KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

猛暑戻る、そしてオリンピック終了

2024年08月12日 | お散歩写真
天気 晴

戻り梅雨、とは言うけれど、戻り猛暑などとは言わない。でも、立秋過ぎて戻った猛暑続きは、そういう季語にしても良いのではないかしらん?とにかく、立秋の翌日だったかの朝は少し涼しいと思ったものの、昨日も今日も熱帯夜が明けると猛暑。
上の写真のように、朝の空は少しだけ澄んで見えるものの・・南側のラウンジからの富士山は見えないままだった。
今日は、台風が岩手三陸海岸に上陸したという。台風というのは、滅多に東北から北へ上陸などしないものだった。もう、私の知っている天気のジョウシキなんてめちゃくちゃ。

パリ五輪も昨日で終わった。日本選手の活躍は素晴らしいもので色々楽しませてもらったけれど・・考えれば、ロシア不在。ウクライナも全力を出してはいない。おまけに、オリンピック村の宿泊設備は食事は不味いしエアコンはないし・・という環境を事前に知ってか、日本は最善の準備をしていったのだそうだ。美味のフランス料理は、恥をかいた。やはり何でもありの日本食の方が上をいくのですよ。
メダルに貧富の差の出た大会だった、と、どこかで読んだ。何だか、申し訳ないような・・でも、日本は高級ホテルを借り切った訳ではない。

パリの街の歴史的な建物をふんだんに見せてくれる競技の映像は、楽しませてもらえた。やっぱり「花の都・パリ」、という印象は見る人に残ったはず。でもセーヌ川は大失敗だったようで。やっぱり、大都会の下水道と繋がった川は泳げるようにはならないだろう。隅田川だって、う~ん、と東京都ですら考えてしまうだろう。飼主が犬の「落とし物」の始末を全くしない市民、タバコの吸い殻を道端にも川へも捨てて平気な市民。命がけで泳いだ選手が気の毒でならない。
昨日見たYouTube、日本に10年勤務してオリンピックをきっかけに帰国したフランス人の話を見てしまった。簡単に内容を言うと、日本の暮らしがあまりにも清潔でインフラが素晴らしく、治安もサービスも快適だったので、パリの暮らしにイライラが募るばかり、とのこと。
日本で暮らし始めていちばん違和感のあった「靴を脱いで室内へ」が、帰国したらいちばん非衛生的で信じられないフランス人の暮らし、と思うようになったそうだ。
外から帰ったままの靴で暮らすくつろぎの居間の床で、子供はハイハイをする。床の玩具をそのまま口へ運ぶ、テーブルを拭いたダスターで床を拭く。日本で言えば布巾と雑巾は兼用。ということ。「最後は洗うからいいでしょ」となるのだそうだ・・日本人には信じられない。この話、以前、「フランス暮らしの日本人妻」の話として聞いたときはその家だけかと思っていたけれど。
ネズミの出る地下鉄、ゴミだらけの舗道、汚い公衆トイレ・・
だから、日本に10年も住んだこのフランス人は、また日本へ帰りたい・・と。
こんな話、うんざりするほどYouTubeには載っている。最初はフェイクかと思ったが、結局は40年以上前に私の行ったパリは、今も変わらない、ということなのでフェイクではない。経済的にはアジアの中ですら最低になってきたようだけれど、暮らしやすい清潔な日本を、もっと自慢してもいのではないだろうか。

今日の午後は、ボランティアの合唱団が来て、歌を一緒に。

カラオケ好きの所長が転勤になり、時々カラオケ大会などしてうんざりだった。その所長が転勤になってほっとした。

「ふるさと」を歌へば秋へ近づくか  KUMI
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猛暑からの避難?

