芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

中学生たちが「登米調べ」で質問に来る

2009年01月31日 | Weblog
先日、トヨマ中学校の生徒が、6人(男2、女4)でそれに数学の女の先生が付き添い、我が家に「トヨマの昔話」について聞きに来た。総合学習の「登米調べ」というので、質問を事前に校長名の挨拶状とともに、よこされていた。一昨日、そのお礼に子供たちのお礼状をもって学年主任という女の先生がわざわざ来た。お礼状の始めと、結びは、一律、全員以下のように書かれていた。「拝啓、厳寒の候、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思われます。さて、先日はお忙しい中、登米中の総合的な学習「登米調べ」にご協力頂き、本当にありがとうございました」「最後になりましたが、貴殿のますますのご発展とご活躍、ご健康を心よりお祈り申し上げます。まずはとりあえずお礼まで」と判子を押したように記してあり、その中間の本文に子供たちの印象を思い思いに記してあった。郷土について調べるのは大いに賛成であるから、なぜ私に聞きに来たか、『登米物語』の中の「とよまの昔話」を読んだから来たのかと聞いたら、読んでいないと言う。教頭先生が『登米物語』を持っていて、それで教えられて、聞きに来たのだそうだ。私は、確かに昔話を書いたからそれなりに調べているが、「皆のズンツアマ、バンツアマ、オッピー(じいさんばあさん、ひいじいさん)に昔聞いたお話を聞くと良い」「トヨマに昔から住んでいる人でなければ、近所の年寄りに聞きなさい」と勧めた。16:00に来る予定が16:30頃に来て、病院に行くと言って途中で帰った子がいた。先日、町を歩いていたら、2人連れの自転車に乗った女の子とすれ違った。その一人が私をチラッと見たので、その先に帰った子と分かった。お礼に来た先生にちらっと見るなら、挨拶すれば良いのにと言っておいた。このお礼状は、お礼に来た先生が帰ってから見たから、言えなかったが、挨拶と結びがなんとも古くさい。生徒にお礼させるのは良いが、もっと自分たちで書かせたほうが個性が出て面白いのに、失礼のないようにと一律の文章を押し付けたのかもしれない。こんな古くさい文章は、私の子供の頃以前ではないか。
文科省は、小学校から、英語を教えることにしたと言うが、もっと日本語を教えたほうが良いのに、と思う。英語と言っても米国の植民地なのだから、米国語を教えるのであろう。私は、大学でAmericanism という、米国語をすこし習ったが、さっぱりものにならなかった。しかし、卒業後、米国で仕事をした人達は良く出来るようになっている。米国の植民地として、米国の基準に合わせた教育をしていこうという、政府と文科省の立場は分かるが、郷土愛を育てるのに郷土のことを調べるのと、それに伴って必要な日本語の教育とがちぐはぐなのは、文科省の方針が毎年くるくる変わっていて、日本語教育に対する態度も一定していないからだ。例えば、最近増減された常用漢字も、制限などいらないのに、毎年、増やしたり削ったりしている。文科省の制限のせいで、パソコンに入っている漢字も、出たり出なかったり、面倒をかけられるだけで、国語審議会にやらないでも良い仕事をやらせているだけだ。

県立高共学化推進求める仙台弁護士有志会佐藤美保会長、佐藤由紀子弁護士を批判

2009年01月30日 | Weblog
1月30日付け「河北新報」で、県立高共学化推進求め請願という題で、仙台弁護士有志会佐藤美保会長、佐藤由紀子弁護士が「仙台一高、仙台三女の二校だけ特別扱いするのはおかしいと一律共学化を求めている。
この弁護士たちも先日の婦人ミンチュ倶楽部と同じ主張だから、ひょっとして、同じ政治団体に属する人達かもしれないが、これまで殆どの県立高校の共学化が実施された現在、二校だけ特別扱いすると教育行政の中立性や継続性が損なわれるとしている。
しかし、私からすると、この弁護士たちが、最初から一律共学化に賛成したのか、反対したのか知らないが、宮城県教育委員会がもっと早くに教育の全体主義に気付いて一律共学化を撤回すべきであったのに、遅すぎたとはいえ、ここにおいて一律共学化という、全体主義を撤回したことは、快挙と思う。文科省はやたら、教育の統制をしたがるが、その末端の宮城県の教育委員が文科省の全体主義的な統制をはねつけたわけだから、それをこそ支持すべきである。この弁護士たちは、国家主義的全体主義に弱い、常に検事側の言いなりになる人達に違いない。

