霊山町泉原地区は、伊達市役所の東約6kmのところ
県道31号線(浪江国見線)の東側に泉原小学校が有ります
小学校入口の北側に小さな川があり
ここを西に入った広瀬川との合流点に
お経塚の欅が在ります
車を県道の広い所に止めさせて頂いて歩いて行きました
県道の万事橋の北側を西へ入ります
個人宅の入り口のような所の先に、ケヤキの巨木が見えて来ます
伊達市指定文化財 天然記念物の標柱です
お経塚の由来の石碑です
お経塚の由来碑
広瀬川と法霊川に面する一角に生茂る
老大樹は昨年天然記念物に指定された、
この大樹の前の道は昔隣村に通ずる道路
であった、この老木の許にある供養塔は
泉原住民の祖先が信仰した法華経を自分
の手で納めたお経塚に建てたものである。
その由来は、今より240余年前の享
保10年に隣村まで疱瘡が流行してきた、
そこで、蓮昌寺18代重善院日感は悪病
を退散せしむべく村民の協力を求め、法
華経の経文の数ほどの小石を(69384)
集め之を洗清めて一石に一字づつ経文を
拜写し、この法華経を隣村に通ずるこの
場所に納めて題目塔を建立し、七日七夜
大衆と俱に祈願を籠めたこの功徳により
悪病は退散し、村内は安全を得たのであ
る。
その後、村民は毎年お経塚の祭禮を行
い、村内の安全を祈願して今日に至る、
時なるかな今回當村在住の事業家八島長
治氏の特志により、此処に此の由来碑を
建立された。
茲にお経塚の由来をしるすと俱に八島
氏の不滅の業績を併記して深く感謝の意
を表す。
昭和50年3月21日
東から、目通り幹周り5,3mの巨木です
お経塚の石碑が根元に並びます
では、次へ行きましょう
県道31号線(浪江国見線)の東側に泉原小学校が有ります
小学校入口の北側に小さな川があり
ここを西に入った広瀬川との合流点に
お経塚の欅が在ります
車を県道の広い所に止めさせて頂いて歩いて行きました
県道の万事橋の北側を西へ入ります
個人宅の入り口のような所の先に、ケヤキの巨木が見えて来ます
伊達市指定文化財 天然記念物の標柱です
お経塚の由来の石碑です
お経塚の由来碑
広瀬川と法霊川に面する一角に生茂る
老大樹は昨年天然記念物に指定された、
この大樹の前の道は昔隣村に通ずる道路
であった、この老木の許にある供養塔は
泉原住民の祖先が信仰した法華経を自分
の手で納めたお経塚に建てたものである。
その由来は、今より240余年前の享
保10年に隣村まで疱瘡が流行してきた、
そこで、蓮昌寺18代重善院日感は悪病
を退散せしむべく村民の協力を求め、法
華経の経文の数ほどの小石を(69384)
集め之を洗清めて一石に一字づつ経文を
拜写し、この法華経を隣村に通ずるこの
場所に納めて題目塔を建立し、七日七夜
大衆と俱に祈願を籠めたこの功徳により
悪病は退散し、村内は安全を得たのであ
る。
その後、村民は毎年お経塚の祭禮を行
い、村内の安全を祈願して今日に至る、
時なるかな今回當村在住の事業家八島長
治氏の特志により、此処に此の由来碑を
建立された。
茲にお経塚の由来をしるすと俱に八島
氏の不滅の業績を併記して深く感謝の意
を表す。
昭和50年3月21日
東から、目通り幹周り5,3mの巨木です
お経塚の石碑が根元に並びます
では、次へ行きましょう