芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

早くも大晦日

2014年12月31日 | Weblog

アリー・カーンさんの甥っ子のオートでチャンド・ポールの辺りの店に行って帰って来たが、約1時間半で、300か400ルピーと言われ、高いと思ったが、300ルピー払った。ホテルで昼食後、アリー・カーンさんの所で、彼の絵と、手透きの紙を見せて貰った。ホテルの広い庭で、時間をつぶした。ホテルのオウナーと思われる人がラブラドールか大きな犬を連れて庭のベンチに座っていた。この家族の一人の針金のように痩せた男の子は、少し足りない子で、庭で一人でかくれんぼをしたり、剣を振り回して、大人の従業員に適当にあしらわれている。近親相姦が多いせいか、高貴の家にはえてしてこういう子供がいがちなものだ。ホテルの壁には、英国のマウントバッテン卿夫妻や、ソ連のフルシチョフ首相、ジャクリーヌ・ケネディー・オナシス夫人と写した父祖の写真が飾ってある。シティー・パレスの王族とは縁戚関係にあるそうだ。

駅まで例の甥っ子にオートの値段をきくと150ルピーといい、それ以下では誰も行かないというので、来るとき、前払いで70ルピーだったのだから、断り、少し歩いた所で拾って来た70ルピーのオートで駅に行き、50分遅れて入って来た汽車で帰途についた。

30日の朝、ほぼその遅れのまま、ジャバルプルに着いた。駅前で、150とか、100とか言うオートを80まで値切って帰宅。ここはジャイプルより寒い。

今日は、大晦日、一年間お付合いありがとうございました。


千葉でインド料理屋をしている一家と知り合う

2014年12月29日 | Weblog

ジャイプルは今日までで、夕方の汽車でまたジャバルプルにもどる。昨日、このビサウ・パレス・ホテルの向かいを奥に入った家に、招かれた。アリー・カーンというムスリム一族で、お爺さんは91歳で矍鑠としている。元空軍の兵士で、その後国鉄に勤め、6人の子供のうち3人が日本で、働き、そのうち二人が日本人女性と結婚していると、孫娘の写真を見せられた。その息子たち二人は千葉でインド料理屋をしているといい、中の弟は、インドに戻り、仕事の傍ら絵描きをしているという。お茶をご馳走になり、その甥っ子に今日オートで買い物に行ってもらうことにした。


植民地状態が当分続きそう

2014年12月28日 | Weblog

山本太郎が生活の党に入り、小沢一郎代表のまま、党名を『生活の党と山本太郎となかまたち』に変更したという。生活の党はさきの選挙で議員数が4名に減り政党の要件を満たさなくなり、二人の話し合いが持たれたようだ。山本太郎が小沢一郎の立場を理解したということだ。国民が日本の独立を目指す小沢一郎の考えを理解していないのだから、やむを得ない仕儀だが、これを機に、民主党をつぶした野田、菅、仙石ら十人余りの実質米国へつらい党と別れて『生活の党と山本太郎となかまたち』に多くの議員が結集することになるといいのだが、このままでは日本は政治ばかりでなく、経済も悪くなる一方だろう。すでに、中国にもドイツにも抜かれているのだから、間もなく、日本人が貧乏国とバカにしていた国、インドにも抜かれる。自分だけ食べていければいいということであれば、構わない話だが。

今いるビサウ・パレス・ホテルは、英国宗主国に協力して植民地支配を生き延びてきて、今は、2階に元の王家の一族が住んでいる。インドでこのような不動産もない人たちは、赤貧に落ちたであろう。それで貧乏国の代名詞になったのだ。

沖縄も植民地日本の代理苦を引き受けてきたのが、それによって利益を受けていた人たちもその利益も減らされていくことになる。以前にも書いたが、日本は、米国との道行きを楽しんでいる。


下痢が少し良くなる

2014年12月28日 | Weblog

ビサウ・パレス・ホテルに三泊、昨夜、久しぶりに日本人観光客に食堂であえた。埼玉県の地方公務員で、二人できているが、なかなかいい旅になっているという。結構なことだ。このホテルは、Wi-Fiが部屋で出来ないのが唯一不便だが、ロビーでネットをしていると客を見れる。話しかけはしなかったが、日本人の若い女性が、日本語のできるインド人ガイドと来ていた。ジャバルプルには、大学に教えに来る日本人教師以外には来ないが、ここは観光地で、今、日本は年末休暇だから日本人に会える。


ひどい下痢に見舞われた

2014年12月27日 | Weblog

昨日、ハワー・マハルの近くのムスリムの食堂に行って、ジャンギズという鶏料理を食べた。油がごてごてで、かなりいっぱい食べたら、今朝、久しぶりにひどい下痢に見舞われた。やむを得ず今日は一日、ホテルで寝たいた。

前回食べたところは、昼はやっていないので、そこで、M. M. Khan の店に行くといいといわれ、近くにあるその店で食べた。


ビサウ・パレス・ホテルに久しぶりで宿泊

2014年12月26日 | Weblog

ジャイプルに来た。約1時間遅れて13:00到着。駅前から前払いのオートで70ルピー。久しぶりにビサウ・パレス・ホテルに宿泊。ここはずいぶん前に団体で来た時によく泊まったホテルだ。昔居た係りが、今もいて、大分年取っているのを見ると、自分もそうかと思われる。もう20年以上たっているかもしれないから、当然といえば当然だ。

