思考習慣 11-6
思考転換 11-11
自己主張11-17
質問11-21
使命感
常識12-5
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常識「頭を元気に
「常識は心の大事なインフラ」
●常識のない!
「そんなこと常識」「常識がないなー」
こんな一言は、しょっちゅう耳にしたり口にします。このときの「常識」には、
① ものを知らない
② 社会的なマナー(行動規範、約束事)を知らない
ということになります。要するに、皆が知っていること、守っていること、それが常識ということになります。
このように、常識には、社会性が強く反映されていることがわかります。
常識は、あくまでそれを備えているのは一人ひとりという意味では個人的なものですが、その健全性、有無の評価には、社会が強く反映されていることは注意しておく必要があります。
教育は、その社会の常識づくりの役割を果たしていることになります。
学歴は、常識のレベルと質を示すおおまかな目安になります。
● 常識の役割
常識の役割をあらためて整理しておきます。
「個人の頭の中での役割」
① 情報を取り込みの枠組みとして
② 思考のための枠組み、素材として
「社会での役割」
③ 共有知識の核として(言わずともわかる)
④ 正しい知識としてより、妥当な知識として
余談になりますが、今、偶然、本棚に山本七平著「常識の研究」(文春文庫)を見つけました。
不思議なことに、本棚のかなり目立つところにおいてありました。探されるのを待っていたかのようです。(これが発明発見なら、セレンディピティとなるのですが。)
その本から1節抜き出してみました。
「人間は全知全能ではない。知らないことがあって一向にかまわない。ただそれについて自分が無知であることを知っていればよい。」
● 頭を元気にする常識ってどんなもの
① 個人的な体験的知識と学問的知識とを適切にブレンドする
個人的な体験から構築された知識は貴重ではありますが、どこか一般性に欠けたところがあります。一方、もっぱら教育機関で学ぶ学問的知識はあまりに現実離れしたものになり、使い勝手が悪いところがあります。両者が適切に協働するようなとき、常識の最適化ができます。
そのためには、たとえば、我々の世界で言うなら、大学と実業界との間を行ったり来たり(回転ドアのような交流)が望まれます。
② 良質の社会的な場に自分を置く
社会的な知識の多くは暗黙化しています。したがって、その場にいかないと、あるいは、生活してみないと体得できないというところがあります。
我々の世界で言うなら、研究会と学会などがそうした場になります。流行最先端の店や街にひたってみるというような努力も必要です。
③常識の世界から時折はみ出てみる
常識に縛られてしまえば、窮屈です。豊かな発想も期待できません。
周りからは浮き上がってしまい、嫌われ者になる可能性もあります。でもそれを恐れては挑戦的なことはできません。ここ一番の常識破りもありです。そのためにも、普段からの常識磨きも大事になります。