芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

非正規社員が4割超、年収 200 万円以下の労働者が 1000 万人超に上る現在

2014年11月30日 | Weblog

『阿修羅』の拍手ランキング(24時間)23位コメント欄に『生活の党』の公約が詳しく出ていますが、その中で日本の景気がこれからどれだけ悪くなるかが分かる、解説がありますので、その一部を紹介。

「安倍政権の下で非正規雇用はついに 4 割に達しました。正規社員と非正規労働者の間には生涯賃金で2倍以上の差があるだけでなく、待遇面などでも大きな差があります。雇用と労働の問題は、基本的な人権に関わる重要な問題だけに、非正規の正規化や同一労働・同一賃金を推進して、何としても。格差社会の拡大を阻止しなければなりません。
 しかし、安倍政権は非正規社員をさらに増やす方向を明確に打ち出しています。国民をコストとしてしか考えず、人権を無視して経済の効率化だけを考える政権とは一日も早く決別すべきです。
 特に若年層では、年収 200 万円以下のワーキングプアと呼ばれる労働者が 1000 万人を超えています。これでは安心して子どもを生むこともできません。 明日の日本を創る若い人たちが、安定して働くことができ、子どもを生み、育てることに自信を持てる社会をつくることが少子化対策の第一歩といえます。」

私は、小泉・竹中政権以来、非正規社員を増やし、年金を削り、郵便局の商品を外国支配資本に貢ぐ政策なので、それ以来の植民地下請け政権を民主党政権に取って代わって、良かったと思っていたところ、その民主党政権の中に、松下政経塾を中心にした自民党別働隊がいて、鳩山、小沢一郎を追い出したので、もう小沢一郎は立ち上がれないかと観念したが、小沢一郎の偉さは、それにもめげず、日本を植民地支配から脱却させようといまだに努力していることだ。

非正規社員を増やしたその受け皿は、竹中会長の人材派遣会社パソナである。外国支配を背景に、日本の国民を食い物にしているのだ。これでは前の大戦で敗戦直後と同じである。


生活の党の第2次候補者が発表

2014年11月29日 | Weblog

生活の党の第2次候補者が発表になりましたが、維新がアトから候補者を上げて来て、引かないために、下記の2名が生活の党の公認取り消しになりました。

【公認取り消し】

>≪千葉県第2区≫
>黒田 雄 (くろだ ゆう) 1959年3月22日 55歳 元1
 
>≪神奈川県第1区≫
>岡本 英子 (おかもと えいこ) 1964年9月19日 50歳 元1

維新に票を集めるために身を引いたわけだ。下記の候補者をよろしくお願いします、とウグイス嬢の役割りをします。

≪神奈川県第2区≫ 
岡本 幸三 (おかもと こうぞう) 1960年5月27日 54歳 新人


【比例区】 
≪東北ブロック≫ 単独 
平野 貞夫 (ひらの さだお) 1935年12月1日 78歳 新人(参2) 

≪東京ブロック≫ 単独 
川島 智太郎 (かわしま ともたろう) 1964年3月20日 50歳 元1 

≪北陸信越ブロック≫ 単独 
河上 満栄 (かわかみ みつえ) 1971年5月28日 43歳 元1 

≪東海ブロック≫ 単独 
渡辺 義彦 (わたなべ よしひこ) 1956年8月11日 58歳 元1 

≪近畿ブロック≫ 単独 
豊田 潤多郎 (とよだ じゅんたろう) 1949年8月22日 65歳 元2 
  
≪九州ブロック≫ 単独 
太田 真平 (おおた しんぺい) 1986年10月12日 28歳 新人 


日本語関係の仕事は終わり

2014年11月29日 | Weblog

このところ、毎日大学に行っている。試験をするまでは、授業がないので、大学に行くことがなかったが、学生の出席日数が足りないのを救おうとして、交渉をしたのに始まって、採点、評価の度に学生課に届け、今日は、今年の初めに作った修了証明書の原稿を届けた。出席簿を貰って、ローマ字の学生の名前をカタカナに置き換えて、メールに添付して送ったので、一応、私の仕事は終わったと思われる。評価は、来週始めにニティン君が学部長に見せて、合否の判断をしてもらうと言う。来週は、しかし、学部の学生たちは12月一杯休みで実家に帰るであろう。来期の日本語授業は、ディプロマ課程で、その募集を学生たちのいる今日中にしてくれるように学生課長に言っておいたが、してくれたかどうか。休み明けの1月1日に授業の紹介をするので、間に合わないと、1月5日からの授業が出来なくなる。去年は1月半ばから授業を始めたから、遅れても構わないが、暑い4月になる前に試験を終わらせて、一時帰国したい。


