KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

いつまで続く隔離生活

2024年12月27日 | 俳句
天気 晴

一週間が過ぎたのに、コロナ感染の隔離暮らしは終わらない。もう、殆ど鎮まったようなので多分、今年中には終わるだるけれど・・年越し蕎麦くらいはまともな食器で食べたいもの。

さて、クリスマスは終わってしまい、ちょっとずれた写真ではあるけど、一体どこで撮ったものなのか保存ファイルを見ても覚えがない。本物の熊でないことだけは確かで、クリスマスのこんな飾りをどこで見たのかも解らない。ニュースでは最近は熊さんが人間の住まいの中へ入ってくるのも珍しくないようだ。吟行句会でよく歩いた里山にまで出没する、と聞いてびっくり。今も仲間は吟行する場所、駅から徒歩圏内ような町外れに熊が出るとは・・


去年の今頃はインフルエンザでの隔離騒ぎがあった。私はインフルエンザはワクチンを打ったが、コロナはまだ。ともかく、東京はインフルエンザがこれまでにない大流行なのだそうだ。薬不足になっているという。
テレビでしか世間の今の姿は見ないけれど、テレビに映る都会の風景に、マスク姿は殆どない。若者や外国人は自由に空気へ顔を晒している。この街では多分、まだまだマスク姿の高齢者は多いだろう。私は一分一秒でもマスクは装着したくない。辛いです苦しいです。でも何だか、生きている間はマスク暮らしから解放されることがないような・・

あれこれと電池換ふるも年用意  KUMI
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寒波襲来そして「軟禁生活」始まる

2024年12月22日 | 俳句
天気 晴

列島に、少し早い年末寒波がやってた。この写真は、随分前の上越境のトンネルの新潟側へ出たところ。まだ積雪量は少ないこの時期に、何で新潟の家へ行ったのか解らない。無論スキーが目的だが、正月には行ってもクリスマス時期の年末にはあまり遊びに行く気分ではなかった筈。クリスマスにスキーをしていたのが余程珍しいのか、証拠のリフト券まで写真に残してあった。
今のようにスマホで簡単に・・という訳ではないのに。

何でこの日を思い出したかというと・・
今日はのランチは、クリスマス会・・老人ホームにもあるのですよ・・でランチにちょっとした美味しい料理が出ることになっていた。そして午後には、ボランティアの合唱会があり、クリスマスの歌を・・という日だったのに。昨日から、入所者はコロナ感染の有無を問わず、全員個室への軟禁生活となった。同じ階以外への移動禁止。
一年ぶりのこと、と言えばたいしたことではないけれど。せっかくのクリスマス料理も、使い捨ての弁当箱やら紙コップで供されて。


普段のメニューではないので、希望する人(殆どが希望していたはず)は別料金を1500円くらい、払っているのですよ。それなのに紙皿紙コップですよ・・みじめ。
で、普段の食事も軟禁中はこんな風になる。

ラップしてあっても冷えているので、ご飯と味噌汁は自分の持っている別の容器に入れ替えて、ラウンジの共有のレンジでチンする。自分でそれを出来ることを有難い、と思わなくては。要介護の人には自分では出来ないこと。かといって、介護士に頼んでも業務外だから無理かもしれない。今までの「コロナ監禁」は真冬ではなかったし、容器も今回のような簡易なコンビニ弁当とは違っていた。

