先日、沖縄空手を見に、台東区スポーツセンターに行った帰りに、言問橋を渡って、向かい側を歩いて浅草駅まで戻ることにした。結構な距離があるので、帰りは、バスに乗ろうと思っていたが、折角来たついでなので、西洋式ボートの発祥地を表す記念碑を見るためである。道が川沿いと、公園沿いの二手になっていたので、公園沿いを歩いて、電車のガード下まで歩いたが見つけられなかった。薄暗くなり、観光屋形船がちらほら見える川沿いの道を戻ると、間もなく明治天皇が海軍のボート競技を見たという碑があり、そのそばにボート発祥の記念碑を見つけた。高橋孝蔵先輩たちが中心になり、東京外語大ボート部のOBたちが言上げし、他大学を糾合してこの記念碑を建立したことを思い、しばし、そこに佇んだ。
何ヵ月ぶりかで、テレビを見た。NHKスペシャルの「戦慄のインパール」である。七万か八万という兵士を投入し、牟田口廉也司令官が陣地を取るのに5000殺せという会話をしているのを若い斎藤記録係によって記録されていた。5000殺せというのは、味方を殺せという事だとのちになって分かった。これは以前にも書いたが、3週間分の食糧を持たされた兵士が、3週間で敵の陣地を取り、そのあとで、敵の食糧と武器を取って戦え、補給は一切なしである、というのが、牟田口司令官の命令であった。
事前に、インド国民軍司令官チャンドラ・ボースと打ち合わせているのだから、そもそもが補給などできない山地であることは分かっていての蛮行である。このインパール作戦に参加したインド国民軍の大半も戦死している。
そのチャンドラ・ボースは英国のスパイだったことが分かっている。日本側も、満州はスパイ天国であった。
盧溝橋事件を起こした河辺と牟田口が計画し、すべての計画が英国に筒抜けになっていたのである。仮にスパイでなかったとしても、インパール作戦を誘導されたのだ。番組で、戦死者数を3万としているが、無責任極まりない司令官も参謀たちも参戦者数も戦死者数もあいまいにしたまま責任を逃れ戦後を生き延びた。明治維新とは、無責任体制を築いただけだ。スパイは切腹をしないものかも。
以上は、大体、『怖るべし東インド会社ーーユダヤとインドとニッポンと』に書いていることだ。
事前に、インド国民軍司令官チャンドラ・ボースと打ち合わせているのだから、そもそもが補給などできない山地であることは分かっていての蛮行である。このインパール作戦に参加したインド国民軍の大半も戦死している。
そのチャンドラ・ボースは英国のスパイだったことが分かっている。日本側も、満州はスパイ天国であった。
盧溝橋事件を起こした河辺と牟田口が計画し、すべての計画が英国に筒抜けになっていたのである。仮にスパイでなかったとしても、インパール作戦を誘導されたのだ。番組で、戦死者数を3万としているが、無責任極まりない司令官も参謀たちも参戦者数も戦死者数もあいまいにしたまま責任を逃れ戦後を生き延びた。明治維新とは、無責任体制を築いただけだ。スパイは切腹をしないものかも。
以上は、大体、『怖るべし東インド会社ーーユダヤとインドとニッポンと』に書いていることだ。
知念賢祐氏が率いる世界王修会伝統沖縄小林流空手道・古武道連盟の世界選手権大会が13日(日)台東リバーサイド・スポーツセンターで開催された。興味があったので、午後から観に行った。観客は非常に少なく、関係者だけのようだった。
時期東京オリンピックに空手道が採用されたというので、その発祥の地、沖縄の空手がどんなものか見たかった。型を見せる判定には、審判が5人なのに、対戦には、3人しかおらず、副審の判断が割れたときに、主審が決定権を持つのはどうかと思われた。インドなど世界の選手が競い、世界の水準がかなり高く浅草駅から言問橋を超えて遠いところまで不自由な脚で歩いた甲斐があった。
時期東京オリンピックに空手道が採用されたというので、その発祥の地、沖縄の空手がどんなものか見たかった。型を見せる判定には、審判が5人なのに、対戦には、3人しかおらず、副審の判断が割れたときに、主審が決定権を持つのはどうかと思われた。インドなど世界の選手が競い、世界の水準がかなり高く浅草駅から言問橋を超えて遠いところまで不自由な脚で歩いた甲斐があった。
落語の後、上野公園まで歩いて、公園で開かれているパーキスターン祭りでタンドーリーチキンとナーン、ビリヤーニーを食した。八千代市から来たというパーキスターン料理屋だが、タンドリーチキンが塩辛すぎた以外は、美味しかった。店は、いっぱい出ていて14日(月)まで開催しているという。舞台では、浴衣姿の日本の若い女性が歌を歌っていた。盆踊りには見物客も参加し、パーキスターン人の参加が目立った。
保険料ばかりではなく、確定申告の時に驚いたのは、所得税の計算が終わって最後に、東北復興税というのを加算されると分かった時である。
