先日、トヨマ中学校の生徒が、6人(男2、女4)でそれに数学の女の先生が付き添い、我が家に「トヨマの昔話」について聞きに来た。総合学習の「登米調べ」というので、質問を事前に校長名の挨拶状とともに、よこされていた。一昨日、そのお礼に子供たちのお礼状をもって学年主任という女の先生がわざわざ来た。お礼状の始めと、結びは、一律、全員以下のように書かれていた。「拝啓、厳寒の候、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思われます。さて、先日はお忙しい中、登米中の総合的な学習「登米調べ」にご協力頂き、本当にありがとうございました」「最後になりましたが、貴殿のますますのご発展とご活躍、ご健康を心よりお祈り申し上げます。まずはとりあえずお礼まで」と判子を押したように記してあり、その中間の本文に子供たちの印象を思い思いに記してあった。郷土について調べるのは大いに賛成であるから、なぜ私に聞きに来たか、『登米物語』の中の「とよまの昔話」を読んだから来たのかと聞いたら、読んでいないと言う。教頭先生が『登米物語』を持っていて、それで教えられて、聞きに来たのだそうだ。私は、確かに昔話を書いたからそれなりに調べているが、「皆のズンツアマ、バンツアマ、オッピー(じいさんばあさん、ひいじいさん)に昔聞いたお話を聞くと良い」「トヨマに昔から住んでいる人でなければ、近所の年寄りに聞きなさい」と勧めた。16:00に来る予定が16:30頃に来て、病院に行くと言って途中で帰った子がいた。先日、町を歩いていたら、2人連れの自転車に乗った女の子とすれ違った。その一人が私をチラッと見たので、その先に帰った子と分かった。お礼に来た先生にちらっと見るなら、挨拶すれば良いのにと言っておいた。このお礼状は、お礼に来た先生が帰ってから見たから、言えなかったが、挨拶と結びがなんとも古くさい。生徒にお礼させるのは良いが、もっと自分たちで書かせたほうが個性が出て面白いのに、失礼のないようにと一律の文章を押し付けたのかもしれない。こんな古くさい文章は、私の子供の頃以前ではないか。
文科省は、小学校から、英語を教えることにしたと言うが、もっと日本語を教えたほうが良いのに、と思う。英語と言っても米国の植民地なのだから、米国語を教えるのであろう。私は、大学でAmericanism という、米国語をすこし習ったが、さっぱりものにならなかった。しかし、卒業後、米国で仕事をした人達は良く出来るようになっている。米国の植民地として、米国の基準に合わせた教育をしていこうという、政府と文科省の立場は分かるが、郷土愛を育てるのに郷土のことを調べるのと、それに伴って必要な日本語の教育とがちぐはぐなのは、文科省の方針が毎年くるくる変わっていて、日本語教育に対する態度も一定していないからだ。例えば、最近増減された常用漢字も、制限などいらないのに、毎年、増やしたり削ったりしている。文科省の制限のせいで、パソコンに入っている漢字も、出たり出なかったり、面倒をかけられるだけで、国語審議会にやらないでも良い仕事をやらせているだけだ。
文科省は、小学校から、英語を教えることにしたと言うが、もっと日本語を教えたほうが良いのに、と思う。英語と言っても米国の植民地なのだから、米国語を教えるのであろう。私は、大学でAmericanism という、米国語をすこし習ったが、さっぱりものにならなかった。しかし、卒業後、米国で仕事をした人達は良く出来るようになっている。米国の植民地として、米国の基準に合わせた教育をしていこうという、政府と文科省の立場は分かるが、郷土愛を育てるのに郷土のことを調べるのと、それに伴って必要な日本語の教育とがちぐはぐなのは、文科省の方針が毎年くるくる変わっていて、日本語教育に対する態度も一定していないからだ。例えば、最近増減された常用漢字も、制限などいらないのに、毎年、増やしたり削ったりしている。文科省の制限のせいで、パソコンに入っている漢字も、出たり出なかったり、面倒をかけられるだけで、国語審議会にやらないでも良い仕事をやらせているだけだ。