南本町は、上越市役所の南5kmのところ
高田城址公園の南西側です
県道198号線の北側に最賢寺が有ります
寺の西側に墓地を挟んで
駐車スペースが有ります

前の道路沿いに案内板です


境内入口です




本堂前に目的のイチョウがあります

本堂です

説明版です
大谷大学名誉教授
金子大榮生家
明治14年(1881)、当最賢寺住職
勇榮の長男として生まれる。少年期はこの
地で過ごし、中学4年の時に高田を離れて
真言宗京都中学に編入学した。
明治37年(1904)真宗大学を卒業
その後高田へ戻り布教と郷土の子弟の教育
に専念していたが、著書「真宗の教義及其
歴史」が世に認められ、大谷大学教授に迎
えられた。この間、宗教誌「精神界」「見
眞」「佛座」の刊行などにかかわり、仏教
界の発展に心血を注いだ。
昭和3年(1928)教義の解釈上の問
題から大谷大学を去るが、昭和17年(1
942)再び同大学教授に復帰し、昭和2
4年まで教鞭をとった。以後も、思索と執
筆を続け「金子大榮選集」ほか、数多くの
著書を残した。
仏教哲学一途に燃焼した生涯は、仏教界
はもとより、日本哲学の道においても高く
評価されている。
昭和51年(1976)没、享年95才
平成5年11月 高田文化協会



東がわから




本堂前から見上げました


北西側道路から
では、次へ行きましょう

高田城址公園の南西側です
県道198号線の北側に最賢寺が有ります
寺の西側に墓地を挟んで


前の道路沿いに案内板です



境内入口です





本堂前に目的のイチョウがあります


本堂です


説明版です
大谷大学名誉教授
金子大榮生家
明治14年(1881)、当最賢寺住職
勇榮の長男として生まれる。少年期はこの
地で過ごし、中学4年の時に高田を離れて
真言宗京都中学に編入学した。
明治37年(1904)真宗大学を卒業
その後高田へ戻り布教と郷土の子弟の教育
に専念していたが、著書「真宗の教義及其
歴史」が世に認められ、大谷大学教授に迎
えられた。この間、宗教誌「精神界」「見
眞」「佛座」の刊行などにかかわり、仏教
界の発展に心血を注いだ。
昭和3年(1928)教義の解釈上の問
題から大谷大学を去るが、昭和17年(1
942)再び同大学教授に復帰し、昭和2
4年まで教鞭をとった。以後も、思索と執
筆を続け「金子大榮選集」ほか、数多くの
著書を残した。
仏教哲学一途に燃焼した生涯は、仏教界
はもとより、日本哲学の道においても高く
評価されている。
昭和51年(1976)没、享年95才
平成5年11月 高田文化協会



東がわから





本堂前から見上げました



北西側道路から

では、次へ行きましょう

