先日の河北新報で、日韓歴史共同研究の成果が載せられていて、任那の日本府について、その言葉のあり方として、在安羅諸倭臣が相応しいと日韓双方の歴史学者たちによって認められていた。
任那の日本府については、『竹取物語』を現代日本語・ヒンディー語訳したとき、大伴氏が朝鮮半島に影響力を持っていたのが、その利権を放棄してから、急速に政治権力を失って行ったように理解できた。
しかし、日本の一部を支配しているに過ぎない政権が、なぜ朝鮮半島に任那の日本府という利権を持っていたのかについて、疑問を持っていたのだが、今回の説明で納得がいった。
私なりにその時に理解したのは、日本を支配していた政権が、朝鮮系であるから、朝鮮から移住して来た時に、ある程度の領地などを残して来たのではないかと思っていたのだ。しかし、それを海の向こうである日本から実行支配するのは難しいから、親戚の朝鮮半島支配者に頼んでいたのではないかとも推測していた。日本の統一をしてから朝鮮半島の支配に乗り出すのは、豊臣秀吉の代になってからだ。古代においては、朝鮮半島に親戚がいる人達が日本に進出して来たのだろうという想像はほぼあたっていたことになる。まだ、日本の統一も済んでいない政権が朝鮮に進出できる訳がないではないか。日本の統一が済んで次に大陸に出て行くのは、明治政権になってからだ。
任那の日本府については、『竹取物語』を現代日本語・ヒンディー語訳したとき、大伴氏が朝鮮半島に影響力を持っていたのが、その利権を放棄してから、急速に政治権力を失って行ったように理解できた。
しかし、日本の一部を支配しているに過ぎない政権が、なぜ朝鮮半島に任那の日本府という利権を持っていたのかについて、疑問を持っていたのだが、今回の説明で納得がいった。
私なりにその時に理解したのは、日本を支配していた政権が、朝鮮系であるから、朝鮮から移住して来た時に、ある程度の領地などを残して来たのではないかと思っていたのだ。しかし、それを海の向こうである日本から実行支配するのは難しいから、親戚の朝鮮半島支配者に頼んでいたのではないかとも推測していた。日本の統一をしてから朝鮮半島の支配に乗り出すのは、豊臣秀吉の代になってからだ。古代においては、朝鮮半島に親戚がいる人達が日本に進出して来たのだろうという想像はほぼあたっていたことになる。まだ、日本の統一も済んでいない政権が朝鮮に進出できる訳がないではないか。日本の統一が済んで次に大陸に出て行くのは、明治政権になってからだ。