芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

今年は、お付合いありがとうございました

2010年12月31日 | Weblog
今日、やっと年賀状に取りかかれた。退職してからは、なるべく、減らすようのして、今は3分の1くらいになったであろうか。
それでも、住所などを調べる必要のあるもの以外は、書きおえて夕方に投函した。おそらく、3日くらいに届くのではあるまいか。
今年は、関心を持っていただいた方が次第に増えて、たまに、百5、6十万人の中で、数千番の順位に入っていることがある。
文字通り思いつくままに記していのに、お付合い下さいまして、誠にありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。

神棚飾り

2010年12月30日 | Weblog
午前中、館山に登って松飾り用の松の枝を切って来た。昨年は、照るちゃんが、一緒に行ってくれて、松枝を切って来たが、今年は、おふくろさんが亡くなったので、松飾りをしないと言う。トヨマ神社の説明によると、50日過ぎれば、正月の飾りをしていいらしいが、彼のでは、違う慣習のようだ。長崎に注文していたカステラが届いたので、午後に母に食べさせに施設に行き、そのあしで、トヨマ神社に行き、神棚の飾りを求めて来た。これも、一昨年来、照るちゃんと守んツアンのやり方に従って、求めている。社務所には、4、5人既に待っていた。その人達は、1式3800円払っていたが、私のは、1500円だった。

正月の準備

2010年12月29日 | Weblog
佐藤元大工さんが9時過ぎに車で迎えに来てくれた。志津川の魚市場に10時前についた。既に相当の車が駐車していて、結構遠方の駐車場に止めて、「おすばで祭り」の会場まで歩いた。おすばでとは、三陸地方でおかずを意味すると言う。正月ようの海産物を売っているのだ。あつあつのサケ汁が振る舞われていた。アワビ4個で四千数百円である。アワビなど、寿司屋でしか食べることはないから、この際、買っておくことにした。
宮城県のゆるキャラ、むすびまるや伊達武将隊が舟に乗って上陸して来て、祭りを盛り上げていた。
帰りは、津山町の木木館に寄って、本わさびを買った。これで、正月の準備はできた。コーヒーとそばを食べて返った。コーヒーはうまかったがそばはしょっぱかった。コーヒーがウマイのは、わさび田の水が良いからだ。
ちょっと昼寝をしたら、守んツアンがついてくれた餅を届けてくれた。去年貰った時は切っていなかったが、今年は切って持って来てくれた。おそらく、去年、なかなか私が切らなかったからだ。持ちは柔らかすぎても固すぎても切りにくい。

明日は、志津川の「おすばで祭り」

2010年12月28日 | Weblog
今回の検察の反省は、大阪地検特捜部の郵政問題に特化した反省だが、これまでの、特捜部の筋書きを書いて、それに従って、罪人を創る方式は、東京地検特捜部も全く同じであり、それによって佐藤優・鈴木宗男が陥れられ、小沢一郎がその秘書を先ず、罪人として仕立て上げるという全く同じ構図であったので、それに言及しなければ、誰も納得しないであろう。小沢一郎を標的にした、マスコミへのリークで、国民の世論操作をした偏りは、いまだに日本の政治を外国勢力が喜ぶ停滞に陥れたままである。検察と自衛隊は、この60年間外国勢力の支配下におかれたままだ。
明日は、志津川の「おすばで祭り』で、佐藤元大工さんが,昨日、焼き芋を持って来てくれながら、私が行くなら、車に乗せて行くと言ってくれた。
勿論、アワビ、生ガキなどが浜値で買えるのだから、買いに行きたいと乗せて行ってくれるように頼んだ。今日、あらためて来て、明日9時過ぎに迎えに来ると伝えられた。

