事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

大俳優 丹波哲郎 ~ ふたりの熟女篇

2008-03-26 | 芸能ネタ

エスパーのお父さん篇はこちら。

 今回は熟女二人のお話。丹波のテレビの代表作といえばフジ「三匹の侍」。その映画化にあたって、監督の五社英雄は……

Matuokayo 丹波:でも五社英雄は神経質だからね。あいつ二度も自殺未遂してんだから。一遍はバカバカしくて聞いてられない。タクシー乗って帰ろうとしたら、タクシーに乗れるだけの金がない。で、市電に乗って帰ってきたのが残念だってんで、自殺しちゃうんだ(笑)。バカみたいだ。もうひとつはピストル事件だ。

-本物の拳銃を所持していて逮捕された事件ですか。

丹波:五社はショックで、また自殺未遂よ(笑)。五社は猪突猛進型なんだ。で、五社が惚れたのは松尾嘉代なんだ。だから松尾嘉代のことを女優としてではなく、女として扱うんだな。松尾嘉代は「現場では私は女じゃない、女優だ。自分を女として見ないでくれ」とハッキリ言うんだよ。でも五社はまいっちゃったんだろうね。現場では追いかけ回してたね。

……後に「鬼龍院花子の生涯」などの傑作を連発する五社に、こんなみっともない過去があったなんて。まあ丹波も……

-『パレンバン奇襲作戦』(63)という戦争映画がありますよね。監督は『少年三四郎』の小林恒夫さん。これは『第七の暁』のロケから帰国して第一作でしたね。
丹波:ああ、覚えてる。特に印象に残ってるのは(フランソワーズ)モレシャン。彼女はこの頃結婚してたよ。言っとくけどね、俺の方が積極的じゃないのよ。モレシャンの方が強烈に迫ってきて、香港まで追いかけて来たんだから。香港でマスコミにばれちゃったんだから。俺は外国人女性にもてるんだ(笑)。

……正体不明の女(わたしにとって、ですが)フランソワーズ・モレシャンって、丹波哲郎とできてたのか!それ以上に、この人そんな昔から日本に来てたの? 

人間革命篇へ続きます】

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大俳優 丹波哲郎 ~ エスパーのお父さん篇

2008-03-26 | 芸能ネタ

初体験篇はこちら。いやはやしかし丹波さんってば。

Esp01  復員し、GHQの通訳、闇屋などをへて、彼は俳優になることを決意する。しかしこの理由というのが……

-でも本人としては俳優になりたかったわけですよね。

丹波:もう俳優しかないように思ってたね。「朝寝坊しても出来る仕事はないか」って尋ねたら「それは俳優しかないよ」っていうのが動機で学校(国際演劇研究所)に通い始めたんですよね。それはまあジョークではあるけれども。

……ジョークじゃないかも。しかし演劇を続けるうちに映画界に縁ができ、いきなり主役でデビューする幸運さ。その理由はいろいろとあるだろうが、この頃の丹波哲郎のスナップを見れば一目瞭然。華があるのだ。メリハリのありすぎる(笑)風貌と、その陰にあるオーラは、わたしがプロデューサーであっても見逃すことはないと思う。

 ここからいよいよ怒濤の出演ラッシュが始まるのだが、遠慮なしに交友関係のネタばらしまくり。まずは殿様の直系である(護熙は傍系)細川俊夫は……

丹波:細川さんとは非常に仲が良かったけどね。でも俳優としては硬い。ただ喧嘩は強い。おそらく俳優で一番強いのは、細川俊夫さんだと思うな。ロケーションに行って、土地の与太者が細川さんのところに行って、あっという間にやられちゃってさ。もういきなりやっちゃう。細川俊夫は喧嘩請負人だったんだ。

Esp02 ……えええっ!これは意外。わたしの世代にとっては、光速エスパーのお父さん役など、知的な科学者や温厚な人柄役が多かった細川俊夫が、まさかこんなにけんかっ早い人だったなんて。おまけに

丹波:もう、家庭なんていうのは“君臨”してるね。もう女なんか出来ようが何しようが、女房なんかにゃ全然遠慮ねェってね。

……うわーん、東ヒカルのお父さんがこんな人だったなんてー。

【次回、ふたりの熟女篇へ】

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大俳優 丹波哲郎 ~ 初体験篇

2008-03-26 | 芸能ネタ

丹波の出自のすごさはこちら。
さて今回は初体験篇。

Tanbatetsuro 俳優丹波哲郎というより、大金持ちのボンボンの日常。

-ちなみに初体験とかは覚えてます?

