芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

果物屋通り

2013年09月29日 | Weblog
昨日買った日清のラーメンというカレー麺を食した。やはり麺がインドの麺と違って、メタメタしていないのが良い。辛いのしか売っていなかったが、味付けは、別袋になっていたので、味付けのカレーでカレーライスにし、麺でラーメンを作って食べたら、日本的なラーメンとカレーライスになり、満足した。
今日も買い物にリッジロードを歩いて行き、昨日2キロ買ったリンゴ屋でもう1キロ新しく仕入れたというリンゴを買った。このリライアンスの前の通りの果物屋通りは、やはり他に比べてリンゴもバナナも安くてうまい。

日清食品の麺を買う

2013年09月28日 | Weblog
今日は、休みでゆっくり起きたので、遅い朝食をして、午後遅く、サムダリヤモールというところに出かけた。先日、リライアンスの前で、靴の割引券を配っていて、それを貰っていたので、靴を買いに行ったのだ。それとそのモールの一階で、日清の麺を売っていると聞いたので、普段、マギーのメタメタの辛い麺しか食べていないので、日清の麺を食してみたかったのだ。モールに行くのに、途中まで歩き、オートを拾って70ルピーだった。ナーグプルのモールと似ているが、客はあまりはいっていない。買い物を終えて早めの食事を、近くのソーナリーという野菜料理屋で食べたが、チャナ豆カレー、ほうれん草チーズカレーにジーラライスと普通のご飯それぞれ半分ずつ、チャパティ-2枚で、計二百数十ルピー約350円だった。いい店で、美味しく、かつ安かった。食堂を探して歩きながら、道ばたのカチョーリー屋で聞いたのが良かった。口コミの世界だ。

侘び寂びの歴史

2013年09月27日 | Weblog
この大学では、日本の一般大学のように、教養課程がないようで、ただ、ただ、理系の勉強をするだけのようだから、一般教養の授業をさせてほしいと先日申しいれたのだ。
以前、国際交流基金の後援で日本の詩人を紹介する企画をデリー大学のウニタ教授が主導して実行したときに、私は、芭蕉について話した。というのは、私の田舎町、登米は、芭蕉の「おくのほそ道」で、石巻から平泉に北上川沿いに遡行した時に一泊した縁で芭蕉祭があるから、その関連で調べていたのを英文にしてあったからだ。
それを一歩進めてと言うか、数歩と言うべきか。鴨長明、吉田兼好の昔に迄さかのぼって調べたのを併せて話そうと思うのだ。とは言っても、資料になる本がたくさんある訳ではない、手元にある本だけで話すのだが、一般教養のない学生に、外国のことを話すのだから、そんなに調べても仕方ないこととも言える。
この大学の授業時間は55分が基本であるが、私の日本語は、1時間半である。私としては、日本語授業ではなく、一般学生に話したい。
これが実現するかどうか、しかも仮に実現するとして、いつになることか、「久しくとどまることない」「川の流れ」に身をゆだね、すなわちインド的な時間に託して、待つしかあるまい。

インド人の融通無碍

2013年09月26日 | Weblog
この宿舎では、常にどこかで、何かを修理している。
つい最近まで、一階の居室のテレビのうつりが悪かったので、なんども業者を呼んでもらって、やっと直った。現在、冷房の調子が悪いが、温度調節が出来ないので、以前から、直すように頼んでいるのに、テレビとは別の業者だと言って、なかなか呼んで直してくれない。それでも時計の電池交換など、時間はかかっても直してくれている。その点、ワルダの大学宿舎に比べれば、ましというか、立派なものだ。ワルダでは言っても直しはしないので、なんども言って、ただ待つだけでおわった。
こういう、頼んでもなかなか進まないところが、ワルダと似ているが、最後には、何とか修理してくれる。やるのかどうか分からないが、いつかは直してくれる。こういう対応には慣れて来た。前回かいた融通無碍というのは、そんなことを云っている。

