「鹿肉って食ったことある?」と悪友Aが尋ねる。
「ないねえ。いつか食ってみたいねえ」と私が答える。
「アメリカ人には鹿肉を好む人が多いらしい。牛肉なんかよりずっと美味いんだそうだよ」とAが続ける。
電話での彼の声には、何故か笑いをこらえているような雰囲気が感じられた。
「ほほーう! そりゃあぜひとも試したいもんだ」その微妙なニュアンスを取りあえず無視し、私は快活に答えた。
「本当に食いたいか?」
「食いたい。しかし滅多に食えないだろう」
「実はな...」
タバコの煙を吐き出す音が、受話器越しに聞こえた。Aはヘヴィースモーカーなのである。
「あるんだよ、鹿肉が」
「なんですと!」私は思わず大声をあげる。
「オヤジの友人がな、仕留めてきたらしい」
「え...?」たちまち私は小声になる。
「だから新鮮このうえない食材だ」
「ふ~むむ...」
「ともかく罐詰として送るからさ、食ってみたまえ」
「...」
というわけで送られてきたのが、ハンドメイドの鹿肉罐詰。Aの手によるパッケージデザインは秀逸である。
しかし、肝心の中身の画像を披露する勇気を、私は持たないものである。
“仕留められた”鹿肉は予想よりも濃い色合いで、黒々とした鮮血にまみれていた。そして、あろうことか、腐敗しているようなのだ。物凄い臭気である。
「おい、鹿肉が届いたがね」私はAに電話を掛けた。
「おお、食ったか。どうだ?」
「食ってない」私は子機を持ったまま、換気扇をつけて窓を開け放った。
「腐ってるぞ、これ。クール便で送らなかったのか?」
「え? 腐ってた? なーんだ...」
「だからさ、どうして冷凍の状態で送らなかったんだよ」
「いつも利用するコンビニでな、クール便を扱ってなかったんだよ。面倒くさいからそのまま送っちゃったんだ」
「...」
「でもな、オヤジが言ってたよ。ケモノ臭がすごくて、元々喰えたもんじゃないって」
「...」
「解体の方法が悪かったんじゃないかね」
「...」
と言うわけで、私の鹿肉デビューは、当分先の話しになりそうである。