今日もいい天気

2010年12月27日 | Weblog
先日の大雪が嘘のように今日も天気が良く温かい。干し柿にカビが生えるのでないかと心配なほどだ。
和久井康明氏が出演した、NHK教育番組「就職難時代を頑張れ」を見た。学生・教師、社会人まで大勢の人達が参加しているので、話す機会がないのではないかと気がかりだったが、大企業の代表として肝心のところで指名されて、納得のいく話しをしていた。この就職難時代は、先日飲みながら彼と話した時に、彼は、企業の生産がアジア諸国に移転した構造変化によるものであると言っていたが、それが前提の番組内容であり、しかも、高卒の昔は3割、今は5割が大学進学であるというから、私自身は、日ごろの持論である職人を養成できる仕組みを作ることの必要性をその時に飲みながら彼に述べた。これまで、大蔵・財務省が源泉徴収しやすいサラリーマン大量生産の構造を作って来たことも、大学進学・安定サラリーマン志向の安易な幻想を産みだして来たことも話した。
民主党政権になって、どのような職業観を作っていくのか、いまだ見えないが、場当たり的な、職安・ハローワークの拡充というのに、菅首相がやたらと顔を出している。ハローワークを拡充しても、若者達の就職率が良くなるはずもない。自民党時代と違う独自の政策を採るかと思っていたが、日本の基本政策である武器輸出三原則を変えようとするなど、米国から指示されたままに動いている。沖縄の基地政策もそうだ。日本全体の基地をどうするかというところから考えなければならないのに、米国にいわれるままである。自衛隊幹部の発想は、米国は利用すればいいといいながら、米国に言われるままで、沖縄県民にかけた迷惑料を自衛隊の予算から支払っている。それを思いやり予算と、あたかも、上級者が下々の米国に支払ってやっているような表現で国民を誤魔化している。
これなど自民党時代からの政策であるが、民主党政権の誠実のなさは、そもそもが、小沢一郎にかわって鳩山が首相になって普天間から、辺野古に基地を移転すると急に決めて首相を降りたことだ。これは沖縄の民に対する裏切りであり、そのことに抗議して福島瑞穂の社民党が連立政権から降りたのは、むしろ潔い。

職人達の仕事ぶりの気持ちよさ

2010年12月26日 | Weblog
24日から急に寒くなり、25日は雪が降ったが、今日は、晴れて温かい。積もった雪はたちまち融けた。昨朝のその雪の中を足場組み専門の職人達が、足場を解体していった。2人で1時間ほどで終わった。組み立てるときは、3人で3時間ほどかかった。このような若い人達の仕事ぶりを見ていると気持ちいい。職人達が生きていける社会でないといけないと思うが、職人がどんどん減る社会になってしまった。米作りと同じで、報われないからだ。
都会にいる時に疑問であったのは、米国系の軽食やファミリー・レストランの店員の挨拶であった。マニュアルがあって、それを覚えてその通りにするのだが、画一的にお辞儀などをするだけで、心が伝わらない。
今の民主党菅政権は、マニュアルは勿論なく、しかも心も失っている。
先ず疑問だったのは、友党の国民新党との約束の郵政改革の法案を廃案にして、アンケートで有利なうちに選挙に突っ走って、結局は敗北した。約束を無視したのだ。
現在は、仲間の小沢一郎を切って、菅政権を維持しようとしている。いずれも、菅政権が誠実さのない、信じられない人物たちであることを示している。エイズ患者に謝って賠償したことにとらわれた人々が人物を見誤ったのだ。

2重窓枠の色選びの見込み違い

2010年12月25日 | Weblog
数年前に仙台・東京間をバスに乗るようになった時は、バスの乗客は、殆ど若者であったが、最近は、年よりが増え、バスの乗客もかなり増えている。その分、新幹線の乗客が減っている。がら空きだ。新幹線は、速度だけを増して、情緒が失われている。速度を金で買っているのであるが、それほど急ぐ人は、働いている人でも、それほど多くはないのではないか。今は、インターネットで会議が出来るから、わざわざ出張しなければならない仕事は、減っているであろう。新幹線もバスも乗客が減っているのではないか。これから、人口も減るから、乗客はもっと減るのではあるまいか。こんな田舎に住んでいても、買い物は、インターネットでできるから、わざわざ出かけなくても、居ながらにして、欲しいものが届く。今、2重窓の工事をしているが、その窓枠は、色見本で選んだ。ところが、思っているより、明るい色であり、実物で選んだのではないために、近くの工務店でもこういう見込み違いが起きるのだ。インターネットでは、もっとありがちではあるが、一番欲しいようなものは、自分で作るしかないわけで、どんなものでも多少は、我慢しなければならない。
ところで、今の菅政権は、かなり見込み違いをしたのではあるまいか。私は、小沢一郎と菅直人のどちらが良いかというのでは、小沢一郎を推したが、残念ながら、マスコミの意図的な誤報に押し流された世論によって民主党内でも小沢一郎は選ばれなかった。
この小沢一郎排除は、自衛隊内でも徹底されていて、先日、会った時に防衛大学校元教授は、誰が流布させているか聞かなかったが、小沢一郎は馬鹿者だと言っていた。無能だともいうのだ。おまけに、民主党は、ヒットラーのナチとおなじだとも言っていた。自衛隊内はこのように意見統制されている。しかも、米国主導ではなく、米国を利用しているだけだと強弁してもいる。負け犬の遠吠えである。日米同盟は、共同で防衛を行なっているという建前だが、実際は、米国の世界戦略の前線基地にすぎないのである。

