ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県上越市、南本町最賢寺のイチョウです!!

2018-07-02 16:55:47 | 巨樹・大木
南本町は、上越市役所の南5kmのところ

高田城址公園の南西側です

県道198号線の北側に最賢寺が有ります

寺の西側に墓地を挟んで駐車スペースが有ります



前の道路沿いに案内板です

境内入口です

本堂前に目的のイチョウがあります

本堂です

説明版です
 大谷大学名誉教授
  金子大榮生家
 明治14年(1881)、当最賢寺住職
勇榮の長男として生まれる。少年期はこの
地で過ごし、中学4年の時に高田を離れて
真言宗京都中学に編入学した。
 明治37年(1904)真宗大学を卒業
その後高田へ戻り布教と郷土の子弟の教育
に専念していたが、著書「真宗の教義及其
歴史」が世に認められ、大谷大学教授に迎
えられた。この間、宗教誌「精神界」「見
眞」「佛座」の刊行などにかかわり、仏教
界の発展に心血を注いだ。
 昭和3年(1928)教義の解釈上の問
題から大谷大学を去るが、昭和17年(1
942)再び同大学教授に復帰し、昭和2
4年まで教鞭をとった。以後も、思索と執
筆を続け「金子大榮選集」ほか、数多くの
著書を残した。
 仏教哲学一途に燃焼した生涯は、仏教界
はもとより、日本哲学の道においても高く
評価されている。
 昭和51年(1976)没、享年95才
  平成5年11月 高田文化協会


東がわから

本堂前から見上げました

北西側道路から

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新潟県上越市、五智国分寺です!!

2018-07-02 05:33:43 | 文化財・寺社
五智地区は、上越市役所の北北西約4kmのところ

JR北陸本線と県道468号線の間に五智国分寺が有ります

参道入口脇に参拝者用駐車場が有りますので利用させて頂きました




五知国分寺からの遊歩道案内板です

参道入口です

大きな石碑が建ちます、回欺妙因 施乃一切 信毀見聞 共會實道と梵字です

山門の仁王門です

仁王様です

芭蕉句碑です
 



塔が見えて来ます

三重塔です

説明版です
  五智国分寺三重塔
 国分寺は、聖武天皇が天平13年(741)
1国1寺の建立を命じたのがはじまりです。
 当時の越後国分寺の所在については諸説があ
り、現在まで位置はわかっていません。
 現在の国分寺は、永禄5年(1562)7月
廃寺のようになっていたものを、上杉謙信が再
興したものです。
 しかし、その後何回か火災にあって焼失し、
三重塔を現在の姿に建て直したのは安政3年(
1856)です。宮大工曽武川常右衛門、江崎
の長三郎のてにより、およそ20年かかってい
ます。壁面は高田の住人石倉(後藤)正義銘の
十二支と二十四支考の中から選んだ十二考の彫
刻がはめこまれています。
高さ25,85m間口4,8m奥行き4,8m
新潟県指定文化財 昭和51年3月31日指定




本堂です

親鸞聖人像です

北側の出入り口です

ケヤキの太い根がコンクリとの擁壁を壊していました


境内西側の道路沿いの道標です

説明版です
「五智如来」の道標と五智国分寺
 五智国分寺は永禄5(1562)年、上杉
謙信にによって現在の地に再興されたときは
東向きに建てられていました。寛正6(17
96)年に本堂が焼失すると、再建にあたっ
て、加賀街道(北陸道)を参勤交代で通る加
賀藩、前田のお殿様に五智如来を礼拝してい
ただくため、現在のように南向きに替えられ
たと伝えられています。加賀街道は、参道入
口の前に立つと左手の窪地に伸びる細い道で
す。
 この「五智如来」の道標は文化14(18
17)年に建てられました。いろいろな説は
ありますが、そのときは国分寺参道入口にあ
って「左かが道 五ち」と旅人の案内をして
いました。
 明治19(1886)年に直江津の駅前通
りから「新道」が通るとき、道標の前の道も
開かれたため、その役目を終え現在の位置に
移されたものと思われています。
 このように私たちは、道端の何気ないもの
からも地域の歴史を知ることができるのです。
 平成27年9月9日
  五智地域青少年を育てる会


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