芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

元秘書達の有罪判決に

2011年09月30日 | Weblog
小沢一郎の秘書達が執行猶予付きの有罪となったと、墨田のカッパさんに教えられた。
何となく、政治的な妥協の末の判決に見える。しかし、有罪は有罪であるから、小沢一郎を貶めようとしている輩からは歓迎であろう。
日本にとっては、最悪の選択をさせられた判決で、これが足かせになって、ますます、日本の自由は失われる。日本を食い物にしている連中にとっては、手を打って喜ぶ判決であろう。
遠い国の茶番劇をみている気分だ。
マスコミが、意外感を表明しているのも、これまで、さんざん、他国に利する報道をして来て、判決が出てから、これまでの誘導を知らぬ振りをする良い言い訳になっている。
敗戦というのはこんなものなのであろう。
学生の頃によく感じたのは、インドも中国も、他国に関与されることを殊更嫌っていたことである。一度ショックミンチを経験した国と、その後の対戦で植民地にされたのでは、意識の上で、ずいぶん違うものだ。
特に日本は、国民総動員で、鬼畜米英と戦って、国民がうんざりしている時に敗戦で、戦勝国がすべて正しいと教え込まれたのだから、簡単に受け入れて今に至っている。
インドで意見を受け入れさせるのは、すごく時間がいることだ。両者は時間がかかることでは同じことかもしれない。

小沢一郎・陸山会についての私見、再度

2011年09月29日 | Weblog
昨日の日本のニュースで、陸山会事件の判決が今日出るように報じられていたが、判決はどうなったか。もし、小沢一郎とその秘書たちが黒とされたら、ちょっと日本の現状は救いようがない。検察、マスコミばかりでなく、司法全体が他国の傘下に入っていることを示すからだ。
以前にも記したが、日本の識字率が高いことを誇っていたのが、実は、裏返すと、マスコミを通して洗脳操作しやすいことでもある。国民は、検察のリードでマスコミを通して、洗脳されつくしているから、おそらく、小沢一郎たちがあたかも政治的汚職をしていると思い込まされている。もし、判決が白と出ても、大半の国民は、裁判が間違っているくらいに思うであろう。民主党は、小沢一郎を追放できたため、殆ど、でたらめな政治方向に行っている。ちょっともう取り返しがつかないかもしれない。

数に強い民族性

2011年09月28日 | Weblog
ドゥルガー神を祀って祈る祭りが始まった。先日は、ガネーシュ神を祀るお祭りであったが、あまり間をおかずに人気の祭りが続いている。来月はじめには、ダシャハラあるいは、ダシェヘラという祭りがある。これは、初めて経験するのでくわしくは知らない。ダシャが10だから、その数に関連しているのであろう。
何しろ、0という数字を考え出した数に強い民族であるから、数字にいろいろな意味を持たせていて、その説明を受けないとよくわからない。ゼロ思想の無ということを徹底して考えた民族でもある。ここではゼロの語源であるアラビア語のシファルのさらに元になるシュニアが今でも使われている。シュニアも無も時空の無限性を感じさせる。


花と小鳥

2011年09月27日 | Weblog
今朝の新聞に、パトナで大雨が降ったと、道が水に浸かった写真入で報道されていた。
ここワルダでは、先日の猛烈な雷雨が雨季明けを知らせてくれ、朝夕の空は、雲がさまざまな色で輝き、日の出、夕日の色も文字通り、日輪となって赤く染まって美しい。
同じインドでも、雨季の明けるのがあちこちで違うのが、日本のような南から北に気候が変化するのとは違って、複雑でよくわからない。
花は、チャンパの花は6月以来咲いているし、黄色い名の知らぬ花も咲き続けている。バラは、いったん枝を払ってこれからまた咲かせるようだ。
今見られる小鳥たちが、ずっといるのか、それともこれからそこそこ寒くなると、移動していくのかわからないが、かなり種類が多いから、なかには、渡り鳥もいるであろう。
最近は渡り鳥はいい意味に使われなくなっているが、田舎では、ツバメが南からやってくるのが待ち遠しかった。そして帰っていくと冬の間近いのを感じた。
現在、物や人の数え方を教えているが、動物を、一匹、一頭と数え、なぜ鳥だけが一羽なのかと聞かれ、困った。もっとも、田舎では、ウサギも一羽と数えてその肉を食べていた。ウサギのことはとりあえず、言わずに、鳥に限定して数え方を教えた。子供のころ、牛や豚をあまり食べなかったが、鶏、ウサギはよく食べた、それと関係あるかもしれないし、調べればわかるかもしれないが、外国人にとって、わかってどうというほどのことでもない。日本の文化は急速にグローバル化=米国化しているのだから。何をいまさらということか。

小鳥の写真

2011年09月26日 | Weblog
先日来、電気スタンドを設置してくれるよう頼んで、もう1ヶ月あまりになるが、最初は、壊れたのを修理するという話で始まり、それが直らないということが2週間ほどかかってわかり、買うといったまま、放置され続けている。しかも、安いのだから買えというが、買ってもそれを日本に持ち帰れるわけでもなし、日本のヴォルトとは違うし、使えるかもわからない。ベッドカヴァーなど折りたためるものだったらいいが、がさばるものは閉口だ。大体において、もう、3十万ルピーも日本との航空運賃に費消している。編集の仕事をしているときに、細かい字を読んでばかりいたから、遠視に加えて老眼が早くやってきたので、眼が疲れやすい。こんな目で辞書作りなどできない相談だ。
体のほうは、毎朝散歩して鍛えてはいるが、今朝は寝坊してしまい、明るくなっていたので写真のほうは少し鮮明だ。それにしてもコンパクトカメラで鳥を撮るのは難しい。来年の話になるが、4月に帰れれば、もちょっとましなカメラを買うことになるかもしれない。