本当のことを言うと、食器への不満以外は、部屋で食べるのは私にはとっても有難い。
食堂で同じテーブルの3人のお姉さまたちは、程度の差こそあれ、全員認知症で耳が遠い。正直、楽しい日常会話なんて出来る訳がない。体調悪い時なんか、ちょっとしたことの説明でも心底疲れる。
今年になってから入所したのでコロナ騒ぎのことはうろ覚えながら知識に残っているらしいけれど、感染者の隔離の話をしたら、
「私は外へ出ることもないし、こういう施設なら管理が行き届いていて、病気はうつらないと思って入ったのですよ。大丈夫でしょ」と、のたまわる。私を心配し過ぎの人間・・と思ったらしい。ああ絶望的。おまけに、「Sさんは発熱したので部屋で休んでいます」と職員から言われているのに、一日経って食事に来ないと「Sさん、娘さんの所へでも行ったのかしら」と。その都度、私は同じことを彼女たちに伝え直す・・するとびっくりして「あら、風邪でもひいたのかしら」あのね、コロナ隔離の患者が出てること、昨日話したでしょ・・
そんな彼女たちと話さずに済むことだけは、申し訳ないけれど本当にストレス解消となっている。でもまさか、正月も紙の皿にお節料理?

生き物のやうに枯葉の舞ひあがる  KUMI
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コロナ禍再来

2024年12月20日 | 俳句
天気 晴

午後、ここを書き始めたら目眩が酷くなりやめた。体温・血圧などなどすべて正常なのにここまで酷くなるのは・・と、いつものアプリ・「頭痛~る」を開いたら、気圧が谷底まっしぐらのラインになっている。明日、気温が下がって寒波襲来なのだ。
倒れそうになったのでパソコンは閉じた。でも、あまり長い期間書かないと、心配してくれる人が出るし・・そうそう、これだけは書かなくちゃ。
と、 さっき開いたら、まあまあの感覚でキイボードを打てる。
書かなくちゃ、の内容は、今、この施設を襲撃しているコロナの集団感染だ。先週末から発熱の人が出て、最初はインフルエンザだった。
流行ったらイヤだな、と思っているうちに、発熱の人がふえてきて食堂のあちこちに空席あ目立ってきて。同じ階で最初に罹ったのは徘徊癖のある男性で、これは困った。発熱した人は検査結果が出る前でも自室に隔離するのだが、認知症の歩ける人の隔離は難しくて、他の階ではいままでもそれで感染拡大たことがある。
以前のように全室隔離、はしないし、今はそれでおさまるのに・・もう、恐怖だった。

今現在、同じ階では他に3人がコロナと確定している。他の階も同じような感じだろう。罹った人は、彼を除くとこの階では皆、車椅子使用の重度介護の人ばかり。彼から感染したのではなく、介護士が彼と罹った人との間に介在しているのだと思う。休んでいる常勤の介護士がチラホラと。派遣介護士が増えている。

ともあれ、そんな訳で暗い毎日です。インフルのワクチンは打ったけれど、帯状疱疹のワクチンを優先して、コロナは後回しにしてしまったのを後悔している。


脳梗塞の後遺症があって歩行障害と言語障害のある、まだ70代のオッサン。部屋でじっとしていられない「患者」は、パジャマのままラウンジでテレビ見たりエレベーターに乗って階下へ行ったり。介護士が部屋へ帰って、と繰り返し言ったら「しつこい。ぶっ殺すぞ!」と怒鳴られたという。彼は常時マスクはしているけれど・・マスクなんて、あまり効果はないようだ。今日で1週間になったのでもう、菌は出ていない時期に入ってはいるけれど・・彼が外に居る間は部屋へ籠っている。外は、あっちもこっちも換気しているから寒くて仕方がない。
私は今のところ、熱もないし咳も出ないし。無事ではある。

珍しく、今日の写真を。施設から道路を挟んだ林の、多分コナラの大木。
武蔵野の林の名残り、こんな木々を伐り倒して建てた建物に私は住んでいる。
昨日は都心の方では初雪が降ったそうだ。こちらには雪の欠片もなかった。


初雪の積もる余地なき大都会   KUMI
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何もない日の独り言

2024年12月16日 | 俳句
天気 晴

2016年12月、何とか普通の暮らしをしていた頃、国会議事堂へ吟行句会に行ったっけ・・子規の「武蔵野吟行」をたどる吟行を再現していた。12月の国会は閉会中で静かだった。
私が顔を見るのもイヤだった首相の時代だっけ・・今の首相は可哀そうですよ、かの悲劇の首相の業績の、尻ぬぐいしているのだから。かといって、私は同情も支持もしていません。

