芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

登米の食卓

2008年03月31日 | Weblog
昨日、遠山の里の食堂に行って昼食を食べてきた。前の食堂の名前は、館山と言ったが、そのオウナーの塚本寿くんが館山を名前ごと自分の経営する夜のカラオケバー「ツイストアゲイン」に移して、昼間は館山という名前で営業しているのだ。その館山が出たあとに出来た店の名前が、蔵らー!というラーメン屋だ。中田町の黒沼という所で営業している菅原やがやって来たのだそうだ。そのラーメン屋は美味しいので同級生たちに評判の店で、「しなそば」というラーメンを食べてみたが、味付けが、だしをわたしの作っているみそ汁と同じ、煮干し、昆布で取っているようで、汁も飲め、田舎風ではあるが、うまかった。店の主人は雲つくような大男だが、至って愛想も良く、前よりも明るい感じになっていた。これなら、流行るのではなかろうか。
一方、一昨昨日、館山に行ったら、何の張り紙もなく昼間から店が閉まっていた。1階のマルマンに入り、おふくろさんにイギリスパンを注文したら、今、切らしている上に、寿くんは、仙台の登米市の出店の1周年記念に、金、土の二日間直か販売に行っているそうで、帰りは遅いらしいからいつイギリスパンを作るか分からないという。それでは、食パンはなければ、東京から取り寄せるが、出来るだけ早く焼いてほしいといい残して、翌朝の朝食分のコッペパンだけ買って帰宅した。そもそも、イギリスパンは、長いこと作っていなかったのをわたしの為に作らせるようになったのであるが、たびたび切らすので、その度に東京から宅急便でおいしいパンを取り寄せている。食べてから批評しているから、だんだんマルマンのイギリスパンもおいしくなって来ているのだが、こちらは、朝食を抜くわけないは行かないので、東京から、もっとおいしいのを取り寄せる。宅急便の費用もかさむから高いパンになるので、これもこの町の不便なところだ。高くてもうまいほうが良いし、注文した翌日には届く。町にうまいパンを根付かせようと思ってもこれでは、のれんに腕押しか。今朝になってイギリスパンが出来たましたと、マルマンから電話があった。すでに東京のが届いているから、なくなったら買いに行くと言っておいた。ピザトーストが良く出ているのであろうから、こちらは心配する必要もないのでは。

有楽町で逢いましょう

2008年03月29日 | Weblog
「有楽町でみやぎに逢いましょう」という記事が、「河北新報」に載った。7月に有楽町のマリオン前で、宮城県を宣伝するイベントを7月に開催するのだそうだ。東京在住の宮城県出身者たちが協力して開くらしいので、私も「登米物語」を出品したい旨、事務局に電話した。ブース一つに出品料が50万円掛かるようだが、取りあえず、「登米物語」が相応しいかどうか検討材料に送ってみてもらうことになった。先日、仙台・宮城D.C.に東京での協力してのキャンペーン申し込みは登米市観光物産協会を始め、その仙台の事務局、JP東日本のD.C.担当営業部にも全て、門前払いを食ったが、この東京在住のみやぎの夢倶楽部事務局は、「登米物語」を見てから決めたいという。しかし、一番ほしいのは、七夕の飾りで今のところまだそれを提供する所がないらしい。飾り付け、それを送るのも協力してほしいようだが、それこそ、仙台・宮城D.C.がすべきことであろう。しかし、全ての予算の出先がもう決まっているから、と断られたのだから、みやぎの夢倶楽部事務局にとっても同じことかもしれない。
みやぎの夢倶楽部事務局が、「登米物語」を受け入れてくれるようだと、私が心づもりにしていた東京での宮城と登米の宣伝が出来るから、そうなると良いのだが。

後記高齢者医療広域連合ってなに?

