる

2012年10月29日 | Weblog
瀬戸内寂聴『風景』の小説集の一番目の『デスマスク』を私のヒンディー語訳の役割としては、やっと訳し終わった。
「やっと」というのが正直な感想だ。
瀬戸内寂聴さんとは永年、公私にわたっておつき合いして来て、その文章の読みやすさを知っていただけに、もっと簡単に訳せると思っていたのだが、さにあらず、ひとつの句を訳すのに丸一日かかったのもある。
その言葉自体は、実に分かりやすいのだが、訳すとなると、考え込んでしまい、時間を置いてから、また考え直して、やっと進むと言った調子であった。
先日、大学書林から買った土井久也のヒンディー語日本語辞書は、図書館に預けっぱなしだし、逆だから見てもしょうがないから、英語ヒンディー語辞書で訳した。日本語からいったん英語に当たる言葉を探す時は、研究社辞書部の1953年発行の市河三喜編新英和小辞典と岩崎民平編の新和英小辞典が一冊になった小型の辞書が役立った。この辞書は、インド旅行などで、必要がありそうな時に、インドに持って来ていたのだが、実際にはほとんど使わなかった。今回実際に使ってみて、よく出来ている辞書だと感心した。この辞書を買ったのは、恐らく1970年代だったと思うが、日本の英語研究が相当進んでいたことが分かる。ヒンディー語に関しては、わたしが学生だった1969年頃迄は、ヒンディー語英語辞書であった。
ロシア語は、『浮雲』の二葉亭四迷のような日本語口語の文章化を創始した作家が、研究している伝統があるので、今の光文社の亀山郁夫訳『罪と罰』のこなれた訳があるのであろう。
その意味では、日露関係は、言語を介してかなり良い関係を作れる筈だ。


デリーの遅れた印刷所とのやり取り

2012年10月27日 | Weblog
昼頃になって、デリーに行っているビールパール氏から電話があり、PDF JPG共に開けないから、印刷所と話してくれるように言われた。なぜ開けないのか、パソコンの問題か、ソフトの問題か、分からないが、去年は、ナーグプルの印刷所で開けて、今年選んだ印刷所はなぜ開けないのか。デリーの都会の印刷所が、遅れているのか、その印刷所がなぜ選定されたのか、分からないし、今回デリーに急に行くから、全部仕上げるように言われ、不完全な原稿でも兎も角、カレンダ-2種類とダイアリーの表紙はメモリーにいれて渡せた。ダイアリーの写真12ヵ月分12枚は、昨日追いかけてJPGで送ったのに、それがなぜ開けないのかと聞いたら、午後の昼食後になって、開けたと言って来た。トウシロウの印刷所であるのを選定したのは誰かと聞いても分からず、結局、学長室のパソコンが重い容量でも遅れるから、学長秘書にメモリーで渡して送るようにと言われ、彼が来るのを待った。その学長秘書が持って来たハードはマックに対応しておらず、『変更できません』と表示されるので、斎藤攻兄にもらったメモリーにいれて渡した。
しかし、仮に全部JPGにしたとしても、膨大な量のデータを開くのは無理ではあるまいか。そもそもが、そのメールを受け付けないかもしれない。
全く、こんな決定をするとは仕様もない連中だ。田舎のナーグプルのほうが、まだましである。

リンゴ、ザクロが今が旬

2012年10月27日 | Weblog
昨日の食堂の昼食は、激辛であったが、今日は、あまり辛くなく、食べることが出来た。
昨夕バーザールで買った林檎1キロ100ルピー(約170円)、ザクロ1キロ80ルピー(約130円)は、いつもより、安いから、今が旬なのであろう。おそらく共にヒマーラヤのほうから送られてくるのであろう。
食堂の辛いのを少量食べて、なるべく果物を食べるようにしている。

