アラーハーバード銀行のドゥルガーワティー大学支店のATMに行ったとき、途中に2軒あった路上の簡易店舗が皆なくなっていた。その向かいに、店ができる前からあったシヴァ神とドゥルガー女神の祠も路上から消えていた。どうやら、当局のブルドーザで撤去されたようだ。モディー首相になってから、スマート・シティーとか清潔なインドというキャンペーンが繰り広げられ、この州もジャバルプル市もモディー首相のインド人民党が政権を握っているので、キャンペーンが始まった去年から繁華街のほうの路上の店がブルドーザで撤去されている写真がヒンディー語新聞に何度も載っていて、ヒンディー語新聞ダイニック・バースカルがキャンペーンを応援しているのは分かっていた。しかし、身近に迫って来ていることがこれで分かった。繁華街の道路と違って、この辺は道路幅が広い上にあまり車が通らない。それなのに、邪魔にならない店を撤去している。5、6分で行ける近所の店がなくなると、不便になるし、大した儲けでもない小さい簡易店舗をスマート・シティーの名の下に撤去するのが良いことかどうか。それよりも、ゴミの捨て場がないのと、かなり遠くのゴミ置き場のゴミを毎日、臭わないうち撤去するほうが先決である。また、下水溝の悪臭もひどいので、これも優先順位が上である。このインド人民党は、大衆の味方のようなことを云っていながら、やっていることは、貧乏人の店を実力行使で撤去し、ダムを造ると言って、多くの農民と少数民族を実力行使で立ち退かせている。何しろ、母体がヒンドゥー教徒至上主義のテロ集団だから、警察権力を使っての実力行使はお手のものである。皆泣き寝入りである。これも大衆を煽って選挙上手で選ばれたのだから、今さら、なんとも仕方あるまい。ヒットラーの宣伝上手を見習っている専門家がついているのは日米の政権と同じだ。
金曜日の朝から、また、BSNLのネットが繋がらなくなり、その日、アラハーバード銀行のドゥルガーワティー大学支店の現金引き出し機に2回行ったが、一回目は、朝、7時近いのに開いておらず、2回目は、機械が動いていなかった。恐らく、BSNLのネットが繋がらないせいであった。
土日にかかっているので、ネットの回復は無理であろうと思っていたところ、土曜日の夜になって突然繋がった。ネットのヒンディー・英語辞書が使えないので、意味を調べずに、単語だけ載せていたのが、溜まってしまい、これが明日からの新しい新聞と重なり、重荷になりそうだ。昼過ぎに銀行に行ったが、今日は、第4土曜日で休みであった。しかし、一番大きな支店のATMは稼働していたので、一挙に15000ルピーの現金を引き出せた。気が大きくなり、銀行向かいのアンサーリーの肉屋と魚屋で骨付き鶏肉1、5キロと鯛と鰯に似た魚をそれぞれ半キロずつ買った。床屋で髪を切り、その向かいの移動果物屋で蜜柑100ルピー2、5キロ、バナナ12本40ルピーで買った。帰りも歩いたが、この時期それほど暑くはないのに、荷物が多いので汗をかいた。全部で、6700歩ほど歩いたのは、久しぶりの5000歩越えである。
土日にかかっているので、ネットの回復は無理であろうと思っていたところ、土曜日の夜になって突然繋がった。ネットのヒンディー・英語辞書が使えないので、意味を調べずに、単語だけ載せていたのが、溜まってしまい、これが明日からの新しい新聞と重なり、重荷になりそうだ。昼過ぎに銀行に行ったが、今日は、第4土曜日で休みであった。しかし、一番大きな支店のATMは稼働していたので、一挙に15000ルピーの現金を引き出せた。気が大きくなり、銀行向かいのアンサーリーの肉屋と魚屋で骨付き鶏肉1、5キロと鯛と鰯に似た魚をそれぞれ半キロずつ買った。床屋で髪を切り、その向かいの移動果物屋で蜜柑100ルピー2、5キロ、バナナ12本40ルピーで買った。帰りも歩いたが、この時期それほど暑くはないのに、荷物が多いので汗をかいた。全部で、6700歩ほど歩いたのは、久しぶりの5000歩越えである。