今日は、三度の食事以外は何も予定のない日。こんな日は珍しい。個人的に通院があったり、すぐそこまでの外出予定があったり・・という日もあるし、施設の予定で午前は入浴、とか週1回のリネン交換とか。昨日はボランティアのバイオリン演奏があった。ボランティアの催しも、参加するもしないも自由だが。この女性、プロとしても活躍している市内のバイオリン教室の先生、
演奏技術が素晴らしい。「戦場のメリークリスマス」を演奏してくれた。坂本竜一はもう居ない・・この1年で随分たくさんの著名人が亡くなった。そんなことを考えてしまった。
ボランティアでも、あんまり・・という合唱団などあるので要注意だ。「一緒に歌いましょう」と、必ず歌う中には「ふるさと」が。涙流している認知症の人が居るのであまり言えないけれど、うんざりの歌だ。なぜって、私は海育ちなので、兎も小鮒も獲ったことがない。歌で拡がる故郷の懐かしさが感じられない。子供の頃に帰れるいちばんの歌は「浜辺の歌」かもしれない。「あした浜辺をさまよへば・・


なにもない日でも、食堂へは行かねばならない。
最近、つくづく思うことがある。耳の遠い人は認知症になりやすいし、認知症になってからも進行しやすい、と言う。脳を刺激する情報が少なくなるのだから、たしかにそうだと思う。で、「進行しやすい」を私は今、目の当たりのしながら食事をしている。右隣のMさん。つい一ヶ月くらい前から私の隣になった。元美容院経営の「すご腕」美容師?本人がそれを繰り返し自慢したくて仕方ないみたいなので、あまりその話に方向が向かないようにしている。ただ、耳はとっても遠いのに補聴器入れないので、大声を出せない私とは会話が成立しない。
その彼女、私は会話しないが、前の人に色々と話しているのを聞いているだけだが・・
部屋へ無断で入ってくる人が、だんだん増えていく。先日は「ドアから腕だけ見えてクリーニングしたばかりのセーターを持っていかれた」そうだ。私は「大声の出せない心臓病なので」と断ってあるから、前の席の人へ一方的に話す。聞いているSさんは相槌だけ打っているけれど、彼女もかなりの難聴で、話の内容は解かっていないようだ。話が毎回エスカレートするけれど、私は無視。この「見えない人が見える」幻覚、どこまで続くのだろう?
相槌を打っているSさんも、補聴器を装着したりしなかったりで、斜め前の私とは会話出来ない。良家のお嬢さまから家庭婦人になった、という感じで、教養もある94歳。・・彼女は幻覚妄想なしだが、数分前のことも忘れる。会話は普通に出来る方なので補聴器を入れてくれば・・と思うのに、何が不快なのかイヤだから入れない、と家族からの申し出で最近はやめてしまった、とケアマネさんの話。耳元で話せば聞こえるので、本人は困らないらしい。ま、私は格別彼女と話したい訳でもないけれど・・以前は解っていた自分の部屋の在り処が解らなくなり、一人では食堂へ往復出来なくなった。エレベーターの乗り方が解らなくなったのだ。
そんなの、階の数字を覚えればいいことでしょ、と思う方、その数字を明日まで覚えていられない人がここでは珍しくないのですよ。極端な話、「夕飯です」と食べ始めても、食べ終えたら「今のは朝食?」という人も珍しくないのだから。
もの忘れのどんどん進行するのを見ていると、やはり会話が大事なのに・・と思ってしまう。
人のことなど心配する余裕なんかないのに・・と思いつつも。

わが寿命測ってもみる日向ぼこ  KUMI
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肺の免疫療法のこと

