芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

日本語サーティフィケート課程の試験の受験者は31名だと分かる

2015年10月31日 | Weblog
ガネーシュ運転手から電話で、3時15分前に車を廻すと、2時過ぎに急に言われ、食事を急いでとって、来たタクシーに乗った。既にSP.ヤーダブ教師が乗っていた。ガネーシュの車は点検に出しているのだそうだ。夕方5時45分からの授業まで、たっぷりと時間があるので、先ず、銀行に寄り、いつものようにチャーエをご馳走になり、隣りにある研究室で、月曜日の日本語サーティフィケート試験問題を印字した。それを事務方の本部に持って行き、30枚複写した。学生課のキャノンの複写機は不調で綺麗に出ないが、事務方本部のゼロックスの複写機は綺麗に出るので、数ヶ月前からそうしている。学生課に行き、日本語サーティフィケートの受験者の数を聞くと、登録学生63名のうち31名だと言う。仕方なく、またコピーを追加に事務方のビルに行った。4時から汚職撲滅運動の会があるからと、パンデイ副理事長に誘われ、それに参加した。5時過ぎに終わり、また、学生課に行き、ニティン君と月曜日の日本語試験の打ち合わせをしてから、教室に行った。授業に参加した学生は、一昨日と同じ4名で、その学生たちに先ずは、会話のテストをした。授業にあまり出て来ていなかったが、最近になって良く出て来る学生が一人、一般のインド人と同じで、津波の「つ」を発音できなかった。やむを得ず、十点引いた。彼は、バナーラス(ワーラーナスィー)の近くの出身で、母語は、ヒンディーと同系のボジプリーであるのが、「つ」の発音を難しくしているようだ。

日本語サーティフィケート課程の試験問題を作る

2015年10月30日 | Weblog
日本語学生は、申し込みをしたのは、63名だったが、結局、残っているのは、30名前後のようだ。学生課のニティン君がこの宿舎に毎朝、自転車かスクーターで来て、ここからバスに乗り換えて行く。夕刻、大学から戻って来た時に明30日(金)の授業時までに、試験に出られる学生の表を作ってくれるよう、依頼した。一方で、授業料を払っていながら、75%出席率の規則に満たない学生3人に明日の授業に出るよう、メールをした。5%足りない学生は、一日余計に出席すれば、75%になるから、授業料を無駄にさせないよう、明日出席させて、規則を満たそうという親切心である。今日は、以前、マックで作った試験問題がウィンドーズでは字がばらけるので直した。印字は、マックからではなく、ウィンドーズのパソコンからするからである。マックの文字変換よりウィンドーズの文字変換のほうが字が豊富で良いが、ウィンドーズはまだ使いこなせられないので、時間を余計に取られる。

4日ぶりにBSNLのネットが繋がった

2015年10月29日 | Weblog
今日、木曜日の昼過ぎにやっとネットが繋がった。昨日の昼過ぎから季節外れの強い雷雨があり、これで、工事が遅れると思ったが、今朝も豪雨が続き、今日の昼前に雨がやんだ。それで工事がされたようだ。これもケーブルの問題のようだった。豪雨のため八百屋が来なかったが、ディネーシュ守衛が彼の住まいの近くの八百屋のほうがずっと安いし新鮮だから、と言って今日の3時の交替に来る時に、夕べ頼んでおいた野菜を買って来てくれた。一昨日も買ってもらい、確かに安く新鮮であることが分かった。シーターファル(カスタード・アップル)が美味しかったので、また買ってもらった。大雨なのに、彼の家の近くの八百屋は開いていたようだ。昨日、リライアンスのデータカードでネットをした時は、あまり繋がりが良くなかったが、今日は、BSNLが繋がって、時々停電するが少しつながりが快調になった。

月曜の夜からBSNLのインターネットがまた不通

2015年10月28日 | Weblog
月曜の夜からBSNLのインターネットが不通になり、さっぱり直らない。この地域一帯が不通になっている。大学もネットが出来なくなっていることが多い。これは、リライアンスのデータ・カードでネットにつないで書いている。工事中にケーブルを切ったというのが多い。今回は、水曜の日本語授業に出かけて、大学のネットが夕方復旧したことが分かった。わたしの研究室のコンピュータが動かなくなったので、コンピュータセンターに頼んで、直してもらい、据え付けられていたが、初期化したため、最初から設定をし直してもらった。授業を早めに切り上げて、帰宅したが、宿舎のネットは相変わらず繋がらない。今日の授業に出た学生は、たったの4人で、授業が早く終わったので、11月2日のテストを待たずに会話のテストをその4人にした。残りの筆記試験をこの4人は、丸々2時間できることになる。

マルペ海岸沖のメリー島は沖縄の1部に匹敵する美しさ

2015年10月26日 | Weblog
土曜日にメリー島に行った。休日を利用して金曜日の夜に自宅を出て一晩運転して朝このマルペ海岸に来ているという家族連れが多い。土曜日はそのため、海岸が人で一杯になっていたので、島に行ったのだが、申し込んで86番の番号札を貰い、50番台の人が舟に乗っていのを見て、直ぐかと思ったら、10~20人乗りの数杯の舟で往復しているのに、1時間以上も待ってやっと乗れた。マルペ海岸自身ケーララのコーヴァラム海岸より砂も海も綺麗だが、メリー島は沖縄の1部の海の美しさに匹敵する美しさだ。白砂に緑色の海だ。往復200ルピーが安く感じられる美しい海だ。

