回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

2020年04月26日 08時35分04秒 | 日記

日本三大怨霊の一つとして恐れられている菅原道真だが、

東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主無しとて、春を忘るな 

の歌が何と言っても有名だ。とびきり優秀な官僚が一時左遷されたからと言って、非業の死を遂げた平将門や崇徳上皇に比べれば、何も怨霊としてそこまで恐れられることはなかったように思うのだが・・・かつて、取引のあった先が湯島天満宮(湯島天神)のすぐそばにあり、今の時期にそこを訪れた際には、境内の満開の梅の花が楽しめた。そしてその時の職場が、平将門の首が飛んできたという大手町の将門塚のそばにあったから、実に三大怨霊のふたつまでが身近だった時期があったわけだ。しかし、それによって、自分の運命に何らかの影響があったとは思っていない。あるいは単に鈍感だけなのかもしれない。

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 

去年は長年の友人が病気で亡くなった。去年は桜の花見に拙宅に来てもらったことを思い出すと 花は毎年同じように咲くのに人間そうはいかないという、この唐詩選の詩が身に染みてくる。

庭の梅の花はまだつぼみ。今の札幌の気温は10度にも満たない。明日には咲き出すだろうか。

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田園

2020年04月25日 08時54分32秒 | 日記

親から受けついだ土地のひとつを家庭農園と称して従姉妹家族といろいろな作物を栽培している。時間のある時、週に一二度都合のつくメンバーが集まって800坪ほどの畑の手入れをする。収穫物はそれぞれで持ち帰る、というもので、もう10年近く続けている。友人からは健康と実益を兼ねて田園生活を楽しんでいる、と羨ましがられたりするのだが、はたして、これは田園生活といえるのか。

田園という言葉には生活感はあまり感じられない。田園地帯という言葉からは農作業の過酷さなどは伝わってこない。むしろ都会の喧騒を離れているという、優雅な雰囲気をまとった言葉だ。畑仕事の楽しみは土に始まって土に終わる。以前、テレビでモナコの宮廷料理長の日常が伝えられていたことがあった。彼は料理や食材のことは当然一流ながら、本人が本当に強調していたのは、とにかく厨房を磨き上げ、清潔、整理整頓すること、だった。庭仕事や畑仕事もこれに共通するものがある。美しい庭を手に入れる、作物を育てる、というのは土を管理し、雑草を管理することに尽きる。

田園という言葉からは、また、「かへりなんいざ 田園まさに荒れなんとす」という陶淵明の「帰去来兮辞」がすぐに頭に浮かぶ(「帰去来兮」を「かへりなんいざ」と訓読したのは菅原道真)。この詩は冒頭の第一段が夙に有名であるが、むしろ最後の

登東皋以舒嘯    
臨淸流而賦詩    
聊乘化以歸盡    
樂夫天命復奚疑  

のほうにもひかれてしまう。 

この、最後の一文は、東の丘に登って静かに詩を口にし、清流に臨んでは詩を作る、望むことといえばこのまま自然の変化にまかせて死んでいきたい、天命を甘受して楽しむのであれば、何のためらいがあるだろう、という、一種の無常観をうたったものだ。

今回のコロナウイルスにより、社会も人生観すらも揺り動かされている。外出自粛が長くなればなるほど人々の鬱屈も深くなるのは、都市封鎖を続けてきたロンドンなどにみられるものだ。うちで過ごそう、は大切だし、いたずらに無常を強調するつもりはないけれども、いくらかでも気持ちに余裕をもって、4月の空の下で畑仕事に汗を流すのも、免疫力を高めストレス解消に役立つのではないかと。

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春の雪

2020年04月24日 09時04分46秒 | 日記

昨日は遅い雪。夕方から真冬をおもわせるような暗い空から斜めにかすめるように強い風にのって細かい雪が札幌市内に一時降りしきり、郊外の峠はすっかり雪に覆われた。今年は春が早くて桜のつぼみが膨らみ開花間近というこの時期にしてはまとまった雪であっという間に芝生が白く覆われた。しかしそうは言ってもやはり春の雪、市内では降ってはすぐに消えてしまった。

今から8年前の4月下旬、どうしても車で北海道に行かなければならない用事があり、茨城県の大洗から苫小牧まで車をフェリーで運ばせたことがあった。その際フェリー会社の規定により北海道ではまだ冬用にタイヤの装着が必要、と言われ、結局自己責任という念書のようなものを差し入れてやっと乗せてもらったものだ。東京ではとうに桜も散り終わっているというのに、北海道との季節の違いを実感させられた。翌日、夕闇が迫る人気のない、底冷えのするような苫小牧のフェリーターミナルでフェリーを待ち、車を引き取ったことが昨日のように思い出される。