日清のトップラーメンがテレビで宣伝されるようになった。先日、バナーラス(ワーラーナシー)に行った時、そこのモールで売っていたが、この近くのリッジ通りの店では売っていない。何故か聞いたら、モールの卸元は、ムンバイの大きな問屋だが、小さい店では、小さい卸屋からで、まだ入荷していないと言う。インドの会社が作る麺もそれなりに食べられるのがあるが、矢張り、日本の麺は、腰があるので美味しい。テレビで宣伝するくらいだから、もっと流通させて欲しいものだ。ネスレのマギーという麺は、やっと、当局の許可が得られたので、矢張り、売りに出されるであろうが、インド日清は、販売を控えていただけで、一体、鉛が入っていて禁止されたのか、どうかも分からないまま、いきなり、宣伝しているが、説明不足である。それに対して、ネスレは現状を説明していたし、当局の許可が得られたことも新聞で説明している。要するに、鉛が基準値以上に入っていたが、それは再度検査して許可されたというのだ。
昨日、夕方近くにリライアンスに米を買いに行った。途中、リッジ通りのジャインの店の前で、週に四回靴の修理などを大木の下でしている修理屋が立ち上がって来て、私に話しかけて来た。この修理屋には、ベルトの修理を頼んだことがあるから、顔見知りである。彼は、週二回、私の働いている大学に行って、修理をしていたが、最近になって、それを事務方に禁止されたので、また働けるようにして欲しいということだった。学生の宿舎の方でそれなりに客がいたと言う。大学構内に引っ越すように私も何度も、前学長から言われているが、店も、ワイファイもなく、時々、彪が出るような危険な大学構内に住むことは出来ないと言って断っている。店がないから、買い物は、町迄10キロも出かけなくてはならない。住んでいる教師、職員は数十名で、商売にならないから、店は来ないであろうに、折角、修理屋が、4年も大学迄通ってくれているのに、禁止するというのは、どういう考えなのか、今度聞いておくと話しておいた。リライアンス迄は30分ほど歩いて行って、いつもの1キロ38ルピーの米を買った。先日注文した日本米は、一キロ420ルピー(約840円)もするから、インド米の10倍以上もする。しかし、福島の放射能米が混ぜられていないし、鴨に除草させる有機米でもあり、比較的安全なな米のようだ。高くても、ありがたい。現在、角界では安い米やおかずを食べているせいか、病気になる力士が多いと言う。チェルノブイリでも5年目から急激に病人が出始めている。チェルノブイリは、ともかくも、放射能が出続けるのを止めているが、福島は止められないばかりか、3機全部から出続けているのを何事もないかのように放置している。除染など見せかけで、いくら除染しても汚染に追いつくはずがない。
3日に大学に行って以来、久しぶりに大学に行った。一つには、先日来た日本語学生リシャーブ君が、学長は12月に来ると言っていたので、確認したかったことだ。しかし、学生課で聞いても、それは噂でしかないということであった。学生課のニティン君に日本語サーティフィケート課程の試験結果を渡してあり、それを学部長に見せたかと聞いたら、まだだと言い、あらためて、作った試験結果の書類に署名させられた。ディプロマ課程を受講する学生が何人いるかも調べておらず、自分で学生に聞いて欲しいと学生18名のメール送り先を教えられた。
もう一つは、アラハーバードの日本米を作っている団体に新米と醤油などを注文した代金5,345ルピーを振り込むことであった。支店長が全部書いてくれたのでそれで済み、ガネーシュ運転手の車で昼前に戻れた。
12月18日にデリーに、デリー外語会に参加するため、飛行機の予約をしているので、それと学長の来学が重ならないと良いと思ったが、分からずじまいである。
もう一つは、アラハーバードの日本米を作っている団体に新米と醤油などを注文した代金5,345ルピーを振り込むことであった。支店長が全部書いてくれたのでそれで済み、ガネーシュ運転手の車で昼前に戻れた。
