芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

マレーシア・ヴィザ・センターからMM2Hのヴィザが認められたとメール

2019年12月31日 | Weblog
再度、警察署に行ったが、係は女性で病気で休んでいるから、彼女の携帯に電話するようにと言われた。近くにある空港小学校を外から眺め、青物市場で朝採り野菜と揚げたてのパコーラを買って帰った。途中のATMでヴィザカードで現金を引き出した。今回は、引き出せた。単に暗証番号を間違えていただけだった。我ながらボケの進みをますます自覚させられる。
午後になって、マレーシア・ヴィザ・センターからMM2Hのヴィザが認められたとメールが来た。14ヶ月も経ってもうすっかり忘れている頃にこんなメールが来ても、すでにフィジーにもう定住しているのだから、マレーシアは遅かりし由良之助である。

やっと晴れ間が見える

2019年12月30日 | Weblog
24日にIDカードを申し込み、今日が営業3日目なので近所の登録所に受け取りに行った。手書きからインターネット入力に移行中なので結局小生のは受付がまた入力し直しているように見えた。さらに30分待たされTINナンバーが発行された。それはカードではなく書類だった。HFC銀行に届けたが口座を開くにはスバの本店の許可を得てからだと言う。晴れ間を1キロほど歩いたので汗をかいた。途中で本屋兼事務用品店で複写し、ヒンディー語辞書があるか聞いたが、ポケット版しかなかった。ブーラッチーノと言うカフェでサンドイッチ二つコーヒー2杯生ジュース二杯頼んだらあわせて80ドル(4800円)近かった。自然食品をうたっているがホテルよりかなり高い。
風がほぼ収まったが、雨は時々降る。そこで読んだ新聞によると、この台風はサイクローン・サライといい、死者も出て停電の完全復旧に2週間かかるそうだ。警察に届けに行ったが明日8時〜11時に来るようにと言われた。

停滞性熱帯低気圧

2019年12月28日 | Weblog
台風の風雨は弱まったとはいえ、今朝もまだ強い。今朝起きがけにプールに入ると、テンプル・フラワーの花と葉っぱが大量に浮かんでいた。幸い、風で一箇所に寄せられていたので、掬ってプールの外に捨てた。
早朝からプールに入ったのは、2階のトイレ兼シャワー室の鍵が内側から閉まり、開けられなくなったからだ。
歯痛は治ったが、まだ腫れは残っている。一時は、左半面が他人の顔のようになったが、歯医者には全部断られてもひとりでに治った。目もおかしくなったので、目薬をさしたのが、効いたかもしれない。一難去ってまた一難といったところか。
初めてのところだから、次々と何事か起こるのは、やむをえない。裏のパパイヤの木が倒れたので、実をいくつかとったがまだ固い。漬物にでもできるんだかどうだか。
台風は停滞性熱帯低気圧で、日本のようにはなかなか抜けていかない。この台風で倒れなかった木が生き残っていくということか。こういう台風がこれからなんども襲ってくるのであろう。
日本では台風が来ると温かい風が吹くが、フィジーでは冷たい風が吹く。雨の降り始めた時点で長袖のシャツと長ズボンに着替えた。

フィジーの台風

2019年12月27日 | Weblog
昨夜から風雨が猛烈だ。鎧戸の隙間を通して雨がふっ込んでくる。寝室の床が水浸しだ。気象衛星の台風の目に向かって右回りに風が吹いている。北半球では左回りだが、南半球の台風の目は右周りなのだ。フィジー人は台風など、気にせず、大きな傘をさして買い物に出かけている。傘などものの役にも立たないのに。
断続的に停電するが、インドのようには消えたままではない。ホテルにいる間に無料バスで空港に行きヴォーダフォンの店からファーウェイの100ギガのポケットワイファイを買ったので、インターネットはできる。今日は、1日中、風雨が強く、合間に近所のImmigrationに行って質問しようとしたが、開いていなかった。入れ歯を支える歯がその隣の歯とともに炎症を起こし、顔が腫れたので、近所の歯医者に電話したが、皆休みかヴァカンスで開いていなかった。

