芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

日本の問題は、放射能

2012年04月30日 | Weblog
食堂再開後も、友人達から頂戴した和食を温めて部屋で食べて、食堂で食事をしなかったら、食堂の係が、学長に私が、宿舎で禁じられている調理をして、宿舎で食事をしていると、御注進に及び、ナレンドラ・シン部長に呼び出されて,食堂は大学が経営しているのでないから、食堂が成り立つよう、食堂で食事するようにと言われた。そのとき食堂の係が呼び出されていたので、なぜ1月から1食50ルピーに値上げしたか聞いたら、野菜が1種から2種に増やしたからだという説明をした。しかし、その1ヵ月前の40ルピーに値上げした説明になっていないし、値上げ前から、野菜は2種類出ていたのだ。基本が、野菜カレーでそれに卵がいくら、魚が80ルピーというように勝手にその他のおかずをつけ、冷蔵庫爆発のあと等、毎日昼夜チキンがついたから、単に、高い料金を取りたいだけだったのだ。それで稼いだ金で、冷蔵庫を最近になって買ったのであろう。丁度、タイからの学生達が20名ちかく来て、食堂はあふれるかえる状態である。私は、座れない食堂から昼だけカレーを自室に持ってきて食べている。
昨日は、電圧が高かったようで、昼間は、冷房が効いたが、夜になって電圧が下がったのか、また効かなくなり暑い夜に変わりなかった。しかし、明日からはデリーのネルー大学の宿舎に泊まれる。そちらのほうが、古いが、必要な蚊とり等直ぐ持って来てくれる。ここでは、つい先だって電気蚊捕りの薬を替えてくれるように頼んで、バーザールで買って来ると言って4日も放置され、その間ずっと毎晩蚊に喰われ続けた。
しかし、こんなことも日本に帰れば、皆解消である。日本の問題は、放射能である。

新生大学仕組みの不完全性

2012年04月29日 | Weblog
食堂台所の冷蔵庫爆発の凄まじさは、以前の写真で分かるように、夜中でなく、客のいる時だったら、死者が出ていたであろうと推測できるほどなので、調査委員会を開くようにナレンドラ・シン部長に言って、開いたらわたしもその中にいれると言われていたが、結局はなしのつぶてであった。それについて、なんどか抗議したとき、居合わせたドラマ科の教授が、電圧の不安定が原因だと説明してくれた。しかし、それならば、電圧は常に不安定で、しょっちゅう停電して、インターネットも出来ないことが多いのだから、また起きる可能性が多いのではないかと思うが、まるで気にしていない。冷蔵庫爆発で食堂が閉鎖された時も、その説明がまるでなく、いつから食べられるかと聞くと、毎日、明日からと言われて、食堂の壁、天井の煤の上から白いペンキを塗って、2週間後に食べられようになった。
私は、幸い、正月に来られた紫藤さん夫妻の持参してくれたのと、ボート仲間の立花兄と斎藤兄が送ってくれた食糧がまだ残っていたので、それで凌いだ。そうでなければ、毎日三食、1キロ先の山の上のカフェまで食べに行けということであった。朝食はちょうど買ったばかりのトースターがあったから、部屋でパンを焼いて食べられたから良いようなものの、友人達の下さった日本食がなかったら、大変であった。しかし、そのご不便をおかけしましたもなくて、いきなり、爆発した1月からの食事代を40ルピーから50ルピー値上げしたのだ。昨年末に35ルピーから40ルピーに値上げしたばかりであるのに。このようなこと一切が、何の前触れもなく行なわれるのがこの大学であり、これがインドなのかと思われる。
三月に日本からここに戻る時の飛行機と汽車の切符を三ヵ月前から可能な予約をしたら、もうかなり満席で、やっと席が取れた。それが、今月、先週始めに、日本に帰るからとその予定を学部長に話したら、そばにいた副部長が、7月は18日に帰って来ていなければならないと言う。そんな話しは初めて聴いたと言ったら、先週決まったのだと言う。冬休みを削って、夏休みを2ヵ月にしてくれた学長に確認したら、これがルールだと言う。しかし、そのルールも学長がいきなり決めたことであろうに、ここでは、何か申し込みに行くと、副学長、理事長までも、学長に聞いて欲しいと言う。私は、常に、ここにはシステムがないと言っている。常に思いつきで事が運んでいる。金曜日の夕方、学長に再度会って、私のヴィザに関するあなたの認識を改めさせに来たと言い、私のヴィザは雇用ヴィザであり、大学がそれを発給させているのだから、大学の仕事として専門の係を決めなければならないと言った所、秘書を呼んで、外国からの学生と教師の用事は、広報にさせると、メモさせ、広報のミルゲー課長をよんだ。ミルゲー課長には、既に、私のほうから、担当部署を通じて、30日に外国人登録に同行するよう頼んであったから、私と学生をひとまとめにしている所にまだ認識の足りなさがあったが、事は私の目指す方向には進んでいる。私は、客員であるから、あまり大学当局の仕事の仕組みに口は挟めないが、文句を言わざるを得ない場面がしばしば起こる。
来年、この有能すぎる能吏のラーイ学長が辞任したら、混乱が起きることは眼に見えている。

