芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

朝日新聞「東日本大震災1年」特集記事を読む

2012年03月31日 | Weblog
昨日は、石原敏雄兄が送ってくれた3月11日の朝日新聞を広告までなめるように読んだ。『東日本大震災』特集のせいか、以前読んだ時より、内容が良くなっている。以前読んだ時は、読みたい記事がなくて、切り込みが足りないと思えた。今回も基本的なことだが、被災地の坊さんが「無情を感じている」と言っているのは、「無常』の間違いであろう。これでは、レミゼラブルになってしまう。
駆け出しの記者が書いているのであろうが、校正がしっかりしていないように見える。と言っても、このブログでも見直ししていないから、文字変換等で結構間違っているとは思う。
今日は、3月12日の朝日新聞を読んだ。他の新聞はどうか知らないが、「被災地の」現地報告が多いのが良い。
かつての新聞、テレビは、広告を貰っている原発安全一色の記事だったが、今回、比較的大きな見出しで、原発から自然エネルギーへの転換の必要性を記事にしていた。しかし、海の汚染については、まるで記されていない。

石原敏雄兄が北海道産食品を送ってくれる

2012年03月30日 | Weblog
外語ボート部時代の仲間で北海道有珠地方に移住している石原敏雄兄から食品や本、3月11日の朝日新聞が届いた。
このワルダは、EMSの地域に入っていないと言われたのに、室蘭局に懇願してEMS便で送ってくれたので、たった9日で着いた。以前、同じボート仲間の斎藤攻兄が送ってくれた時は、さいたま局からEMSで文句も言われず送られたのに、今回、EMS地域に入っていないと、一旦断られたらしい。
これまでいろいろな方々から食品を送っていただいた配送形式では、SAL便が一番長く、1ヵ月くらいかかっているが、EMSだとムンバイまでは、4日くらいで着き、そこからワルダの大学郵便部までが倍くらい余計に掛かっていた。しかし、今回は、ムンバイ交換所とワルダ局が慣れて来たと見えて、これまでで一番速かった。
東京にいる時は、よく、百貨店の北海道展に出かけるくらい北海道産の食品を買っていたので、今回、わざわざ札幌まで行って入手してくれた西山ラーメンは、私自身は、ラーメンはあまり好きでないのに、これはさすがに美味しかった。

マックとウィンドウズのヒンディー語文字の互換性

2012年03月29日 | Weblog
今日は、早朝に眼を覚ましたので、7時前に研究室に行き、certificate course の試験問題を完成させた。
昨年末の試験で落ちた学生にもう一度受けさせることにしたのだ。去年の試験問題では駄目だと、試験下でいわれたので、やむを得ず、作り直していたのだが、暑いのと、ウィンドウズのパソコンの調子が悪いのとで、捗らなかったのだが、8時前に校正も終わった。
それをメモリースティックに入れておいて、夕方、教室に行く前に試験課に届けた。答えを入れる箱を作るというのは、お任せだ。
マックで作るなら出来るが、ウィンドウズでは作れない。
先日、研究室備え付けのウィンドウズ・パソコンに入れていた瀬戸内寂聴『三鷹下連雀』と太宰治『桜桃』がハードの修理で吹っ飛んでしまったので、専門家に戻せないか聞いたが、ハードを直した人に聞かないと分からないと言われた。やはり、使い慣れたマックで今は、瀬戸内寂聴『風景』の『デスマスク』のヒンディー語訳を宿舎でしている。暑い中、研究室に行って、訳しても埒があかないから、ヒンディー語文字に多少の不満があってもそのほうが確実だ。研究室備え付けの印字機は、マックに対応していないのが不便だが、メモリースティックがあるから、これでウィンドズに移動出来る。逆にウィンドウズで打ったヒンディー語訳はマックには移動出来ないのでこれで行くしかない。

ゴアに旅行の準備

2012年03月28日 | Weblog
今週末から、ゴアに出かけるので、今日は、暑いが、4時前に出かけ、銀行で、旅費を引き出した。ついでに、近くのATMで最大いくらまで引き出せるか聞いたら、15、000ルピーを1日に引き出せると言う。24時間営業だと言うから、夜中の12時前後に引き出せば、30、000ルピー引き出せることになる。
暑い中、長い階段を上がり、教室に行った。行き会った学生達に挨拶されるが、顔をすっぽりと布でおおっているので誰か分からない。暑さ除けに顔を覆て目だけ出しているのだ。学生達が来る前にゴア往復のe-TICKET を印字した。印字機は今のところ、故障していない。しかし、パソコンがやたら時間がかかり、短時間には大したこともできない。パソコンが用をなしていない。アップルのパソコンが速いのは、インテルが入っているせいかもしれないが、わからない。

食堂台所も使わず、食事は食堂でと言われる

2012年03月26日 | Weblog
一昨日、庶務のナレンドラ・シン部長に呼び出されて、部屋で電熱器を使って調理して食事をしていると、食堂からチクリが入ったから、部屋では電熱器を使わず、食事は、食堂でするように、しかも、食堂台所も使わないようにと言われた。
規則に違反したから、学長に会うようにと言う。
やむを得ず、昨日は食堂で昼食を摂ったが、野菜カレーがひどく辛く、涙を流しながらの昼食であった。食堂で食べられるのは、こうだから、ご飯とダールだけということになる。
今、摂氏42度で、これから4月にかけて、50度になると言うから、体力の限界かもしれない。
構内には、台所付きの家は満杯だから、台所付きの家に入ろうと思うと、構外になる。それを探すのも一苦労であろうし、冷蔵庫を新品を買うのか、大学が用意してくれるのか、そこからの通勤をどうするかなど、問題山積だ。面倒になったら、やめて帰国すれば良い話しだが、どうしたものか。

