The Band & Emmylou Harris 'Evangeline' 1978.avi
PART5「ゲイシャ・ワルツ」はこちら。
戦後の音楽の方向性を決定づけたのは、やはり占領軍ではないだろうか。
「キャンプ」
アメリカ軍キャンプの音楽としては、ジャズと総称されたアメリカ系舶来軽音楽が広範に演奏されたが、戦前の日本のジャズとの顕著な相違点としては、カントリー&ウエスタン(当時は単にウエスタンと呼ばれることが多かった)と、のちにモダンジャズと呼ばれることになるビ・バップ以降のジャズの移入がある。
どちらも戦時中のアメリカで、音楽産業の既存のメインストリームとはやや別のところで台頭した音楽であり、前者であれば中西部や南部出身、後者であればアフリカ系のアメリカ軍将兵の直接的な要求と支持に基づいて日本に持ち込まれた新しい音楽といえる。
前者については、演奏が比較的容易なことや、西部劇的に理想化された「アメリカ」のイメージも手伝って、日本の高校生・大学生がバンドを組んでキャンプで演奏することが多かった。アメリカ本国では地方の庶民的な音楽であるウエスタンは、日本ではブルジョア子弟が主たる担い手になった。
そうした富裕層子弟のバンドは学校を卒業するとバンドから引退したが、放送やレコード会社、出版社への就職を通じて音楽産業に関わっていく者も多かった。その代表的な人物として、三井財閥の分家出身で、学生時代はバンド、ワゴン・マスターズを率い、その後日本テレビに入社して多くの音楽番組を手掛けた井原高忠がいる。
……ここで井原さんの名前が出てくるのか。
戦後すぐに、“趣味で”音楽をやる若者はなるほどブルジョアの子弟しかいないだろうし、田舎者が多かった米兵に感化されてウエスタンを始めるのは自然なことだ。日米において、かくしてねじれは生じたわけだ。
少し時代は下るけれども、アメリカ大使館の軍事顧問団に勤務した経歴を持つ人物も、現在の音楽界に多大な影響を与え続けている。英語名ジョン・ヒロム・キタガワJohnny H. Kitagawa。もちろんジャニー喜多川のことである。以下次号。
本日の一曲は尾崎豊の「米軍キャンプ」にしようかとも思いましたが、あまりにそりゃベタなので(笑)、ザ・バンドとエミルー・ハリスが共演した「イヴァンジェリン」を。これは「ラスト・ワルツ」のバージョン。ということは撮ったのはマーティン・スコセッシだ。黒髪が美しかったエミルー・ハリスは、銀髪となったいまもきれいです。
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