2024年08月09日 | お散歩写真
天気 晴のち曇

写真は、昨日のものと同じ日に池の畔で撮った。この日も確か猛暑に近い気温で、公園の入り口近くのサギソウの展示を見た後、涼しい池の畔を少し歩くことにした。ところが・・暑くて、もう引き返そうかな、と思った芝生に、カルガモたちが群れていた。
人間が近付いても面倒くさそうにチラ、と見るだけで。多分、池の水も連日の暑さで温んでしまい、陸に上がった方が涼しかったのかもしれない。

南海トラフが動き始めた・・という昨日の気象庁の発表は、震災に敏感な私には衝撃的だった。でも、世間ではどうなのだろう?一週間は大地震の怖れの確率がかなり高い・・という情報以外は何もないから、考えてみれば今までの「いつ、どこで起きるか解らない震災」と同じことでしかない。
そう思えば、大袈裟に考えることもない。でも、世の中には色々な人が居るから、普段から震災に備えている人ばかりではないらしい。夏休みで家を離れている人もあるし外国からの観光客も多いし。
そんな、他人のことを考える余裕なんてないので、ひとまずは自分のことを。
一人のときは、「三日分の備えを」という教えのとおり、何とかなるようにしていた。住居は一応、新耐震基準ギリギリに建ったマンションだったから、潰れる心配はない。いちばん心配になったのはトイレだった。一人になってから、簡易トイレをたくさん買っておいたものだ。それを入居のとき放棄してきたのを悔やんでいる。
ここに居れば、今のところ私は自分で動けるし、職員が居なくても生き延びられそう・・でも、今もトイレが何よりも心配。どこかに災害時のトイレは用意しているらしいが・・食べ物飲み物は、無論、備蓄がしてあるということだ。私の冷蔵庫だけでも、一日分なら大丈夫。

・・などと心配しても仕方なし。南海トラフから外れている場所ですら恐怖を覚えるのだから、四国から東海の海沿いに住む人たちは、深刻に考えなおす人も居るのではないだろうか。
私が震災に敏感な反応をするのは、母は結婚前、関東大震災を東京の下町で体験していた。看護師だった母の体験談はとても真に迫っていて、子供の頃の私に「地震の恐怖」を植え付けてしまった。戦争の怖さより、いつ起きるか解らない震災の方が怖かった。戦争は、起きたら安全な土地へ事前に避難出来る。でも地震は・・

ともあれ、日本人の宿命なのだから、受け入れるほかになし。
それにしても、この騒ぎで日本を怖がって外国人観光客が減るかもしれない。来ない方がいいですよ~

手をかざす西日眩しき交差点  KUMI
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涼  そして地震が・・

2024年08月08日 | 俳句
天気 曇がち

この時期になると蔵出しのサギソウの写真に登場してもらうことになる。これは、昭和記念公園へサギソウを撮影に行った最後、2016年のもの。それ以後は、色々と実現しなくなった。暑さもあるしペースメーカー入れてからは三脚まで持参の撮影は無理になったし・・
結局、猛暑の中を撮影に行くよりも過去に撮った写真を眺めていた方が「涼」を得られる、という訳で。撮影者が自画自賛するのもナニですが、数年間は毎年のようにサギソウ祭へ行ったけれど、この、最後となった年の写真がいちばん綺麗に撮れている。


今日の話は、涼しくなるような・・ゾッとしました。身近な話も地震の話も。

さて、二ヶ月くらい前に入所されて同じテーブルで食事することとなったSさん、年齢は時々本人の話が変わるけれど94歳?で、認知症のちょっと深みへ行きそうな感じ、という状態だと思った。部屋への往復は歩行器へ掴りながら自分で出来る。それだけでも「自立している」方なのだが・・今日の話にびっくり。これはちょっと先を思いやられる。

最近のある晩のこと。彼女の話では、食堂へ来たら誰もいなかった。仕方なく待っていると、「あの方」だけが来たの。と指さした離れたテーブルの「あの人」は、やはり最近入所した、かなり認知症の出来上がっているオバアサン。普通の会話も無理かと思う人だ。
でも、その彼女と色々と話をして他の人の来るのを待った。でも一向に来る気配がない。彼女と相談して、とりあえず部屋へ戻ることにした。彼女も一緒に来たので、あまり知らない人を自分の部屋へ入れるのも・・と思い、ラウンジのソファで夜を徹して話をした。で、夜が明けたのでここへ来てるのよ。