丹波:僕の初体験は、もうずーっとあとよ。十七歳くらいだから……

-それは同じ学校の……

丹波:いやいやいや。これはね、ミツという我が家の女中。僕が今でいうと満十六歳かな。中学四年だと思ったな。昔のことだから、パンティというのを穿いてないんだ。勿論ブラジャーなんかしてないんだ。

-ズロースみたいなのも穿いてないんですか。

丹波:いやいや、何も穿いていない。あの腰巻だもん。和服だから、洋服じゃないんだから。

-和服は昔だと一切そういう下着とかつけない。

丹波:下着はつけない。で、着物の裾を端折っているのよ。端折って洗濯したり、物をたたんだり、前掛けしてる場合には、思いっきり端折っちゃってる。そういう格好のまんまたらいを両足でもって挟むから、股が開くわけだよね。でも、もっと見えるのは着物をたたむときなんだよ。

-それをジーッと見てるんですか。

丹波:ジーッと見てるわけにはいかないんだね。チラチラと。だから、寝っ転がるんだよ。

Mh03 ……丹波節全開(笑)。聞き手のダーティ工藤も、さすがアダルトビデオ監督らしい突っ込みである。その後丹波は中央大に進学し(これも相当に怪しい入り方なのだが)、学徒動員で召集される。配属されたのは立川の航空隊。ここは落ちこぼれの吹きだまりだったとか。

-立川では巨人軍の川上哲治さんや芥川比呂志さんもご一緒だったそうですが。

丹波:川上哲治は見習士官。見習士官の二十人くらいのなかにいた。それが士官としてくだらないことをやってんだ。川上哲治は野球においてはスターだけど俺は野球をあんまり知らないから。でも、間もなく全員嫌いになったね。川上を好きだなんていう奴は我々の仲間では一人もいない。威張るのはいいんですよ、軍隊のなかだからね。まあ嫌われたね、徹底的に。情のない士官だったから。

……期せずしてすごい戦後史になっている。そして、いよいよ演劇の世界へ突入する。

エスパーのお父さん篇に続きます】

ここで豆知識。
「007は二度死ぬ」で、英語力などの関係からボンドガール浜美枝が一度キャンセルされそうになったのを、東宝が突っぱねたとか。ほぉ。やるなー東宝。

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「大俳優 丹波哲郎」ダーティ工藤 ワイズ出版

2008-03-26 | 芸能ネタ

深作欣二笠原和夫につづき、ワイズ出版のディープな芸談シリーズを。今回は丹波哲郎。

Tannba01  この俳優のことを知らない日本人っているだろうか。少なくとも四十代の映画ファンであるわたしにとって彼は“とにかく、どんな映画にも出ている”ほどの印象。東宝の大作はもちろん、新東宝、大映、東映のやくざ映画、日活、松竹……なんでもあり。

加えてTBSの長寿番組「キイハンター」「Gメン75」でお茶の間に浸透している。そして霊界の宣伝マンというわけのわからない存在でもある。

 代表作は、ミスキャストだった気もするが「砂の器」の刑事役と、ショーン・コネリーと共演した「007は二度死ぬ」、あるいは深作欣二の「軍旗はためく下に」あたりが新聞の死亡欄に載るのかな。しばらく死にそうにもないが(2006年9月病没)。

ただ、どんな作品を選んだとしても違和感はある。この人はあくまで“丹波哲郎”としてスクリーンの中にいたのであり、演じないことが丹波の演技術でもあったわけだから。

『大俳優 丹波哲郎』(ワイズ出版)は、アダルトビデオ監督であると同時に強烈な映画狂でもあるダーティ工藤が、圧倒的なフィルモグラフィを誇る丹波に、その来し方を聞き書きしたもの。いやはやこれが面白いのなんの。

 とにかくこの人はタモリが言うように自然人で、好きなように生き、好きなように演じてきたらたまたま大俳優になっていたという認識。だから発言に遠慮がない。芸談の醍醐味ここに爆発。いくつかご紹介しよう。いやーこれがすごいんだ。
 まずは生い立ちから。

丹波:俺のお祖父さんの丹波敬三というのは東大の名誉教授で、大久保一帯をポンと買ったんだ。そこに建てた学校が、今の東京薬科大学なわけ。

-じゃあ創立者ですか。

丹波:創立者。梅毒の薬“タンワルサン(丹波サルバルサン)”を開発した。だから世界を股にかけて儲けた上に薬事法まで作って、勲章(正三位勲一等瑞宝章)をもらい、男爵にまでなったわけよ。祖父の死後は祖母があらゆる財力と権力を引き継いでたわけ。で、息子、すなわち親父たちの兄弟は生涯祖母から金を貰って、誰一人働かない。だから子供の頃から何ていうかな、金というものについて、良いことなのか悪いことなのか分からないけど俺にとっては良いことのような気がするんだけど(金には)困ったことない。持つ習慣もない。

-金銭感覚がゼロですか。

丹波:どこかおかしい。どこかじゃないね。全くおかしい。 

初体験篇につづく】

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