芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

屋根の補強工事の打ち合わせ

2010年11月30日 | Weblog
今朝、コメリから電話があり、3間8間の青シートは、3間4間の2枚より3倍以上高くつくことが分かったから、3間4間の青シートを2枚買うことにした。他方、古い家のカーテンレールの補強と、カーテン付けが終わりかけたところに、2重窓・扉の工事を担当する大工が来た。
この工事に伴って、二階家の飾り屋根がたわんで落ちかかっているのを直す工事もするので、その打ち合わせをしてほぼ今日一日は終わった。落ちかかっている屋根を落ちないようにしながら、屋根を正常につけ直すというのは、なかなか難しい。その中で「ふかす」という言葉がなんども出て来たが、どうも大工用語らしく、既に有る板に付け加えて延ばすことを云うらしい。
そろそろ、温泉にでも行きたいが、工事で当分行けそうもない。それが終わると、特養に入っている母のところへ、クリスマス忘年会というのに行かねばならないらしいから、今年は、それで、終わりかもしれない。

雉の肉を食す

2010年11月29日 | Weblog
ニトリからカーテンが届いた。早速、装着し始めたが、前につけたレールの補強をしていないので、先ず、その補強を始めた。電気ドリルで穴をあけてから、ねじを差すのだが、結構強く差し込まねばならないので、十文字ドライバーの把っ手があたった右中指の皮が剥けた。電気ドリルのドリルが折れた。直接留め金の穴を通して、回したせいかもしれない。ドライバーではねじが刺さらないので、慣れない電気ドリルで穴をあけたが、簡単にドリルが折れることが分かった。
そうこうするうちに、元ちゃんから電話がかかって来て、雉を友達から貰ったが、食べるかというので、高級肉であるから是非食べたいと言うと、持って来てくれた。頭と両翼をつけたままで、胴体の羽を既にむしってあった。猟が解禁になったのであろう。元ちゃんの旦那が猟をしていたが、最近はしないので、その友人で、塚本納豆店の和敏君が胴体の毛をむしって来てくれたのだそうだ。それでもまだ細い毛がついていて、調理の仕方が分からないので、元ちゃんに任せた。夕飯は、雉の肉ご飯と、雉の甘辛煮、雉のしょうゆ味汁と、雉尽くしであった。あっさりした味で、脂身も少なく、美味であった。
東京では雉は食べられなかったが、元ちゃんは、もう食べ飽きていると、出来上がったのを食べるように勧めたのに、全然箸をつけなかった。旦那が鉄砲を撃っていた頃は、雉を何羽も干したりして、食べていたようだが、今は、雉も少なくなったと言う。その原因は、いねや野菜の殺虫剤を食べた虫をひなの雉に親雉が食べさせているせいであろうと言う。それでも、雉は時々、私も山を歩いていて見かける。今でも枯れ葉剤をまいている人がいるのだ。米国がヴィエトナムに枯れ葉剤をまいて、奇形児を大勢産ませたのと同じで、日本では、安全と称して、農協がそれをうっている。雉の肉は益々希少になる。