2008年03月28日 | Weblog
後記高齢者医療被保険者証には資格取得日平成20年4月1日、一部負担金の割合1割、と記している。別に資格を申請したわけでもないのだから、役所の勝手で資格が授与されたわけだ。立派な資格なのであるに違いない。1割負担も3割負担にするための含みを持たせている説明があった。
保険者番号並びに保険者の名称及び印となっていて、番号があり、その下に宮城県後記高齢者医療広域連合電話番号があり、その広域連合の印が赤々と印刷されている。
要するに、健康保険の制度が破綻したというので、その弥縫策として老人保健ではなく、新たに、制度を作り、後記高齢者医療広域連合というのを作り、改革したかのように見せかけて、実は、厚労省の新たな天下り先をもうけただけの話であろう。健康保険税などといって、取り立てるだけでは足りなくなると、このように屋上屋をかさねて、不要なものを次々と作って実は、自分たちの天下り先だけは増やすという、いわば、火事場泥棒を働いているのだ。健康保険制度で金が足りなくなったと、あたかも、火事だ火事だと騒ぎ立てておいて、消す振りをして、財を集めるこの手口は、明治維新以来培われた官僚の独占的な集金術だ。年金もしかり。金が足りない足りないと騒いで、一体全体でどれだけ残っていて、いくら足りないかという具体的数字も公表しないで、今直ぐ、改革しないと大変なことになるような宣伝をしている。それだけ大変な制度なら、制度そのものを廃止すれば良いのに、自らあぐらをかくための制度を残し、そこに新たに改革を謳って別の組織を作り、税金をそこにつぎ込む。政治家たちは、その省庁から情報を頂いているから、省庁の言いなりだ。先先代の首相や金融相のようにその省庁を改革できるかのように国民に宣伝しておいて、実は、見せかけだけだったのとは、今は違うが、以前と同じ、省庁に何でも相談して決めるという状態だ。官僚の方は、情報を独占して、人を動かすとその情報を政治家たちに与えない仕組みを作っているから、情報源の官僚たちを結局ははびこらせているのだ。そのうち、1割負担では足りないと、宣伝を始め、3割負担4割負担と増やし続けるのが目に見えるようで、おかしい。

後記高齢者医療被保険ってなに?

2008年03月27日 | Weblog
母親が75歳以上ということで、後記高齢者医療被保険者証なるものが届けられた。
今年からこのようなことを始めるようだが、また、厚労省の官僚たちが、何か悪企みをしているのだろうか。
大蔵省、厚労省などが次々と制度をいじくり回して、国民に押し付けてくるが、要するに国民に負担を増大させるやり方には変わりはない。自ら引退して、国民の税のお世話にならない身の処し方をした役人はいるのであろうか。皆無に近いのではないか。
民主主義ならぬ、官主主義がはびこっているこの社会で、税にたかる官民あげての蟻食い競争は、直しようがない。せめて、その火の粉をかぶらないように燃える一群から一歩はなれているしかない。この国に住んでいる以上は、何らかの形で関わりを持たざるをえないのだから、出来るだけ、被害を少なくするのが最良の方策だ。しかし、それとて、面倒のことだから、長いものに巻かれているのが現状だ。

日本の立場

2008年03月26日 | Weblog
確かに米国は、武力において世界一である。その米国とかつて我が国は戦争をして、徹底的に破られた。私の子供の頃の映画と言えば、米国がいかに優れいているかと言うのを見せつける天然色の洋画であった。日本の時代劇映画がそれに追いついて天然色にその後なったが、米国はすべて進んでいるという意識を植え付けられたのが、映画だ。今も、映像を使っての宣伝に多くの国民は乗せられて、今のような妙な社会が現出させられた。米国は征服したアフガーニスターン、イラークでも米国製の映画を上映させて、米国が優秀な国でそれにに臣従するのが最大の国民的幸福であるかのようにイスラーム圏で宣伝している。しかし、敗戦直後の日本では、通用したが、文字を知らなくても自分の考えをしっかり持ったもっと批判的な人間が多いイスラーム圏では、うまくいっていない。先ず、米国のイラーク、アフガーニスターンからの撤退が行われなければ、石油などの異常な高騰は収まらないであろう。米国の善き友と言うか、サンシタと言うか、日本は立場上忠告をすることが出来るのである。それが、他のイスラーム圏の諸国からも日本が尊敬を得られる道である。数十年前になるが、パーキスターンの国連代表だったか外務大臣だったかが、日本の国連代表に向かって、「日本は、エコノミック・アニマルである」と皮肉を言ったことがある。イスラーム圏の人々の日本観はそんなものだった。今は、もっと悪くなっている。何しろ、イラークやアフガーシスターンを空爆する米国のために米国が値上げした油をせっせとインド洋で米国の船に補給してあげていて、近いうちには、米国の爆撃機にもイラークやアフガーニスターンの空中で補給しようとしているのだ。これでは、イスラームの同胞を殺される人達が日本を尊敬などするはずがない。日本は、米国支配に組み込まれた体制から先ず脱却しないと、独立した世界観も持てない。基本は、日本の米国からの独立した世界観を持つことだ。その上で、米国との友好関係を築くのが望ましい。先先代の首相と金融相の時から、米国従属を一層強めてしまったから、今しなければならないのは、まず、その関係からの脱却だ。東京の銀座を歩くと分かるのは、カリフォルニアのユダヤ人街ビバリーヒルズを歩いているような錯覚に陥らせれらるほどに、ブランドショップだらけになっていることだ。そのうちに、仙台もそうなるであろう。外人資本がすべて悪いとは言わないが、日本の富みをどんどん米国の商人に差し上げているのだ。その結果が、日本の若者の失業である。そういうユダヤ人の企業で働いている日本人の若者を見ていると、次々と辞めて行って、定着していない。使い捨てである。今のキャノンのトップで、経団連の会長も人間の使い捨て思想だ。これは、それを選んだ政府の思想が同じだからである。