爆発した食堂のその後

2012年04月28日 | Weblog
昨日、図書館長にこの大学の信用できない話しをした時、食堂が高いという話しになり、図書館長も自分たちインド人も同様の値段だと、チキンの二切れが100ルピー、辛いだけの野菜カレーが50ルピー、それに小鉢のダヒー60ルピー、黒ずんだ汚いチャーエが5ルピー等と言っていた。道理で、図書館長は、毎週末に実家のあるムンバイに帰ると思っていた。食堂にはやっと冷蔵庫が入った。食堂では、相変わらずすすけた器や、椅子に座って食べている。この写真も食堂まで、台所から火が廻って、ガラスが吹っ飛んでいるのが分かる。
昨日食堂に行って、もうあまり残っていない昼食を食べ、30日から日本に向かうから、食堂の食費を出る前に払うと言ったら、その夕方に取りあえず、1000ルピー払ってくれと言って来た。サービス、味ともに悪いのに、金の取り立てだけは早い。食堂上のジムの会員になるよう進められ、入会して、毎月給与から150ルピー引き落とされているが、今年になって、食堂の爆発ののち一度も行っていないので、意味がないから、脱会を申し込んだ。結構うるさい手続きだった。

細かいことまでいちいち学長に説明する面倒さ

2012年04月28日 | Weblog
最近、めっきり暑くなり、冷房があまり効かないので眠れない夜が続いた。昨日が日本語最後の授業だったが、結局、冷房のリモコンは届けられなかったので、冷房は取り付けたという名目だけで、何の役にも立っていない。いったい、これは、嫌がらせなのか。
図書館で頼んだ、大学書林と大修館のヒンディー語辞書が半年以上経っても入手できていないので、私が買って来ても良いと学長と図書館長にちょっと前に言っておいたが、その後、この大学の信用のおけなさが分かるに付け、20万円もする辞書類を買って来て、結局金をもらえないのではないか、と思い始め、やめようと思っていた矢先に、図書館長と副館長が相談して、副館長が私の購入希望書を持って来て、一緒に学長に逢って、日本から買って来たら、その領収書でルピーに換算して払うようにしよう、と昨日、バイクで迎えにきて、学長と会い、その言質を取った。学長は、私のヴィザ延長も私の個人の用事だから、大学から車は出さないと云う。雇用している大学が、雇用ヴィザを出すように当局に働きかけないのでは、これまた信用できない。先日は、日本に挨拶状を出そうと思い、大学の費用で出そうと思ったが、切手代が高いから、結局学長の署名がいると言われたばかりであり、高々数十ルピーの費用にそんなことを云うのでは、十数万ルピーをどうして払えるかと、学長に文句を言っておいた。
ヴィザについての認識を改めさせるため、授業を終えた夕方また学長に逢いに行って、雇用主が雇用ヴィザを発給させるのになぜ私個人の仕事なのかと、説明したら、30日外国人登録書に私が申請書を見てもらいに行くのに、広報課長をいったん拒否していた車で同行させると考えを変えてくれた。
なにか私が言っても、あなたのヒンディー語は分からない、ヒンディー語をもっと勉強するようにとばかり言われてきて、まるで取り合わなかったが、やっと聞く耳を持ったというところか。
ここは、何でも学長に聞かないと分からないという、朕は大学なりの大学だから、私自身、面倒になり説明を省く。パソコンも冷房も古い型のを与えられているとか、学長に説明してもしょうがないので、放置しているが、パソコンは結局故障ばかりして、学長に頼まれたヒンディー日本語の辞書用に打ち込んだ言葉は皆吹っ飛んでしまい、辞書はもうつくる意欲をなくしたと話した。