北インドに比べると宗教対立が起きにくそうだ

2015年10月25日 | Weblog
このマルペ海岸は白砂で青い海がきれいだ。デリーから来ている観光客もいるが、ほとんどが地元カルナータカ州内から自家用車で来ている人たちだ。海岸にごみを捨てている人たちもいるが、北インドに比べると、清潔である。マンガロールはヒンドゥー、ムスリム、キリスト教徒が3割ずつの人口で、ここでは、それぞれが均衡しているので、北インドのように、ヒンドゥー教徒を煽って、ムスリムを殺したりすることもないようだ。ここでは、北インドのように愛国主義を選挙に利用するのは難しいかもしれない。牛肉を食べたからと殺されることもないだろうし、そもそもが魚を食べる人たちが多い。菜食主義者が肉食の人たちを攻撃する根拠が薄弱だ。

クリシュナ・マンディルに行く

2015年10月24日 | Weblog
昨日は、ウドゥピーの有名なクリシュナ神社に行った。行きはオートで150ルピー、帰りは、軽のヴァンで300ルピーだった。大きな神社で、入ってすぐのところに象がつながれている。その先に店が並んでいて、その前にお参りをする人たちが並んでいる。一度に50人ぐらいずつ入れられ、ご本尊を拝むのだ。この神社は16世紀発祥と古く、ご本尊も格子の向こうに黒く見えている。ほんの少し見られただけで、移動させられた。出口近くにはお店がたくさんあり、漬物や蜂蜜が売られている。入り口と出口が相当離れているので、脱いだ履物は、取りに行くのに相当歩かなければならない。一旦神社から出たところでヤシの汁を飲み、そこで教えられた中の商店街に戻ってその食堂でマサーラドーサとワダを食した。南インドりょうりのだいひょうである、はこのウドゥピーが発祥だという。本場のマサーラドーサはさすがにうまくて安い。各2個ずつ計4皿で140ルピー(約280円)だ。

ウドッピのマルペ海岸

2015年10月22日 | Weblog
ウドッピのマルペ海岸に面するParadise Isle というホテルに投宿したが、ダブルの部屋で、海が見える一番いい部屋を希望し、昼を除く2食付きで4泊税奉仕料抜きで17,000ルピーと安いので、どんなホテルか気になったが、立派なホテルで、客あしらいもいい。ただ、マンガロール空港から遠いのが難である。ゴアの空港もかなり遠いし、外国人が多いが、ここは、まだ、あまり知られていないと見え、近隣から来ているインド人客がほとんどだ。それだけに、まだ荒らされていない良い海である。海も海岸もきれいだ。わっかだの海は切り立った崖の上にあり、そこから降りて行った海岸の砂浜は狭く、波も高かった。ここの海岸は遠浅で、1キロぐらい沖にメリー島という小さい島が見えている。

マンガロールの日本人の店で買い物

2015年10月22日 | Weblog
朝、7時20分ごろ、大学の前を通ったが、幸い、豹に遭わずに済み、空港に無事着いた。ム倍空港にほぼ予定通り着き、ジェットエアは、ムンバイ空港が大きいために滑走路から飛び立つのに時間がかかり、マンガロールには10分遅れで着いた。空港から500ルピーの前払いタクシーで街中のミスチーフ・モールにある日本人の経営する店に寄り、注文していた蟹とエビ、たまご焼きのすしとちらしずしを買い、味噌汁と麦茶をその店でサービスされ、教えられた近くのシティ・センターの5階で、食した。大層おいしく食べられた。その店からは、赤みそ、珈琲豆、どら焼きなどを買ったので、1万ルピーを超えた。どら焼きは、それを作って売っている姉妹の店がシティセンターでたまたま見つけ、そこでも彼女たちの作ったお菓子を買った。そんなこんなで、新たに1300ルピーで雇ったタクシーに乗ったのは、5時ちょっと前になり、ウドゥピーの海岸のホテルに着いたのは、意外と時間がかかり、7時半を回っていた。

明早朝から旅に

2015年10月21日 | Weblog
18日のヒンディー語新聞を今日見たら、IIITの構内で彪が見られた、という見出しで、詳しく写真入りで扱われていた。ただ。彪の写真は、親子の写真で、この新聞は、あたかもその親子がいたかのように見せていたが、大学構内で見られた彪とは関係ない写真だ。しかし、こういう扱いでは、彪の徘徊している大学ということで、有名になりそうだ。森林局の専門家が呼ばれて、調査したのによると、鹿やチーター、野犬を食べに来ていて、彪の道が出来ているのだそうだ。
明日の早朝にオートリキシャで空港に行くのに、その途中、大学の前を通るから、心配ではある。タクシーを頼もうと思ったら、その会社はもうなくなっているようで、電話が繋がらなかった。空港までは、15キロぐらいあるから、風通しの良いオートリキシャは、彪に襲われれば、ひとたまりもない。大学を過ぎた道沿に鹿の横断に注意などという看板が立っている。放し飼いの牛も道沿いに何頭も寝そべっている。食べるのはそちらにして欲しいと彪にお願いするしかない。
ムンバイ経由でマンガロールに飛行機で行き、そこからウドゥッピという海岸に車で数十キロゆく。私がまだ行ったことのない新たな旅先だ。二十五日に帰省の予定だが、帰りにエアインディアを利用するしかないのが、予定を不安定にしている。なぜなら、エアインディアはしばしば、勝手に飛行中止にするからだ。そうなると、エアインディアは毎日は飛んでいないので、何日か遅れることもあり得る。次の授業は、二十八日だから、それまでには帰らなければならない。