ビニールハウスの艇庫建設が進んで来た

2010年11月28日 | Weblog
昨日、ビニールハウスの骨組みを立てて、昼休みにそこから歩いていける、ブンキ屋で五目ラーメンを頼んだ。我々より先の客が4人いて、はっと定食らしいのを注文したようで、彼らも結構待たされていたが、我々6人も結局、1時間待たされ、しかも初めに3人分が来て、それを食べ終わる頃に私など残りの3人分が出て来た。味はまあ、良かったが、二人で作っているようなのに、随分遅いなあ、建設作業が午後は遅くなるなあと、伊藤哲朗さんや、守んツアンが言っている。照るちゃん、秀夫ちゃん、高橋信太郎さんは何も言わないから、これくらいかかるのがトヨマ流なのかどうか、わからない。いずれにしろ、この次はここでは食べられない。この日も4時半には暗くなって来て、寒くもあり、作業は終わりにした。それでも、チョウネジや番線の足りない部材は、コメリから買って来て、太い柱だけは立て終わったた。次回は、12月2日に集まれるということで、私の目安では、あと2日くらいで完成するのではあるまいか。次回は、細い柱を立て、棟を上げることになる。コメリで、青シートを買おうと思い、長さが14メートルのがあるかどうか月曜日にメーカーに聞いてもらうことになった。
帰りは自転車で、風を切って走り、寒くて、震えながら帰り着いた。
日ごろ、身体を動かさないので、土方仕事をして調子づき、畑も掘るようなった。ジャガイモをけら虫に食われてばかりなので、石灰を撒いているが、去年も撒いたのにけら虫がいるようで、ジャガイモは殆ど食われた。石灰に殺菌効果があるからと聞いたのだ。
ところで、私とボート部で一緒だった松本武顕さん(昭和41年Po卒)が映画製作の仕事に携わっている。
このたび、同氏の製作になるドキュメンタリー番組がNHK BS1で放映される。
日本が300万人の死者を出して敗北した米国に、400万人の死者を出して勝ったヴィエトナム人の戦いを見ようと思う。虫けら同然に、国中にDDTを振りまかれても、勝ったのだ。その結果が、べとちゃんなどの奇形児をいまだに産んでいる。
番組: NHK BS1 「BS 世界のドキュメンタリー」
11月29日(月) 23:00~23:50 「ホーチミン・ルートを行く ~勝利に導いた~2万キロの戦略路」
11月30日(火) 23:00~23:50 「ベトコンと呼ばれた人々 ~戦いは~ベンチェ蜂起で始まった」

市役所職員の怠慢

2010年11月27日 | Weblog
一昨日市役所職員が持って来た国民健康保険税納付書は、2月まで毎月払う四期分になっているので、また締め切り近い11月分をセブンイレブンに払いにいった。途中で農業委員会の係の市役所職員がカッパマラソンの準備をしているのに遭ったので、田んぼの耕作者本人変更をするからその用紙が欲しいと言うと、先日私に説明していたのは間違っていたので、カッパマラソンが終わって忙しくなくなったら調べて電話をくれると言う。前の係は、説明もちゃんとできない上に、我が家の裏の放置田んぼのガマを刈るように所有者に言うように頼んでも、話しておきましたというだけで、実行しないので、なんども通ったが、今回の係は、それを直ぐ刈らせてくれただけでも良い。1昨日来た国民健康保険料の係の市役所職員には、郵便局を通して送ったというのをちゃんと報告を聞いていないであろうし、仕事の報告がちゃんとなされていない市役所の仕組みを変えれば良いが、それもできないであろうことも話してやった。その市役所職員の怠慢は、やたら異動させる市長のやり方が、引き継ぎをちゃんとする仕組みまで作っていない尻抜けに原因があるのだとも伝えた。

昨日は疲れたが、回復

2010年11月26日 | Weblog
昨日の艇庫用ビニールハウス建てで疲れて、帰って直ぐ横になったが、その日のうちに回復した。
今日、母親に、長崎から取り寄せた好物のカステラを特養の母に届ける途中で、寄って聞くと、守んツアンも足が痛いと言っていた。古稀の前後の6人が、岩山の下の岩盤を砕いて、丸一日、土方仕事をするのだから、疲れない訳がない。若ければ、もっと進捗するのであろうが、我々は休み休みであり、終わり近くに、見かねたらしい、小竹牛乳の一之君がヨーグルト飲料をどうぞと言って6人分持って来てくれた。只で艇を置かしてもらっている上に、ご馳走になっては申し訳ないから、固辞するのを無理にお金を受け取ってもらった。夏に舟を置くために草刈りをしている時もご馳走しようとしてくれたが、それも支払った。
母は、顔色も良く、以前より好物のカステラを少量しか食べなくなったが、元気である。
7月に食欲があるのに、市立の老人保健施設で、吐いたからと言って、点滴をされ、そのまま市立病院に入院させられて、血液検査の結果はどこも悪くないが、平常の食事に戻すのに1週間かかると言われて、その間にどんどん弱ってしまったのが、今はすっかり回復した。そのことも昨日は、関係ない部署であろうが、と言って、市役所職員2人に、市役所職員は話しを聞いても、自分に関係ない部署の話しで終わってしまうであろうことも、話して聞かせた。