日本の現状

2008年03月25日 | Weblog
以前、書いたように思われるが、何しろ、最近、とみに記憶が悪くなっているので、屋上屋を重ねるようなことを記したらお許しのほど。先先代くらいの首相の時に、政治改革を約束して国民が大いにそれに乗せられたが、結局は出来ないことをあたかも出来るかのように、マスコミを使って国民をあおっただけだったのだと言うことがそのあと間もなく判明した。しかし、その時の言い方は、改革のために国民に痛みを耐えてもらうということだったが、実は、単なる痛みだけが残り、多くの若者にフリーター生活を強いることになった。それ以来、妙な犯罪が増え、最近の定職のない若者が何をし出すか分からない状態が続いている。若者にもっと希望を持てる社会をつくるには、経団連始め、もっと、真っ当な人間を選ぶのが良いのではないであろうか。しかし、いまも相変わらず、将来に希望を持てる政治経済は望めない。日本国は浮遊しているだけのように見える。伊達宗弘氏とよく話すのは、政治の展望は、少なくても百年の計を立てなければ、目先のことばかりにかけずりまわされ、右往左往して終わってしまう。先ず、日本の将来がどうあるべきかを、軸にして、それから目先のことを決め、多少の揺れがあっても軸から極端に離れなければ良いのではないか。何人かで論議を戦わせ、その方向を見つけることを今しなければ、ただ浮遊する国家になるのではないであろうか。中央政府がこのような浮遊状態なのだから、地方から全うな提案をして行くべきなのではないか。今のように、年金も健康保険も破綻した制度では、若者は、ますます、浮遊して行くのではないだろうか。

ティベットのダライラーマの後継者

2008年03月24日 | Weblog
鎌倉幕府を滅ぼして、天皇親政を目指した後醍醐天皇であるが、足利尊氏が政権をとり、北朝の天皇を立てたため、後醍醐天皇の名目的な南朝政府は、吉野の山の中に追いやられ、その北朝の系統の天皇が現在に至っている。中国でも、ティベットからインドに亡命を余儀なくされたダライラーマは、ティベットの正当な政権を主張しているが、中国は、パンチェンラーマの後継者を選んで、実質的にティベットを支配している。ダライラーマは、20数年前に東京に来た時にホテルニューオータニでお会いしたことがあるが、その頃は心労が絶えなかったと見えて、神経性の丸いハゲが坊主頭の一部にあった。そのダライラーマもいまは、70歳代だ。かつて、日本でも実権を握る政権が別の天皇を立てたように、ダライラーマがなくなったあとの、ダライラーマの後継者を、ティベットを実効支配する中国が、選ぶのではないだろうか。あるいは、かつての日本が南朝と北朝の天皇を戴いていたように、中国とインドにそれぞれダライラーマが選出されるかもしれない。ティベットは政教分離ではなく、ダライラーマが政教両方を支配していた。ティベットはそれによって政治的にも安定していた。日本の徳川時代のような長い平和が続いていたのだ。しかし、植民地主義を標榜する列強によってその平安が破られたのだ。武力一辺倒で押し切られる時代がいまも続いている。

田舎は金が掛かるの例

2008年03月23日 | Weblog
登米に生活の大半を移して、たまに友達と飲んでいる分には構わないが、文章を書くための資料を見ようと思うと急に不便を感じる。仙台・宮城DCに協同で宮城県の宣伝をしようと申し込んで、登米市観光物産協会というところを皮切りに仙台のDC本部まですべて門前払いを食ったので、『登米物語』と伊達宗弘氏の本を一緒に東京で宣伝して宮城を宣伝しようと思ったが、伊達宗弘氏の本を2冊出している版元も、始めは、『ウチの営業にもそれくらいやって欲しい』と言っていたので、乗るかと思ったが、どうも、初版をきれいに売り切ったらそれで終わりということで、それ以上は深追いしたくないという意向のようだから、それならと、自分で、もう一冊登米について書いて、本を出版しようと思いたった。ところが、登米図書館では、本が足りないので、取り寄せられるかと聞いたら、佐沼の図書館なら国会図書館の本を取り寄せられるが、その場で読むだけで、貸し出しは出来ない、とのこと。私は、車を持っていないから、佐沼に通うには、バスしかないが、15時台が最終の登米に帰るバスだ。毎日アッシー君たちを頼むわけにはいかない。これでは、すごい時間が限られて、やりにくい。今から車を買って運転の練習でもない。資料を買うと言っても、神保町辺りをうろついて見つけられるとはかぎらない。そうなると、仙台にウィークリーマンションを借りて仙台の図書館でみるしかないことになる。田舎住まいは、都会よりかえって金が掛かることに気づいた。定年後の年金生活者には田舎が良いというのは必ずしもあたらない。

