9 「とらわれ」ない
「とらわれる」というのは、ここでは「自分の意に反して心が一つの事ばかりに向いて、それから離れられないこと」を言う。
一つの事に向けられるという意味では、注意の集中と同じであるが、この集中は、自分の意志でコントロールしようとすればするほど、ますますそれから離れられなくなってしまうのが特徴である。
この「とらわれ」、本来の集中力の発揮には大敵である。何しろ、注意を集中すべきことに注意が向けられずに、客観的には、あるいは他人から見れば、どうでもいいこと、たいしたことでないことに大事な注意のエネルギーが使われてしまうからである。
たとえば、隣のピアノの音が気になる。それは誰でも気になる。しかし、ピアノの音に 「とらわれる」と、練習の始まりが遅れたりすると、なぜだろうと「心配」になる。練習が始まったら、何も手につかない。ひたすらピアノの練習が終わるのを待つ。無視しようと懸命に努力するが、ますます過敏になってしまう。
ヒポコンドリー(心気症)という病気がある。自分の身体の状態に異常に注意をむけ、病気ではないかと思い悩む心の病である。これも、自分のからだに「とらわれて」しまった人の引き起こす心の病である。
こうした「とらわれ」は、あまり好ましくない方向に人を向かわせるので、できるだけ早くそこから抜け出たほうが良い。そのためのコツを4つほど紹介しておく。
まず「とらわれ」ている自分を認めることである。いたずらに「とらわれまい」としたり、自分は「とらわれ」ていないと否定したりしないことである。「とらわれ」ている自分をあるがままに受け入れることから出発する。
といっても、これが難しい。まず試みてほしいことは、自分の心をじっと見つめ、なぜ「とらわれる」のかを考えるのである。さらに、自分の心の中で起こっていることに、じっと目を向けてみる。だんだん怒りが静まってきたとか、いま誰のことを考えているとか、できるだけ素直に眺める訓練をすることである。そうすることによって、自分の心の動きを客観視できるようになればしめたものである。
次に、日記かノートにメモってみる。
心の中を外に出す(外化)のである。このことによって、「自分」だけのものであった心を、ことばという客観的な道具に乗せることで、「自分」から切り離すことができることになる。
さらに、人と話せば、「とらわれ」の無価値やおろかさ、あるいは、それが誰でも経験するようなことであることがわかる。それは、あなたの気持ちを和げるのに効果がある。
「とらわれ」が、人間関係にかかわることであれば、ともかくその人とできるだけ接触をしてなにげないコミュニケーションを心がけることである。
「とらわれ」が、自分の身体の異常であれば、早めに医者に行くしかない。医者には病気を直すだけでなく、病気ではないかと心配している人を安心させる役割もあるのだから。
こうして、「とらわれ」ている自分を冷静に眺められるようになったら、次は、何もかも「許す」ことである。人のすることなすこと、世の中のことすべてを理屈抜きで許してみることである。怒らず、腹を立てず、争わず、さからわずで、しばらく生活をしてみる。気持ちがすっきりしてくるはずである。
一月前くらいから奥のほうの歯がしみる
だんだん耐えられない
歯医者に飛び込んだ
一番奥の親知らずが虫歯
30分くらいで抜けます
やりますか?
というので、お願いした
しかし、歯が横方向に生えているので
抜くのに難攻
なんと3時間
医者も自分もよくがんばった
夕べは、保冷材を当てて寝た
今日明日は、痛みと腫れとの闘いになるらしい
がんばります
だんだん耐えられない
歯医者に飛び込んだ
一番奥の親知らずが虫歯
30分くらいで抜けます
やりますか?
というので、お願いした
しかし、歯が横方向に生えているので
抜くのに難攻
なんと3時間
医者も自分もよくがんばった
夕べは、保冷材を当てて寝た
今日明日は、痛みと腫れとの闘いになるらしい
がんばります