2024年12月13日 | 俳句
天気 曇

写真は、10年前の昭和記念公園のライトアップ。それまでは何度も見に行っていたが、この年が最後。というのも、年が明けて春になった頃、最初の心臓発作に襲われ、夏の二度目は倒れるくらいひどくて死にそうになった。で、ペースメーカーの植え込みをして、普通の暮らしが出来なくなった。見た目は変わらなくても一応、身体障害者。夜のおでかけは・・





昨日の続き。
ペースメーカーのことと並行しいて、昨日は呼吸器科で毎月続けいる免疫療法の今後の話があった。今月は休んだが「テセントリク」という薬の点滴治療をほぼ一ヶ月に一度、継続していた。実にもう30回くらい。毎月、血液検査と肺のレントゲンで腫瘍の大きさや拡がりは検査していて、半年に1回はCTの精密検査が。この薬、治癒させるためのものではなく、治療不能となったがんの進行を抑える効果があるというもの。私の肺腺がんはまだステージ1くらいで、手術すれば完治も可能だが、何しろ心不全進行中の障害者。肺の手術はかなり体力を奪うものなので、年齢的にも命がけになるという。医師が「あんまり手術したくない患者」だったようで。
「私、失敗しないので・・」と言える名医?は居ない公立病院。
ひとまず、セオリーの抗がん剤を使用。抗がん剤は20年近く前の乳がんでさんざん世話(?)になった。でも、これは一回目の点滴でダウンした。食事は摂れず吐いてばかり、これを6回もするのもうイヤ、年とれば、がんだって大きくなるのも遅いでしょ、「先生、このまま無治療でほっておいたら、寿命は何年くらいでしょう」「脳転移まで2年かな」
夫は別の種類の肺がんで末期だった。心臓はとっても丈夫な人だったので脳転移してから2ヶ月も頑張ったけれど・・。あと2年かあ~ と覚悟。
「でも、別の先生が新しい治療薬を使ってくれますから試してみましょう。通院治療出来る薬です。酷い副作用もないようです」


承認されたばかりの新治療薬のテセントリクとやらを、使ってみることとなった。副作用はあるけれど、吐いたり食欲がなくなったり、はなくて、ひたすら下痢が何日か続いたり、・・心不全の症状は悪くなったり、その他色々あるけれど、患部はだんだん小さくなり、今回の検査結果は、半年前のCTと変わらなかった。完治は無理らしいが、ここまで回復するとは思わなかった。
が、この動悸息切れがテセントリクの副作用かどうかは、解らないようだ。でもCT検査の結果で、治療中断をもう少し延長することは出来た。2.3年、と覚悟した命が、もう4年になって生きているのだから、自由に体が動かなくても有難い日々・・と思わねば。

同じ病気の人がこのブログを見て、少しでも寿命の延びる治療があることを信じてくださると有難い。私は今になって、もしかしたらテセントリクが夫のときも使えていたら・・と思うことがある。もっとも、夫の場合は寿命が延びたらコロナのパンデミックに突入していたから、良い時期にサヨナラ出来た、と思ってはいるけれど。

日向ぼこ余生と言はねども眠し   KUMI
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心臓の寿命?

2024年12月12日 | 俳句
天気 晴

今月になっての突然の真冬到来に体がついて行けず、おまけにそんな中での通院で昨日は疲労困憊、それこそ「心臓の寿命がもうない」感覚。で、先日も思わず書いてしまったが、「心臓の寿命」って笑い話のような表現だ。気づかなかった、心臓が寿命迎える=人間の死。
私はペースメーカーを入れて心臓の半分を動かしているようなものなので、器械の寿命を考えるからそんな思考になるのだろう。と、可笑しかった。