夏休みの予定

2012年04月27日 | Weblog
夏休みの予定が大体できた。5月1日から6月17日まで休みなので、東京には、4日の夜着き、7日には、バスで仙台を経由してトヨマに行き、しばらく、トヨマに滞在だ。
30日にワルダを発ち、デリーでウペンドラさんの詩の日本語訳をウニタ、デリー大学教授が見てくれたのを貰い、日本語のもう一度も2度も見直しをしなければならないから、それはトヨマである程度できるであろう。
その他に、寂聴さんの「風景」を日本語訳するのもある。
しかし、トヨマでは、掃除と呑み会に明け暮れるであろうから、あまり進まないかもしれない。6月に入ったら直ぐ、インドに戻り、どこか見物しながら、ワルダに戻ることになるであろう。
その間に、ボート関係の先輩の三回忌などがあり、東京にもどらなければならない。出来るだけ多くの人達と旧交を温めたい。

小沢一郎無罪判決を祝す

2012年04月26日 | Weblog
小沢一郎が無罪となった。当然である。何度も言うように、検察には外国勢力の影響が強く及んでいる。彼らの行動を調べる機関が必要なくらいだ。大善裁判長は外国勢力の影響を受けていないと見られる。裁判官まで外国勢力の影響を受けては、原発も押し付けられ、その原発村を作らされて、国民不在の政治が行われる現状で、目も当てられないとしか言えないであろう。
日本の政治経済の核は、外国勢力に握られている。気に入らない政治家は、そのゴシップを同じく握られているマスコミに流して、抹消する仕組みが出来上がっている。
マスコミが使う世界とか、国際という言葉は、global 同様米国と同義語に成り果てている。

ヴィザ延長に必要な書類

2012年04月25日 | Weblog
昨日、FRO に行くのに、1週間前に大学当局の車を頼んでいたが、来なかった。たまたま、その部署のナレンドラ・シン部長が食堂前にいたので、聞くと自分の車で行くようにと、運転手に指示してくれた。
運転手の言うように、FROは、警察署ではなく、SP OFFICEにあった。前回、外国人登録に来たときは、広報のミルゲー課長が同行してくれたが、今回は断られたので、FROのありかが警察署とばかり思っていたのに、運転手がちゃんと連れて行ってくれた。
ヴィザ延長に必要な書類を聞くと、大学当局と私個人の申請書に旅券のコピーの三件だけで良いと言うので、大学当局に戻って申請書をつくってくれるように頼んだら、その申請書を作る為の申請書を書くよう女性職員に言われた。書類はヒンディー語で書かなければならないのに、もう終業の6時近かったから、明日提出すると言って引き上げた。