アホな市役所職員と国民健康保険料=税について話し合い

2010年11月25日 | Weblog
今日は、小竹牛乳に艇庫用ビニールハウスを建てに行く日であるが、9時に市役所の国保と固定資産税課の職員が来た。
母親が特養に入ったので、所帯主が変わり、その新所帯主宛の国民健康保険料が、100円を加算して督促してきたのだ。宮城県は、国民健康保険料を税といい、取り立てるのだが、以前にもいきなり督促して来たことがあった。我が家は昔から納税組合というのに入っていて、納税組合に任せきりであるから、早速今回も納税組合長に電話して、そちらに国保税の請求が行っているかどうか聞いて、来ていないというので、その督促状を持って役所に抗議してもらったところ、役所では、請求書を送って戻って来ていない、郵便局がちゃんと配達したはずだと言って、督促料も一緒に払うように言われて来たと言う。情けない納税組合長であるから、やむを得ず、私が役所に行って一人しかいない税金係に掛け合ったら、市役所本庁の税務課職員達に我が家を訪問させるというのであった。要するに出先であるから何も分からないというのだ。そこで、世帯主を抜けた母親の国民健康保険料はどうなっているか聞いたら、年金から介護保険料と一緒に差し引いているのだそうだ。国民健康保険料を税と言っていながら、介護保険料と一緒に、年金から差し引くのでは、保険料と言ったり、税と言ったり、ご都合主義である。こんな出鱈目な役所は、市長をはじめ、話しにならない、どうしようもない者ばかりで、抗議する時間も惜しいから、早々に帰した。大体において、話しの最中に携帯電話がなったら、大きな声で相手と話しをするなど、失礼とも思わないようなのが、国保の責任者なのである。市役所職員よりはるかに大事な照るちゃんが9時半に迎えに来たから、待たせる訳にいかない。市役所職員には、インド紅茶を出したが、照るちゃんには、こもれびコーヒーのカフェオレを出した。この職員達は、ついに名前も名乗らないで帰った。
小竹牛乳に、照るちゃんの車で、ビニールハウスの部材や脚立を運んでもらった。少しずつ始めているうちに、守んツアン、高橋信太郎さん、秀夫ちゃん、そして、午後からと言っていた伊藤哲朗さんも来た。昼前に段取りを話し合い、今日も遠山の里のクララーに行った。今日の昼食は、同級生たちは大盛りの味噌ラーメンがいいというので、私と他の二人は、並盛りの味噌ラーメンにした。
午後から、トグワ、線路工事用バールを持って来てもらって、敷地を平らにして、ビニールハウスの柱を立てる穴掘りをしたが、高橋信太郎さんの買って来てくれた透明ビニールホースに水を入れて地面の高さを調節して、水糸を張った。そして、奥の面の2本を立てただけで薄暗くなったので終わりにした。もう4時半だった。