さて、その心臓動かすための器械・ペースメーカーの寿命は10年と言われていて、そろそろバッテリー切れなのだ。今年中に換える、と言われていたが、器械が旨く動いてくれているので来年正月明けに延びていた。
バッテリーだけなら取り換えは簡単かと思っていたら、そうもいかず、二泊の入院が必要、とのこと。ラジオの電池交換みたいな訳にはいかないのだ。
電池を新しくしたら、心不全の動悸息切れの症状が軽くなるかと思い、ドクターに訊いたら、それはない、と言われた。でも、最近は息苦しくなった時に血圧計で測ると、正常な時は脈拍が80~90なのに50以下に落ちている。暫く休むと落ち着くものの・・そんな時は血圧も、上は正常値の110台くらいでも下が90を越えていたり。

そういう症状が軽くならないのならあまり得なことはない。でもともかく正月明けに入院・交換することになった。昨日は検査とその手続きと・・そして呼吸器科の方は先月CT検査結果からの治療方針の話があり。二つの科の検査やら診察やらで、体調がフラフラなのに病院の中をあっちへこっちへ・・
疲れましたよ。同行してくれたあーちゃん、もっと疲れた筈。正月明けは入院だから、又よろしく。

今日は昨日より体調は良くなっていた。昨日は気圧が急降下していたようなので余計に負担になったのかもしれない。
昨日診察のあったもう一つの病気についても話しておきたいが・・実は、左薬指が「ひょう疽」になってしまい、指先が痛くてパソコンのキイを打てない。自己流のタイピングは、左手をを右手よりも使うので、イライラする。
なので、もう一つの免疫療法の話は明日にしましょう。こちらは悪い話ばかりではない。

底冷す歯科の診察待つ窓辺  KUMI
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生きるのは面倒なこと

2024年12月07日 | お散歩写真
天気 晴

今日はもう、二十四節気の大雪(たいせつ)。温暖化、などと言っても秋が短いだけで冬は来る。西高東低、関東平野には乾いた寒気、山の向こうは雪の季節が始まる天気図になった。
がんの免疫療法をお休みしているので色々と楽になる筈が一向にならない。でも、一昨日はインフルエンザのワクチン接種。希望しなければ接種はしないので、あまり接種する人は多くないようだ。私は毎年接種しているし今年はとくにかなりの流行のようだし。でも、しない人の方が圧倒的、という「高齢者軍団」では、あまり意味はないのかも。マスクもしない人ばかりだし。

昨日は久々に歯科へ。今まで定期的に年2・3回は点検兼ねて通院していたが、がん治療が始まって心臓が弱ってきて、おまけに膠原病を発症してからは、足が遠のいていた。そうそう長生き出来そうもないし、痛くなければいいや・・と歯にまでは気配りの意欲がなくなっていたようだ。が、1本、歯茎の怪しい歯が出てきてしまい、気づいたら数日で痛みが・・食べるに困ると、食いしん坊は歯科へ行く覚悟が出来た。
僅か5分で行けた駅前の歯科、でも、今はそこまでの道のりも息を切らせて命がけ・・(というのは大袈裟過ぎる)。歯科医院は古い雑居ビルの2階にあり、急な外階段を上がらねばならないのも今やキツいだろうか・・結論から言うと、下りが暗くて怖くて、手摺りにしがみついて下った。足よりも緑内障が進んでいるせいだ。

余程でないと抜かない主義の歯医者だけれど、今度は抜かれるかも・・と覚悟していたのに隣り合わせの歯3本と一緒に、土台を治療して保存することとなった。
治療は痛かったけれど、六十代の時、「80歳まで保証します。頑張りましょう」と言ってくれた若かりし頃のドクター、約束は果たしてくれた。親知らず以外は、まだ自分の歯が使えている。有難いこと。地元でも古い歯科で、私は今のドクターの親の代から通っていた。隣の市に本院がある。今は、息子2人が継いでいる。抜いて新しく入れて儲ける今の時代、珍しいこと。