ネット不調で昨日の記事が今日になる

2012年03月24日 | Weblog
昨日は、大学正門のそばにインド銀行のATMが開設された祝賀会がガーンディー丘で行われたが、暑いから出席しなかった。
今までは、歩いて10分ほどの所にある銀行まで暑い中歩いて行ったが、正門までは歩いて直ぐであるから、これからは、金を引き出しに行くのに便利だ。
一昨日、試験課に呼ばれて、試験の問題を作った謝礼を270ルピー支払われたので、ひょっとして、300ルピーから所得税を一割引いたのではないかと質問に行った所、それはないと言われた。それにしても、試験は昨年末だったのに、小切手は2月に発行され、それが三月下旬に払われるというのも,随聞遅いし、そんな支払いがあることも知らされていなかった。
この記事は、昨日書いた物だが、ネットの調子が悪く、掲載されていなかった。
ところで、石巻市の大川小学校長が今季限りで依願退職したという。
私の田舎に地震の後片付けに帰った時だったか、呑み会をした時、その校長は自殺したと聞いていた。田舎の人達からすると自殺が当然なのかもしれない。私自身、田舎をアトにすると言った時に、一緒に難局を耐えないのは裏切りだと言われた。
皆で一緒に受難しようというのだ。
しかし、地震、津波の被害を一緒に受難する用意はあるが、放射能汚染は全く別の話だ。そこにいるだけで死神に取り付かれるのだ。そこを離れるしか救いはないのだ。

放射能漏れはいつ止められるのか

2012年03月23日 | Weblog
ここでは,今,水瓜と葡萄がうまい。水瓜は大きなので,ひとつ35ルピー、約50円。葡萄が1キロ40ルピー。わずかに売れ残ったのは,1キロ20ルピーで投げ売りされるので,夕方バーザールに学バスで行った時に,買い物の最後に行くと,葡萄が1キロわずか、約30数円で買える。
葡萄は薄緑色で直径1センチくらいあり、種無しだが,水瓜はみずみずしく且つ甘みが程々でおいしいから,種を採っておいて,宮城の田舎で植えようかと思うが,畑の放射能が果たしてどうだか。福島原発の放射能はいまだに止められていないのだから、福島ばかりどころか宮城県にも降り積もり続けているであろう。
夏は,風が南から吹きがちであるから,雨風で北に運ばれている筈である。宮城県から岩手県にかけて,相当量拡散していることであろう。
今の首相はしかし,放射能漏れはもう終ったかのように言っている,能天気な人物である。放射能漏れを止めることなど当分できない相談である。

メモリースティックを購入

2012年03月22日 | Weblog
これまで、数十時間、研究室備え付けのウィンドウズ・パソコンにヒンディー・日本語の文字を入れて来たが、殆ど全て無に帰したわけだ。それまでの物をまたやり直す気力はないから、新たなうち込みをすることになるが、なにか、賽の河原の石積みをしている塩梅である。暇つぶしにいいといえばそうだが、昨日、先日買った4ギガのメモリースティック代を語学部の事務方に請求出来るか聞いたら、可能と言われたので、350ルピー約500円を請求した。これからは、このメモリースティックに折角保存した資料を面倒でも少しずつ保存するしかない。 ちょっと遅すぎたきらいがないでもないが。

パソコンの保存データが消える理由

2012年03月21日 | Weblog
去年から、研究室備え付けのパソコンがしょっちゅう故障し、その度にハードを持ち出して行くので、なぜかと聞いたら、埃が原因だと言う。
確かに隙間だらけの研究室兼教室で、窓も完全に閉まらないが、それなら、宿舎だって同じ条件下にある。しかし、マックのノート・パソコンは二つとも、健在である。格別、袋に包んで大事にしているのでもない。
何度も修理に持って行くので、その度に初期化しているのかもしれない。それで、保存してある書類が皆、失せたのであろう。

瀬戸内寂聴尼の『風景』から『デスマスク』を訳し始める

2012年03月20日 | Weblog
昨日から今日にかけて,またインターネットが出来なかった。
今日,夕方、日本語教室で,学生からネットのケーブルが切れているのだと教えられた。
教室が終ってから,ネットの係に何時回復するのか聞きに行ったら,もう使えるようになったという。宿舎に帰って,見たら,快調に使えることが分かった。
研究室のパソコンが時々固まったり使えなかったりして、去年から訳していた瀬戸内寂聴尼の『三鷹下連雀』と太宰治の『桜桃』が、その単語帳と一緒にパソコンから消えてしまい,探し出せないので、やむを得ず,その訳は諦めた。
瀬戸内寂聴尼の最近書かれた短編集『風景』の中の『デスマスク』をヒンディーで何というか調べたら,S.Chand 発行,Father Camil Bulcke の英語ヒンディー語辞書では,death mask はあるのに,その訳が抜けていたので,夕方涼しくなってから,タイ人のキティポーン氏に聞きに行ったら,ヒンディー.ヒンディー語辞書とインターネットのタイ.ヒンディー語辞書で調べてくれた。やはり,脱落で訳がなかったのだ。
毎日がこんな調子だ。