>今日は、佐野市役所に行ったついで
唐沢山城祉に行ってきました。
上杉氏、北条氏の度重なる攻撃にも耐え
和議に持ち込んだ”名城”です
今回は、城の西側、田沼側から登りました
上り口には、唐沢山神社の鳥居があります
つづれ折の坂道を登って
レストハウス前の駐車場です
唐沢山城は佐野市の北、標高240mの山全体をいいます、往時の広さは550町歩とい
われ、眺望は、関東平野を一望に、遠く北より日光連山、西に赤城・榛名・妙義の上毛三
山、浅間山、秩父連山、南アルプス、そして富士山、東に筑波と自然の要塞である。
唐沢山神社の御祭神 秀郷公により千年前の延長年間の築城といわれ、この城を中心に
天慶の乱を平定して大きな功績を挙げ、その功績により鎮守府将軍として、関東から奥州
方面nまで影響力を及ぼした、その後700年間多少の変遷はあったが、秀郷公の子孫佐
野氏代々の居城として、16世紀中ごろに、現在の形を整えてきたといわれています、関
東七名城の一つに数えられ、中世山城の典型としての旧態を今に残し、代々の変遷の跡も
見られ近世初期にまで下がる整備の跡もうかがえます。
江戸初期に、山城禁止令により、佐野市の城山に城換えとなって唐沢山城は廃城と成りま
すが、明治になり唐沢山城が建てられると、全山境内地と成り、県立自然公園にもしてい
され、四季おりおりの風景の中秀郷公以来の歴史を偲ぶことが出来ます。
枡形の前です
内側です
天狗岩にのぼりました
新しく出来た、北関東道が足元を通ります
西方の大小山
中には鯉がいました
唐沢山城祉に行ってきました。
上杉氏、北条氏の度重なる攻撃にも耐え
和議に持ち込んだ”名城”です
今回は、城の西側、田沼側から登りました
上り口には、唐沢山神社の鳥居があります
つづれ折の坂道を登って
レストハウス前の駐車場です
唐沢山城は佐野市の北、標高240mの山全体をいいます、往時の広さは550町歩とい
われ、眺望は、関東平野を一望に、遠く北より日光連山、西に赤城・榛名・妙義の上毛三
山、浅間山、秩父連山、南アルプス、そして富士山、東に筑波と自然の要塞である。
唐沢山神社の御祭神 秀郷公により千年前の延長年間の築城といわれ、この城を中心に
天慶の乱を平定して大きな功績を挙げ、その功績により鎮守府将軍として、関東から奥州
方面nまで影響力を及ぼした、その後700年間多少の変遷はあったが、秀郷公の子孫佐
野氏代々の居城として、16世紀中ごろに、現在の形を整えてきたといわれています、関
東七名城の一つに数えられ、中世山城の典型としての旧態を今に残し、代々の変遷の跡も
見られ近世初期にまで下がる整備の跡もうかがえます。
江戸初期に、山城禁止令により、佐野市の城山に城換えとなって唐沢山城は廃城と成りま
すが、明治になり唐沢山城が建てられると、全山境内地と成り、県立自然公園にもしてい
され、四季おりおりの風景の中秀郷公以来の歴史を偲ぶことが出来ます。
枡形の前です
内側です
天狗岩にのぼりました
新しく出来た、北関東道が足元を通ります
西方の大小山
中には鯉がいました