彼女、耳が遠いので斜め前に座っている私との会話は出来ない。補聴器は入れていないことが多いから、隣のEさんと話している内容が、上のとおりで・・
「ほら、あの、えんじ色の上着の人」と、同行していた人を特定して、まことしやかに話すのだ。私はEさんに「ほんとのことではないわよ」とこっそり言ってみたが、Eさんも認知症の入り口に差し掛かっている。でも、Sさんの話があまりにも唐突なので妄想だとは、解かったようだ。
「そんなことって、あるのねえ。不思議」とEさん。
「不思議?他の人は、そういうことを経験していないのかしら?」
うわ、怖いですよ・・盗まれた、などという被害妄想よりは良いけれど、こういう話は以前にも他の人から聞かされ続けたことがある。
事務室へ行く用があったので、ついでに介護士の責任者にその話をしたら
「かなり進んできているとは聞いてるけど、妄想の話は知らない」とのことだった。レビー小体型、という認知症の型がある。アルツハイマーではなく、そちらなのか、アルツハイマーが進んだのか??

と、九州に今、緊急地震速報がTVで。何ごともありませんように。
という訳にはならず・・巨大地震注意! 今日はM7程度だったが、南海トラフ大地震の前触れかもしれないそうだ。やはり大袈裟ではなく、やってくる日が近付いたのか・・と思う。生きている間、超巨大地震はもう経験したくない、と思い続けていたのも私の身勝手でしかないのだろう。

雷鳴の揺する列島震度6 KUMI
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立秋、と言われても・・

2024年08月07日 | 俳句
天気 曇がち夜雷雨

今日は立秋、ということで朝起き抜けにベランダの硝子戸を全開してみた。少しは涼しい風が入るかも・・という期待は裏切られ、なんとも生ぬるい風で。
熱帯夜だったようだ。最近は、エアコンの冷房を弱くして一晩中付けっぱなし。そうすると暑くて目が覚める、ということもなく、夜明けまでぐっすり眠れる。
でも目覚めるとパジャマが汗びっしょりなので上着だけ着替え、4時前など時間が早いとまたベッドへ。それで眠れなければ諦めて起きるが、今朝はそれから、2時間、ぐっすりと眠ってしまった。
この熱帯夜をよく眠ること。と感心する。それなのに昼間も眠くて仕方がない。うっかりすると、ソファでスマホを開いたまま居眠り・・覚めてスマホがないと思ったら床に落ちていて、YouTubeを10分以上も付けっぱなしだったり。

今日から甲子園大会が始まった。第100回、なのだという。私が見に行ったのは80回大会だった?前の家へその時の記録したものやら記念のペナントやら、全部破棄してきたので解らない。阪神淡路大震災の翌年のことだった。三宮駅前のホテルが空いていて、三泊することにして、その後はどこもホテルが満室。その理由が甲子園大会の関係者の宿泊のためだった。
甲子園が目的の旅行ではなかったが、一度は甲子園へ行きたい、という高校野球好き夫婦の願いが叶った。たまたま帰京の日が開会式だったのだ。
ともあれ、今年が私には最後の大会になるかもしれない。コロナでこの数年はきちんとした大会にはならなかったので、今年は正常に進むらしいから楽しめそう。・・でもオリンピックもあったっけ。色々楽しむだけの元気はあるのかな?去年は、8月下旬にコロナに感染したりで大変だったし・・


早稲田実業と木更津総合とが揃って代表になるのも珍しい、と、入場式のあとの写真を撮ったのだが、向こう(テレビ局)のカメラが動いていて、静止画像が旨く撮れなかった。
どちらも活躍してくれれば、少しは私の活力になるかも、と思う。

立秋の朝たつぷりとママレード  KUMI
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広島忌・そして冷凍された心地

2024年08月06日 | 俳句
天気 曇がち

広島はいつもの年と変わらず暑そうな晴天で。写真は、2018年に行ったときの平和公園で。あまり写真にする場所ではないような気がして、公園では記憶しておきたい場所だけ撮った。5月の連休明け、修学旅行のラッシュだった。