とまあ、歯は解決しそう(無論、一回の治療では終わらない)。
でも、この冬も悩まされそうな血行の悪さからの指先のトラブル、足の指は痛みが残っているものの靴は履けるようになった。が、用心していたのに左手の薬指がヒョウ疽になりそうで、ズキズキと痛み、睡眠妨害に。一昨年の右手中指は治るまで1年かかったので、今度も?とぞっとする。
一昨日、訪問医の診察日に良い薬はないか相談してみた。化膿止めの抗生物質を出しましょう、と言われて・・抗生物質は副作用がある、でも7.8年前のことだし種類も違うみたいだから大丈夫かな?と思いつつ昨日飲んだら・・はい、みごと副作用ににやられました。白内障手術のあとで飲んだ薬と同じく、下痢に吐き気に口内炎・・まだ治らない歯痛に加えてのこと、「泣き面に蜂」が何匹?
教訓、抗生物質には油断するな! でも、副作用のことはここへ入所の時に申告してあったから、カルテに書かれていた筈・・って、人のせいにしてはいけない。
生きるって、本当に面倒なことだ。

大雪や富士はいちにち雲を吐き  KUMI
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あれこれ雑感

2024年12月04日 | 俳句
天気 晴

写真は無論、過去のもの。今頃と1月に富士の山頂へ日が沈む。その時刻に家に居て待っていればもっと絵になる写真が撮れるだろうが、あまりにも身近な富士山、家からダイヤモンド富士を・・などという気構えがなかった。
なので、三十年以上住んだマンションで、これを見たのは数回しかない。いくら冬とはいえ、毎年快晴、とはいかない。第一、夕方のその時刻に在宅するようになったのも退職後のことだったし・・

書きたいことは色々とあるけれど、その暇と気力がない。体調は、天気が安定してきても少しはいいかな?くらいなので、もう、天気病とは言えなくなりそうだ。
明日から寒さが本格的になるというので、今日の昼前に日差しに誘われ、銀行のATMで振込に。慣れているはずの振込なのに、最後には「あなたの電話番号」の記入が要求される。実は、私は20年以上経つのに、080から始まる自分の携帯電話の番号がすぐに出てこない。家の以前の電話番号は今でも暗記しているのに・・もっとも、それを覚えていれば良かったので、固定電話をやめてからは携帯の番号を覚えなかった。設定画面を見れば解かる。生まれつき数字の暗記が苦手。
で、ちょっとモタモタしていたら、「初めからやり直してください」みたいな画面になって、初期化されカードが返還されて・・ちょっとお~~、画面の切り替え早過ぎですよ。年寄の能力に合っていませんよ、私でさえ少し躓いたくらいの速度で画面が初期化されてしまうなんて、許せぬ。以前からこんなに早かったのかなあ・・とやり直し。
疲れ果てて、スーパーの渡り廊下のベンチで日向ぼっこがてら10分ほど休み、息が整ってから階下のドラッグストアへ。いつもの愛用のマスクやら必要な小物を買い・・それだけで又、疲労がどっと押し寄せた。
歩いて3分の施設に帰ると、玄関で一休み、部屋へ帰って15分くらい休んでもまだ息が整はない。でも昼食の時間になってしまったし・・

日々、息切れが加速するような。心臓の寿命って、いつまで?
でも、生かされている間は頑張ろう。

気分転換。
マンション最後のダイヤモンド富士「もどき」を見た年(2019年)の散歩道の公園は、とっても紅葉の綺麗な年だった。富士山と同じ12月8日に撮っている。



多分、今年の多摩地域はあまり紅葉が綺麗ではないようなので、この年は格別だったのかもしれない。

書き換える記憶あれこれ冬夕焼  KUMI
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師走へ突入

2024年12月01日 | 俳句
天気 晴

夫が元気だった最後の頃の、散歩道の公園。12月1日に通りかかったら「市民駅伝」を開催していた。これは中学生の部、だったろうか。公園の外周を走り、園内がゴールになっていた。ルールは良く解らなかったが、もっと見ていたかったけれど結構冷える天気で、長時間立っていられなかったことを覚えている。チームは柔道着のチームあり、野球ユニフォームのチームあり、と見ていて楽しかった。
写真のチームは、走りがいちばん綺麗だったので、陸上部だったかもしれない。

