芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

奈良の飛鳥観光

2019年11月25日 | Weblog
寂聴さんの家を後にして奈良のホテルに行き、翌日キトラ古墳とその近所にある檜隈寺趾を観た。この地域は六世紀頃の早い時期の渡来人が定住した所のようだ。檜隈の隈は李寧煕さんが朝鮮で活動していたと言っておられたクマ族のことであろう。キトラもおそらく古代朝鮮語なのであろう。
一旦飛鳥駅に戻り同じ1日バス券で写真を掲載している高松塚古墳に行った。彼女によると天武天皇も葬られていた持統天皇の古墳から天武天皇の遺骨が高松塚古墳に移されたのだと言う。

京都に行く

2019年11月21日 | Weblog
写真掲載の晴明神社と六角堂を観てから数年ぶりに寂聴さんに逢った。97歳とは言え家の中は階段も歩けるお元気さである。私の前立腺ガンの末期のことは電話で話していた。私を一目見るなり、思っていたより顔色も良く元気で安心したと言われた。「源氏物語」を一緒に現代語訳していた頃と同じぐらい元気に見える、「源氏」のおかげで今食べられているのよ、と宣うて下さった。当時のように冗談を言い合って一時間半ほど盛り上がり、寿司を取ると言うのを固辞して、最新刊の「命あれば」「寂聴九十七歳の遺言」に署名していただき辞去した。

正倉院展を観た

2019年11月03日 | Weblog
正倉院展を観た。正式には、御即位記念特別展正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美ーであり、前期と後期に分かれていて、その前期の最終日が明日である。前期と後期のセット券が割引で二五〇〇円で売っているが、一期分の割引券を大黒屋で買って観た。今朝の日曜美術館で放送されたとかで、十一時半ごろには、長蛇の列で最後尾は五十分待ちであった。そこに並ぶとすぐ、私の杖姿を見て、係りの女性が誘導してくれてすぐに入れたのは幸いであった。それでも第2会場を見終わった時には疲労困憊であった。鳥毛立女屏風は後期の展示らしく、見られなかったが、螺鈿琵琶が見られた。いずれも、昔の教科書に載っていたものだ。一休みして正倉院館の展示を観た。こちらは写真を掲載している平安時代制作の聖徳太子絵伝である。 
第1と第2に会場を分けて展示するほどではない展示品の内容であったから疲れていても法隆寺館を観た。