資料館は新館への工事がほぼ終わった時期だったろうか。
資料館の中の、被爆者の遺品陳列の前で、じっと動かない外国人の若い女性が思い出される。説明文を読みながら、涙を拭っていた。黒髪のくっきりした横顔は、スペインかイタリア系のようだった。私は古い資料館のとき2回訪れているので、その場所は前と変わらない内容でもあったし、通り抜けてしまった。今も戦争は新しく起きている。どの国も、核を兵器に出来る力があるようだ。
日本だけでも良い、私の生きている間は平和でありますように。戦争は二度と見たくない。


広島忌を過ぎれば、明日は立秋だ。せめて朝晩だけでも風が涼しくなってくれれば・・そういえば、東京の猛暑日はもうピークを越えるかも・・という予報士の話だった。最高気温が34℃止まりになる・・って、ちょっと暑い所に出れば35℃になる、ということでしょ。

そんな猛暑の中、昨日の午後は心臓の血管の検査のため、病院紹介の近くの検査専門クリニックへ行った。対象者が多いので、病院では処置しきれなくて時折、そういうことがある。造影剤を注入するので、時間もかかるし器械も人手も足りないのだろう。
どうせ、検査して悪い所が増えたって今さら回復する訳でもないし・・と、患者は冷めている。狭心症と診断されてからは、もういいよ、という気持が強くなった。
ともあれ、もう決まっている検査、タクシー予約して、あーちゃんにも来てもらって・・一人ではとても往復する自信がない。万一、造影剤でアナフラキシーでも起きたら・・私の周りで、造影剤の点滴中に倒れた人を二人、知っている。無論命に影響ななかったが、滅多にないこと、とは言うけれど。
さて、私にとっての問題は・・造影剤を注入するための注射針が簡単に血管へ入るか入らないか。検査のベッドに寝かされて、自分がもう、かなり冷蔵人間になっていると思った。検査専門のクリニックだから機械が多いのだろう、そのため、廊下も待合も冷え冷えなのだ。当然、すんなりと針は血管に収まらない。
暖めて、もっと血管を柔らかくしなくちゃ・・って、患者が言ってから暖める準備を始めた。もう、体は冷凍されそうだ。看護師が二度失敗、三度目はドクターが来た。私の耳元で「もう一度、やり直しますね、ごめんなさい」と大音響・・もう、鼓膜が破れそう。痛さと寒さで私がきちんと声を出せないので、ドクターは聞こえていない、と勘違いしたらしい。口の中がカラカラで喋るのも大変だったが鼓膜は破られたくない。
「先生!私の耳は正常です、普通に話してください!」と、やっと声を絞り出した。温めている手首以外の五臓六腑、注射針が入るまでに完全冷凍状態。この前も病院で冷凍マグロになった、と思ったことがあった。でも、昨日はそれどころではない完全冷凍状態だった。

で、終わって外へ出たら猛暑の夕暮れ近く、曇空でほっとした。少し行くとファミレスがあった。この時期、絶対に昼間は客の座らないテラス席を用意してもらう。変な客、と思われているかと・・・店員には「病院で冷房がキツくて冷えすぎてしまったのよ」と言って。