石井診療所長と飲食会

2009年01月29日 | Weblog
先日、トヨマ診療所の石井所長に来てもらい、飲食をしながらお話をした。トヨマ診療所は、かつてトヨマ病院と言ったから、元病院長だ。それが、登米市の方針で、廃院になり、無床で入院の出来ない診療所になったのだ。もっとも入院棟はベッドとともに残っているであろう。一昨年のトヨマ病院廃院の市による数回の説明会での登米市長の言い分は、登米市の医療は赤字の累積で、先ず、赤字ではないが、入院棟が耐震基準を満たしていないトヨマ病院を廃院にして、赤字を黒字化するというものだった。しかし、耐震基準を満たしていない病院は、病院機能の集中化をする佐沼病院もそうで、しかもその佐沼病院が最大の赤字を出していた。登米市の病院廃院は、これからも米谷、米山と続けるから、佐沼の周辺の市民は、みな車で佐沼病院に行かなければならなくなる。去年の市の広報には、その佐沼病院の赤字が14億円に増大していた。
ところが、今回分かったことだが、佐沼病院の医者がここに来て4名辞めることになったのだそうだ。病院機能を集中化する佐沼には、産婦人科を始め、いくつかの診療科がない上に、医者がかくもどんどん辞めて行くのだから、病院機能を集中化するどころか、病院そのものが、自壊して廃院になることであろう。一昨年の説明会に出席した人の一人が、佐沼病院の院長とこのトヨマ診療所
の石井所長は姓が同じで、兄弟だと言っていたが、私には顔立ちからもそうは思えないが否定する材料を持ち合わせていなかったので、今回石井所長に確認したら、やはり、兄弟ではないとのことだった。説明会での住民側の話は、このように推量に基づくことが基盤だからちょっと腰が引けていたかもしれない。診療所になったこれからの診療のあり方についてちょっと注文を付けておいたが、石井所長は帰り際に私との話がとりとめもなくて良かったとのことであった。


婦人民主クラブ県支部協議会大木れい子会長を批判する

2009年01月28日 | Weblog
1月28日付け「河北新報」に梅原仙台市長が県教育委員に県立高校の一律男女共学化を見直すよう手紙を書いたことに婦人民主クラブ県支部協議会、大木れい子会長が手紙の撤回を求めたという記事があった。
このおばさんは、民主を標榜いして民主のなんたるかをまるで分かっていない。男女共学化を一律で県下に押し付けるのがなぜ民主的かをもう一度考えると良いおばさんだ。教育に全て一律を押し付けるのは、先ずもって、旧ソ連時代のロシアや中国がそうであって、独裁政治をお好みのおばさんなのであろう。それに、日本が米国支配下にある、植民地であることに対する認識もないのである。他国の植民地で一律教育をされるのが好きな人に違いない。
こういうおばさんが意外に多いのかもしれない。かつて、学園紛争というのがあり、学生たちが学生の意見を教育に反映させるよう文部省に要求して無視された事があったが、このおばさんが教育委員などになったら、何でも一律で恐怖政治を布くであろう。
仙台一高という高校は、生徒に自主性を求めていて、その生徒たちが、在校中に大学受験にとらわれず、自由に生活していられたから、その伝統を守るという意味でもOBも一律共学化によって伝統を壊されまいとしているのだ。すでに、県教育委員会定例会で、「県立高校の共学化を推進する」とした事務局案は否決されているのだ。前にも書いたが、敗戦直後の占領軍に押し付けられた一律共学化を、当時の仙台一高校長が身命を賭して拒否しているのだ。それを長い植民地下で、文部省が進めてきた米国の基準に合わせて更なる植民地日本のあり方に拍車をかけることに協力するミンチュ倶楽部とは一体どんな団体か、そんな団体は、もっと困っている国民に寄付でもして人助けをする団体になれば、存在理由もあるのだが。

