芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

北上川が増水

2010年07月31日 | Weblog
朝早く起きて、乾いていないので、オール一本を小竹牛乳に持って行き、帰りに水辺プラザに降りてみたが、岩手県が相当降ったらしく、ぞうすいして,水辺プラザは冠水していた。昼頃に残りのオール3本を持って行き、また川を見たが、朝流れていた、ゴミが少なくなっていた。いずれにしろ、折角国交省が除いてくれて水辺プラザの泥がまた溜まるであろう。
13時過ぎに香山先輩、谷内一郎さん、斎藤攻さん、舘次郎さんが来た。昼食後3時頃にその4人に加えて、大隅多一郎さんと、本田英生夫妻で小竹牛乳に行って、無しフォアのリガーとバックステイを取り付けてもらった。
意外と早く終わり、6時から、前夜祭を開くことが出来た。
大隅多一郎さんは、東大ボート部OBで、現「良い会」の会長、本田さんは一橋大学ボート部OBで、良い会の会員である。
他は全員、東京外国語大学ボート部のOBである。
谷内、斎藤は、共に舵手付きフォアをこいで、1938年の全日本ジュニア・レガッタで優勝した仲間だ。明朝、やはり同期の立花栄治が夜行バスで新宿から仙台に来て、バスを乗り継いで来る。ボート部の仲間がこれほど結束が固いとは思わなかった。彼は、31日、今日、宮が瀬湖で、子供達にボートを教える会を主宰していて、それが終わってから来るから、夜行になったのだ。

明日は、東京方面から助っ人が来る

2010年07月30日 | Weblog
今朝も4時に目が覚め、暗かったので4時半に起きた。まだ何かしなければならないことあがあるような気がして、落ち着かないから早くに目が覚めるのだ。確かに、今朝は雨がはれたから、オールのブレードにペンキを上塗りしなければならないのであるが、先ずは、濡れたオールを拭いて、乾かしておいてるうちに、何となく、畑の草取りなどをしたら、蚊に腕を何カ所か刺されてしまった。普段なら、腕に巻いておいてするのが、大丈夫だろうと高をくくったのだ。どうも、遠足に行く前の子供のように、緊張しているのではないか。
今朝は、8月1日当日、会場に持って行く物のメモを昨夜した紙をなくして捜し方で時間を浪費してしまった。こんなんでは、ネルー大学での講義に話す内容を忘れてしまうかもしれないから、これこそノートを作らなければならないのではあるまいか。
子供の頃、学芸会で独唱させられて、本番の時に風邪を引いて熱を出し、でられなかった事があるから、気をつけなければならない。コチラでもダルマサンガ会員に20名ほど入会してもらったが、実体は、ボランティアであるから、重い舟やテント用品を持ち上げたり、船着き場の雑草を刈ったり、といったようなことをしてもらっているが、これまでの経緯など知っている人はいない。昨日の午後、昼寝しようと横になったところに、参議院議員桜井充事務所の氏家英人秘書が来た。何か手伝えることはないか、と言ってくれた。当日、桜井充参議院議員の祝辞の代読をしてもらうが、少し早めに来て、会場設営などを手伝ってもらうことにした。昨夜の雨で、川が増水して、水辺プラザに泥が上がっているかもしれないのでそそれもみなければならない。幸い、大して増水していなかったが、風が強いので、川が波だっている。国交省に頼んだ泥の掃除がしてあった。先日私達が刈った草の散らかっているのを箒で掃いて片付けてきた。