ホット珈琲で「体の芯を解凍」全身が温まるまで、30分近くかかったかもしれない。
検査疲れ、というよりも、検査で余計に体調が悪くなってしまった心地だ。

戦争がまた増えてゐる広島忌   KUMI
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独りごと

2024年08月03日 | 俳句
天気 晴

写真は木槿。もう咲いているが、初秋の季語になる。猛暑日はまだまだ続いて、あと1ヶ月くらいはこのままの天候のようだ。あくまでも未来の天気は予報でしかないけれど、最近は外れることも少ない。時々ゲリラ雷雨もある猛暑が日本の夏の当たり前な日々になっていく、ということなのだろう。
昭和記念公園のノラ猫。あちこちに居て、結構人なつこいノラも。
彼らの独り言。
~~~~~~~~~~~~~~~
熱帯性気候になったら、毛皮の脱げないあたしたちはどうなるのよ、池の畔の日蔭で何とか息しているけど、この緑蔭だって真昼になると居ても立ってもいられなくなるの。池に飛び込みたい気持・・でも泳げないしねえ。亀やら鯉は泳げて涼しそうで・・と見ていたの。でも昨日、水呑みに池の端っこをちょっと舐めたら、暖かいのよ。呑むにはいいけど、亀も鯉もあんまり快適ではないのかも。


こう暑いと、昼間は寝てるしかないねえ。人間はよくまあこの暑さの中を歩いてるね。最近は熱中症とやらで道にぶっ倒れる年寄も居るらしい。猫は熱中症になんかならないよ、なぜって、この厚い毛皮が日除けにもなってるからね(と、猫は言います。強がり?ほんと?)脱げないのには意味がある。
食べ物はどうしているか、って?真昼は体力温存、夕方になったらトカゲを捜しにいくかな。
で、なんといってもご馳走は、蝉の踊り食い。夜中に蝉穴から出てくる蝉の幼虫をじっと待って、ガブリと食べる。実に美味しいのだ。蝉時雨の下で昼寝していると、今夜はたくさん獲れそう・・とニンマリ。うるさい蝉時雨も、ご馳走の前触れに聞こえてくるさ。羽化したばかりの蝉も、柔らかくて美味しいよ。でもこれは、明け方過ぎに羽化するから、生まれたてのいちばん美味しいところをカラスに喰われてしまう。猫にも羽があればねえ・・だけどヤツ等は闇では行動出来ない。どっちがいいのかな?

人間さん、公園へ来るときは熱中症に注意して。

白日傘続く男の黒日傘  KUMI
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溢れるゲリラ雷雨

2024年08月02日 | 俳句
天気 晴

ゲリラ雷雨は今日はお休みのようだ。
写真は東京の水源地のひとつ、奥多摩湖に近い御岳渓谷。奥多摩湖が満杯になる程度の雨で終わればいくら降っても良いけれど、ダムにだけ降る訳ではなくて都会の方に降ってしまった。一昨日の夕刻は、その雲の通過を見ただけでも怖かった。
写真の右方向が池袋方面。雨雲は過ぎたあとだったが雨はまだ残っていて、ベランダの戸を開けなので丸いのは硝子の雨粒です。

東京の街なかの小さな河川は、昔から、ちょっとした台風でもすぐ溢れた。で、今は地下の「貯水池」に一旦溜まるようにしている。そのおかげで、昔はよく溢れた街の中小河川の氾濫が少なくなった。東京都のおかげ・・というか、元は我らの税金ではある。詳しいことは解らないけれど、これは、世界に誇れること、と思っている。コンクリートの街には保水力がないので、この地下貯水がなければ東京はもっと水浸しの被害が多かったのでは・・
でも一昨日は浸しになった町もあって、ともかく凄い量が降ったということだ。

世界中であちこち起こる水害の映像を見ていると、大陸などは比較にならない規模の被害になっている。治山治水、とは言うけれど、日本は大昔から大名も農民もこ水と闘ってきた。いちばん大事なのは水田だから。それでも追い付かない最近の水害や土砂崩れ・・
人間の知恵では解決しないところへ、地球は向かっているのかしらん?
などと、地球規模のことを考えていると、自分の今の体調なんてどうでもよくなってくる。

猿も滑るような木登りし難いツルツル木肌に、花は百日咲くから百日紅、と書いてサルスベリ。このあたり、百日紅の並木が結構多い。暑い年ほどよく花を咲かせる木のようだ。その丈夫さで並木によく使われたのだろう。原産は中国とあるが、樹齢700年以上、という古木がお寺さんの境内にあった。今年も元気に花を付けただろうか・・