本の売れない時代

2008年03月22日 | Weblog
東京のいくつかの書店での『登米物語』の扱いが分かった。三省堂書店神保町店では、宮城県の棚の前にある新刊や話題書を置く棚に5冊とも折角平積みにおいていただいているのに、まだ1冊も売れていない。書店グランデ神保町では、民俗学の棚に売れゆきがいいから平積みで置いているという。なかなか、置いてくれない慎重派の三省堂は、売れないのはどうしたことか分からない。頼んですぐ置いてくれた書泉グランデは置いた翌日から売れ始めたと言う。
八重洲ブックセンターは置いてもらう申込書を送ってもなかなか返事が来ないので、問い合わせたら、その担当者宛に送った書類を見てもいなくて、今、棚卸しで忙しいから、来月四月までは手を付けられないとのことだ。定価500円の本を売るために大手の書店で営業活動をしているが、皆さん忙しくて、宮城の田舎の本など、問題外だ。『登米?何それ』である。登米を知っているのは、その出身者くらいだから、やむを得ないと言えばそれまでだ。伊達宗弘氏の『伊達八百年歴史絵巻』の担当者に、4月19日14:00から登米市の佐沼で開く伊達宗弘氏の『伊達八百年歴史絵巻』の出版記念パーティーには出ていただけますか?と聞いたところ、出られないと思うという返事である。版元の担当者が積極的でなく、出版パーティーはご勝手にという態度だ。携帯電話に市場を奪われつつある、出版・書店にとって、相当売れる本でなければ、歯牙にもかけられないらしい。

登米にはこういう手合いもいます。

2008年03月21日 | Weblog
お彼岸入りの17日に龍源寺の芳賀家の墓に上げた花が、棄てられていた。ご丁寧に菊の花が茎から千切られ、茎をどこかに捨て、花だけが土に落ちていた。芳賀家の墓は龍源寺境内の中にある。先日、芳賀家のお墓の裏を通りながら、我が家の墓を裏から見ながら、立派な墓だね、と言った人がいるが、その人ではないだろう。あるいは、隣の姑がやはり通ったから、先日来、その息子ににらまれたりしているが、そこまではしないだろう。誰の仕業か分からないが、登米にはそういうことをする人がいることは、子供のころから経験している。家で飼っていたシェパード犬に毒を盛られ、苦しみながら死んだり、お墓から抜いてきた卒塔婆を庭に放り込まれたりした。こういう手合いは仏罰を考えないと見られる。
何しろ、異常に嫉妬深い手合いがいるのだ。私が、登米に現住所を変更しない理由は、一つには、健康保険税もあるが、もう一つは、こういうことをしょっちゅうされるのが煩わしいからだ。私一人なら良いが、家族も住むとなると、私が防波堤にならなければならない。末の松山にならなければならないのだ。それまでして住むよりは、たまに同級生たちと呑んで談論風発の方が良いのではないか。
故郷は愛するが、そういう手合いと戦ってまで住む価値があるかどうか。
まだ、仙台あたりの方が、程々に田舎暮らしもできて、都会風な生活も出来、たまに登米に帰って呑み会をするほうが良いかもしれない。
昨夜またあった会議で、そんな目にあったと言ったら、花を食べようとしたカラスの仕業でないかと、登米にそのようなことをする人はいないという口ぶりだが、からすが、抜き取って、花だけちぎって捨ててあったと言ったら、カラスではねえなと言って人間の仕業と認めた。
墓を荒らすというのは、イスラーム圏でもあり、墓を暴き、そこに埋められている遺体を時には引きずり出したりするようだ。
キリスト教圏でもあることかもしれないが、かなり罰当たりなことで、これは、その行為をした者に災いが降り掛かることだろう。その行為自体に精神的に問題があるからだ。