公園の写真を見たくなったのは、実は、市役所の新庁舎がこの公園の隣接地に完成して来年正月明けには今の場所から移転してくる。昭和30年代に建てた古い庁舎は、震度5の地震でも壊れる、と言われたような酷い代物で、でも貧乏な市なので簡単に建て替えも出来ない。旧国鉄の広大な跡地の払い下げがあり(今の公園)そこへ移転か、と言われたが金がない。隣の駅前を開発したときにそこの高層ビルに入るとか、色々な話がありながら構想以来、流れ流れて半世紀近く・・大げさだが・・庁舎は仮住まいやらプレハブやらの継ぎ足しで今に至っていた。東京都内でも最悪の市庁舎だったのだ。
お隣の某市のように大企業の工場があったり、競馬場があったり、刑務所があったり(よく知らないが、これは自治体にとって金になる施設らしい)、というのとは違い、金には恵まれていない小さな市で。自慢は、京都よりも古い歴史のある地というだけで・・地名だけでは金にもなりません。で、こんな市庁舎が出来るという。(市のパンフレットからの写真)
災害時は公園は避難場所になっているので、公園内に市庁舎、というのはとても便利だろう。


今さら出来上がっても、徒歩15分とはかからない場所ながら、今の私には歩いて行けるやら・・もう自分に必要な市への届出は死亡届くらいだ。これは自分では出来ないし・・今更新しくなったって、という気持。
隣接して市の障害者の施設や都立図書館などもあり、この環境の良さを見て、若い世代が増えてくれれば有難いことだ。

日没の直後の富士山。師走に入って富士山も一日見えて、本格的な冬姿になった。


師走来る広々と空晴れわたり  KUMI
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疲れが抜けない

2024年11月29日 | 俳句
天気 晴れたり曇ったり

何だか、今週は全く疲れの抜けないというか、天候のせいにばかりではなく体調が一度もシャキッとしない日々だ。
25日、LINEでの句会。三人のはずが急に二人になってしまい、二人なので作る句数は少なくなったのにひどく疲れた。でもこの疲れは心地よい部分もあり。
26日は近所の眼科へ通院。まだ足の親指が痛くて、おまけに目眩がひどいし、一人はちょっと・・で、友人に付き添いをお願した。何とか普通の靴で歩けたものの、やはり帰ったらぐったり。外でランチしたかったけれど、その元気も出ず、友人にお寿司を買ってきてもらい部屋で食べる。
28日(昨日)は午後、昼食抜きでの肺のCT検査やら血液検査の日。
今月から中断している免疫療法を再開するかどうかの検査だったが、CT検査の結果は来月にならないと解らない。もう、再開したくない・・元々ふらふら状態なのに昼食抜きで午後2時半過ぎからの検査・・採血の血管はなかなか出ないし、空腹でCTの造影剤注入したら気分悪くなりそうになったり・・


と、さんざんの週でございました。夫と私の共有の友人の奥さまが急逝されたという訃報が入ったり・・もう、免疫力だだ下がりの日々だった。今日は気圧が低いようで余計に息切れ状態で。仕方ないから、朝から自分へ「頑張れ!」を連呼してみたり。友人にも「頑張れ!」と言うしかない。夫婦のどちらが残るか、の選択は出来ないので、先に旅立つ方の「早い者勝ち」だ。
妻が夫を見送るのが夫婦にいちばん良い、なんて言うけれど、それは夫側の勝手というもの。私はやはり、見送られたかった。私より若かった友人の奥さまが羨ましい、とは思わないけれど。

鴉二羽鳴かず去りたる小春かな   KUMI
(LINE句会に出した句)
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