オリンピック真っ最中。楽しもうと思えば昼寝して真夜中に目を覚まして、という暮らしが出来ない訳ではない。でも、柔道の中継を見ていたら心臓がバクバクになった。卓球は目眩がひどくなるので、この数年、見ないようにしている。でも、一発勝負の格闘技は、本当に心臓には良くないのだと思った。結果をネットで確認して、ニュースでゆっくり見ることにした。
大体が、パリオリンピックを楽しむ、という予定は、私の人生にはなかった筈なのだし。

街角の午後は日当たる氷旗  KUMI
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・・いつまで続くこの猛暑

2024年07月30日 | 俳句
天気 晴のち曇 一時雨

街を歩いていたらしい中年男性が、歩道で息耐えていたという。昔で言えば「行き倒れ」昔は、貧しい旅人が何日も食べずに衰弱しての末だったが、今は熱中症らしい、とのこと。恐ろしい・・でも、潔い最期なのかもしれない。
そんなニュースを見てしまうと、いつ心臓発作が・・と、外へ出る気分にはとてもなれない。
涼しい写真が思いつかなかったので、元気の出るヒマワリを。

体調悪いことばかり書いても、元気になる訳ではないので・・
猛暑続きを句にしようと、歳時記を開いてみた。歳時記の細かい字はちょっと面倒なので、最近は電子辞書ばかり利用しているけれど。
昔は極暑、というのが最高の暑さだったようで、古い句も多く残っている。「猛暑」は「極暑」の傍題でしかない。なので、例句もまだない。
天気予報の世界のコトバから発生したのだと思うから、仕方ないとはいえ・・
「この暑さはたまらぬ、暑さ極まった」と思って極暑という熟語ができたのだと思うけれど、今は、極暑・酷暑の上に「猛暑」があって、汗みどろになるガマン出来ない気分の蒸し暑さが「溽暑」・・えっと・・猛暑と酷暑って、どちらが上だったっけ?調べるのも暑苦しい。
そうそう、写真のようなからりとした空の太陽が照りつける暑さは「炎暑」だった。炎暑、と書くとジクジクの今の日本の暑さは感じない。炎暑の真昼なら、緑蔭へ避難して冷たいものを飲むのも、美味しい・・と感じられそう。

 城跡といえど炎暑の石ひとつ  大木あまり

こんな句をどこかで読んだことがあって、やはり歳時記に載っていた句だった。
炎暑、という季語にあまり暑さを感じないような、最近の猛暑続き。
冷房入れればいい、と言う問題ではない。足先だけが冷えてしまい、私は凍傷みたいに足先を病んでいる・・って、やめようと思いながら、今日も体調不良の愚痴が出る。他には何もないし・・

※「・・いつまで続くこの猛暑」の「・・」にお好きな上五を付けると句になります。猛暑籠りのお遊びに。
「水飲むやいつまで続くこの猛暑 KUMI」

極暑酷暑炎暑と書いて猛暑の日  KUMI
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猛暑と体調不良とオリンピック

2024年07月28日 | 俳句
天気 晴のち曇がち

涼し気な写真はないか、とファイルを捜していたら、何と涼し気なノラ。緑蔭の土の冷たさを楽しんでいたのだろう。人間には出来ないこと。
今年の暑さはもう去年越えで、あと何日続くやら・・そしてわが体調も、ニトロの世話になった24日以後、天候に連動しているのかいないのかともかく良くないい。
そんなことに耐えているうち、オリンピックが始まってしまった。パリの街がゆっくり見物できる、と楽しみにしていたら大雨で、テレビまで濡れてしまいそうな。欧米人やアフリカ人は雨を苦にしない人が殆どだけれど、私は大嫌い。夏休みに昔パリへ行った時は雨には遭わなかった。
ともあれ、パリ旧市街やセーヌ川沿いは何十年経っても同じ風景だ。

でも、開会式のシャレすぎの演出に疲れた。フランス人には理解出来る内容も、見ているパフォーマンスの意味が世界の人には解らないのだから、演出の凝り過ぎではないのだろうか・・
単純に、外観だけは綺麗なパリの街を見せてくれた方が有難かった。それは又、マラソン競技で見られる?

昨日は、姉と、兄の娘の姪が会いに来てくれた。姉とは何年ぶりだろう・・義兄の介護をずっと続けていたので、夫の葬儀には、来られなかった。その義兄が先月亡くなり、自由に行動出来るようになったので、私の「老人ホーム暮らし」を一度見てみよう、と思ってくれたようだ。本人は歩行がちょっと不自由なだけで夫の介護をしていたくらいだから、まだまだ施設は必要なさそう。