雨で少し過ごしやすい

2010年07月29日 | Weblog
昨日、小竹牛乳敷地から持って来たダブルスカルのオール2本にサンドペーパーをかけ、前に持ってきたオールと合わせてペンキの下塗りをした。そのペンキ塗りの最中に、ネットで注文しておいた10リットル入りのウオータ・ジャグというものが、届いた。8月1日に暑い中、水が必要になるであろうから、その水を冷やしておくものだ。午前中にそれを済ませて午後からもう一度上塗りをしようとしていたら、雨でオールが濡れてしまった。
そうこうしているうちに、ヤマカノ醸造から、味噌にのしを付けて納品してくれた。これは、8月1日の式典に来ていただいた方のための引き出物にするので、先日、鈴彦に少し安くしてもらって買った登穀味噌というものだ。登米市の豆で造った味噌という意味だ。私自身、自分で味噌を作るようになる前は、この味噌を買っていた。これを上げて美味しいと喜ばれたことがあったから、500グラムと軽いので、これを引き出物にしたのだ。
このほかにテープカット用の鋏など、当日持参するものがかなりの数に上るので、最近物忘れがひどいし、表を作らないと忘れそうだ。

とよま漕艇場開所式次第

2010年07月28日 | Weblog
昨日、4時に起きて、畑の草取りを少ししてから、8月1日に開催する「とよま漕艇場開所式次第」の大凡を作った。ご祝辞を頂く方々に、お知らせしなければならない。先ずは司会をだれにするか決めなければならないが、地元から選ぼうと思っていた人達が、意外とボートの関係のことに疎いので、やはり、東京方面から来る人の中から選ぶことにした。この町、トヨマに漕艇場を開くことは、木に竹を接ぐことだ。しかし、時間をかけて接ぎ木すれば、根付くのではないか。
昨年は梅雨明けがなかったが、今年は、梅雨が明けて、毎日のように暑いので、畑の作物が、水をやらないため、採れないものがある。ピーマンは、特に昨年と同じで、実が殆どならない。
今朝、佐藤元大工さんが奥さんの病院に看病に行く前に寄ったので、聞いてみると、水やりが必要だという。特に夕方が良いそうだ。今朝は、ダブルスカルのオールグリップを一本貼り合わせてつけたので、あとは、ブレードの塗装だけだが、小竹牛乳に行って、もう2本のオールを持って来なければならない。自転車で行くにはまだ暑いから夕方まではできない。
無しフォア用のオールは、岸田さんが塗装して持って来てくれ、同じウグイス色のペンキも置いて行ってくれた。
テープカット用の鋏などを注文していたのが、届いたと、川内資材から電話があった。

あれもこれもしなければならないことばかり

2010年07月27日 | Weblog
今朝、中央大学の合宿所に電話して、無しフォアのリガーを支えるバックステイがないか、探してくれるように頼んだ。
夕方、再度電話してみたが、じんのコックスはまだ学校から帰っていないとのことであった。しかし、一年生の早乙女君は、バックステイを探すことは知っていた。
母が特別老人ホームに入るにあたって、診断書を書いてもらっていたのができたというので、老人保健施設中田に貰いに行ったが、昼近くになり、今日は、昨日とは一変して暑い日で、一旦帰ってシャワーを浴びて、着替えてから特別老人ホームに届けた。伝染性の病気にかかっていないから、受け入れるとその場で言われ、入居は、8月1日の北上川「とよま漕艇場」開所式が終わってからにした。照るちゃんに前から頼んであるので、取り込み中ではあろうが、母の移動をお願いすることにした。
3日は仙台から長谷川君が遊びに来るからそれ以後ということになる。
とかく物事は集中するものだ。そのため、遠藤周作『深い河』のヒンディー語訳がまるで進まない。それに関連して、ネルー大学で講義を頼まれているから、その準備もしなければならないが、コチラはまるで考えもできていない。