12月18日にデリーに、デリー外語会に参加するため、飛行機の予約をしているので、それと学長の来学が重ならないと良いと思ったが、分からずじまいである。
テロ攻撃を受けたパリのレストランは日本レストランだったらしい。外国にいても日本人に関連した所は、危険この上ないことになった。
朝鮮系の宗教団体でありながら、日本の宗教団体を母体とする現政権がどういう人気政策を取っているか知らないが、インド人民党は、やたら、お金をばらまく政策を取っている。最近では、国家公務員の現職の給与を3倍にすると言っていたかと思ったら、つい昨日の新聞では3割ちかく上げ、それよりも多い退職国家公務員の年金も同程度上げると言う。ビハールの選挙で負けたので、人気挽回のためなら、何でもやるという所であろう。ビハールの政権を取った暁には、1兆に及ぶ資金をビハールにばらまき、スクータの燃料を只にすると宣伝していたが、それはなくなった。敵の党に塩を送ることはない。むしろ徹底して虐めにかかっているのが現実だ。他の州でも見られる地方政府に交付するお金を絞りにかかるであろう。実にあからさまだからだ。
昨日の夕方、突然電話がかかって来て、キャノンの本社に研修で6ヵ月行っていた元日本語科の学生リシャーブ君が5時半に来ると言って、ほぼその時刻に来た。矢張り、日本で鍛えられると、時刻を守るようになったみたいだ。給与が良かったので、日本国内の旅行に良く行っていたようで、富士山にも登り、道後温泉、広島、大阪、京都、鎌倉、軽井沢、宇都宮とかなりの所を歩いて来ている。私の田舎、トヨマは富山と間違って、行かなかったことが分かった。川崎北部の日本民家園も見ている。すっかり日本が気に入って、日本で就職したいと言う。キャノンの就職は難しいので、他に当たりたいと言っている。彼は成績上位6人の中から面接試験で選ばれたと言うから、日本企業にも受け付けられれば、通るであろう。行く前は、菜食主義者であったが、日本でおいしい料理を食して、すっかり肉食党になり、酒、焼酎、ビールもたしなむようになったと言う。夜8時頃までいて、帰って行った。
朝鮮系の宗教団体でありながら、日本の宗教団体を母体とする現政権がどういう人気政策を取っているか知らないが、インド人民党は、やたら、お金をばらまく政策を取っている。最近では、国家公務員の現職の給与を3倍にすると言っていたかと思ったら、つい昨日の新聞では3割ちかく上げ、それよりも多い退職国家公務員の年金も同程度上げると言う。ビハールの選挙で負けたので、人気挽回のためなら、何でもやるという所であろう。ビハールの政権を取った暁には、1兆に及ぶ資金をビハールにばらまき、スクータの燃料を只にすると宣伝していたが、それはなくなった。敵の党に塩を送ることはない。むしろ徹底して虐めにかかっているのが現実だ。他の州でも見られる地方政府に交付するお金を絞りにかかるであろう。実にあからさまだからだ。
昨日の夕方、突然電話がかかって来て、キャノンの本社に研修で6ヵ月行っていた元日本語科の学生リシャーブ君が5時半に来ると言って、ほぼその時刻に来た。矢張り、日本で鍛えられると、時刻を守るようになったみたいだ。給与が良かったので、日本国内の旅行に良く行っていたようで、富士山にも登り、道後温泉、広島、大阪、京都、鎌倉、軽井沢、宇都宮とかなりの所を歩いて来ている。私の田舎、トヨマは富山と間違って、行かなかったことが分かった。川崎北部の日本民家園も見ている。すっかり日本が気に入って、日本で就職したいと言う。キャノンの就職は難しいので、他に当たりたいと言っている。彼は成績上位6人の中から面接試験で選ばれたと言うから、日本企業にも受け付けられれば、通るであろう。行く前は、菜食主義者であったが、日本でおいしい料理を食して、すっかり肉食党になり、酒、焼酎、ビールもたしなむようになったと言う。夜8時頃までいて、帰って行った。
