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150.韓国最初の仏教寺院仏甲寺大雄殿路盤擬宝珠瓦 (月刊「祭」2019.8月5号)

2019-08-05 00:45:51 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
日本では百済から仏教が伝わったとされていますが、その百済は韓国ではじめに仏教が伝わった地とされています。

●韓国最初の仏教寺院

寺全体や大雄殿の案内板によると、おおよそ下の内容になります。仏甲寺はインドガンダーラ出身の摩羅難陀によって西暦384年(枕流王元年、ちなみに仁徳天皇72年)創建されたそうです。摩羅難陀は百済に仏教を伝えるために東晋よりやってきた僧だと伝わっています。
仏甲寺の「甲」は「始まり」を意味するので、仏法の始まりの甲を意味するのだそうです。
高麗末期に覚真国師、朝鮮時代に法稜、蓮華、海稜、晴峰、龍岩、円潭、雪竇ら大禅師が経典の注釈を行いそれに伴い伽藍の修復や増築が繰り返されました。
大雄殿も例外でなく、現在のものは(乾隆二十九年*・1764年)に晴峰大禅師の主導で建てられました。正面側面とまに三間の建物です。


*清国の王の在位何年かで書いているのは、当時朝鮮が清国に朝貢していたことなよるものでしょうか。しかし、乾隆29年は実際には西暦1740年にあたり、案内板の表示とは異なります。

●屋根 上部中心の露盤擬宝珠瓦
目を凝らしてみると、建物の屋根の中心に路盤と擬宝珠のようなものが見えます。これは、創建当時のものではなく、後世修復したもので、創建当時のものは寺内の博物館で展示されています。


正面には文字はなく、側面に「畫工禅月羊」「畫手陟敏」と書いてありました。これら二人が作者と考えていいでしょう。畫・画の描き「手」は陟敏で、畫・画を加「工」した、つまり絵を元に作ったのは禅月羊といことでしょうか。
そして、背面には甲申五月と書いてあります。甲申は先述の大雄殿が再建された1762年と合い、案内板にもそう書いてありました。この甲申にはどのような意味があるのでしょうか。



仏「甲」寺と甲申の理由
仏甲寺の「甲」は十干のはじまりであり、「始まり」を意味します。なので仏甲寺は仏法の始まりを意味するのだそうです。寺院の名前に合わせて再建の年代を決めたと思われます。
そして、仏甲寺が創建されたと伝わる西暦384年(枕流王元年、ちなみに仁徳天皇72年)も、現大雄殿が再建された1762年も甲申の年になります。
申は「申す」で、仏法を伝える寺としてはいい年代になります。

仏甲寺の創建とされる年、大雄殿の再建年の甲申は、仏法を「はじめてつたえる」のに相応しい年代でしょう。大雄殿の再建は朝鮮時代前期の廃仏策を乗り越えて、あらためて伝え始める決意の年だったのかもしれません。


アクセス
仏甲寺불갑사 pulgapsa
・務安国際空港
1空港で日本語ができるガイドさんに聞いて市外バスで영광霊岩ヨングワンへ→150番市内バス仏甲寺불갑사 pulgaps行き
2務安国際空港→市外バス 光州광주クワンジュまで→ 市外バスで영광霊岩ヨングワンへ→150番市内バス仏甲寺불갑사 pulgaps行き


・ソウル、釜山から
高速バス 光州광주クワンジュまで市外バスで영광霊岩ヨングワンへ→150番市内バス仏甲寺불갑사 pulgaps行き

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