このごろのワルダの気温は42~43度

2012年04月24日 | Weblog
昨今のワルダの気温は天気予報を見ると42~43度程度らしい。
授業は、17時から18時にしているから、大きな樹のない禿げ山を15時過ぎに坂を上って行くと、照りつけられるので、教室に着くと直ぐ、水を飲むことになる。授業中も、何度も飲む。浄水器の水は初めは冷たいが、途中からぬるくなるので、まずい。
昨年末研究室兼教室にエアコンをつけてくれたが、ソケットが壊れていて使えなかったが、それを直してもらったら、スイッチもリモコンもない。聞くと、古い型のエアコンでリモコンはないのだそうだ。私に用意してくれたパソコンも古い型だそうで、しょっちゅう壊れる。わざと困らせて、早く日本に帰れと言っているようにも感ずる。
夜は、エアコンをつけて、風邪を引いたが、それでも汗ぐっしょりになって寝ているので、シーツも枕も水をかけたように濡れている。起きてしばらくするとそれも乾いている。毎日この調子だ。
5月にはもっと暑くなるであろうから、5月1日にデリーに着けば、少しは楽になるであろう。デリー発5月3日の中国南方航空が安いのでそれで途中一泊で帰国することにした。

『竹取物語』のウルドゥー語訳の印刷の準備

2012年04月22日 | Weblog
今朝、4時に起きて、『竹取物語』のウルドゥー語訳の印刷の準備をした。
先日デリーに行った時、進歩的作家会議に来ていた印刷所兼出版社の係と交渉して、ウルドゥー語訳をPDFで固めて渡し、印刷してもらうことにしたので、まずは、レイアウトしてページ数を出さなければならないのだ。
『竹取物語』のウルドゥー語訳は、かなり前に終っていて、今回、進歩的作家会議に呼んでくれたデリー大学のウルドゥー語教授にも印刷所兼出版社を紹介してくれるようにダイブ前にCDを渡して頼んだが、なしのつぶてであった。
出版は、日本の自分の会社で、ハガエンタープライズの発行にするつもりでいる。このワルダのヒンディー語大学でもずいぶん尋ねたが、ついに教えてもらえなかった。
ヒンディー語や、英語なら簡単だったのであろうが、ウルドゥー語はパーキスターンの国語であり、インドでそれを売るまで出来る出版社を知っている人は少ないのかもしれない。
しかし、インドでのウルドゥー語人口は、1億以上いるのだから、インドで発行すること自体おかしくはないのだ。
『竹取物語』のウルドゥー語訳の完成したとき、NHK のラジオジャパンで放送してもらい、その時のアナウンサー、ザーヒルシャー アーフリーディー氏に校正もしてもらったが、既に母国パーキスターンに帰国しているという。彼は、日本の歴史をウルドゥー語訳していた。現在、パーキスターンの国営放送のどこかで働いている筈だ。放送用に読みやすいように文字を組んでいたので、印刷用に元に戻すと、コンマや疑問符が文の始めに移ってしまうから、それをさける作業に手間取った。ウルドゥー語は右から左に読むから、英文を定形にしているパソコンの鍵盤は、左から右であり、日本で買ったマックのパソコンのウルドゥー語の記号がそれに対応していないため、英文の?記号などが、ウルドゥー語でも英文と同じ文末に来るのだ。先日亡くなったアップルのジョブ氏は、これからはパソコンのいらない時代と言っていたし、今更、インドでアップルのマックパソコンをまた買うのも無駄なような気がする。

大学の決まりだからと、6月17日に帰学を促される

2012年04月21日 | Weblog
昨日、学長に久しぶりに会って、まず、7月⒉1日に日本から大学に帰ると語学部で報告したら、7月18日まで帰るように語学部で言われたのを確かめたら、決まりだという。
しかし、私が三月に飛行機や汽車の予約をした時にはそんな話しがなかったのに、つい、1週間前に決めて、大学の決まりもないものだ。
夕方、バーザールから帰ると、やはり、この宿舎にいる、シャルマ-先生等が庭で話しをしていたので、そのことを話すと、その話しを知っていて、それより遅れて帰ると給料が引かれるから、17日までに帰ったほうが良いと言われた。
しかし、その予約したmake my trip という旅行社にメールで問い合わせても、ちっとも返事がない。もうネットで金を払っているから、面倒なことには返事をくれないのだろうか。