「無常」についてインドで考える

2013年09月25日 | Weblog
このところ、日本の古くからの考え方という、無常について、インドで考えるため、鴨長明の『方丈記』(講談社学術文庫)を安良岡康作という研究者の解説で読んだ。
慶滋保胤(よししげのやすたね)の『池亭記(ちていき)』という漢文の本を下敷きにしていて、それを超えていると言う。解説者が、鴨長明を絶賛しているのも頷ける美文だ。
確かに和漢混交文の、特に書き出しの張りのある文章は、読み応えがあるが、それにご本人が酔っている風に見えなくもない。
勿論、それでは自分でそういう文章が書けるかと言われれば、そう言う批判はあたらなくなると言えるが。
この無常観は、520年にインドからダルマ大師が、禅宗の教えとして洛陽にもたらし、随唐で発展して、南宋の時代に、栄西、道元によって日本に伝えられたものだから、元はインドであるが、お茶とともに日本特有の思想であるかのように大発展を遂げたという事であろう。
インド人とつき合っていると、何事も、融通無碍で、文字通り、「ゆく川の流れ」に万事をまかせているかのように、こだわりを感じさせないところがある。インド人には、本来、無常観が身に備わっているのかもしれない。
それにひきかえ、『方丈記』の無常観は、ことさらに、無常観を意識していて、かくあるべしと言いながら、最後にどんでん返しで、著者が無常観を頭でしか考えられなかった事を告白している。
解説者に言わせれば、これこそ正直で立派という事になっている。
道元は、人生の無常をはやく感得し、座禅によりそれを乗り越えろと、「無常迅速」「修證一如」という言葉で『正法眼蔵随聞記』の中で言っている。
しかし、それほど無常というものを、意識するほどの事でもないように思われる。自然に受け入れ、自然にやり過ごすしかないのではないか。

久しぶりの日本語授業

2013年09月24日 | Weblog
先週一杯、授業は休みだったので、昨日、久しぶりで日本語の講義をした。25名中、16名の出席で、中に数名の南インド出身者がいる。日本語の授業は、英語とヒンディー語でするが、日本語の文法からすると、似ているヒンディー語でするのが、楽だが、英語でも話さないと、南インド出身者には理解しにくい。四十年前に比べれば、南インドの若者にヒンディー語教育が行き届いて、かなり理解するようにはなっている。南インドの言語もヒンディー語同様、日本語によく文法が似ているようだ。
今日は、一日降ったり止んだりで、久しぶりの授業でなんだか疲れたらしく、帰宅して少し横になったら、うとうとした。

州ごとに携帯電話の前払い方式が違うらしい

2013年09月23日 | Weblog
昨日、インディアンコーヒーハウスで夕食をした。その近くの電話屋に行き、大学から貰ったシムでは、日本に電話出来ないので、以前に使っていた電話のシムに120ルピー分の前払いをした。先日、佐藤元大工さんに電話して、残高があまりなくなったからである。この電話は、マハーラーシュトラ州では、安く電話出来るが、今いる中央インド州で使うと、高めになるから、シムの残高が直ぐなくなる。なぜ、120ルピーかと言うと、マハーラーシュトラ州で最後に前払いしたのが、120ルピーだから、それ以上には、この中央インド州では、前払い出来ないと言われたのだ。分かったような、分かりにくい制度だ。

ベンガルールの日本語教師たちの質の高さ

2013年09月22日 | Weblog
日本語能力試験というのが、世界中で行われている。
私がこのジャバルプルの大学で、日本語を教えるにあたり、その5段階のN3に合格するように教えて欲しいというのが、大学側からの要請であるから、日本語能力試験のホームページを見てみた中にベンガルールの試験場について情報があったので見てみた。というのは、ベンガルールの日本語試験の合格者および、インドの日本語弁論大会の上位合格者のほとんどが、ベンガルールの学生だからだ。それによると、バンガロール大学には、かなりの努力で、最近になって日本語修士課程が作られ、4人の女子学生が学んでいる事、日本語教師が4人いること(そのうち3人が日本人)、季刊誌、南印日研季報があり、それを読んだが面白い。これはお勧めである。このMAを開設するのに奔走した秦さんはハイデラーバードに転職したようだが、その人を含め、かなりの良質の日本語教師達がいるから、ニューデリーなどの大学をしのぐ日本語教育の結果をだしているし、元デリー大学教授のサヴィトリさんを顧問にいただいているらしいのも、良質の日本語研究者との交流をしていて大きい貢献をしていると思われる。

ジャバルプルという内陸でも海魚が美味しい

2013年09月21日 | Weblog
先日買ったキングフィッシュという海の魚がうまい。白身の魚で、醤油で煮たのと、油で揚げたのだが、どちらもうまかった。
このうまさの魚が食べられるなら、何も日本で放射能値の高い魚を放射能があたかも入っていないかのように売っているのを買って不安を感じながら食べる事がなくなる。


歯欠けで歯の神経が痛む

2013年09月20日 | Weblog
今日、昼食を食べていたら、石がガリッという音をしてご飯の中に入っていた。直ぐそれを取り出して見たら、石ではなく、自分の左下の奥歯が欠けている歯であった。
数年前から、ご飯を食べている時に、石が入っていて、ガリッと音を立てて噛んでしまっていたのは、実は、歯が欠けているのだったかもしれない。
先日奥歯が沁みていたかったのも、歯欠けになってきて、神経が刺激されるかららしい。そのような歯欠けが数本あるようだ。
女医のジョーティさんにいい歯医者を聞こうと思うが、彼女は、昨日から夫婦で中国に観光旅行に行き、しばらく診療は休みだ。