山の境界確認

2009年01月27日 | Weblog
先日、急に山の雑木を森林組合に売るから判子を押してほしいと、山の共有者が来た。この山は50町歩ほどあり、山の上に果実園など農園を作っていたため、戦後間もなく、農地解放にかけられたのを、あさの祖母が、一晩で信用の於けると思われる小作人4人に名義を変更したものだが、農地解放の嵐が過ぎてから返却してもらおうと思ったら、返さないといわれて、やむを得ず、私の名義も入れて共有にしたという経緯のある山だ。毎年、固定資産税を払っているだけで、刈り払いもしていない為、一昨年山に登ってみたら荒れ放題で、道も分からなくなっていたのだ。私としては、買い手があれば手放したいのだが、他の4人の共有者は、手放したくないようであるから、折角の購入者がいた時も売れずに終わった。判子を貰いにきた共有者は、先ずは道路を造らなければならないといい、その為の雑木の販売だと言う。しかし、彼の祖父は、山の上にバスなどの車を上げて、勝手に牛をそこで飼い、それをやめてからもその廃車や牛舎を放置したままであった。その孫である共有者は昨年。若柳の機械の会社を解雇されたといい、祖父と同じことを考えて山を勝手に利用しようというのかもしれない。
今日その山の雑木を切るにあたり、森林組合の人が山の案内をしてくれるというので、車に乗せて行ってもらい、山の境界などを教えてもらってきた。午前中一杯かかって見たのは、今回伐採する部分だけで、次回2月半ばにまた法務局で構図を貰って、調べて境界などを確認してくれると言う。森林組合の人によると、雑木を切った跡には今年の秋に茸が沢山採れると言う。


トヨマはゴーストタウンに

2009年01月26日 | Weblog
今日、町の宣伝の雑誌「もうす」に『登米に残る洋館』という題で書かされた洋館のうちで、まだ掲載許可を貰っていない岩渕呉服店に行って許可を貰った。快く許可してくれた。岩渕呉服店は九日町かと思たら、中町なのだそうだ。400字だけで書くように言われているから、いちいち町と洋館の場所の一致を確定していないので、そのままで良さそうだ。その帰りに丁度鈴隆に声をかけられて、先日渡した原稿で宜しいという編集会議の結果を言われた。しかし、私が提案した伊達宗弘さんの原稿は余地がないからとボツになったそうだ。城下町を誇りにしているわりに伊達さんをあくまで載せないらしい。これも提案しておいた柴田道文君のは、ガティーという店として載せられるらしいことが、昨日彼に会って確認出来た。その取材に来た人は、この町が気に入ったと言って住み着いた、吉原夫妻の奥さんということだ。夫妻は芸術家族らしい。
またしかしであるが、伊達さんを載せることは、「もうす」一号のときから言い続けているのに載せないのだから、ちょっとこの町は、柴田道文君の言うように、ゴーストタウンになる時期がが早まるかもしれない。

登米と雄勝のスレート石

2009年01月25日 | Weblog
午前中、消防訓練のあとで寄ったと言う元ちゃんが来て、そのあと、約束をしていた山口佳子ちゃんが来た。元ちゃんは、先日上げた日本橋のうさぎやの菓子のお礼だそうだ。彼女が帰ってから、佳子ちゃんを誘ってガティーに昼食に行った。誘ってと言っても彼女の車に乗せて行ってもらったのだが。今日は、接骨院は休業で、柴田道文君も入って、登米の町起こしについて話し合われた。彼も、このままで行くと、トヨマはゴーストタウンになると言っていた。佳子ちゃんが最近行った雄勝のスレートを使った家の写真を見せてもらった。なかなかしゃれた家が何軒かある。スレート屋根は、普通の屋根瓦の3倍も費用がかかると言うが、その良さを知ってもらう為、雄勝は努力をしている。登米のスレート屋根を葺く職人は、今や、86歳の高橋哲郎氏だけだ。スレートの会社はもうスレートを作る元昌石を掘っていない。スペインガワラなどを輸入する仕事をしていると言う。
スレートの良さをもっと宣伝して行けば良いのではないか。瓦は、廃材にする時、アスベストの石綿がでる為、費用がかさむと聞いたことがある。
原発と同じことだ。原発は発電費用が少ないが、原発を廃材にする時に、膨大な費用がかかる。そのことを棚上げにして原発を作り続けている。元昌石のスレート屋根は、美しいし、安全だ。しかも軽いから耐震でも良い。

