08年6月ボーナス号はこちら。
「3階建て」「第○号被保険者」「職域加算」……年金にはよく理解できない言葉がたくさん仕込まれています。事務職員はこの関係のオーソリティのように思われているようですが、しんどいことに変わりはありません。退職予定者には共済組合が毎年説明会を開いていて、しかし彼らのうんざりした顔には例外なくこう書いてあります。
「で、結局のところオレはいくらもらえるんだっ!」
日本の年金制度が複雑怪奇なのには理由があります。厚生年金法ができたのは戦時中。税金の源泉徴収と同じようにナチス・ドイツの方法論を参考にしてでした。オリジナルのドイツは、戦後まったく違った年金制度に変更したのですが日本はそのまま。これはなぜかというと、日本の官僚制度は非常に強固で、先輩のつくった法律を変えることを非常に嫌がる背景がありました。政治家は長らく彼らの手の上で踊っているようなものだったので、大昔の制度が根本から変わることがなかったわけです。
でも、昔のままだと不都合はでてくる。そこで渋々、小手先のことだけは変えることに。家を例にとると「家族が増えるにしたがって増築・改築をする。そうすると、ここからコンセントが出てるはずだったのがあっちから出てきたり、水道管がどこを走ってるかわからなくなったり。家の中はもう迷路のようで、あちこち段差があると。そんな家になっちゃったわけですね」(磯村元史「年金のリアル」より)これが、現在の年金制度の姿です。
さて、前号で5000万件の消えた記録について「(年金を)最初から払うつもりなどなかった」と書きました。これも、日本の年金制度の出自が影響しているようです。戦争中で大蔵省も軍部も「負けたら年金もへったくれもないぞ。社会保障なんて悠長なことは言っていられるわけがない」とテンパっていたときになぜこんな制度が実現したか。厚生省の初代年金課長の言いぐさがふるっています。
「いや、そうはおっしゃいますが、今集めた年金のお金を支払うのは40年後です。その間使えるじゃないですか。」
……始めっからこうですから(>_<)。事実、その頃の年金支給開始年齢は55才だったのに、戦後すぐの日本人の平均寿命は男子50才、女子54才だったので、支給対象は数万人にしかすぎませんでした。それが今では……裏面につづく。