前号で、ミッキーマウスのキャラクターはアブ・アイワークスが描いたものだとしたけれど、誤解されかねないので補足。描いたのは確かにアイワークス。しかしそのキャラクターを育てあげたのはまぎれもなくウォルト・ディズニーだ。
最も一般的なミッキー観は、自由の象徴とする見方である。何物にも束縛されることなく、すべての自然の法則を破壊し、常に勝利する。しかしモラルの法則だけは決して破ることはしない。ミッキーは敏捷で気どっていて残酷で、生き生きとして反抗的で、時にはサディストの悪魔となる。
このミッキー像のもとになったのは、ウォルト自身が述べているように、なんとチャップリンである(加えてダグラス・フェアバンクスも)。
「誰よりも偉大」と崇拝するチャップリンをモデルにして「人の心を動かすようなものにしたかった。チャップリンの物欲しそうなところをネズミで表現したかった」
しかし前号のディズニーランドフリークが指摘するように、ミッキーは次第に洗練、完成されて行き、破壊的側面が失せる。そのために考案されたのがドナルド・ダックだったのは有名な話。
さて、音楽と映像をメトロノームを使ってシンクロさせるというアイデアで爆発的なヒットとなった「蒸気船ウィリー」(ミッキーマウスの声はウォルト自身が担当した)や、「三匹の子ぶた」「白雪姫」などで評価が高まったウォルトだが、経営者としてはまったく失格していた。作品は要するに彼の道楽の結実なのであり、浮かんだアイデアが実現しないなどと言うことは(たとえ時間や予算の制約があったとしても)許すことができるはずもなかった。まさしく、狂気のアーティストだったのだ。
芸術家としてのウォルトのピークは戦前に訪れる。1940年ごろ、彼は「コンサート物語」(のちの「ファンタジア」)「ピノキオ」そして「バンビ」をなんと同時進行で製作していたのだ! 以下次号。
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