昨日、クラレの車で最初に行った『登米物語』のヒンディー語訳『登米の昔話ーToyoma ki Lok Kathaen』の印刷を頼んでいたゴンダールス・プレスの事務所がもぬけの殻だったので、電話したが、返事がなく、やむを得ず、次の訪問先、国際交流基金に向かったら、折り返し電話があり、前の事務所の2階に引っ越したと言うので、今日、朝食後また行った。9時半に着いたが、まだ戸が閉まっていたので、隣りの南インド料理や、サルヴァナで南インドコーヒーを飲んで待った。11時近くに電話で、事務所を開けたと言うので、中に入った。まだ内装も新しく、こぎれいである。前の一階の事務所は銀行に返したという。前より広くなっている。ヒンディー語訳『登米の昔話ーToyoma ki Lok Kathaaen』の校正をして、日本商工会議所の西本さんに招かれているデリー・ゴルフ・クラブに行った。指定の12時に15分まで、まだ間があったので、クラブの創設者や会長の名前を見たら、マンモーハン・シン首相を始め皆錚々たる人物である。このクラブの会員であることは、相当の格式の高さを意味することが分かった。
クラブの建物のなかでインドカレーをご馳走になり、食べ残しを包んでもらった。プリーティさんという日本語の出来る女性が同席した。デリー大学で日本語を学び、日本商工会議所に去年勤めるまで、日本企業で通訳や翻訳の仕事をしてきたと言うので、聞くと案の定、ウニタ教授に習ったという。
西本さんは、私が今回勤めたIIITDM-Jを紹介して下さった日本大使館の文化担当一等書記官を紹介して下さった方なので、そもそもの仕事のご紹介者であるから、そのお礼を申し上げた。
家族と待ち合わせていたインペリアル・ホテルにやはり用事があるという西本さんの車で送ってもらい、用事の済んだ西本さんと別れ,インペリアルでお茶を飲んでから、再度、ゴンダールス・プレスに行って、校正をして、ホテルに戻った。
クラブの建物のなかでインドカレーをご馳走になり、食べ残しを包んでもらった。プリーティさんという日本語の出来る女性が同席した。デリー大学で日本語を学び、日本商工会議所に去年勤めるまで、日本企業で通訳や翻訳の仕事をしてきたと言うので、聞くと案の定、ウニタ教授に習ったという。
西本さんは、私が今回勤めたIIITDM-Jを紹介して下さった日本大使館の文化担当一等書記官を紹介して下さった方なので、そもそもの仕事のご紹介者であるから、そのお礼を申し上げた。
家族と待ち合わせていたインペリアル・ホテルにやはり用事があるという西本さんの車で送ってもらい、用事の済んだ西本さんと別れ,インペリアルでお茶を飲んでから、再度、ゴンダールス・プレスに行って、校正をして、ホテルに戻った。