おいしい野菜と蚊取り線香

2010年07月26日 | Weblog
今日も法事で、家に持ってきているダブルスカルのオール・グリップの修理と、ブレードのペンキ塗りができないでいる。それよりも、8月1日の開所式ご参加者に開始時間を9時から11時に変更したことをマスコミも含めて、知らせなければならない。
鈴彦が、28日に会うのを明日二十七日に変更してきた。いよいよ、近づいてきたので、何やら忙しい感じだ。
母の診断書ができたと、老人保健施設なかだから言ってきたので、それを貰いに行かねばならないが、何しろ暑かったり、雷雨が来たり、なかなか、自転車では、時期を見ないといけない。
今日、いとこが東京から来たので、我が家で獲れたものではないが、スイカとトマトをご馳走したら、昔の味でウマイウマイと沢山食べてくれた。東京の便利さがない代わりに、ここでは、野菜がうまい。田舎の良さはこんなところだけか。
数日前は登米も暑かったが、今日は涼しく、東京の暑さに比べると、我が家は、江戸時代のママの天井の高い家だから、冷房などないのに、涼しいと、喜んでもらえた。東京は相当暑いらしい。
今日は、窓を開けておくと寒いくらいだ。タダ、窓から蚊が入って来るのが難点だ。網戸を買わなければならないが、今のところケチって、蚊取り線香で済ませている。東京から助っ人で来る人たちにも蚊取り線香で我慢してもらわなければならない。

法事が続く

2010年07月25日 | Weblog
昨夕、雨の中、自転車で小竹牛乳に行き、ダブルスカルのオールのゴム・グリップが取れているのを、その直径を測って、コメリに行ってゴムグリップで、3、3cmの直径のがあるか聞いたが、あちこち調べてくれても、結局なかったので、ゴムの板を買って来た。それをまいて、セメダインで貼付けてみることにしたのだ。昨日、高橋信太郎さんの軽トラックで運んだテント用品は、屋根の下にちゃんと車ごと納まっていた。
タダ、今日、明日は、法事があり、仙台などに行って、ボートの作業はできない。仙台の法事のあと、食事で隣りに座った貫洞氏は、安倍正任の子孫だそうだ。前九年の役に敗れて、現在は山田町といわれる岩手県の海岸にある、貫洞に落ち延び、その地名を名乗ったのだそうだ。このような人が親戚にいることを初めて知った。この山田町のある下閉伊郡は、私の祖母の先祖の出身地であり、私の曾祖父の出身地である、気仙郡と隣り合っているところでもある。その辺りの人達が、仙台藩のほうに向かって移動してきているのだ。それには何か理由があるのであろう。帰りのバスで、鈴彦と会ったので、水曜日にたずね手、8月1日の引き出物に軽くていいものがヤマカノ醸造にないか相談することにした。一度会いたいと思っていた矢先で、渡りに舟であった。

実働部隊の半数が半病人

2010年07月24日 | Weblog
古川の市立病院に行っていたため一昨日来られなかった高橋信太郎さんが、昨朝、総合検診の帰りがけに、午後2時からの水辺プラザの草刈りを予定通りするのかと確認に来たので、予定通りにすることにした。今年一番の暑さと言うが、伊藤哲朗さんの提案で、2時ということになったので、3人で草刈りをした。私は草刈り機を持っていないのでペッとボトルなどのゴミ拾いをした。
私が来る途中で、カッパの会の新田耕也事務局長に会ったので、「カッパの会の今日予定している行事の邪魔にならなければこれから、草刈りをする」と言っておいたら、新田耕也事務局長が、草刈り機を持って来て、途中まで手伝ってくれた。元々、草刈りと船着き場の泥浚いはカッパの会がしているのだが、今回、国交省との話し合いで、泥浚いは国交省がしてくれるが、草刈りは、水辺プラザの管理者である市のほうでして貰うようにとのことであった。貧乏な登米市が草刈りをできはずもないから、自分たちですることにしたのだ。新田耕也君に聞くと、草刈りなどをして、カッパの会は市から補助金を貰っているのだそうだ。ボランティアというよりは、業者に比べて安いので、市が補助金を出しているのであろう。しかし、長いこと草刈りがされていなかったと見えて、草ぼうぼうと伸び放題で、我がダルマサンガの二人は草刈りに2時から4時までかかった。そのあと、市のテントを借りに行ったが、それぞれが一旦自宅でシャワーを浴びたので、うまく落ち合えず、5時近くになった。テントの鉄骨が入っている箱は市の職員も手伝ってくれて4人でやっと持てる重さだった。それに椅子20脚、机2卓を借りた。なぜ今日借りたかというと、軽トラックを持っている高橋信太郎さんが、がんの手術の定期検診で柏のがんセンターに数日間行くので留守になるからである。こうして見ると、実働部隊の半数は何らかの形で病院通いをしているのだ。昨日まで一泊で艇の調整に来てくださった岸田さんご夫妻も、ご主人はがんの末期で、人口膀胱で膝の下からビニールの袋が少し見えていたし、奥さんは、最近骨折した足を引きずっていた。

