KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

何もない日の独り言

2024年12月16日 | 俳句
天気 晴

2016年12月、何とか普通の暮らしをしていた頃、国会議事堂へ吟行句会に行ったっけ・・子規の「武蔵野吟行」をたどる吟行を再現していた。12月の国会は閉会中で静かだった。
私が顔を見るのもイヤだった首相の時代だっけ・・今の首相は可哀そうですよ、かの悲劇の首相の業績の、尻ぬぐいしているのだから。かといって、私は同情も支持もしていません。

今日は、三度の食事以外は何も予定のない日。こんな日は珍しい。個人的に通院があったり、すぐそこまでの外出予定があったり・・という日もあるし、施設の予定で午前は入浴、とか週1回のリネン交換とか。昨日はボランティアのバイオリン演奏があった。ボランティアの催しも、参加するもしないも自由だが。この女性、プロとしても活躍している市内のバイオリン教室の先生、
演奏技術が素晴らしい。「戦場のメリークリスマス」を演奏してくれた。坂本竜一はもう居ない・・この1年で随分たくさんの著名人が亡くなった。そんなことを考えてしまった。
ボランティアでも、あんまり・・という合唱団などあるので要注意だ。「一緒に歌いましょう」と、必ず歌う中には「ふるさと」が。涙流している認知症の人が居るのであまり言えないけれど、うんざりの歌だ。なぜって、私は海育ちなので、兎も小鮒も獲ったことがない。歌で拡がる故郷の懐かしさが感じられない。子供の頃に帰れるいちばんの歌は「浜辺の歌」かもしれない。「あした浜辺をさまよへば・・


なにもない日でも、食堂へは行かねばならない。
最近、つくづく思うことがある。耳の遠い人は認知症になりやすいし、認知症になってからも進行しやすい、と言う。脳を刺激する情報が少なくなるのだから、たしかにそうだと思う。で、「進行しやすい」を私は今、目の当たりのしながら食事をしている。右隣のMさん。つい一ヶ月くらい前から私の隣になった。元美容院経営の「すご腕」美容師?本人がそれを繰り返し自慢したくて仕方ないみたいなので、あまりその話に方向が向かないようにしている。ただ、耳はとっても遠いのに補聴器入れないので、大声を出せない私とは会話が成立しない。
その彼女、私は会話しないが、前の人に色々と話しているのを聞いているだけだが・・
部屋へ無断で入ってくる人が、だんだん増えていく。先日は「ドアから腕だけ見えてクリーニングしたばかりのセーターを持っていかれた」そうだ。私は「大声の出せない心臓病なので」と断ってあるから、前の席の人へ一方的に話す。聞いているSさんは相槌だけ打っているけれど、彼女もかなりの難聴で、話の内容は解かっていないようだ。話が毎回エスカレートするけれど、私は無視。この「見えない人が見える」幻覚、どこまで続くのだろう?
相槌を打っているSさんも、補聴器を装着したりしなかったりで、斜め前の私とは会話出来ない。良家のお嬢さまから家庭婦人になった、という感じで、教養もある94歳。・・彼女は幻覚妄想なしだが、数分前のことも忘れる。会話は普通に出来る方なので補聴器を入れてくれば・・と思うのに、何が不快なのかイヤだから入れない、と家族からの申し出で最近はやめてしまった、とケアマネさんの話。耳元で話せば聞こえるので、本人は困らないらしい。ま、私は格別彼女と話したい訳でもないけれど・・以前は解っていた自分の部屋の在り処が解らなくなり、一人では食堂へ往復出来なくなった。エレベーターの乗り方が解らなくなったのだ。
そんなの、階の数字を覚えればいいことでしょ、と思う方、その数字を明日まで覚えていられない人がここでは珍しくないのですよ。極端な話、「夕飯です」と食べ始めても、食べ終えたら「今のは朝食?」という人も珍しくないのだから。
もの忘れのどんどん進行するのを見ていると、やはり会話が大事なのに・・と思ってしまう。
人のことなど心配する余裕なんかないのに・・と思いつつも。

わが寿命測ってもみる日向ぼこ  KUMI
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3 コメント

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Unknown (小父さん)
2024-12-16 21:55:42
>私が顔を見るのもイヤだった首相の時代だっけ・・

はっはっは、国会まで吟行にいかれていたのですか。

>かの悲劇の首相の業績の、尻ぬぐいしているのだから。かといって、私は同情も支持もしていません。

わっはっはっは、私の気持ちも近いです。

>今日は、三度の食事以外は何も予定のない日。

最近の私もよく似ていてテレビをつけてよく居眠りしています。

>必ず歌う中には「ふるさと」が。涙流している認知症の人が居るのであまり言えないけれど、うんざりの歌だ。

なるほど、そうなる(涙流し)のですね。

同年代の自慢話には私もいつもウンザリしています。

難聴や認知症の人といっしょに過す時間って疲れるでしょうね。
長兄が入院している時見舞って、「個室から談話室には行かないの?」と言ったら「あんな所に行ってもつまらないよ!」と兄が返事していたことが今、よく分かる気がします。

>もの忘れのどんどん進行するのを見ていると、やはり会話が大事なのに・・と思ってしまう。

わたしも、読ませていただいて、せいぜい人との接触だけは続けようと思いました、

「わが寿命測ってもみる日向ぼこ  KUMI」

今日観ていたクリント・イーストウッドの映画『グラン・トリノ』を観ても自分の人生と照らし合わせるようになってきました。

有難うございました。
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小父さん、子規ご一行の行ったところ (KUMI)
2024-12-17 15:57:44
昭和初期、子規が吟行で行った場所を再吟行という試み、俳人には珍しいことではないようです。
今も仲間の間では続いています。
俳句は本気で続けると色々飽きることがありません。

認知症の方たちとの付き合いも、知識のない時期は本当に疲れました。
今は、本気で「勉強」しましたからコツがわかり、疲れません。
疲れるのは、耳の遠い人との会話です。
体力的に無理。相手は普通に話しているのに、なぜ私が大声出して疲労困憊しているの・・
と、時々腹が立ちます。

小父さんは奥さまがいらっしゃるので、会話しない日はない訳で。羨ましいことです。
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Unknown (ふきのとう)
2024-12-17 17:34:45
天然歯の多い人ほど認知症に縁遠いと聞きますが、果たして・・・。私もそのうち認知症になるやもしれません。姉たちも斑認知でしたので。努力で認知症が避けられたらいいのですが、果たして・・・。
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