食べ物の買い物

2012年10月26日 | Weblog
今月は、何だか知らないが、出費が多くて、先に引き出した6、000ルピーでは足りなくなり、来月のアーサームへの旅費も合わせて、30、000ルピーをあらためて銀行から引き出したが、たちまち、3,000ルピーほど使ってしまった。5,000ルピーで済んだ先月が特別だったのかもしれない。
以前は、一ヵ月10,000ルピーくらい掛かっていたので、生活に慣れてきたせいで、出費が少なくなったのかと思ったが、勘違いかもしれない。
結局、昨日は、米を買いに行った。2週間で5キロがなくなり、また、5キロを150ルピーで買った。キロあたり30の一番安い米だ。1キロ50円くらいだが、それが一番日本の米に近い、柔らかくなる米だ。2年米になると固くてキロあたり50ルピーほどで高価だ。
買い物の中では、キャシューナツが一番高く、キロあたり700ルピー近い。季節によって多少値段は変わるのかもしれないが。
なんだかんだで、結局20キロ近い買い物を背負って学バスが待っているところまで歩いて帰った。

ダセーラの祭りを見損ねる

2012年10月25日 | Weblog
昨日は、ダセーラで休みだった。、街に行って、ラーヴァナという悪魔が爆破されるのを見たかったが、ビールパールシン氏から、明日、デリーにカレンダーの原稿を持って行って印刷屋に渡すから、明日12時迄に完成させるようにと言われ、まんじりともしない夜を過ごした。
完成させるように言っていながら、そのカレンダーの原稿が出来ていないのだから、また、学長に急に言われて仕事を急ぐのであろう。この大学のカレンダーは2種類あって、ひとつは、大型の吊るすカレンダーで、ヒンディー語に貢献した人の写真や、肖像画を載せている。カレンダーの月をその人の生まれた月に合わせているのだが、今年はその生年月が分からない人もいた。調べるのが間に合わなかったのだ。だから生年月や死亡年月が空欄のままレイアウトせざるを得ないものがいくつか逢った。
食事もろくにとれず、折角のダセーラの祭りを見損ねた。

シュリークリシュナダース、ジャージュウの記念式典

2012年10月24日 | Weblog
ビールパールシン氏が送れたら送ってあげると言っていたが、結局、急に忙しくなったと、ジャージュウ一族の記念式典には、いつも呼ぶデーシュムクのオートで行った。
GO. SE. 商業大学の校庭で開かれ、校庭が一杯になる人たちが参加して行われた。
ジャージュウ一族は、ワルダを代表する名家では、オートバイや電気製品を売っているバジャージ一族と並ぶが、商売より、一族は、医者が大半である。本家を継いでいる、ウルハースとサハースの兄弟が、会の進行をしていた。弟のサハースのお嬢さんが、音楽を担当し、自ら歌っていた。日本人妻のアーシャーさんの旦那さんが、来ていて、彼自身、ジャージュウ一族の一人と、小学校で同級だったと、一族のそれぞれについて説明してくれた。皆自前の車で来てくれるのだから、ジャージュウ一族の人気のほどが伺える。
ほぼ予定通り、5:30から7:00迄開催され、帰りにお祝いのお菓子を一人ひとつずつ貰って帰った。デーシュムクが終わり頃に呼ばないでも来て会に参加してくれたので、そのオートリキシャで野菜などの買い物をして帰った。
ビールパールシン氏が忙しくなったのは、大学のカレンダー、ダイアリーを作るのに、デリーの印刷所に明日行くことになったからだ。

登米物語』の共訳をするバールティ氏に私のヒンディー語訳を渡す

2012年10月23日 | Weblog
今日の授業は、休講にした。
昨日、来た学生にそのことを告げたが、先週から休まずに来ている学生は一人で、40キロ先の村の百姓の一人息子だと言うが、バスで1時間かけて来ている。ダセーラの祭りで、出席学生がいないのではないかと思ったのに、昨日に限って、2ヵ月ぶりで出席したという学生がいたりして、珍しく、4人も出席であった。その分、連絡しやすかったが、休講にしようと思う時に限って、出席学生が多いのも皮肉だ。
いずれにしても、今日は、5時半から、G. S. 商業大学で催行されるシュリークリシュナ・ジャージュウの18回忌でジャージュウ一族の人たちに会える日である。
昨日、『登米物語』の共訳をするバールティ氏が旅行から帰って来たのに、やっと会え、私のヒンディー語訳をメモリーから渡すことが出来た。