芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

都民ファースト公認の木下ふみこ候補を応援

2017年06月28日 | Weblog
都民ファースト公認の木下ふみこ候補が都議会議員に当選するよう、微力ながら、その事務所に昨日から行ってあて名書きなどを手伝っている。
まだ、闘病中の身であるから、集中力に欠け、たった1ページ書くのに4枚もやれを出してしまった。それだけで疲れ切ったので、昨日はそこまでで失礼した。
なぜ、病身を押してそこまでするかというと、現政権の国益を無視した暴走を終わらせるためである。これまでの憲法違反の悪法を正当化するため、次は、憲法改悪だという。それでも、この政権を支える国民が大勢いる不思議に微力でも対決せざるを得ない。小池百合子都知事は、都民ファーストと言っても、莫大な税金を投入する五輪も築地市場の豊洲移転も何ら変えられないままである。であるから自民党の別動隊と言ってもいいが、まずは、現政権に退場を迫るには、都議会で、敗北させることである。現政権が一党独裁になったのは、民主党の悪党たちが、外国勢力の軍門に下り、コンプラドールになり果てて、小沢一郎を追い落としてから、公約違反の政策を次々と実施して、政権を投げ出したのに端を発している。
民意を少しでも聞く政権を都政に打ち立てて、それを少しでも国政に反映できればとの思いからである。

東京外国語大学卒業五十年の祝賀会

2017年06月26日 | Weblog
先週の土曜日に東京外国語大学卒業五十年の祝賀会があり、出席した。東京外語会の総会がそれに先立ってあり、それには遅刻して参加した。調布の駅頭で公明党都議会議員候補の演説中で駆り出された大勢の創価学会員が駅前を埋め尽くしていた。この人たちは、国政で次々と悪法を通す自民党一党独裁の暴走を止められない与党の公明党を選んでいるのだから、犯罪的集団であろう。バスを待っている間、続いて応援演説した小池百合子都知事の顔も初めて見た。ふたりとも演説はうまい。
東京外語会の総会の終わりに、インド語科の女子学生が中心になったカタカーリー舞踊が演じられた。これが、なかなか良かった。そのあと、講堂から食堂に場所を移して、食事をとりながら、かつてのボート部員や、同級生と親しく話すことができた。ただ、立食パーティーなので、だんだん苦しくなり、ついに足がつりだしたのには閉口した。美術館での立ち見は大丈夫なのに、同じところに立っているのは、足のしびれに悪いとみられる。

米国の買弁政府

2017年06月24日 | Weblog
満州事変を起こした連中が、インパール作戦を企画実行して大敗北を喫したことを以前に書いたし、それが今回出版した『怖るべし東インド会社ーーユダヤとインドとニッポンと』に収められてもいる。
満州国はそもそもが謀略で建てられた国であり、それを理想の楽土であるかのように宣伝したのは、電通の基になった会社である。多くの日本人がその宣伝に騙されて満州にわたって敗戦時に命からがら逃げてきたり、子供を置き去りにしてきたりして、その子たちが中国人の手で育てられて、今、日本に帰ってきている人たちもいる。日本社会に適応できず、貧しい生活を送っている帰国家族が多いようだ。残留孤児と言い、あたかも、自分で居残ったかのような表現になっているのも誤魔化しだ。
建国というのは、たいてい、異民族によってなされてきたことも上記の本で記しているが、満州国もその例外ではない。満州国建国を非難した米国白人たちも七百万人のインディアン、あるいは、インディオを殺して米国を建てたのであり、激減したインディオの代わりにアフリカから黒人奴隷を買い入れて白人の下働きをさせたのが、現実だ。
国家というのは面妖なものである。
米国の新大統領は、貧困化した白人米国人を救うというが、それ以外の民族は無視されている。その米国のいいなりに次々と戦争法案やら共謀罪法律を作らされているのが、日本の買弁政府である。この買弁家族は、満州を実質支配した一族の子孫である。

癒しの湯

2017年06月20日 | Weblog
宮ケ瀬湖のボート合宿で泊った宿は、癒しの湯という宮ケ瀬湖から二十㌔位離れたところにある温泉だ。ここは、数年前に立花兄がボート合宿を開催してくれた時にも泊った宿で、一泊八千円強と安いうえにうまい料理がたくさん出る。持ち込み可なので、前回同様、今回も高級なアルコール類やつまみをみなさんが持ち寄ってくれ、飲み切れず、食べきれず、温泉から上がって五時から始まった歓談は盛り上がり、十時過ぎまで続いた。元バレーボールのオリンピック選手だった女性のサービスが今回も行き届いていてボートを漕がなくても大満足の合宿となった。

宮ケ瀬湖でボート合宿

2017年06月16日 | Weblog
同期の石原兄が北海道から会いに来るというので、やはり同期の立花兄が宮ケ瀬湖でボート合宿を開催してくれた。石原兄に会いたいという人たち十数名が集まり、立花兄の運営する宮ケ瀬湖ボートクラブのエイトを借りて石原、渡辺、福長、舘、斎藤、弟谷内、佐藤、香山の諸氏がひげ斎藤兄のコックスで漕ぎ、わたしと、兄谷内、吉野、中西の諸氏は立花兄の運転するモーターに載せてもらい、エイトの漕ぎっぷりを見た。15,16日とも好天に恵まれていい合宿になった。