農業委員会というもの

2010年11月23日 | Weblog
小竹牛乳に明日行く前に、照るちゃんに寄ってもらって、ビニールハウスの骨組みの部品を積んでもらうことにした。脚立も持たなければならないであろう。伊藤哲朗さんに電話して来てもらうことになったが、明日午後しか空いていないということで、それでもお願いした。そうしたら、昨日、雨の中、無農薬の大きな白菜を届けてくれた。立派な白菜であ。、今年の白菜は、どこの畑もあまり、育ちが良くないのに、どういう育て方をしたのか、聞かねばならない。と言っても私は、白菜を作っている訳でもこれから作る予定でもないから、聞いても仕方ないかもしれないが。
我が家の田んぼの耕作者を変更しようと思って、農協で聞いたら、農業委員会にまず行って、許可を貰うように言われた。ところが、農業委員会の出先の市役所職員は、何も知らなくて、いちいち、農業委員会のある中田町の役所に聞いておきますである。なんども通って、農地の所有者の印鑑証明ばかりでなく、いろいろなものが必要であることが分かって来た。印鑑証明が必要なら、ついでに、所有権も変更したほうがいいのではないかと思い、司法書士に聞いたら、市役所職員の説明のなかった、戸籍附票なるものも必要であると言う。
先日、桜井充氏のフォーラムで遇った葛籠淵コミュニティー前会長、梅川利一氏が、農協ばかりでなく、農業委員会はどうしようもないということを言っていたが、こんなところに、不評の元があるのであろう。分かりやすく、説明をできる人間を養成しておいて、役所になんども行かなくて済むようにしないからである。敗戦後、米国主導の下で小作権利を擁護するために作られた、農協や、農業委員会は、あたかも農業を守るかのような役割を自称しているが、土地改良区の理事長もした百姓の梅川利一氏によって、非難されるのであるから、役割は終わって、旧弊を守ることに汲々としているのであろう。要するに、耕作者を変えるのには、農業委員会の会議にのせられて、そこで決定されるが、そこで駄目を出されると、やり直しになるのだそうだ。それには月の十日までに書類を提出して、二十五日に決定会議を開き、それを知らされるから、約1か月かかるということだ。こんなことも結局、司法書士に教えられて、初めて知った次第である。説明書の一番始めに書かれている、譲渡者の実印と印鑑証明をもらって、やり直しを2回させられたら、3か月有効の印鑑証明が無駄になり、遠方にいる所有者にまた印鑑証明を貰うためにお願いしなければならないのだ。とにかく、分からないから、昨年からずっと農業委員会の出先の役所に通っているが、面倒と思っては、放置し、また通って、面倒で取りやめという日々である。その間、係が次々と変わり、無知な係と話し合いである。今の係のいい点は、裏の放棄田のガマを刈るように所有者に言ってほしいというのに対して、ちゃんとガマを刈らせてくれたことだ。前の係は、自分たちの仕事ではないと、主張したので、なんども行ってやっと刈らせてくれたことだ。放棄田の出てくる原因は、役所が農地を減反させているため、それを放棄田にさせているのであるからと、抗議を繰り返して、やっと動いたのだ。減反と農業委員会は、一組の関係であるように思える。

ビニールハウスの艇庫建設の許可貰える

2010年11月23日 | Weblog
13日にビニールハウスの骨組みを運び込んでから、小竹牛乳に毎日のように通って、昨日やっと、跡取りの一之君に会えた。牛乳配達と集金で毎日休みなく働いている上に、来週のカッパマラソンのコース掃除で夜までカッパマラソンの準備に追われているのだそうだ。準備のために働く人は減り続け、今年は20人だけで、参加者は年々増え続け、今年は1600人でしめ切ったのだそうだ。
その前日、おふくろさんと話しをして、14:00~15:00なら、会えると言うので、予約したのだ。おふくろさんからは、なるべく早く、艇庫の建てられるところを確保して、そこに移ってほしいと言われたので、これからも、国交省に交渉を続け、今の国交省石巻事務所の側が拒否しつづけるようなら、中央から命令してもらう形しかないかもしれないが、できるだけ早く、確保しなければ、いつまでも小竹牛乳に迷惑をかける訳にもいくまい。
取りあえず、二十五日(木)朝10:00からビニールハウスを建てる工事にかかって良いという許可を貰ったので、会員たちに集合の連絡をした。何しろ、他人の敷地に仮設とはいえ、建物を建てるのだから、この許可を貰えるまでは不安であった。これまで、ビニールをかけているとはいえ、雨ざらしであったから、降雪、凍結の前に屋根をかけたいと思っていたが、なんとか滑り込めそうだ。
そうこうするうちに我が家を2重サッシにする工事も始まる。同時進行になってしまう。12月半ばに、故岸田光祐さんを偲ぶ会に出かけるまでにビニールハウス,2重サッシ工事ともに終わらせたい。自宅の工事には、二階家の飾り屋根がたわんで落ちそうになっているのを補強する工事もしなければならないが、足場組からしなければならないので、それだけでも十日くらいの工期はいるであろう。
冬を迎えるので、工事が3つも重なり、とかく、物事は重なってくるものだとあらためて思っている。