日本語試験の学生の評価をする

2014年11月28日 | Weblog

先週の土曜日に渡した、日本語試験の答案につけた点数を、出席日数の表に写すように言っておいたが、他の試験もあり忙しいから二、三日待つようにいわれたので、今日、予告して学生課に行った。出席日数と同じ表に入っていないため、いちいち、名前と点数、出席日数を合わせたので、時間を取られ、且つ疲れた。出席日数の良い学生が必ずしも良い点数ではないことが分かった。一番いい点数の学生が半分程度しか出席していないのもその一例だ。75%出席必要という伝で行けば、この学生は、試験を受けられなかったわけだ。出席の良い学生の大半が、B またはCという最低評価なのだ。世の中、そんなものかもしれない。


日本国民の洗脳にタレントが使われた時代と今はまるで変わらない

2014年11月26日 | Weblog

財務省、検察がマスコミと組んで、小沢一郎とその秘書たちをえん罪で陥れていたのが、外国支配の象徴だが、この総選挙を前にして、産經新聞が、生活の党の総選挙立候補者が皆民主党に合流して、残ったのが小沢一郎だけと報じていた。相も変わらぬ、スパイ新聞の選挙工作だ。外国支配を維持するためにその一派が偽情報と金をつぎ込んで操作している。そんな工作を撥ね除けて、生活の党には全員当選して欲しい。ここまであからさまに外国支配を強化すれば、流石の日本国民も気付くかもしれない。それを期待するしかない。そもそもが、東京新聞以外は新聞、テレビを見るのを止めれば良いのだが、その運動をすれば、営業妨害になるか。情報は、何回も脳に刷り込まれると、信じさせられるのは、小泉、竹中政権を批判した植草一秀の破廉恥えん罪事件でも明らか。植草一秀がいまだにえん罪ではないと信じている向きには、植草一秀の『知られざる真実』というブログを読んで欲しい。今回の選挙の意味、株を保有している向きには、彼の的確な情報分析はお勧めだ。株を直接保有していなくても、現在は、年金、健保、郵便局の商品、すべからくその動きに影響されている。だから、私は日経など読んでいない。それに気分を踊らされるだけだからだ。

森繁久彌たちが、進駐軍の手下になって、日本国民の洗脳に一役をかっていたラジオ時代と今はまるで変わらないではないか。


生活の党しか、まともな党がない日本の現状

2014年11月25日 | Weblog

12月の総選挙で少しでも自民、公明の議席数を減らし、生活の党を全員当選させないと外国支配を一層強化させる日本はどうしようもない国になってしまうと思うので、少なくとも、このブログの読者には、生活の党を応援してもらうよう以下の名簿を古村治彦『酔生夢死日記』(「阿修羅」掲載)から転載させてもらう。

《 生活の党 第47回衆議院総選挙 第1次公認候補者 》

 【選挙区】

≪岩手県第2区≫

畑 浩治 (はた こうじ) 1963年9月28日 51歳 現2

≪岩手県第4区≫

小沢 一郎 (おざわ いちろう) 1942年5月24日 72歳 現15

≪千葉県第2区≫

黒田 雄 (くろだ ゆう) 1959年3月22日 55歳 元1

≪千葉県第3区≫

岡島 一正 (おかじま かずまさ) 1957年11月3日 57歳 元2

≪千葉県第11区≫

金子 健一 (かねこ けんいち) 1957年11月2日 57歳 元1

≪神奈川県第1区≫

岡本 英子 (おかもと えいこ) 1964年9月19日 45歳 元1

≪神奈川県18区≫

樋高 剛 (ひだか たけし) 1965年11月24日 48歳 元3

≪東京都第10区≫

多ヶ谷 亮 (たがや りょう) 1968年11月25日 45歳 新

≪東京都第12区≫

青木 愛 (あおき あい) 1965年8月18日 49歳 現3

≪新潟県第5区≫

森 ゆうこ (もり ゆうこ) 1956年4月20日 58歳 新(参2)

≪大阪府第6区≫

村上 史好 (むらかみ ふみよし) 1952年6月10日 62歳 現2

≪奈良県第2区≫

中村 哲治 (なかむら てつじ) 1971年7月24日 43歳 元2(参1)

≪長崎県第4区≫

末次 精一 (すえつぐ せいいち) 1962年12月2日 51歳 新

≪沖縄県第3区≫

玉城 デニー (たまき でにー) 1959年10月13日 55歳 現2

【比例区】

≪北関東ブロック≫ 単独

松崎 哲久 (まつざき てつひさ) 1950年4月14日 64歳 元2

 