ケーララの映画「わな」を見る

2017年06月12日 | Weblog
十七日(土)にケーララの映画「わな」を見に東京外国語大学に行った。調布からバスに乗ったが、一時間に二本しかなく、出たばかりに着いたので、三十分も待ったため、二時開始の映画に十五分ほど遅刻した。受付のインド語関係の女子学生が親切で、暗い開場に案内してくれたが、定員500席の講堂はぼぼ満員で、一番後ろの補助椅子にやっと座れた。この椅子が病身には辛くて、映画が終わって解説の時間になると直ぐ空いた前のソファ席に移って、安楽を得た。
農民の両親が自殺して祖父に育てられるうち、祖父が病気になり、学校に通わせてもらえるはずで預けられたボスによって花火工場に売られてゆく子供の話だが、映像と言葉が叙情性に富んでいてよかった。解説も映画ばかりでなく、ケーララの言語マラヤ―ラム語と売られていった先がタミル語圏だったりして、映画の背景にある南インドの特性に及んでいて、よく理解できた。
映画の終わりに表示されたのによると、世界の児童労働の数は、一億以上だといい、日本も現政権のようなのが続けば、現に少女売春が常態化しているうえに、貧乏人が増えるばかりで、児童労働が蔓延することになるであろう。

表紙絵を変えるにあたり、見にくい絵を載せたりしました

2017年06月06日 | Weblog
昨日、表紙絵を変えるにあたり、テンプレートという参考絵の中から見にくい絵を引っ張ったり、読者を煩わせてしまいましたが、一応、この山の絵を載せることにしました。慣れない操作でご迷惑をおかけしました。
このところ、デリーの友人ヴァルマー氏のお孫さんが六歳で描いた絵本「青いダイアモンド」を訳していましたが、昨日、訳を終えたので、先方に本にする許可を申請しているところです。近日にアマゾンと楽天KOBOで販売にかける予定です。しっかりしたふたりの少女が主人公の活躍する冒険譚で、六歳とは思えぬ、きっちりした起承転結で筋運びが素晴らしい。
掲載の青いダイアモンドは原文がBlue Diamond という英語の絵本からとって加工したものです。

ミュシャ(ムハ)展

2017年06月05日 | Weblog
先日、福田さんからミュシャ展の入場券を頂いたので、先週の木曜日に六本木の新国立近代美術館に行った。何年か前に長谷川俊雄君と行って以来なので道を忘れてやっと着いたが、なんと、まだ、開場直後の朝10時過ぎなのに長蛇の列で、70分待ちと掲示されている。それでも、券を買うために待つことはなかったから、少しは楽をしたが、なんと、ディズニーランドの乗り物待ちのようにくねくねと歩かされ、建物の中に入ってからも長蛇の列である。
ミュシャはパリにいたころのフランス語読みで、チェコ語ではムハということが分かったが、ムハにつてはそのサラ・ベルナールのためのポスターぐらいの知識しかなく、もし、入場券を持っていなかったら、そのまま入らずに帰ったと思う。
ところが、入場した途端、部屋いっぱいの大きさの画面がいくつもあり、その良さに圧倒された。この巨大画面は、晩年に故郷のチェコで描いたスラブ叙事詩をテーマにした絵であるという。渾身の力作とわかる。眼福の機会をくださった福田さんに感謝。帰りがけに昼食を摂ったが、こちらも並んでいる店が多かった。予定を大幅に超過して、2時からの訪問リハビリにぎりぎりに間に合って帰った。リハビリの看護婦さんも観たといい、日曜美術館や特別番組でかなり報道されたから込んでいたのではないかと言う。火曜休館だから今日までの開催だと思った。

第百四回東京外国語大学学内レガッタ

2017年06月01日 | Weblog
昨5月31日(水)は、第百四回東京外国語大学学内レガッタで、昨年は病気療養中で行けなかったので、楽しみにして少し早めに出かけた。毎年、水曜日に開催だったと思う。戦中、戦後の中止せざるを得なかった時期を除いても百四年は続いているということだ。参加者は、新入生が中心で、職員のレースもある。一昨年、OB招待レースに出る予定で練習までしていたが、前立腺炎で高熱を出して、出られなくなり、他のクルーに迷惑をかけてしまった。
11時過ぎに山田文比古ボート部長と学長も来た。学長は、スペイン語専門だったと思うので、comprador=買弁資本について質問したが、単にbuyer購入者を意味するだけだという。どうも専門外のことを聞いてしまったようだ。
わたしとしては、植民地宗主国の資本家が植民地を搾取するときの手先となって大儲けした買弁という、植民地支配時代の歴史的な言葉としてどのように使われてきたかを聞きたかったのだが、当てが外れた。
OB招待レースが終わってから、一旦外語大の艇庫に集まり、そこから、有志八人が、駅ビルのサイゼリヤに行って、イタリア風の料理を生ビールと赤ワインで食した。イタリア語のOB兄弟二人がいても分からなかった、サイゼリヤの意味が、今日になってドイツ語OBの池田先輩からくちなしの花を意味すると知らせて来て下さった。