どういう訳か、日本も勇ましい軍事大国を目指す政権を選んだが、インドもヒンドゥー教徒至上主義のテロ集団を母体とするモディ首相が政権についている。国内ではヒンドゥー教徒至上主義のテロを容認していて、外では、米国、イスラーエルに向かって、テロを撲滅しようと訴えているのが笑える。どちらも、ご都合主義で、やっていることは同じだからだ。しかし、こういう政権の幹部達は、ヒットラー政権のゲッペルスの宣伝上手を最大限真似て国民を煽り、国民の中にそれに踊らされて選挙で選び、反対者を脅したり、殺したりして政権を維持している。今、インドでは、作家が何人か殺されて、それに付いて、言い訳のない政権に政府から貰った賞を返却する人達が大勢出て、一つの運動になっている。
一昨日の新聞にヒンドゥー教徒至上主義を旗印に多くのテロを指導して来た団体の指導者が92歳で亡くなったことが出ていた。この指導者はバナーラス・ヒンドゥー大学を出て直ぐこの運動に加わって、アヨーディヤののバーブリー・マスジッドを破壊して、そこにヒンドゥー神社を建てたりする運動を主導して来た。
丁度同じ頃、日本では、源氏物語研究の泰斗、秋山虔氏が矢張り、享年92歳で亡くなったと報じられていた。氏の小学館から出した源氏物語現代語訳は、瀬戸内寂聴現代語訳の源氏物語の編集で大いに活用させていただいたばかりでなく、源氏大学を企画した時の全国での大学開校にあたり、北海道から九州までの各大学の源氏物語研究者を紹介していただき、実現の運びとなった。私も、俵万智と全国10カ所の源氏大学で対談して、それが、『ひかりそへたるーー源氏物語の恋の歌』という対談集という本に実を結んだ。秋山虔氏にはそればかりか、弊訳『竹取物語』現代語訳・ヒンディー語訳を小社より出版した時に日本語現代語訳文の監修をしていただいた。赤塚の仕事場になんどかお邪魔して、非常に丁寧に見ていただき、最近の古典研究者はこれを知らない人が大方ですね、あなたの訳はあなたの訳ですからこれで良いのですなどとお褒めをいただいた。また、これに続いて、源氏物語もご自分で現代語訳し、ヒンディー語訳すると良いですと、強く勧められた。それが出来ていれば、その源氏物語の小生訳も見ていただけたのだが、それは実現しなかった。慚愧に堪えない。何れにしても、大変お世話になった方を失って残念この上ない。合掌
一昨日の新聞にヒンドゥー教徒至上主義を旗印に多くのテロを指導して来た団体の指導者が92歳で亡くなったことが出ていた。この指導者はバナーラス・ヒンドゥー大学を出て直ぐこの運動に加わって、アヨーディヤののバーブリー・マスジッドを破壊して、そこにヒンドゥー神社を建てたりする運動を主導して来た。
丁度同じ頃、日本では、源氏物語研究の泰斗、秋山虔氏が矢張り、享年92歳で亡くなったと報じられていた。氏の小学館から出した源氏物語現代語訳は、瀬戸内寂聴現代語訳の源氏物語の編集で大いに活用させていただいたばかりでなく、源氏大学を企画した時の全国での大学開校にあたり、北海道から九州までの各大学の源氏物語研究者を紹介していただき、実現の運びとなった。私も、俵万智と全国10カ所の源氏大学で対談して、それが、『ひかりそへたるーー源氏物語の恋の歌』という対談集という本に実を結んだ。秋山虔氏にはそればかりか、弊訳『竹取物語』現代語訳・ヒンディー語訳を小社より出版した時に日本語現代語訳文の監修をしていただいた。赤塚の仕事場になんどかお邪魔して、非常に丁寧に見ていただき、最近の古典研究者はこれを知らない人が大方ですね、あなたの訳はあなたの訳ですからこれで良いのですなどとお褒めをいただいた。また、これに続いて、源氏物語もご自分で現代語訳し、ヒンディー語訳すると良いですと、強く勧められた。それが出来ていれば、その源氏物語の小生訳も見ていただけたのだが、それは実現しなかった。慚愧に堪えない。何れにしても、大変お世話になった方を失って残念この上ない。合掌
