ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

続きです、本丸新田神社!!

2011-11-23 20:28:03 | Weblog
新田神社は、金山城本丸に立っています

復元された日の池の畔からもう一段上に上がります

鳥居や藤棚、大欅があります




大欅の脇より、足利し方面が見えます

筑波山も確認できました

階段を上がって本丸です




新田神社拝殿


左に御岳神社拝殿

梅若稲荷神社が並んでいます




社殿の裏にも色々な、社や尊像がありました

裏側の土の斜面を下って






大欅の前に出てきました

新田神社は、整備されていません、

今後の大田市教育委員会の発掘調査などが無いと

本丸いったいは崩壊してしまうかも知れません



でわ、車に戻ります


帰りに東側麓より、金山城を見上げました
コメント (2)
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続いては、大田の金山城です!!

2011-11-23 16:54:30 | Weblog
大田市の北側の小高い丘の上

頂上に新田神社が有ります

現在、発掘調査と

調査の済んだ地域から復元作業が進んでいます

城祉の復元が完成するには

まだまだ多くの時間を要しそうです

金山城は、平安末期、新田氏によって築かれ、新田義貞一族の滅亡と共に廃城と成った。
約100年後、文明元年に新田家純が再築したが、重臣の横瀬泰繁のために殺されました。
安繁の子、成繁は姓を「由良」改めて、両毛地方を制服し、金山城全盛時代をもたらしました、天象12年に、北条氏に金山城を攻められ篭城半年、ついに和睦開城、由良氏は桐生城に引退、北条氏より城代が派遣されていました、天正18年北条氏滅亡と共に廃城と成りました。
金山城の構造は、日本式山城と朝鮮式山城の混合形式で、本城水手郭に石垣を螺旋状にした、軍用貯水地がある、全城石垣で築かれ野面積みで、軍用植物として、竹・梅・蜜柑・茶・樫・さいかち等今でも残っています。
金山城は金山丘陵全体に築かれた雄大な山城で、重要部分は本城・西城・坂中城・八王子山矢倉台の4城郭で構成されています。
では、



発掘調査のため、大手口からの登城は現在出来ません

奥の駐車場より、登城しましょう



大田市のガイドマップ



金山城の案内図面



金山ハイキングコースの案内図面です

この日も、元気な女性たちで賑やかでした



この先、堀切・矢倉台・物見台へと続きます


















物見台からは、北の方面が良く見えました

西から、


浅間山、榛名山

赤城山

袈裟丸山、日光白根山・男体山

桐生市と阿蘇山地です


眺めの良い所なので、国土地理院の三角点がありました

思わず”タッチ









大手道の発掘調査をしています


大手虎口です










日の池の上二の丸は休憩施設やトイレなどあります





長いので、続きにします
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続いて、山上城です!!

2011-11-23 15:00:47 | Weblog
善城から東の新里にあります

沢を3つくらいかな

完全に公園化してる三の丸から

林の中の本丸まで落差が大きいです

では、











山上城は鎌倉時代から流行した館作りn本丸を中心として、同様の長方形の廓を組み合わせた南北650m東西220mの細長い形状の丘城です
北から南に笹郭・北郭・本丸・二の丸・三の丸と並び、二つの堀切を隔てて、高さ約5mの物見台持つ南郭へ続き、空堀・帯郭・腰郭が渦状にめぐっている、更に、東の沢川、西の山田川の浸食による谷地が堀の役目を果たしており、巧妙な手法によって築城されていることがわかる
この城は、田原藤太といわれ、藤原秀郷の子孫である五郎高綱が山上の姓を名乗り居城とした、高津なの子、太郎高光は源頼朝に仕え、上杉氏が関東管領の頃は、由良氏・薗田氏・桐生氏とともに東上州四家として、重要な役割を果たしていました
北条・武田・上杉氏などの群雄が割拠した戦国時代末期の天正18年(1590年)廃城となりました。

田原藤太と藤原秀郷は同一人物です、ムカデと蛇は赤城山の神ムカデと日光男体山の神の蛇が戦場が原で戦った伝説、藤原秀郷が京都で大ムカデを退治して弓の名人であったこれも伝説に由来しているようです

京都のムカデ退治の話は、唐沢山城の池の前に掲示が有りました



















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城跡訪問、膳城です!!

2011-11-23 10:39:54 | Weblog
赤城山を下って

赤城神社から更に東へ行きます

元の粕川村で善城の案内版がありました

少し坂道を登って左側に

善城祉を見つけました






善城跡は、土塁と本丸二の丸そして

西側が良く残っています






















規模は小さいですが、良い史跡です

県の史跡では勿体無いですね
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赤城神社に行きました!!

2011-11-23 07:20:17 | Weblog
通常。赤城神社というと

赤城山の頂上、大沼の畔に立つ神社のことを言いますが

赤城山の南面、元の宮城村にある赤城神社です

境内から湧く”美味しい霊験新たか”な

水を汲みに来る人たちが、多くいました

南面道路から坂道を上がっていくと

鳥居が見えてきます、駐車場は左に入った所に

大きな駐車場があります

駐車場から社務所の前に来ると



スイカのモニュメントが有ります

スイカの新しい品種が開発されたときの記念のようです

さて、神社です



近くの観光名所の地図や



境内の案内が有ります

神社の由来など





正面の鳥居です

右の車は、境内に水汲みに来ていた人の車でした





ん狛犬は、鞠を持っています



手水社の後ろに大きな池があって

境内の水の豊かさに関心します

参道右に、神代文字の碑があります







拝殿は落ち着いた作りです

氏子達が集まって、祝詞が行われている所でした

境内には、杉の大木が林立しています






中門の前にも



本殿の回りも



神楽殿の回りも

杉がいっぱいです



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