心の風景 認知的体験

癌闘病記
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あー、よくねたー

2018-06-01 | 癌闘病記
多分、花粉症による鼻づまりだと思うが、
今年は、耳詰まり?--頭の中に音がこもる感じーーも発生。
それによる聴力低下に悩まされた。
さらに、鼻づまりによる口の渇きによる睡眠障害も発生。
これも、1,2時間おきに口呼吸による口内かわきで水分補給が必要なため、
なかなかつらかった。。

点鼻薬と、エビナスチン塩酸塩錠のおかげか、
鼻づまりがほぼ解消し、
夜じっくりと眠れるようになった。
昨晩は、抗がん剤による一晩不眠を解消するかのごとく、
夕食後、朝4時ころまで、途中、2,3度、トイレがあったが、
爆睡。
気持ちよかったー。

でもまだ耳詰まりのほうの完全解消とはいかないが、
治りそうな予感はある。



「不機嫌社会を生き抜く、ポジティブ心理術」 連載

2018-06-01 | ポジティブ心理学
はじめに
――「不機嫌社会を生き抜く、ポジティブ心理術」 連載開始!

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すでに冊子形式で電子的に公表しているものですが、6月から、4部構成の各部ごとに、
「あいうえお」順の項目ベースの不定期連載をします。
ブログ記事枯渇対策の一環です。
なお、全体目次は、5月下旬の記事としてアップしてあります。
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●不機嫌社会を生き抜こう
今、日本全体に元気がありません。
働く人々の心にも、うつ傾向が目立ちます。自殺者3万人超えが12年連続は、異様ですね

最近は、さすがに、ストレスやうつの対策は個人、企業ともに普及してきています。結構なことです。


『不機嫌は罪である』齋藤孝・著 KADOKAWA なんて本も最近、出版されて話題になっています。

本書では、さらに一歩進んで“心を元気にする習慣をつくるには、どうしたらよいか”を提案してみたいと思います。
ストレスやうつに受身で対処する「病理モデル」ではなく、最近の心理学の一つの潮流になりつつあるポジティブ心理学で採用されている、心を元気溌剌にする「健康モデル」をベースにした提案になります。

●気持ちと頭と周りの3つの元気を考えます
便宜上、心を「気持ち(感情)」「頭(認知)」「周り(対人関係)」の3つのカテゴリにわけて、それぞれを元気にするためのヒント、コツを提案させていただきますが、3つの分類、それほどきちっとしたものではありません。そもそも、心は知情意一体ですから。随所で、「心を元気に」としたのも、そういうことです。
でものんべんだらりとアイウエオ順も芸がないので、一応、「気持ちを元気にする」「頭を元気にする」「周囲を元気にする」の3つのカテゴリー(部)に分け、関連するキーワードをそれぞれアイウエオ順に取り上げてみました。

●から元気と真正の元気
なお、最初にお断りしておきたい大事なことがあります。
心の元気づくりのコツを提案させていただきますが、心の元気には2つあります。
「から元気」と「真正の元気」とです。
「から元気」。やや軽すぎる言い方ですが、たとえば、「おいしいものでも食べて元気を出して」というようなときの元気が、これです。一時的な心のポジティブ化とでもいうようなものですね。
多くのキーワードでは、もっぱら「から元気」づくりの話になりますが、本当の心が元気というのもあります。それを真正の元気と名づけてみました。
ちょっとやそっとではめげない強くいつもはつらつとした前向きの元気です。
こんな元気を発している方々が、皆さんの周りにもいるのではないでしょうか。
本書でも取り上げましたが、使命感に溢れ、宗教心を持った人です。
使命感は社会との絆の中での元気づくり、宗教心は個人が真善美を果てしなく追求する中での元気づくりです。
こんなことを考えているからでしょうか、思わぬ本に遭遇しました。
今日、本屋で東野圭吾著「使命と魂のリミット」(角川文庫)を偶然みつけました。なにやらこのタイトル、自分のこの考えと共振しているようで嬉しくなり買ってきてしまいました。読みました。ミステリーを超えた本でした。医師、看護師、患者、警察官、刑事、そして犯罪者さえもが、まさに、
「人間というのは、その人にしか果たせない使命というものを持っているものなんだ。誰もがそういうものを持って生まれてきているんだ。」
を実践して生きるすごさを描ききった感動のミステリーでした。使命感も
それを突き抜けると宗教心にまで高まるのですね。
誰もがこうした使命感と宗教心に支えられた真正の元気を身につけほしい
とは思いますが、いきなりは無理というものです。
そこで考えたことは、「から元気も積もれば真正の元気になる」ということです。
から元気を少しずつでも心のダムに溜め込んでいけば、いつかは、真正の元気として人生を切り開く力になるはずとの確信です。
この確信を共有していただけるかどうかは、本書を読み終えたところで読者諸賢にお聞きしたいところです。