で、姉たちの居た昨日の午後はまだ良かった。今日も朝のうちはまだ良かった。が、昼ごろから目眩動悸息切れ・・復活した。もう、このままこれは生涯治らない?と諦めるのも早いかな・・

と思いつつ、今日は高校野球の地方予選の決勝だった。
このところ、負け続けていた早実が、今年は9年ぶりに甲子園ですよ。久々に神宮の高校野球の試合を観ることが出来た。夫が生きていたら私以上に喜んだのに・・と思った。中学の野球仲間が進んだ学校で、身近になっているみたいだった。夫は結局、才能がなかったということだったようで。・・もっと関係ないけど王貞治氏は夫と同い年でもあるし。
今はわが市内にあるので、わが市の誇りでもあります。ちなみに、幼稚園からあって、結構名門校となっているようで。
さて、学校の正式名称は「早稲田実業学校高等部」なので、お間違いなく。
大接戦の試合に勝ったので少しは元気を貰えた気がする。けれど・・相変わらず、ちょっと動くと動悸息切れ。今日は施設の「夏祭」だったが、結局部屋に籠りっきり。でも美味しいスイカを届けてくれた。生の果物はバナナ以外は出されないので、有難いこと。半分はおやつに、半分は夕食のデザートに出来た。今年はスイカの当たり年?とっても甘くて美味しかった。

という近況です。「暑い時間帯に外出したのが堪えたのでは?」と若い介護士さんに言われた。そうかもしれない。それならいいけど・・食欲だけはあるので、まだ大丈夫かも。

鴉ひと声猛暑日の朝を告げ  KUMI
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土用丑の日また雷雨・初ニトロ

2024年07月24日 | 俳句
天気 36℃ 晴 ゲリラ雷雨

写真は、久々の本日の実写、猛暑の午前10時の駅前広場。すでに33℃くらいだったようだ。どうしても請求書の支払いがあって駅前のコンビニまで行かねばならない。暑いから、とか雨になりそうだから、とか毎日避けていたら支払期限が過ぎてしまいそうになった。いつもなら、写真の手前の石のベンチでしばらく休むのだが・・熱くなった石では火傷しそう。

今日は丑の日で、昼食には鰻のナントカが出るらしい。別注文の鰻丼もあったっけ?
わからないが、世の中で私の唯一食べられないものが鰻、この日の昼は食堂に居ないことにしている。匂いも我慢出来ないのだ。
で、どうせコンビニへ行くのだから、と思い、いつもは食べられない鉄板焼の鶏肉と厚焼き卵と塩にぎりを買った。電子レンジは共有のものがラウンジで自由に使える。胡瓜は、最近はいつも買ってある。薄切にして塩を振りかけただけだけれど、生野菜は食堂では絶対に出ない。

焼鳥は美味しかったけれど、味はかなり強め。黒胡椒が効き過ぎ・・いつも、老人向けの薄味に慣れてしまったせいだろう。その代わり、卵焼きの甘いこと。ちょうど鶏肉とのバランスがとれたけれど、塩味の効いた卵焼きしか作ったことのない私はびっくりした。ここのコンビニの出汁巻き卵は美味しい、と友人に聞いたことがあったのを思い出して買ったのだ。でも、もう買いません。

昼食を終えて眠気と闘っていたら、外が暗くなって雷鳴がだんだん近づいて、一昨日ほどではないがゲリラ雷雨に。同じ時刻、埼玉南部では凄まじい風雨に見舞われたらしい。雷鳴の終わった頃の空。真っ黒な空の下が埼玉境。


このあと、胸が痛くなった。冷たい水を飲んだら落ち着くかな、と思ったが治らない。先日の夜中の発作に比べたら我慢できない訳ではない。でも、血圧は高いし、こういう時に「ニトロ」を使うのかな・・と思い、看護師に来てもらい確認した。舌の下に入れて溶け始めたら痛みが遠のいた。ニトロは出かけるとき用にバッグにも入れている。でも、必要な人は専用のペンダントトップに入れ持ち歩いていると聞いたことがある。
私の狭心症は、安静時しか発作は起きないらしいので油断しているけれど・・

雷雨の過ぎた夕暮れの空、
明日も同じような天気だという。いつまで続く猛暑プラスゲリラ雷雨。

雷神の暴れ尽くして去る速さ  KUMI
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