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集中せよ。さすれば何事も成し遂げられる

2013-01-12 | 健康・スポーツ心理学

 集中力神話の一つ「集中せよ。さすれば何事も成し遂げられる」は、集中力が低下しているときには有効な檄ですが、あるレベルを超えるとかえってパフォーマンスの低下をきたします。
 そこで、日常的な集中力管理の心がまえとしてのおすすめが、「7:3の配分法則」です。10の集中力のうちの7を仕事に、あとの3割を集中力の管理や心身の管理用に取っておくのです。


能動的に集中力をコントロールする

2013-01-12 | ヒューマンエラー
能動的に集中力がコントロールできているときは、
見たいものを見て(選択)、
重要度に応じて集中力の程度を調整し(配分)、
さらに、それを一定時間維持する(持続)ことができます。


心理学では、研究法と研究技法が癒着している

2013-01-12 | 認知心理学

① 「研究法と研究技法が癒着している状態」が、「研究技法が、そこまで‘具体的な’手順を‘示していない’状態」は、その通りです。ただし、「具体的な手順を示していない」というより、「具体的で「理論から独立した」手順が確立していない」といってほうが正確かもしれません。
  たとえば、知能の測定技法一つにしても、温度計で温度を測定するようなわけにはいきません。極論すれば、知能の理論の数だけ、測定法があるようなことです。

② 研究法と研究技法の独立が、なぜ「実証性の高さ、強さ」につながるのでしょうか。
新しい対象を研究しようとすると、その研究のロジックが必要となります。それが研究法です。そこから数々の研究技法が考案されます。これは、へたをすると、理論の正しを追認するだけの都合のよいデータだけを提供することになりがちです。
たとえば、知能とはこういうもの(理論)、だとするなら、構成概念的アプローチ(研究法)を使い、こういう問題を解かせる状況を作ればよい(研究技法)となりますが、これでは、弱い実証になってしまいます。ここで、温度計のように、理論から独立した具体的でかつ唯一の知能テストがあれば強い実証ができることになりますが、心理学の研究の多くでは、強い実証は、脳科学でも導入しないと無理かもしれません。

就眠儀式としてのTVのザッピング

2013-01-12 | 心の体験的日記
最近の、いやもはや習慣になっているから、かなり前からか
ザッピングしながらの就眠が楽しみ
ときにはつけたままぐっすりということもある
これができたときが最高 笑い

それにしても、TVショッピングチャネルの多いこと
しかも、その多くは女性向け
愛好者がいるんだろうなー
地方在住の買い物好きの女性にとっては
必須の番組なのかも

それにしても、サプリの宣伝の多いこと
素人らしき美人の「これなくしてはーーー」は説得力がある
もっとも小さく「ききめは、個人差があります」なんて文言があるのはご愛嬌
有名人のおすすめは、これは演技だろうなーと思うが
本当らしいので惑わされる
専門家が登場することもあるが、いつも、こんなところに
出演して大丈夫?いいの?と思うことがある 




心理学の研究法はなぜ多様なのか

2013-01-12 | 認知心理学
その3

●時代思潮が変わるから
研究法の多彩さをもたらす最後の要因は、やや曖昧な要因になるが、心についてのその時代、時代での考え方(時代思潮)が異なることによるものである。前述したように、心についての考えが変われば、当然、その研究法も異なってくる。
現代心理学を歴史的にみて、その時代思潮は、大きく4つに区切ることができる。
①心重視の時期(1879年から1913年)
はじめて心理学実験室を開設したブントの業績は多岐にわたるが、心理学研究法の観点からすれば、内観法によって心を「科学的に」研究しようとした業績を忘れることはできない。ブントは、心理学を直接経験の学と定義し、それを構築するために、心を直接、内観することから得られるデータを使おうと試みた。
 ブントにとって、実験も、厳密に統制された刺激が感覚・知覚に直接どのように経験できるかをできるだけ素直に内観させるための手段であった。それによって、内観データの主観性を克服しようとした。ブントの弟子・ティッチナーは、観察者の持つ知識が直接経験を汚染する(刺激錯誤)ことを防ぐため、観察者に観察の訓練さえしたほどだった。
 ブントよりやや遅れるが、この時期、もう一人、まったく別の心の領域に関心を寄せ、画期的なアプローチを採用した心理学者、精神科医がいる。それは、フロイト(Freud、S.,1878-1958)である。医学者としての訓練を受けたフロイトの基本的なスタンスは、因果関係重視の自然科学的なものであった。ヒステリーなどの神経症の発症の原因を無意識世界のリビドーの抑圧であるとして、その解放こそ治療のねらいであることを、豊富な症例で実証してみせた。もっとも、その実証は、後付け実証と呼ぶにふさわしいもので、実験的に検証可能な意味での実証ではなかったので、科学かどうかの評価は当時から分かれてはいた。
②行動重視の時期(1913年から1954年)
1913年は、ワトソン(Watson,J.B.,1878-1958)が「行動;比較心理学概論」を出版した年である。この年が、ほぼ半世紀にわたり続く心理学界における行動重視の時代思潮のはじまりであった。
 評価は今となっては、毀誉褒貶相半ばするが、行動主義が、厳密な自然科学足らんとして採用した刺激―反応(S-R)パラダイムは、実証科学としての心理学の地位を一気に高めた点では、異論を唱えないはずである。また、そのパラダイムに基づいて蓄積された知見の膨大な集積にも、その内容への評価はさておくとして、誰もが一定の敬意を表するところであろう。
③再び、心重視の時期(1954年から1985年)
 1937年、コンピュータが開発された。これが心を考える上での格好のモデルになることに気がついたのが、後にそう呼ばれるのだが、認知科学者であった。刺激と反応の関数関係を知ることに腐心することが科学であると信じきっていた行動主義心理学とは違って、心の中身(メカニズム)の解明に研究の関心を向けたのである。再び、ブントとはまったく違った意味での心重視の心理学の時代になったのである。行動主義に対して認知主義と呼ばれる。4章で紹介する心へのモデル論的アプローチが花開くことになる。
④心も行動もの時期(1979年より)
認知科学の中にも、心の世界だけを自閉的に研究しても、人の心はわからないとの認識が共有されるようになってきた。このような認識は状況論という新しい立場を生み出した。人を取り巻く状況との関係性にも目をむけて心を考えるようなってきたのである。
このきっかけになったのが、ギブソン(Gibson,J.J.)の生態学的視覚論(1979)である。彼は、アフォーダンスという考えを提唱し、外界にあって自然に人の行為を導く仕掛けの大事さを訴えた。
ここで、方法論的な多彩さが許容される雰囲気が醸成されることになる。それは、あたかも最先端科学が、最先端テーマを研究するために、斬新な方法論と技法とを開発するような雰囲気といってもよい。そのあたりの雰囲気は、7章,8章の質的研究法あたりで感じ取ってほしい。