 さらに、冒頭でこんなことを言うのは、ややまずいかもしれませんが、ポジティブマインド、万々歳ではないということです。
 感情は喜怒哀楽あって自然です。朝から晩まで、職場でも家でも、気にくわない人の面前でも、笑顔で元気、は不自然です。疲れていずれひっくりかえってしまいます。
 元気に泳ぎ続けないと死んでしまう黒マグロになることのすすめではありません。
ちょっぴり、あるいは時々ポジティブ感情のほうにバイアスをかけるための手助けくらいのところを本書はねらっています。

●読み方
キーワードによって分量が長いもの、中くらいのもの、短いものと様々です。キーワードの重要度とはあまり関係ありません。「日経ビジネスAssocieオンライン」、「安全衛生のひろば」、「東京成徳大学HP」、そして、個人ブログに思いのままに書いたものをベースに書きおろしたら、そうなったと理解してください。
キーワードごとに完結させました。そのため、一部、重複しているところもありますが、それは、それだけ本書全体が一貫した考えで貫かれているためと、ポジティブにお考えいただければ幸いです(笑)。
また、キーワードの配列の順序は、各部で、アイウエオ順になっています。気になるものをまずはざっとお読みいただき、あとは、座右において、その時々で目についたり、気になったりするものを読んでいただくのがよさそうです。
世にあまたある「元気本」のなかで、さてどんな新たな特長を出せたか、不安一杯です。「心配ない、元気だせ!!」(笑) 


ステレオタイプ---考えないですむ誘惑

2018-06-01 | 認知心理学
ステレオタイプ---考えないですむ誘惑

●なぜステレオタイプが便利なのか
 学問研究のような、真理をもとめる思考と比較すると、現実的な場での思考は、次のような特徴がある。
 ・唯一の正解がない
 ・考慮すべき条件(制約)が多い
 ・その条件一つ一つが不分明な部分が多い
 こうした中での思考は何かと面倒である。その面倒を避けるために、人は、実にさまざまな認知方略を採用する。その一つが、ここで取り上げるステレオタイプ(stereotype;固定観念)による思考である。
 たとえば、「J党」と聞くとすぐに「保守的」、「T大学」と聞くと「優秀」と判断するようなケースである。
 うまくステレオタイプ思考が発揮できないときは、あれこれと詮索をして人物像の形成にひとしきり時間を費やすことになる。
 こうしたステレオタイプによる思考の便利さは3つある。
1)余計なことをあれこれ考えなくてすむので、思考に費やす認知資源が節約できる
2)結論が社会的に納得されやすい
3)大きく誤ることがないので、リスクを回避できる
 
●ステレオタイプは思考をなまらせる
 多くのステレオタイプは、過去の個人的な強い感情を伴う体験を独断的に---実は暗黙の社会的通念によって---意味づけすることによって形成される。
 たとえば、たった一度のA国人とのつきあいでの不愉快な体験から、「A国人はつきあいへた」とのステレオタイプを形成してしまう。背景にA国人についての暗黙の通念があることが多い。「やっぱりそうなのか」という感じを伴う。
 現実生活での多くの場面では、ステレオタイプ思考によってそれなりにうまく処理できることが多い。「何々人はつきあいへただからできるだけ一緒に遊ばない」というような対応で当面は問題はない。
 これがまたステレオタイプ思考を一層強固なものにしてしまう。
かくして、ステレオタイプ思考の桎梏(しっこく)から離れて自由な思考を展開するのが難しくなる。
 しかし、ステレオタイプ思考ばかりを使いすぎると、思考がなまってくるし、頭も硬くなってくる。
 それに加えて、恐ろしいのは、みえるものもみえなくさせてしまうことである。
 「T大出は頭は良いが、人づきあいはへた」とのステレオタイプ思考は、目の前にいるT大出の人が持っている本当の特性をみえなくしてしまう。
 入社試験で、卒業大学名を面接者が知らないようにする工夫をしているところもあると聞くが、それなりに妥当な方策ではないかと思う。

●ステレオタイプを棄却する
 ステレオタイプは、個人的な体験から形成される。それだけに、普遍性にかける。柔軟性もない。
 だからといって、そのすべてを棄却する必要はない。そんなことをすれば、大事なことに認知資源が使えなくなってしまう。しかし、ときおり、棚卸しをしてみるくらいの気持ちはあってもよい。世の中が新鮮に見えてくるからである。
 体験で学んだ知識の棄却には一般に3つの方策がある。
 一つは、他の人の知識と比較してみることである。他の人のステレオタイプに思いをはせてみて、そこに自分とは正反対のステレオタイプを見つけるようであれば、自分のそれを再点検してみるほうが無難である。
 2つは、やや逆説めいた方策であるが、思考の真理追及の側面を使うことである。ステレオタイプが真理ではないかもしれないことを、たとえば、本などを手がかりに学問的/科学的に冷静なチェックをしてみることである。
 3つは、ステレオタイプに合わない例の存在を見つけることである。「T大出でも頭が悪く、人づきあいは良い」人がいないかどうかに目を配ってみることである。ステレオタイプは強固なので、一つや2つの反例では、なかなか棄却はされないが、その気になれば、結構、例はみつかるものである。