芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

新規プロバイダ

2007年01月31日 | Weblog
昨日まで、NHK スペシャルでインドが衝撃的に発展しているというテレビの放送を見た。たまたま、NHKの人と会うので、3回のうちの中のは見なかったが、見れば腹立たしい放送ばかりのテレビであるから、ずっと見ていないのではあるが、インドという事で見た。
インドは、英国の植民地になり、酷い目に遭ってもうコリゴリという経験をしているから、その植民地状態から抜け出てやっとここまで来たのであり、私が、インドを学び始めた1960年代には、『インド、なぜ?』と聞かれるのが常であったが、このようなテレビ放送を見た人達はさすがにもうそうは云わないであろうと思われた。
翻って、日本は、学校の政治教育宜しきを得て、米国の植民地であるという認識を持たされていないから、それを良い事に政治家官僚は、財界と組んで、国民の財を米国に移転して自らの地位と財産を築いているのが現実である。
そもそもが、中国を侵略して、財や命を奪ってから、その果てに敗北していながら、米国というお釈迦様の手のひらの上で踊らされて、敗北を意識しないまま働かされたが、そこそこ裕福になっているから、あまり考えないでも良いように仕向けられている。番組では、インドの農民も都市との格差をつけられて貧乏にされ、目先の餌につられて政治家を選挙する人達が写されていたが、事情は日本も同じだなあ、と思いながら見て、インドでも、ヒットラーのように宣伝・広告上手な政治家がでてきたら、今の日本や、米国と同じになるのかと思いながらも見た。
最近、農水省の政策によって損害を被ったのは、30年ほど前に、日本の山林を守るため緑の基金というのに入った。私も子供の頃に米国主導の農地解放に遭い、一部残っている山の持ち主であるから、このようにして故郷の山林も維持されれば良いと思っていたが、ここに来て、満期になったから、それを返すが、木材が安い外材に押されて安い価格でした入札がなかったからと、半分しか戻って来なかったらしい。数十年前に掛けた金だから、あまり、実感がなく、全て子供の名前で提供したものでもあるし、今更いくらになったかも知りたくないから放置している。こんなところが、政治家官僚、商売人につけ込まれるのかもしれない。
この1月31日をもって、ODN のプロバイダを解約した。ソフトバンクという朝鮮系の社長の会社に吸収されたら、迷惑メールが異常に増えて、急にメールなどが受信しにくくなった。新しいサービスで金を払えばそれが改善されるというが、そんな体のいい値上げは受け入れられないからと、止めにした。その社長は兆のつく借金をして英国の携帯電話会社を買収したから、当然、政治家官僚と悪縁で結びついていなければ、そんな大金を借りられるわけがないのだ。そういう背景で、国民から金を巻き上げるのが政治である。私一人が抵抗してもなんにもならないが、新しいプロバイダにつながるまでの間、メールもインターネットもお休みという不便はかこたなければならない。多分2月末にインドから帰るころには新しいにniftyのプロバイダがつながっているであろう。

あまり褒められた話ではないが

2007年01月21日 | Weblog
先日、帰省したときに、伊達宗弘氏とまた会い、敗戦で米軍占領下に置かれて農地解放令が施行されて伊達家が苦境に陥ったときの話になった。私の家の小作人でかつ、伊達さんの直ぐ下のごぼう坂に住む某が悪いやつで、伊達さんの住んでいた広い土地を農地解放に掛けたのだそうだ。私の家の山も農地解放にかけられ、その某を含む信用の置けると思われる小作人4名に緊急に名義変更したという事を祖母あさのから子供の頃に聞いていた。あの人にはお宅も酷い目に合ったでしょうと伊達さんから云われ、確かに名義変更したら、ついにその山は返って来なかったという経緯がある。
政治状況を利用して、人のものをかすめ取るという事は今もあるから、私は、子供のころだった事もあり、それほど酷い目に合ったという気はないが、伊達さんはおそらく子供の頃にその話を良く親たち聞かされ、あの家の人は信用出来ない家だとその後も思い続けているのであろう。
しかし、そのような、人倫に悖る事をした家の子孫は、ずっと周りからその事を記憶されるから、他人に迷惑をかけたり、殺したりして、褒められるのは、戦争や法律的な殺人で、英雄とあがめられる人だけであろう。とは言っても、たくさん人を殺して英雄とあがめられるのも、実は、あまり晴れがましい事ではないのではないか。
戦争ごっこで勝つのは良いが、現実に、兵士と住民を大量に殺戮したりしたときは、その恨みを子々孫々まで記憶されるから、昔の日本では、そのような暴力行為のあとでは、死者を弔い、その霊を慰めて、たたりに合わないように神社を造ったが、明治維新以降の神社のあり方が、逆になっている。殺しをたくさんして褒められて神社を造っている。これは、殺人を奨励しているのと同じでそれが最近改悪された教育基本法の骨子である。 
歴史は繰り返されるというが、多くの兵士がこれからは海外に狩り出されるのであろう。
その兵士たちの長官は、帰国すると英雄として、政治の世界に打って出て政治はますます軍国化するのが目に見えるようだ。
軍隊というのは、国家的な暴力団であるから、民間の暴力団より始末が悪いものだ。その最たるものが現在では米国である。
そうはなりたくなくても、その道に踏み込まされているのが現状だ。

『伊達政宗御真翰』という箱書きの書状

2007年01月02日 | Weblog
大澤和泉さんの絵の展覧会をするために登米の芳賀邸の最終的な片付けを手伝ってもらう過程で、『伊達政宗御真翰』という箱書きの書状が出て来たので、それを彼女にスキャンしてもらい、複写したものを伊達宗弘氏に持参して鑑定を依頼したところ、年末になって、
「政宗の書状についての第1人者である仙台市博物館の鵜飼幸子室長が鑑定し、本物ということです。明治初期まで登米伊達家の所有で、当時東大において資料作成の時、それを写し取っています。その実物が出てきたということなので市博物館では機会があったら是非写真におさめさせて頂きたいとのことでした」
と、メールを頂いた。
まさか、伊達政宗の本物の遺品が芳賀邸にあるとは思わなかったので、博物館に寄託しようと思う旨、伊達宗弘氏にメールしておいた。
そもそもが、誰宛に何を書いたかまるで読めない達筆である。政宗の政という字だけは署名と分かったが。