バス旅行の楽しみ

2010年12月24日 | Weblog
WILLER というバスで東京仙台間を乗って帰った。WILLERは、以前乗った時より、急激に発展していて関西から青森までの殆ど全国に行くバスを走らせていて、住友三角ビルの一階に出発ロビーがあり、インターネット・コーナーまでできていて無料で利用できる。ただ、マイクロソフトしか利用できず、GMAILはできない。それを知らなかったから、途中で、インターネット・カフェに入って、昨日のブログを書いた。ただ、東京都条例によって、身分証明書を見せ、会員カードを作らなければならなかった。派遣労働者が失職して、インターネット・カフェをねぐらにしているから、それを禁じるために住所不定者が泊まれないようにしたのかもしれない。
今回感じたのは、バスのほうが、風雨に強いことであった。電車は強い風雨で遅れたり、走らなかったりしていたが、バスは通常通り走った。バスが遅れるのは、交通渋滞の時で、天候にはあまり左右されないということだ。しかも、昔の汽車が途中駅で、その駅付近の名物を売っていたように、バスは途中の休憩所2カ所で、その地域の名産を買うことが出来ることも魅力だ。新幹線では、そのような買い物はできない。新幹線の中で買える土産物は、決まりきったものしかない。高速道路の休憩所で売っている土産物は、今のところ、変化があり、ウマイものもある。それと、バスは、今回前日の予約なのに、もう3社は、満席であったが、WILLERは3000円で帰りの予約が取れ、行きは、満席ばかりで、キラキラバスが、4500円で予約できた。それでも、新幹線の半額である。

脇坂氏の通夜

2010年12月23日 | Weblog
昨夜来の風雨で、東京行きのバスに乗り遅れると思い、6時代のバスで早々と出かけたが、なんのことはない、仙台には早くつきすぎ、2時間近く待って、10時のバスで新宿に向かった。途中今日も風雨があったが、昨日ほどではなく、こちらも15時過ぎに着いた。
新宿では、色々な催事が広場や通路で開かれていて、多くはキリスト教関係の募金活動であった。クリスマスが近いせいもあるかもしれない。
脇坂一博氏の葬儀は、羅漢寺の会館で開かれ、早めにいったら、そうゆうの齋藤攻、谷内一郎、立花栄治の各氏が、受付を手伝ってくれていた。前回、外林氏の葬儀のときも彼らが手伝いをしていた。脇坂氏は1級上で身近なこともあるであろう。
東京女子医大の教授たちからの花も飾られていた。
危ない手術であることは最初からわかっていたらしい。もとは胃癌で、肝臓などに転移しているのを、抗がん剤で抑えてからの2回目の手術だったようだ。隣に座った三浦一政君に、【ひと腹10年】というから切らなければモット長生きしたのではないかというと、彼も、最近前立腺癌を切ったばかりだという。言葉に詰まってしまった。
帰りは、齋藤君と新宿まで一緒に来て、夜行バスを待った。

ボート仲間の脇坂氏みまかる

2010年12月22日 | Weblog
今朝、ボート仲間の斎藤攻兄から電話で、脇坂一博先輩の訃報を伝えて来た。かねてから、癌と戦っていたが、最近になって手術したばかりであった。その手術が成功したということを術後のご自分の写真入りメールで送って来たのを見て、言葉を失っていた矢先のことであった。それほど、がおった顔をしていたのだ。この辺でがおるというのは、疲労困憊していることを云う。しかし、本人がみんなに見せようと思ったということは、それによって、難しい手術を乗り切ったのを知らせたかったのかもしれない。学生時代、合宿をして彼とエイトを漕いだこともあり、最近では彼は、我が家にも来たし、1級先輩とはいえ、気安い間柄であった。
このブログでも赤穂近くの龍野藩の脇坂家の子孫であることを記している。ご先祖が浅野内匠頭と赤穂浪士のために協力したことが、忠臣蔵で演じられていることや、明治維新の前に、幕府の老中で活躍したことも記した。その血を引いているからか、ボート仲間達からしたわれた。
私自身は、癌で切ることに反対の立場で、今更のことになるが、切らなければ、こんなに早くは逝かなかったのではないかと考える。
先日、偲ぶ会にでた岸田光祐さんといい、その前にやはり癌を切って亡くなった外林潤氏といい、今年は、惜しいボート仲間を次々と失った。明日は、もう通夜であり、それに出かけることになった。24日は、母の特養でのクリスマス会に出席するため、夜行バスで帰省するから告別式には欠席せざるを得ない。その点も残念だ。