国際交流基金の遠藤直氏からこのブログをご覧になったとのことで、メールで、内山小次郎さんと記した在印日本大使館文化担当一等書記官の内山氏は、内山浩二郎氏というのだと、ご指摘を受けた。早速、謝りのメールを内山浩二郎氏に送った。
デリーの和食屋でご馳走になった時頂いた名刺にローマ字で、Kojiro Uchiyama とあり、裏返しても日本語がなかったので、Kojiroさんというのは、覚えやすいお名前ですねと言ったのに対して、肯定されていたので、てっきり、佐々木小次郎と同じだと思っていた。
日本語は難しい。
小野小町の和歌を現代語訳するのに、「蜑のすむ」「海人の住む」という初句が出て来るが、それぞれ後撰集、古今集から採られたもので、「あま」と読むのは、『源氏物語』でもこのほかに「海女のすむ」というのもなんども出てきて、私の場合、50歳の手習いで何となく覚えてしまったのだが、初めてお目にかかれば、先ずもって読めなくて当たり前である。尤も英語だって、breakfast がなぜブレイクファーストでないのか、と聞かれても、答えに窮する。慣用的にそう読むのだと言われればそうでしかない。そのような言葉は、どんな言語にもあるに違いない。
デリーの和食屋でご馳走になった時頂いた名刺にローマ字で、Kojiro Uchiyama とあり、裏返しても日本語がなかったので、Kojiroさんというのは、覚えやすいお名前ですねと言ったのに対して、肯定されていたので、てっきり、佐々木小次郎と同じだと思っていた。
日本語は難しい。
小野小町の和歌を現代語訳するのに、「蜑のすむ」「海人の住む」という初句が出て来るが、それぞれ後撰集、古今集から採られたもので、「あま」と読むのは、『源氏物語』でもこのほかに「海女のすむ」というのもなんども出てきて、私の場合、50歳の手習いで何となく覚えてしまったのだが、初めてお目にかかれば、先ずもって読めなくて当たり前である。尤も英語だって、breakfast がなぜブレイクファーストでないのか、と聞かれても、答えに窮する。慣用的にそう読むのだと言われればそうでしかない。そのような言葉は、どんな言語にもあるに違いない。