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ちょっとした事故を防ぐ

2006-12-02 | ヒューマンエラー
03/3/12海保 人事院 月報
2400文字
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30文字 x 80行=2400文字

ちょっとした日常事故をちょっとした配慮で防ぐ

      筑波大学心理学系 海保博之

●危険一杯の身の回り
 乱雑な研究室では、しょっちゅう物につまずいたり、机の角などにからだをぶつける。幸い、これまで怪我をするまでには至っていない。しかし、60歳にもなれば運動能力は低下してくる(はずな)ので、いずれ、転倒などの大きな事故ににつながるのではないかとは思っていながら、相変わらずの毎日をおくっている。
 一つの大事故を生み出すまでには、たくさんの軽い事故やヒヤリハット体験があるとのハインリッヒの法則は知らないわけではないが、痛い目にあわないと(法則を体験的に実証しないと?)、なかなか実践とまではいかないのが、人間のようである。

●ちょっとした日常事故を引き起こすもの
 日常の行為の特徴は、いつもと同じ状況で多彩なことを、ほとんど無意識的かつ自動的(習慣的)に行なところにある。
 たとえば、我々大人の朝起きてから家を出るまでにする多彩な行為を考えてほしい。いずれも無意識的かつ自動的だからこそ、ごく短時間で意識的な努力もせずにこなしている。子供の朝のぐずぐずぶりと比較されたい。
 こんな日常の中では、事故は無縁のように思えるが、現実には、かなりの頻度で発生してしまう。なぜか。
 一つは、「いつもとちょっと違う」日常が発生しているのに、いつもと同じようにやってしまったために、状況と行為との間にギャップが生じてしまったことによる事故である。
 机の位置がちょっと動いていたのに、いつものようにまっすぐ歩いてぶつかってしまった。いつもは閉まっているドアが開いていたために、ドアにぶつかっってしまったなどなど。
 2つは、状況はいつもと同じなのだが、自分のほうが変化していて、状況と行為の間にギャップが生じてしまったことによる事故である。
 人の能力は、高まるものもあれば衰えるものもある。いつもと同じにやっているつもりでも、たとえば、高齢者の場合は、70%しかパワーが出ていない、若者の場合は130%のパワーが出ていた、というようなことがある。この30%が、高齢者の場合は、「能力劣化による事故」、若者の場合は、「勢い余っての事故」を起こす。
 さらに、頭の働き、とりわけ注意も時々刻々と変化している。いつもはそれとなく注意を払ってやっていた皿洗いが、あわてたために失敗してしまう、ひげそリ時に子供が泣きだし、そちらに注意がとられて、ついうっかり顔に傷を作ってしまうなどなど。
 要するに、日常のちょっとした事故は、状況と自分の行為との間に「みえにくい」ギャップが発生してしまうために起こるのである。

●ちょっとした事故をちょっとした配慮で防ぐ
 したがって、ちょっとした事故を防ぐためには、次の3つのちょっとした配慮することになる。
 一つは、状況を変えることである。
 事故の起こったところに、あるいは、ひやりはっとしたところには、そうさせた状況要因があるはずと考えて、点検し、それを除去することである。
 幼児の誤飲事故やつまずき転倒事故などは、飲み込むもの、つまずかせるものがあったからの事故である。それを取り去ってしまうえば事故は起こらない。
 2つは、ギャップの存在を気づかせる仕掛けを作り込むことである。
 もっともよくやるのは、表示である。そこでは、いつもとちょっと違うように、あるいは、意識的に行為してもらうために、その旨を目立つように表示する。「足もと注意」「危険。よそ見」などなど。
 いつもできるわけではないが、可能なら、状況そのものの中にギャップの存在に気づくような仕掛けを作り込んでしまう。入ると危険なところは囲ってしまう、注意してほしいところは普通より培の手順が必要なようにしておく(フール・プルーフ)などなど。
 3つは、あまり効果のほどは期待できないのだが、しかし、誰もが一番よくする配慮として、行為者/自分を変えることで、状況とのギャップを埋めようとするものである。
 「もっとゆっくり」とか「慎重に」などなど。しかし、前述したように、日常の行為はそうした意識的な自己コントロールをしない/できないところに特徴があるので、この配慮はあまり効果的ではない。にもかかわらずコストがかからないためか。実によく使われる。むしろ、こんな配慮をしないことに配慮してほしいところである。

●誰が配慮するか
 「それぞれが自分で」とつい言いたくなるが、それはだめと言ったばかりなので、やめておく。
 家庭なら、親は子供に対しては安全管理の責任者となる。夫婦であれば、いずれか一方がその役割を担うことになる。
 職場には、安全担当者がいる(はず)。ただ、それは、「日常」の安全担当ではなく、「現場」の安全担当であることが多い。輪番性でもよいから---むしろ輪番性のほうが全体の意識向上にもなる---、もう一つ、「日常」の安全担当を置いて、職場の日常安全環境を作ることもあってよいかもしれない。

演習でインターネットレポート花盛り

2006-12-02 | 教育
多分、中高での「調べ学習」や「総合学習」で身に付けたのであろう
演習レポートがインターネットからのコピー・ペーストばかり
知的な作業はほとんどない。
レジメさえない。
こんなことで良いはずはないとは思うものの、
策が思いつかない。