岸田さんご夫妻に艇の調整をしてもらう

2010年07月23日 | Weblog
昨日は、岸田さんご夫妻の他に、気仙沼の千葉さん、そして、以前に電話しておいた時に一度来ると言っておられた東北大学ボート部の長老格の青野ひろし氏もたまたま来られて、力仕事の手伝いに秀夫ちゃんが加わり、昼前に小竹牛乳に行き、一時まで、岸田さんの指導のもと、ダブルスカルのリガー取り付け、オアロックの角度調整などをして貰った。シートの一つが足りないのは、岸田さんが調整して持って来たのがぴったりと合った。秀夫ちゃんには、舟の返しなどを手伝ってもらい、一時に帰ってもらい、残りの4人と一緒に我が家で、トヨマ産のうどんを食べてもらった。細いソーメンのようなのが味も良く好評だった。やはり、仕事のある千葉さんにはそのあと帰ってもらい、岸田さんご夫妻と青野ひろし氏とで、無しフォアのリガー仮取り付けや、ダブルスカルのオアロックの高さ調整などをした。無しフォアの靴は4足とも使い物にならないと言われ、全部取り替えることにした。
4時頃に、伊藤哲朗さんと守んツアンが来てくれ、調整の終えたダブルスカルと無しフォアを逆さに返して、ビニールでくるんで、先日佐藤元大工さんと運んだパレットを3段に重ねて、ウマにして乗せ、5時過ぎに仕事は終わった。帰るともう6時近く、シャワーを浴びると直ぐ、岸田さんの奥さんご希望の清川のうな重を出前で取り、食していただいた。暑い中よく働いていただき、お疲れであろうと思うので、離れで早々と休んでいただいた。

不安定なシェル艇に救命具の用意

2010年07月22日 | Weblog
昨夜、電話で今日の人足の手当をした。秀夫ちゃんは、我が家に11時の集合時間にした。今朝、牛乳の配達に来たので、もう一度念をおしておいた。岸田さんに早昼をとらずに家に来てからそうめんでも食べるように言っておいたので、10時頃に着くかもしれない。ダブルスカルのリガーとクラッチがデルタ造船所から届いているので、取りあえず、リガーにクラッチを取り付けた。タダ、その取り付け方でいいのか分からない。岸田さんご夫妻が着いてから聞くしかない。岸田さんによると、気仙沼の千葉健郎さんも誘ってあり、11時頃に来ると言うから、みんなで昼食を終わらせてから、小竹牛乳に行くことになるかもしれない。救命具を出すのを忘れていたが、一応出しておいたほうが、戸田のような静水でないから、万全かもしれない。
昔、河を良く泳いで渡ったが、向こう岸に着くまでに200メートルくらい流された。舟がひっくり返った時に回復するには、相当時間がかかるから、その間に相当流されるであろう。ナックル艇と違い、シェル艇は安定が悪いから、イザの時に対応できるようにしておかねばならない。今の民主党政権のようなものだ。日本の民生は既にひっくり返っているが、政府もいつでもひっくり返る可能性が高い。その時になってからでは、遅いから、国民は準備をしておかなければならない。今、外国勢力に移転され続けている、国民の富を垂れ流すようにそのまま移転しつづけることになる。年金などがどさくさにまぎれて掠めさられる。