ホテルの近くに果物屋が軒を連ねている。


若者も派遣会社の臨時雇用が異常に多くなる

2014年12月26日 | Weblog

予想通り、株価は上がっている。それしか能のない政権だから、株価を上げることであたかも景気がいいように見せかけている。しかし、前に生活党の綱領で見たように、若者も派遣会社の臨時雇用が異常に多くなり、これでは、一番必要な、民間の購買力は上がらない。パソナのような派遣会社ばかりが儲かり、その竹中平蔵会長が、貧乏人が増えるのは悪いことではないという発言になる。それはそうだ。パソナは儲かっているのだ。

インドも独立前、一方では英国のお蔭で儲かっていた企業、藩王国、太鼓持ちインド人が大勢いた。他方の大半は搾取されつくし、独立後のインドは、貧乏国の代名詞になった。イノドの例を持ち出すまでもなく、不景気の株高の日本も、円安で買いたたかれ、間もなくそうなるであろう。


インドの一貫教育の学校の運動会

2014年12月25日 | Weblog

昨日、小学校から高校までの一貫校の運動会を見に行った。インドは大体12年生までの一貫教育である。高校生にあたる生徒たちが、鼓笛隊に合わせて行進し、中将だった元上級軍人の主賓の渡す5クラスに分かれた校旗を受け取って、整列した中で、赤いターバンを巻いているシックの生徒が際立って見えた。こういうショウでは、すらりと背の高いシックがいると決まる。徒競走でもシックが活躍していた。女子はさほどでもないが、男子の16、7歳の生徒に肥満の子が結構いて、行進しながら肉をタプつかせているのが、何か高校生なのに、中年太りに見えた。インド人は、菜食なのに肥満な人が非常に多い。しかも貧血が多いのは、パン食のせいかもしれない。先日ヘモグロビンが通常の半分で入院して、昨日退院したという大学の車の運転手も体はがっしりして丈夫そうに見える。この生徒たちは選抜されて競技をしていて、運動会なのに、全員参加ではないのだ。だから、始まりが、14:30であった。


『竹取物語』の現代語訳、ヒンディー語訳の改訂版を増刷しようと思っている

2014年12月24日 | Weblog

『竹取物語』の現代語訳、ヒンディー語訳をハガエンタープライズから出版してから、10年になっている。このヒンディー語訳は、ヒンディー語の専門家が校正していなかったが、翌2005年にデリーでヒンディー語の専門家の校正を経て、ヒンディー語版だけの改訂版がBooks India International から発行された。2012年末には、やはりハガエンタープライズから昔、大学院まで学んだウルドゥー語に翻訳して出版した。それぞれインド、パーキスターン向けにNHK World から放送されたので一定の役割を果たしたと思われる。

その後、昨年は小著『登米物語』、今年は瀬戸内寂聴著『デスマスク』をヒンディー語訳し、ヒンディー語に少し慣れてきていたところ、『竹取物語』の現代語訳、ヒンディー語訳を買って下さる神奈川県の高校などもあり、残部僅少になってきたので、現在の自分のヒンディー語の実力で、自分なりに満足のゆく改訂訳をして増刷しようかと思っている。問題は、数百部の増刷にどのくらいかかるかだ。日本は物価の高騰に見舞われているようだから、10万円単位かかるとなれば、インドで刷り直したほうが数分の1は安上がりかもしれない。東京にしろ、デリーにしろ、校正刷りを見るのに、数日間は滞在しなければできない。いずれにしも来年のことにはなるが。


植民地、日本についての一考察

2014年12月23日 | Weblog

日本が植民地となっていることの証は、インド、中国の歴史を見れば容易にわかることだ。

そうならないために、明治維新以降引き続き、努力をしたにもかかわらず、第2次大戦の敗北で、維新自体がが失敗に終わった。

逆に、インド中国は独立を果たし、英国軍を追い出した。香港は、百年契約ののちに返還された。

世界には、世界支配をもくろむ勢力が常にいる。賢く立ち回らないと、今の日本のようになり、国民は、植民地にされていることすら知らずにおかれ、外国の支配下に屈してたままに終わる。

この桎梏から抜け出すには、知恵をもってしても、百年はかかるということだ。

インド中国を引き合いに出すまでもなく、卑近な例でいえば、壬申の乱で勝利した天武天皇の系統の勢力は百年間日本を支配した。

現在、日本を支配している宗主国と一体になって、検察、財務が主体ととなって官僚機構は宗主国のために日本国民の財を百年は貢ぎ続けるということだ。英国に搾取されきったインドは、独立後、数年前まで貧乏国の代名詞になっていた。

それを変えようとする知恵のある人物が政権につけない現状では、百年後の2045年になっても、主権を回復する政治勢力は現れないということになる。その頃には、すでに、財を搾取されきって、宗主国にとっても魅力ない、貧乏人ばかりの国になりさがっているかもしれない。貧乏国の代名詞になるということだ。