Kalchuri Residence というホテルのレストランで食事

2014年11月24日 | Weblog

昨日、午後2時半頃に出て、30分ほどの所にあるKalchuri Residence というホテルのレストランで食事をした。ある旅行社がジャバルプルで2番の食堂に指定しているので、食べにいってみた。サダルのインディアンコーヒー・ハウスは3番目に入っている。1番は、ジャンク・フードの店で、チキンやポテトチップの店なので、行かない。

2番目に入っているだけにチキン・カリー、野菜、ナーン共にうまかった。しかし、値段がインディアンコーヒー・ハウスの倍で、千数百ルピーであった。たまに来るのにはいい店ではあるが、毎週のように行くインディアンコーヒー・ハウスのようには行かない。このホテルは、中央州が経営していることが、その食器や飾りで分かった。州経営でも結構高級である。

帰りに近くの肉屋で、鶏肉の骨を取って売ってもらった。この店では骨なしは売らないのかと思っていたが、サダルの骨なしを売る店と同じ1キロ200ルピー(約360円)だった。


クラレインディア発展して、新事務所に

2014年11月23日 | Weblog

携帯電話の容量がいっぱいになった、と警告が出ていたが、かかってくる電話がみな、話し中だと、断られていたことが分かったので、一昨日まで何回かコンピュータセンターに持っていって、見てもらったが分からず、買った店にもっていくように言われたので、大学の車で去年買ったところに連れて行ってもらうことにしていた。ところが、約束の11時か11時半というのになっても来なかったので、隣のオームプラカーシに見てもらったら、なんと、直してしまった。彼は、携帯電話をしょっちゅう買い換えていて、中古でも、何とか使いこなしているので、ひょっとして直せるかもしれないと思ったのだが、コンピュータセンターの数人の専門家が出来なかったのに直してしまったのだ。デリーのウニタさんに電話と短文メールをしているが、返事がないので、掛けてきても話し中だったせいかと思って、今日改めて、直った携帯で掛けて見たのに、何の応答もない。また、体調を崩しておられるのかもしれない。季節の変わり目だから、とかく体調を崩しがちである。ネへルー大学の宿舎を予約してもらっているので、その確認をしたかった。

12月半ばに、デリーに行くので、クラレにも久しぶりでメールしたら、人数も増え、手狭になったので、近くのビルの広い部屋に移ったという。クラレインディアは発展しているということだから、まことに結構な事である。ひょっとしたらもう黒字化しているかもしれない。最高裁のヴァルマー弁護士を紹介して、クラレインディアの事務所を開いてもらったので、紹介しがいがあった。インドでは、先日の旅行社のように、永年インドに携わってきた私でも騙されたりするのだから、信頼が一番である。私が抜けているといえばそれまでだが。


日本語試験を受けた40名前後の採点が終わる

2014年11月22日 | Weblog

日本語試験は40名前後受けたので、採点にかなり時間がかかるかと思ったが、昨夜と今日、朝食後に採点したらすべて終わった。まったく同じ間違いをしている学生が何人もいるので、できる学生のを丸写ししているのが分かる。同じ点数が続くので、採点が楽だった。試験期間中で、学生課が開いているのが分かっているので、午前中に大学に行ってニティン君に採点の終わった試験用紙を渡した。彼は今日も試験の係りをしていて忙しそうなので、その試験結果を表にするように話して、自分の研究室で帰りの車を待った。後は、表を見ながら、A+, A などの評価に分け、証明書に署名するだけだ。


日本語サーティフィケート課程の試験

2014年11月21日 | Weblog

今日は、日本語サーティフィケート課程の試験である。試験が18:00からだから大学には、夕方行くので、それまで出席日数合格の8人なのか、それ以上なのか、何人受けることになったか分からない。

現在、太宰治『キリギリス』をジョーティ女医が診察に来た時に、患者がいないので、見てもらっている。私の宿舎は、診療所にもなっているので、火、木、土の夕方に彼女が診察に来るが、診てもらいに来る患者は少ないから、私の訳を見てもらっている。

前回の瀬戸内寂聴『デスマスク』も最終的に彼女に見てもらった。ヒンディー語訳といっても、直訳的になるので、語句の誤植ばかりではなく、ヒンディー語的表現に直してもらってもいる。大学に行くまではそれにかかっている。

学生課に行ったら、係りのニティン君が、45名全員の試験用紙を作ったと言う。みんな許可されたのか聞くと、そうではなく、試験が終わってから判断すると言う。ま、それならそれでいい。だが45名の試験採点は結構大変だ。