ナマカのアパートに入居

2019年12月25日 | Weblog
タノア・インターナショナルホテルの従業員は男も女もスカートである。これが正装のようだ。英国の影響なのか、伝統なのかわからない。ホテルを23日十時半にチェックアウトしてバビタさんを待った。新規の客の案内で遅れたと十一時四十五分ごろ迎えに来た。荷物が多く、彼女の車では小さいので、ホテルの大型タクシーでナマカの新居に移った。タクシー代はスバのバス停からホテルまでと同じ10ドル(約六百円)だったから、近距離の最低料金なのかもしれない。多忙中の彼女は十四時にまたあらためて来たので、銀行口座を作る手伝いをしてもらい、HFC銀行に行った。必要な書類が出入国管理事務所の証明と旅券では足りず、自分を証明するものをもう一つと役所でIDカードを作るように言われた。明朝九時にバビタ嬢が役所に連れて行ってくれることになった。家賃1700フィジードルを払い、この日の仕事は終わり、買い物がてら中華料理屋で、ワンタン麺6、8フィジードル(約四百円)を食した。美味しかった。

ヴィザカードで現金が引き出せない、手続きをしなければならなかったかも

2019年12月24日 | Weblog
タノア・インターナショナル・ホテルにいつ間に空港に無料がで行き、ヴィザ・カードでフィジードルを現金で引き出そうとしたが、ATMが何度しても反応しなかった。日本のカード会社に何度電話しても繋がらず、諦めた。しかし、三井住友のデヴィッドカードでは引き出すことができた。ただ、ヴィザカードより率が悪いらしいのと、預金の残高があまりないので、一回1000フィジードルを何度引き出せるか限度がある。止むを得ず、プールで遊んだ。前のブログのプールのようにアパートにもホテルにもプールがついている。

住所を決めホテルの日本食を食べる

2019年12月23日 | Weblog
ナンディ空港の近くにあるタノアインターナショナルホテルに三泊した。チェックインすると直ぐ金曜日で明日から休みなので不動産屋に電話して物件を見に迎えに来てくれる親切な方を選んだ。タクシーで来いと言うのはやめた。インド系のバビタさんと言う若い女性が間も無く自家用車で迎えに来て2ベッドルーム2000ドルというのを二軒案内してくれた。空港に近いナマカ地区のアンビシャスアパートメントを選んだ。値切って1700ドルで一年契約をした。ここの郵便局は配達をしないで局留めだと言う。盗まれて金欠なので、とりあえず契約金だけ払い、月曜日に家賃を払うことにした。
夕飯はホテルの一休という居酒屋レストランでラーメン餃子を食べた。

スバでスリに遭う

2019年12月22日 | Weblog
カプリコーンホテルで部屋の台所を利用して昼食をとり、子供たちの学校について相談しに文部省に行った。用心のためパソコンとアイパッドをザックに入れて持つとかなり重いので長男に背負わせた。相談が無事終わりホテルに戻ってザックの小袋に入れた財布を探したが無い。部屋中探してもない。文部省に行く時渡ったMJCCのそばの橋で信号待ちをしていた女たちが橋の真ん中で長男を囲んだ時に小袋のチャックをあけて取ったものと結論付けた。財布にはまだ日本円で15万円相当のフィジードルが入っていた。出入国管理事務所の支払いを見ていたスリの仕業かもしれないと思うとホテルに押し入る可能性があり、一応電話で警察には届けたが脅されも怪我もしていないというと反応が今ひとつで明朝最寄りの署に来るようにと言われただけだ。一晩まんじりともせず夜を明かした。警察には断りホテルを9時に出てタクシーでナンディに来た。
貧しいフィジー人には泥棒が多いとは聞いていたが、早速その洗礼を受けた。フィジー人は殆どクリスチャンだ。

食事の味付けが濃くなくて良い

2019年12月21日 | Weblog
一旦、ホテルに戻る途中で野菜市場を通ったので茹で卵に魚の揚げものタロイモの煮ただけのものが入ったのやカレーの芋の詰まった薄いローティーの巻き物を買ってホテルで昼食にした。インドと違い味がマイルドで美味しいし、全般に味付けが濃くなくて良い。
出発前夜に、池坊のお花の師匠とそのお弟子さんたち10名ほどにに送別会でご馳走になった「親方」という店の料理も味付けが非常に良く美味しかった。遠藤周作「深い河」や瀬戸内寂聴「源氏物語」の話を依頼されて話しただけでこんなにご馳走になって恐縮この上なかった。