旅行中に、パリでテロにより、100人以上の人達が亡くなっていた。これは、植民地主義で大もうけした植民地宗主国が、何れ払わなければならない付けを今払わされている現実である。しかも、米国が石油国を支配するためにとって来た政策が、失敗に帰していることが大きい。そもそもが、イーラーンを支配するためにイラークにフセイン政権を建てておいて、それを殺して直接軍事支配したことが、アフガーニスターンでも躓き、シリアをイスラーエルに譲るためにイスラーム国を建てたことが、また、失敗に輪をかけている。日本政府も小泉・竹中政権以来、鳩山政権を除いて、米国の植民地であったが、現政権は、自ら植民地主義を唱え始め、それが強大な国の証明であるかのように国民に訴えて、米国のサンシタとなって政権を維持できている。わざわざイスラーエルまで行って、米国、イスラーエルの側に立つと宣言して来たことが、それまでそれほど敵視されていなかった日本もテロの標的にされることになったことは、以前にも書いた。その日本に対するテロの手始めが、バングラデーシュでのヴォランティアが殺されたことであり、インドネシアでも狙われていることだ。昔は、イスラーム諸国を旅行しても、その国々に友好的であると認められていた日本人であるため、安全に旅行できたが、今は、そうはいかなくなった。どこから殺人者の手が伸びて来るか分からない、暗やみを歩くようなことになった。ムスリムには同胞意識が強く、パレスチナでのイスラーエルのユダヤ人による大量虐殺を快く思っていないムスリムが殆どである。ユダヤ人と米国が手を結び続ける限り、自ら進んで、その仲間になった政権の下にある日本人は、これから益々狙われることは避けられまい。選挙で選んだ政権とは言え、選んでいない人達にとっては、迷惑なことである。日本は、外国との貿易でしか食べていけない国であるから、殆どの日本人が外国に行くことを考えれば、自分たちは、SPに守られている政権でも、テロを防ぎようのない一般国民にもっと安全な生活を出来る政策を取れるはずだ。
今回は疲れる旅行で、帰って来てから、咳が出て、風邪っぽくなっている。現在、授業がないから良いようなものの、だらだらしていられなかったら、風邪をこじらしていたこと請け合いである。夏に帰国した時に、前立腺炎をわずらったが、それが風邪に触発されて、再発しないように、毎日、薬を飲んでいる。昔のように、休暇をとって、インド旅行に出かけ、帰国すると直ぐに出勤という体力は今はもうない。放課後も休日も全部インドの事に費やしていたから、休みなしで活動していた。今は、授業がないと退屈なので、ヒンディー語辞書造りは、疲れていても、休み休み進めている。12月一杯授業は休みであるから、今年末には数百語は増える勘定になる。
今回、ホテル・デ・パリスで困ったのは、蚊が部屋に仰山いたことで、ホテルに電気蚊取を付けてもらっても、一晩目は大丈夫であったが、二晩目は、顔と言わず、手足と言わず、変形するほど刺されたことである。愛しているがゆえに泊まったホテルとはいえ、愛にも限度があるから、早速、ホテル側に文句を言ったが、何のことはない、このホテルは、旧式のホテルだから、蚊も我慢してもらうしかないという返事であった。翌日は、蚊取り線香も付けてもらい、一晩中電気を付けて寝たので、3泊目は、そこそこ眠れた。とは言え、早朝4時半に起き、タクシーでムガルサライに行き、7時の汽車でパトナ―に行った。最初の予定では、タクシーでワイシャーリー経由でパトナ―に行く予定だったが、ワイシャーリーからパトナ―の途中のガンガーにかかる大橋が、半分落ちていて、渡るのにかなり時間がかかり、夕方の汽車と飛行機に間に合わないかもしれないと、ラージギルの日本山妙法寺の住職に言われて、予定を変更したのだ。急な変更でも、馴染の日本語案内者シング氏に頼んだので、飛び飛びでも汽車の席は取れた。パトナ―の駅は、ものすごい人出で押すな押すなの渋滞でやっと駅の外に出られた。ジャバルプルに戻ってから新聞を見て、パトナ―でチャットという大きな祭りがあり、インドの他の地域からも数十万人もの人が来るから混んでいたのだと分かった。