女子寮の国際交流文化祭

2011年09月25日 | Weblog
女子寮の文化祭のような催しに招かれ、食事もご馳走になり、大学キャンパスの丁度反対側にある宿舎に夜遅く帰った。
普段は、男子禁制で、門のところで警備の警官に入館を断られるが、今回、男は中国、タイ、モウリシャスの外国人だけが呼ばれ、私と学長は家族同伴であった。
流石、いろいろな民族からなるインドだけあって、いろいろな州から来ている女子大生によって、それぞれのお国柄の踊りや歌が披露された。インパールから来ている子など、私の日本語の学生達も昨日授業を休んだのは、練習や準備のためのようで、なかなか上手な踊りであった。
中国人学生達も宿舎で練習していたのを披露してくれ、良く出来ていて、国際色華やかであった。
急に指名された私は、山形の花笠音頭を歌ったが、歌詞に馴染んでいないため、途中で引っかかってしまった。

平和に関する集会

2011年09月24日 | Weblog
平和に関する集会がホールで3日間開かれ、最終日の昨日、午前中に二人の講演を聞いた。南はカルナータカ州のバンガロールから、北はビハール州から参加し、インド全体から招かれ、その講演者も各地から来ていて、ガーンディーの提案している3Hというのが印象に残った。
要するに平和のためには、ガーンディーのアヒンサすなわち不殺生主義が今こそ重要であるという内容だ。相当の人数だが、係りに聞くと、その交通費、宿泊費を大学がもっていると言う。
私自身、マハートマー・ガーンディー国際ヒンディー語大学という名前を掲げる大学の平和学部に関心があるのだが、授業に出てもまだヒンディー語講義が分からないから、せめて、この集会の雰囲気だけを味わった。
学長は毎日始めのセッションに出ていた。

世界作家会議がワルダで11月に

2011年09月23日 | Weblog
昨夕、シャワーを浴びようとしたら、お湯が出ない。このところ、シャワーのギーザをつけると焦げ臭かったので、焼き切れたらしい。今日、見てもらわなければならない。
何事もなく過ごすというのは、インドでは難しいのかもしれない。そうはいっても日本でも、地震などの天災が降りかかってくるのだから、インドに限ったことではないかもしれない。
それにしても、雨季最後の雷雨でワイファイの器具が焼き切れたので、常にもましてインターネットが出来なくなったが、これからは雨が降らなくなるから、ワイファイの故障がなくなりそうだ。しかし、容量が小さいらしく、インターネットに集中する時間帯には、まるで繋がらなくなる。仕方なく、研究室のパソコンに頼るが、そこもどういうわけかdiagnose problem とかいう標示が出て、しょっちゅう繋がらなくなり、係を呼びに行くと、あちこち呼ばれているのか、留守である。
こんな状態に大分慣れてきた。
同期の鳴島兄にメールで、津島佑子と高樹のぶ子の連絡先を聞いたが、彼が雇用延長の時に貰った社員手帖には、既に作家達の住所録は載らなくなっていたと言う。
このお二人がインドに興味があることは知っているので、当地での11月の世界作家会議にご招待したいと思ったが無理のようだ。中沢けいさんは既にホームページに連絡済みで今年は、都合つかないが、来年なら来られるという回答であった。法政大学の教授も務めているから、忙しいであろう。

雨季明けか

2011年09月21日 | Weblog
今朝の散歩は、学長たちと反対方向に歩いた。副学長たちが歩き始めるのに遇ったが、学長は歩いていなかった。そのままわたしは反対方向に歩き、殆ど2周したところで、一人で歩き始めた学長に遇ったので、私もそれに付き合って、折り返し2周することになった。初めての2周である。結構きついのぼりがあるので、今までは1周にしておいたが、外語大のボート部だった仲間にヒマーラヤ登山を勧めているので、ひょっとして、実現したら、案内役を務めなければならないから、今から少しきつめの散歩をして練習しておかなければならない。何しろ、ヒマーラヤ・トレッキングによく出かけたのは、50代後半であり、その疲れでスキー中に足首骨折をして以来、足が弱っているであろうから、少しずつ、足を鍛えておかなければならない。
幸いに、雨季も先日の猛烈な雷雨で終わったらしく、朝は寒いくらいになってきたので、ちょうどいい散歩日和だ。

試験休み

2011年09月20日 | Weblog
シッキムの地震は、震度6,8とか出ていて、私の田舎で経験したのとあまり変わらないから、家が壊れているのではないかと思っていたら、今日の朝刊で、壊れた家の写真が大きく出ていた。
救出するにも山の地域だから、がけ崩れで道路が寸断されているのではないか。
インドから日本に来た救援隊が宮城県に来ていたが、日本から救援ができるだけ早く行ったほうがいいであろう。
学長に同行して日本に行く話は、できれば、授業が休みのときがいいと思い、試験休みのときと思って話を係りに聞いたら、休みを変更できないという。12月に試験休みがあることがわかったが、どうも、決められた期間に試験して休む方式らしい。
学長をご案内するなら、4月の桜のころがいいであろうが、どうなるか。東京外国語大学の亀山学長の都合もあるであろうから、なかなか決まらないかもしれない。