ツグミと白い野良猫

2009年01月24日 | Weblog
中庭との仕切りのブロック塀の上にツグミが止まっている。このブロック塀は、あさの祖母が、数十年前に竹垣に替えて作ったものだ。お小人通りに面した塀は、白や黒の砂の洗い出しであったが、直ぐ前に出来た給食室に出入りする車が何度もぶつかってその塀を壊したので、それをブロック塀にかえた時に併せてブロック塀にしたのであった。その表のブロック塀も、その後も車にぶつかられて壊れたままである。おそらく給食室に出入りしていたトラックが壊したのであろうが、今は、給食室としては使われていないのに時々車は出入りしているから、どうせまた壊されるであろうと思い、修繕はしていない。
しかし、江戸時代の建物である母屋と、大正時代の二階家の塀として、ブロックは相応しくないから、その塀を立て替えようと思っているが、竹垣では、折角の庭が見えなくなるから、ないほうが良いと老スレート職人の高橋哲郎氏に言われている。ただ、中庭を仕切る塀がないと、隣りの小学校の駐車場から家が覗かれるようになるから、それも困ったもので、かといって駐車場との仕切りを今の生け垣から高い塀にするのも味気ない。駐車場の車が生け垣の隙間から、色とりどりに見えるのも困ったものなのだが、いい方法をなかなか思いつかない。垣根の工事をすると、今、庭木に巣食っているツグミが逃げてしまうかもしれない。いや、その前に母屋の縁の下に住み着いているらしい白猫にやられてしまうかもしれない。

登米市の市議会議員

2009年01月23日 | Weblog
オバマ大統領就任演説は、防衛について、安全か理想かの二者択一は誤りで、軍事力は、思慮深く用いることで効果を発揮出来ると言っている。Foolish Bush 前政権を否定して、もっと前の世代に立ち帰ってその遺産を受け継ぐと宣言している。
ただ、その信条を堅固にしてテロに立ち向かい勝利するのは我々だとの言い方からすると、そもそもテロを世界中に引き起こしたのが、米国であるという認識はないのではあるまいか。
米国民一人一人が世界に対して責任を負うているとまで言うなら、こんな世界に誰がしたという立場からすると、ブッシュ前政権とそれを支えた小泉竹中、トニーに責任を取らせるべきであるが、政治というのは、失政でも責任をとる必要がないところに、政治家は一度やったらやめられないうまみがあるのだ。
今の登米市の政治も正にそうだが、前の政治の垂れ流しも尻拭いせず、ずるずると失政を続けるのだから救いようがないとしか言いようがない。
市会議員も、次回選挙で定員を減らして、それによって増えた財源を市会議員の給与水増しに使うというのだから給与にしがみつくだけで政治の理想もない輩である。本来なら、市会議員は、無給でもやらなければならない市民に対する奉仕の仕事であるのに。

『責任を伴う新時代』を切り開こう

2009年01月22日 | Weblog
父親がケニヤ人である黒人系のハーフ、オバマ氏が米国大統領に就任した。60年足らず前だったら、父親は給仕もしてもらえないような立場であったその息子が、米国大統領という晴の舞台に立っていると、自ら公言している。これは、白人至上主義者にも恵まれない黒人を初めとする有色人種にも受け入れられる言葉であろう。就任演説は融和を重視する基調になっている。Foolish Bush 前大統領の覇権主義、軍国主義を否定している。未来に希望を見いだす為、米国民の一人一人が責任を負い、新しい時代を切り開こうという宣言だ。原文は、new era of responsibility と言っていたと思うが、NHKも『河北新報』も『新たな責任の時代』と訳して大見出しにしている。これは、日本語に特有な曖昧な表現に訳している。原文で言おうとしているのは、『責任を伴う新時代』を切り開こうというのだ。