神楽坂にいまもひっそりと佇む旅館「和可菜」は、昭和32年の芸能界長者番付トップになるなど、妖艶さで巨匠たちからひっぱりだこだった木暮実千代が建てたもの。女将は彼女の妹、和田敏子である。ちなみに、その昭和32年の木暮の納税額は2,469万円。同時期のキャリアの初任給が9,200円の時代に。
和可菜が高名なのは、木暮の人脈もあって数多くの映画人や作家がここに“カンヅメ”になったからである。内田吐夢、今井正、田坂具隆、蔵原惟繕、森崎東、浦山桐郎、水木洋子、橋本忍、石堂淑朗、早坂暁、市川森一、内舘牧子、中上健次、結城昌治、伊集院静、山田洋次、テリー伊藤、中島らも、野坂昭如、色川武大……いやはやそうそうたるメンツ。この和可菜の歴史を女将の縁戚である黒川錘信がルポした「神楽坂ホン書き旅館」から、これまたてんこ盛りのエピソードを紹介しよう。
◎ホン書き旅館である和可菜に初めてこもったのは東映の村松道平。彼の甥っこが村松友視(視はしめすへん)。彼は和可菜の叔父のもとへ何度も金の無心に行った。そして中央公論の編集者となり、和可菜にこもっていた野坂昭如の原稿を受け取ることになる。
◎映画監督浦山桐郎は火宅の人。本妻と愛人の家を往復し、“ひと息入れる”ために和可菜へやってきているようなものだった。その愛人とは脚本家の重森孝子(「泥の河」や「3年B組金八先生」で知られる)。
◎和可菜の女将に結婚の話がもちあがる。“大分県出身の衆議院議員で、日航ジャンボ機ハイジャック事件のときに運輸政務次官として人質の身代わりになろうとした人”
……ということは「男やましん」と呼ばれた山村新治郎か。彼はのちに精神を病んだ二女に刺殺されてしまうのだ。これもまたエピソード。暗い話だが。
◎和可菜の仲居が色川武大の著書にサインを求めた(彼女たちはめったにそんなことはしない)。
「この本、どうやって手に入れたのです」
「坂上の文悠書店で買い求めました」
「いいですか、そんな無駄なことにお金をつかってはいけません」
色川は立ち上がると、部屋のすみに吊してある上着のポケットをごそごそやって、戻ってきた。
「はい、これ。本の代金です。」
百円玉を含め1400円を渡してから、自著にサインした。