わたしは、地震の被災者であるが、地震の数年前に、元禄時代建築の我が家を大々的に修理したばかりだったから、地震で崩れた建物白壁を大工不足と金不足で翌翌年になって、ほんの一部修理できただけだ。その時には、補助する期は過ぎたと言われ、補助費は出なかった。今も、その工事に復興税など一文も補助されないので、存命中の補修は、今時の新築住宅と同じくらい大金になるから、ご先祖には申し訳ないが、無理そうだ。東北復興税は、使い道などなく、単なる政治家たちの利権になっているから、毎年課税して政治家と官僚の懐に入っているだけである。火事場泥棒に税を貢いでいるのが、日本人納税者である。被災者も復興税を払わされて何の支援もないこの不思議。
壊れた家など捨てて、昨日は、落語を聞きに行ってきた。谷中の全生庵で幽霊画展を開いていて、それを観たあと、春風亭一花の開口一番、鈴々舎馬桜の牡丹燈篭、そして真打、三遊亭游雀の文七元結はこの人だけで、木戸銭二千五百円の価値があった。我が家にもご先祖の幽霊が出るかもしれない。
わたしは、地震の被災者であるが、地震の数年前に、元禄時代建築の我が家を大々的に修理したばかりだったから、地震で崩れた建物白壁を大工不足と金不足で翌翌年になって、ほんの一部修理できただけだ。その時には、補助する期は過ぎたと言われ、補助費は出なかった。今も、その工事に復興税など一文も補助されないので、存命中の補修は、今時の新築住宅と同じくらい大金になるから、ご先祖には申し訳ないが、無理そうだ。東北復興税は、使い道などなく、単なる政治家たちの利権になっているから、毎年課税して政治家と官僚の懐に入っているだけである。火事場泥棒に税を貢いでいるのが、日本人納税者である。被災者も復興税を払わされて何の支援もないこの不思議。
壊れた家など捨てて、昨日は、落語を聞きに行ってきた。谷中の全生庵で幽霊画展を開いていて、それを観たあと、春風亭一花の開口一番、鈴々舎馬桜の牡丹燈篭、そして真打、三遊亭游雀の文七元結はこの人だけで、木戸銭二千五百円の価値があった。我が家にもご先祖の幽霊が出るかもしれない。
6月に75歳になってから、後期高齢者という区分に勝手にいれられ、区役所から送られてくる手紙はすべて、値上がりした保険料を七月中に収めるようになど、年間数十万円単位の金額を請求るものばかりである。しかも、病院と薬が3割負担であるから、今まで、一度に1万円払っていた注射代と薬代がそれぞれ3万円、計6万円になる。4粒のザイティガを一粒に減らしてもらったが、これが効かなくなったら、二粒、4粒と増やすことになるから、さらにその倍、四倍になる。高額医療費は戻ることになっているが、実際に戻ってくるのは、数ヵ月後であり、初めは、5万円以上払った分が戻るということのようだ。
後期高齢者医療保険というのは、結局は、役所の天下り先を増やしただけであろう。普通の健康保険が破たんし、それをいいことに、介護保険を作り、さらに後期高齢者医療保険というように、腰掛先で数ヵ月から一年だけいて、民間ではもらえない巨額な退職金をもらって渡り鳥をする機構である。
同様のことは、年金でも行われている。
介護保険のほうは、まだ、2割負担である。3割負担の理由を書いてあるのを読んでもよく分からない。要するに、将来はもっと負担が増えるということのようだが、病身の頭には読むだけで疲れ、理解しがたい。
後期高齢者医療保険というのは、結局は、役所の天下り先を増やしただけであろう。普通の健康保険が破たんし、それをいいことに、介護保険を作り、さらに後期高齢者医療保険というように、腰掛先で数ヵ月から一年だけいて、民間ではもらえない巨額な退職金をもらって渡り鳥をする機構である。
同様のことは、年金でも行われている。
介護保険のほうは、まだ、2割負担である。3割負担の理由を書いてあるのを読んでもよく分からない。要するに、将来はもっと負担が増えるということのようだが、病身の頭には読むだけで疲れ、理解しがたい。
八月五日(土)7時からの板橋花火大会を見に行った。地下鉄は超満員なので、池袋から出ている21番のバスに乗った。舟渡町で降りるつもりだったが、花火大会のため、5時以降は交通規制で、舟渡町には止まらず、終点高島平まで直行してしまった。高島平から30分ぐらい歩いて、荒川土手にすわる場所を確保したが、そこまでも道路いっぱいに大勢が歩き、すでにほとんど座る場所がなかった。去年は60万人の人出だったそうだ。高島平から行ったところでは、名物のナイアガラの滝は見られなかったが、打ち上げは素晴らしかった。尺玉ばかりではなく尺五寸の巨大な花火も三つ上がった。戸田市側の花火も少し上がったが、それもよくできている花火の組み合わせだった。
浴衣姿の女性が多く、やはり、日本女性は着物が似合う。洋服では、大したことない女性でも、浴衣姿が非常に美しいのは、和服が、江戸時代に最高に発展したからであろう。
浴衣姿の女性が多く、やはり、日本女性は着物が似合う。洋服では、大したことない女性でも、浴衣姿が非常に美しいのは、和服が、江戸時代に最高に発展したからであろう。
我孫子市の市民会館で開催されていた北斎とその時代展の最終日に、昨31日に行き修了時間の5時迄見た。思っていたより良い作品が見られ満足であった。この展覧会の広告は、先日、波の伊八の木彫を見た時に賽銭箱に載っていたので持ち帰り、ギリギリになってやっと行けた。北斎の作品が多かったが、歌麿の美人画も良いものだった。ともに世界に誇れる江戸文化の傑作である。