マスコミの誤導が日本を滅ぼす

2010年11月22日 | Weblog
米国主導の下で、検察のリーク手法により小沢一郎潰しをしたあとで、それを後押ししたマスコミは、菅厚生大臣時代のエイズ問題解決のきれいごとを並べ立てるによって、菅首相を民主党にえらばせたが、ここに来て、指導力がないと菅首相を引きずり降ろすことに走り始めた。菅政権が持たないから、私は、小沢一郎を選ぶべきであると述べて来たが、米国主導の検察とマスコミに、影響されて、民主党が、また、小沢一郎以外の首相を選べば、結局は、持たないであろう。あるいは、間もなく解散総選挙になれば、政界全体を引っ張る力を持っている小沢一郎によって、民主党が惨敗しても連立による安定政権ができるかもしれないが、いかんせん、彼になってほしくない外国勢力が、様々な妨害をマスコミを使ってするであろうから、心臓の持病を持つ小沢一郎のからだが持たないかもしれない。もっと早い段階で、小沢一郎を首相にしていれば、体にもあまり負担がかからず、良かったのであるが、本来の、日本の景気を上げることに専念できないまま討ち死にするかもしれない。そんな国民の洗脳がをなされているところが、日本の崩壊を止められない運命であるかもしれない。そうなると、ヒットラーのような、景気のいいことを言って、実は、滅びの道に引きずり込む首相が出て来るかもしれない。そもそもが、それと同類の首相が、景気のいいことを言って、何とかいう金融大臣と一緒になって、米国ブッシュ政権の政策を推進した結果が、現在の不況を招いたのである。さらに、また調子のいいことを言って、今唯一金持ちの老人から税を取り立てることを小泉時代と同じにやれば、景気に廻らず、税金の無駄遣いに金が吸い込まれるだけであろう。このなんといったか忘れたが、金融大臣は今は、慶応大学の教授をしているようだ。私が、現役時代から注目している慶応大学の金子勝教授とは、雲泥の差であるから、滅多にテレビを見ない私も、金子勝教授が出るサンデイ・モーニングだけはできるだけ見るようにしている。関口宏司会の軽口風で押し付けない当を得た言い方も長続きする秘訣であろう。それでもマスコミにうるさい政界との繋がりのある局上部の圧力があるようで、小泉時代をストレートに批判した佐高信などはしばしば干されて、出られなくなっている。

農薬で殺されてしまった田んぼの生物

2010年11月21日 | Weblog
昨日の記した内容で、毎年4万種の動植物が地球上から絶滅していると記すべきところ、4の数字が抜けていたことに今日気付いた。
未知の種も入れれば、おおよそ3000万種の動植物が地球上にいると考えられているそうだ。ということは、原子爆弾や、核の放射能によって死ぬかもしれないことを危惧するより、人類は、あと数百年しか生き残れず絶滅することになる。人類も他の生き物との関係性で生きていられるのだから、他の生き物が絶滅してしまったら、食物が鉱物に置き換わらない限りは、人類は絶滅することになる。
それぞれの国の民族が生き残るためには、食物になる田んぼや畑の生き物を大事にしないと、餓死するのだ。
だいぶ前から書いているように、なぜ、明治維新が誤った方向に日本を導いたかというと、仏教を滅して、国家神道を国民に強制したからだ。仏教は、動物も人間も対等の関係において、殺生を禁じている。科学の力で他民族を殺戮した欧米列強に対して、明治維新政府以後の日本は、国家神道を国民一丸で信じさせ、戦争で人殺しを奨励し、殺された時は、靖国神社にまつり、死者と遺族を慰謝する方法で、欧米列強からの支配を脱しようとして失敗したのだ。
要するに人間は他の生物を食して生きながらえているという原点にもう一度返って自己認識しなければならない。他の生物を食してそのお陰で生きているということに感謝する気持ちを忘れてしまったのだ。江戸時代に戻れとはいわないが、明治維新政府によって全てを否定された江戸時代のほうがその後の時代より、立派であったことは認めねばならないであろう。科学万能であるよりも、江戸時代のほうが地方分権でもあり、ゆとりがあったのだ。勿論、戦争をしない仕組みを作っていたのも大いに関係あるではあろうが。
菅首相は、先祖が長州・山口のせいか、開国を口にするが、日本は、ペリーの時代から既に開国させられ、さらに、米国と中国に敗北して、開国蹂躙されているのだ。日本農業も米国・中国の支配下にあり、いつ飢餓に瀕するか分からない状況である。