昨日ここに乗せた「暁の寺」が第三巻、「春の雪」は三島由紀夫の長編小説「豊饒の海」の第一巻で昭和44年1月5日に発刊された。この、いかにも女性的な音色をもつ題の小説が「浜松中納言物語(菅原孝標の娘作と伝えられている)」から強い影響を受けていることは間違いない。岩波日本古典文学大系として昭和39年5月6日に発行された夢と転生を描いた、長く霧の中に埋もれていたようなこの平安王朝作品が三島の想像力を掻き立てたのだと思う。そのことは、三島由紀夫がこの物語に並々ならぬ関心を寄せて同月の月報に一文を寄稿していることからもうかがえる。したがって、その4年半後、「春の雪」が出版されたのはある意味必然だといえるかもしれない。最初に「浜松中納言物語」を読んだときには物語の想定外の展開とスケールの大きさに驚かされたが、「春の雪」と併せて読むと一層趣があるように思われる。

昨日の雪が降ったことを感じさせない庭の片隅のムスカリと水仙。

 

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暁の寺

2020年04月23日 12時00分58秒 | 日記

バンコクで法律事務所を経営しているタイの知人から突然のメール。通常のあいさつ文の後に、日本での訴訟に関連して弁護士を紹介してくれないかという依頼。この弁護士とは、彼女がタイの最高学府のひとつといわれるタマサート大学卒業後弁護士資格を取得、つてをたどって日本の某国立大学の大学院を修了ののち、日本語の習得と実務経験を積みたいということで、当時勤めていた会社で2年ほど働いてもらったという関係がある。当人は極めて優秀で日本語の上達もめざましかった。タイでのタマサート大学の評価は高く、有力な人材を多数輩出していて、たまたま案件があって在日タイ商務官を訪ねた時もその人脈が大いに役に立った。そういえば東京で働き始めるときに家探しに苦労していたので、こちらから電話で賃貸を渋る大家を説得したこともあった。

特に義理はないけれども、一応知り合いの弁護士に照会してみたが、今は政府の緊急事態宣言を受け裁判所は緊急案件を除いて審理期日を先延ばししているところがあるし、弁護士事務所もテレワークや臨時休業などによって接触機会の削減に取り組んでいる状態だという。もっとも、大学同期の法曹界の連中はすでに実質的に引退していたり事務所のトップということで、どうしても世間話になってしまったが。こんな状況で、依頼についてはどうもあまり役に立つことが出来そうにもない。

タイでは優秀な男は軍隊や警察、公務員になることが多く、民間企業や弁護士等などの職種への女性の進出は目覚ましい。確かに、民間企業では、タイの男性は今一つ頼りなく女性のほうが優秀で頼りがいがあったという印象が強い。タイのコロナウイルスは沈静化しつつあるということだが、観光客の激減で深刻な影響を受けているのは他の東南アジア諸国と同じようだ。繁華街には人影がなく、土産店や空港のタクシーは閑古鳥が鳴いていて売り上げゼロの日があるほどだという。テレビでバンコク空港での客待ちのタクシーの長い列が映されていたが、これでは運転手の生活も大変だろうと思う。

バンコクで最も印象に残っている場所といえば市内を流れる大河チャオプラヤ川岸にそびえるワット・アルン(暁の寺)。何度か訪れたことがある。くらくらするような強烈な日差しの下で見上げた青い空に突き刺すような尖塔には階段があって上ることができたのだが、最初の階段以上には足がすくんでどうしても登れなかった(ガイドブックにも上り下りに注意、とあるくらい)。

そんなことを思い出しながら、本棚の奥でほこりをかぶった三島由紀夫の「豊饒の海 第3巻 暁の寺」(昭和45年7月10日発行)を引っ張り出して眺めてみた。この初版本を買ったのはちょうど50年前になる。

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くるみ割り人形

2020年04月22日 09時06分59秒 | 日記

ミュージカル「オペラ座の怪人」にしても「レミゼラブル」にしても英語なので聞き取ることが出来るが、オペラ「トスカ」「ラボエーム」や「ラトラビアータ」あたりになると、字幕に頼らざるを得ない。そうすると筋書きは理解できても言葉の持つ魅力である音と意味の一体感には欠けてしまうし、それと表裏一体の場面とも切り離されてしまうような気がしてくる。コヴェントガーデンでも、メトロポリタンでも、前の座席の背などにあるモニターに視線を動かしつつ音楽と場面を、話の筋を追いかけてゆくことになってしまう。札幌で見た「トゥーランドット」は舞台の両側の電光掲示板に字幕(日本語)が表示されていた。某航空会社に勤めていてイタリアオペラに魅了された友人は、この問題を解決するために(それだけのために)イタリア語を習得し、ミラノのスカラ座に通い詰めていた。そんな努力もせず、またそれ以前にそのような能力の無い自分は字幕に甘んじざるを得ない。その点、音楽と場面だけで進行するバレーの鑑賞には言葉の問題が入り込まない。オペラと違ってバレーの数は若干限られた感もあるが、すぐに思いつくものとしては「白鳥の湖」とクリスマス時期定番の「くるみ割り人形」だろうか。Youtubeに公開されている「くるみ割り人形」のサンクトペテルブルグ・マリンスキ劇場での録画は映像の美しいことと舞台の豪華さで逸品だと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=xtLoaMfinbU

北海道は徐々に気温が上がってきて花の季節ももうすぐ。この時期は地面からようやく顔を出した控えめな花が前座をつとめているようだ。今朝見つけた、自然に任せたままの庭の一角の小花。

 

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